2015年12月22日火曜日

一日一個法

最近、自分で一日一個法というのを考えて実行している。一日に一個、何かをやればいいという方法だ。一日にゼロ個でもいい。一週間に二日ぐらいゼロ個の時があってもいい。いわば、週休二日制だ。

たとえば、「病院に行った」ら、一個タスクを完了したことになるで、今日も一日、一個すすめたと思うようにする。病院に行くのはけっこう大きなイベントだけど、そうではなくて、たとえば、「買い物に行った」というのも、数えるべきタスクとなる。

それどころか、「通販の注文をした」とか「通販の受け取りをした」ということも、数えるべきタスクとなる。それだと、今度はけっこう数えるのが大変になると思うかもしれない。けど、一日一個法では、細かく、数えない。

だいたい、なにを数えるべきタスクと感じるかというのも、その日の状態によって違う。だから、人によって、状態によって、なにがタスクなのか、違ってくる。何にもしなかった日は、たとえば、ご飯を作ったというのものを、数えるタスクにくわえてもいい。「今日は、自分でご飯を作ったから、いい。自分でご飯を作ったから、進歩した」……「ご飯を作ったので、一歩前進!」……こう思えばいい。

まあ、タスクというのは、普段やっていることではなくて、やるのがちょっとしんどいことかな。けど、やるのがちょっとしんどいことは、ひとによって違うし、同じ人でも状態によって違う。だから、気分次第で、なにをタスクと考えるか変えてしまっていい。それじゃ、意味がないのではと思うかもしれないけど、それだから、意味がある。

書き出す必要もない。ただ、思えば、よい。「今日も一歩進んだ」と思えればいい。まあ、その人にとって、ちょっと大変なことを、タスクとして考えるのだけど、今日は、料理をタスクに昇格とか、そういうことでいい。「今日、ゴミ出しをした」……ということなら、ゴミ出しをタスクに昇格して、「今日は、ゴミ出しをしたからいいや」と思うことにする。

一日に、一個やればいい。一日に一歩すすめればいい。そういうふうに思う。……そうすると、わりとすすんだ感じがする。普段、普通にやっていることを、タスクとして考えると、また話が違ってくるんだよね。数が多すぎる。本人にとって、わりと大きなイベントなんだよね。一個として考えるのは。基本はそうなんだけど、ふだんやっていることをタスクとして考えてもいい。

けど、それは、他の人から見れば、小さなイベントだし、「そんなの毎日やっている」「そんなの一日に三回もやっている」と言いたくなるようなことなのだ。しかし、本人がどう感じるかの問題だから……。

しかも、本人の中に明確な基準があるわけではなくて、その日によって、……その日の体調で、基準が変わってくる。

「今日も一歩すすんだ」と思ったほうが、「今日もなにもしなかった」と思うより、精神的な健康を保てる。「今日は、ゴミ出しをしたからいいや」「今日は、医者に行ったからいいや」「今日は、買い物に行ったからいいや」……こう考えたほうが、「今日もなにもしなかった」と考えるより、気持ちがいい。気持ちが落ち着く。やっていることは同じなのに、一歩すすんだ!!と感じることができるのだ。だから、一日一個法としては、固定した明確な基準を作らないというのが、キモになる。本人が思うだけで、「本人が思ったことを紙に書き出す」必要がないわけだから、らくちん。

もちろん、「今日は休みの日だからゼロでいい」という考え方もある。自分が普段やっていることを、「タスクに昇格」しなくてもいい。それはまあ、考え方次第。「昨日、でかいこと(タスク)を二つやったから、今日はゼロでいいや」と考えることもできる。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。