2015年12月16日水曜日

「相手は自分を助けるためにそこにいる」と考えると気が楽になる……気にする人に対するアドバイス

たとえば、図書館に行くとき、図書館のスタッフは僕を助けるために待機していてくれると思うと気が楽だ。助けると言っても、この場合は、借りたい本を出してくれるということなのだけど、それでも、助けてくれることには変わりがない。僕のために、本を用意して待ってくれてると思えば、そんなに、緊張することはない。医者も同じ、医療事務員も同じ。みんな僕を助けてくれるために待機していると思えばいい。例外はある。例外は、自分に害悪をなす人で、この、自分に害悪をなす人は、避けなければならない。

けど、普通の人に関しては、自分を助けるために待機していてくれると思ったほうが何かと気が楽だ。たとえば、自分の服装に自信がない場合、こういう格好で行ったら、変なふうに思われるかなと思うような場合、あるいは、中年なのに「扶養」になっていて格好が悪い場合など、いろいろと気をもむ。

けど、自分を助けるために待機していてくれると思えは気が楽だ。実際のところ、若い医療事務員が、保険証の情報を調べて「この人は、まるまる歳なのに、扶養なのか」と思うかどうかはわからない。で、「扶養である場合、こころの中で下に見るかどうか」はわからない。で、わからないのだから、気にしてもしかたがない。そういうふうに、言葉に出ない、相手の判断に関しては、言葉に出ない以上は気にしない。

コンビニのスタッフも、俺を助けるためにわざわざ商品を用意して、待機していてくれるのだと思うと、気が楽だ。いろいろと変なことを考えないですむ。で、変なことを考えないほうが、明らかに、良好な関係を築ける。まあ、ただ買うだけだけど。知らないところに行って、通りがかりの人に道を聞く場合も、その人は、俺を助けるために、いま、この通りにいると思えば、気が楽だ。もちろん、この場合は、そうじゃないのだけど、そういうふうに思っていたほうが、気が楽だ。交番で道を聞くときも、わさわざ、僕を助けるために、おまわりさんが待機してくれていると思ったほうが、気楽に聞けるだろう。

例外というのは、悪意がある人達で、できるだけ避けなければならない。たとえば、勧誘とか。自分にとって不要な勧誘をしてくる人は、なんとしても避けなければならない。そういう人は、自分を助けるためにいるのではなくて、自分に害悪を与えるためにそこにいる人だと認識していい。避けるべし。無視するべし。

人にものを頼みにくい人というのがいる。なるべく、人の手を煩わせないほうが良いのではないかと、いろいろと気を使う人がいる。僕のように。けど、その人は、スタッフにしてみれば、挙動不審に見える場合がある。自分に聞けばいいのに、さっきから、うろちょろしている……こう思う場合だってあるかもしれない。

いろいろと気にして話しかけられないとか、あるいは、自分の容姿を必要以上に気にしてしまう場合は、とりあえず、「スタッフは自分を助けるために待機していてくれる」と思って接したほうがなにかと、得点がいいんじゃないかなと思う。で、こころで思っていることは、気にしないようにする。どう思っているのかは知らない。スタッフの人だって、人間だから、その日のいろいろな感情や、その人のいろいろな常識・価値観を通して、他の人を判断するわけで、そういうものがまったくないとは思わない。人として感情があるわけだから。そして、感情の元になる判断基準(その人の持っている常識)があるのだから。

けど、言葉に出さなかった場合は、気にしない。その人が、その人の家族と揉めて、機嫌が悪いのかも知れない。だから、目つきや全体の雰囲気は気にしない。「こう思われたのではないか」と言うようなことは、気にしない。気にしないと言っても、気にする人は、おおいに気にするから、考え方としては、「相手は自分を助けるためにそこにいる」と考えておいたほうがいい。

あくまで、気にする人に対するアドバイスね。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。