2019年4月29日月曜日

家族として一緒に住んだ人じゃないとわからない


うむ。正直言ってつまらない。

いま、冷えたハンバーガーを食べている。正確にはチーズバーガーだ。けど、チーズバーガーもハンバーガーの一種なのでそう書いた。しかし、チーズバーガーというのは、マクドナルドのチーズを挟んだハンバーガーのことなので、一般的な名称ではない。冷えたチーズを挟んだハンバーガーを食べていると書くべきなのだろう。しかし、これだと、冷えたチーズというとになってしまう。チーズを挟んだ冷えたハンバーガーが適切であろう。



と、まあ、くだらないことを書いたけど、楽しくない。



お湯が沸いたので、これからお紅茶を飲むぞ。ブルジョワだ。お紅茶だからな。



もう一回、横になるかな。



実はあんまり、楽しいことを考えられない。これは、一五年間のサイコパスヘビメタ騒音という特殊事情によるものだ。なので、他の人はまったくわからないだろう。どれだけ、これで、他の人とのあいだに溝ができたか。どれだけ、これで、本来の自分の状態とのあいだに差ができたか。



こんなのない。本当は、だれだって、耐えられないのに、そういうことを家で、日常的に経験した人がいないから、ヘビメタ騒音の影響がわからないのである。普通の騒音、普通の人間態度を想定してものを考えるので、たいした騒音じゃないということになってしまう。あるいは、騒音が鳴ってたにしろ、自分だったらできるということになってしまう。実際に、一メートル横で、あのサイコパス騒音が鳴っている状態を経験すればわかるのに。これは、兄貴でもおなじだ。兄貴だって、ちがう音がヘビメタ騒音とおなじ音のでかさで鳴っていたら、一分で、ぐちゃぐちゃな気持ちになって、腹が立って腹が立ってしかたがない状態になり、他の作業ができなくなるのに……そして、それが一日に一〇時間続いたら、夜眠れなくなり、また、からだにその騒音が残っている状態で、次の日の朝を迎えて、くるしむのに。次の日の日中も、まるで、船酔いをしているように、あるいは本当に酒が残っている状態でくるしいのとおなじような状態で、実力が出せず、どれだけがんばっても元気が出ない状態でくるしむのに……やられたことがないからわからないんだよな。親父の態度でヘビメタをけたたましい音でヘビメタを鳴らしたわけだけど、親父はでかい音でなんかの曲を聞くということはなかった。親父のサイコパス的な態度は、他のことで発揮されたのである。騒音で発揮したのは、サイコパス兄貴だ。これ、本当、サイコパス兄貴はまったく気がついてないけど、うちの人に対する態度とヨソの人に対する態度がちがう。新しい家族は、ヨソの人なのである。だから、一日に一分だって、騒音でくるしめるということをしない。そんなのは、できない。そんな悪いことは、自分の嫁さんや、嫁さんの家族にはできない。兄貴が、やったっていいと考えるのは、実家の家族の構成員だけだ。生まれ育った家のメンバーには、どれだけ、やったっていいのである。それは、サイコパス親父が保証していた。サイコパス親父の態度がまさに、それだからな。そして、本人はまったく気がつかない……さらに、どれだけ言われても気がつかないというところまで、そっくりだ。全部おなじ。親父の騒音バージョンが、兄貴なのだ。親父も兄貴も、うちでだけ、そうなる。だから、ヨソの人は、わからない。関係がないヨソの人は中立的な立場でものを聞こうとするので、必然的に、サイコパス兄貴の味方になる。だいたい、そんな、家のもめごとに巻き込まれたくない。やられた方に「それでもちゃんとしっかりしなければだめじゃないか」と言うのが落ちだ。それが、常識的な人の態度だ。頭にくる。こういう状態なら、中立的な立場というのは、サイコパスの見方だということなんだよ。凸型のサイコパスの味方。



あとは、本人は毎日やられてないので、やはり、「じぶんのたちば」で常識的なことが言える。自分の立場というのは、教師なら教師という立場ということだ。やられてない教師は、教師という立場でものを言う。普通のことを言う。つまり、「ちゃんとやらなきゃだめじゃないか」ということを言う。「遅刻しちゃダメじゃないか」ということを言う。「忘れ物をするな」と言う。やられてない他人の言葉というのは、究極的な状態でやられている人間のこころを傷つけるのである。ヨソの人にはわからないようなサイコパス的な態度で、サイコパス的な感覚で、サイコパス的なことをやる。やりきる。そしてやりきったら、絶対の意地で認めない。こういうセットが、どれだけ人を傷つけるか。そいつは、息を吸うようにそういうふうに「なっていて」別に自分の意思でそうなっているわけじゃないんだぞ。これが、どれだけ残酷でやっかいな問題かわかるか? サイコパスと一緒に住んだ人じゃないとわからない。うちでだけ狂うやつと、家族として一緒に住んだ人じゃないとわからない。これが、どれだけ人を傷つけるか。で、一五年でも二〇年でも、やったやつは、わからないんだからな。この「わからなさ」が、また、他の人の常識をこえる「わからなさ」なんだよ。あれだけこだわってやったのに、まったく本人がやったことじゃないと思っている。で、そういう思考回路も、やっているときとおなじなのである。意地になってやっているときとおなじ思考回路で、自分がやってきたことを、がちゃめちゃに、否定する。で、否定したら、その瞬間に、関係を忘れる。関係がないひとになってしまう。そういうことの繰り返しだ。やっているときからそうなんだよ。

「やられたほう」が世間の人から悪く言われる構造が成り立っている

やっぱり、納得がいかない。

やっぱり、納得がいかない。

どうしても納得がいかない。他の人にはわからないかたちで「かぞく」が狂っている。自分のやりたいことだけをやる。相手が必死に「やめてくれ」と言っているのに、頑固にやり切る。けど、頑固にやりきれれば、まったくやった気持ちがしょうじない……こういうサイコパス。

こういうサイコパスに「うちのなかで」やられると、「やられたほう」が世間の人から悪く言われる構造が成り立っている。こんなのはない。けど、実際にそういう「うちのなかにいるサイコパス」にやられたことがない人は、普通に不満を言う。やられたやつに不満を言う。勘違いをして、説教をし始める。やられたやつは……サイコパス的な「うちのひと」にやられたやつは、普通に下に見られる。だめ人間だと思われる。ヘタレだと思われる。(常識的な人が)常識的に考えると「そんなのは、言わないからだめなんだ」「ちゃんと説明しないからだめなんだ」という結論に達する。そんなんじゃないのに、そういう結論に達する。やられたことがない、しあゆせな人が考えるとそういうことになってしまう。サイコパスの意地がわかってない。サイコパスの無視がわかってない。サイコパスの認知がわかってない。で、不幸なことに、一番わかってないのは、「やっているやつ」本人だ。自分がサイコパス的な意地でやったことを、サイコパス的な意地で否定する。で、本人が否定しちゃったら、もう、一切合切関係がないことになってしまう。そういうしくみが、「よそのひと」にはわからない。本人にはもっとわからない。本人が一番わかってないというのがこまる。そういうしくみを通して、やりきる。本当にこまる。


2019年4月28日日曜日

これ、本当、どれだけの人がわかるんだ??? わかるやつがすくないといういうことはわかるぞ(公開バージョン)


俺、もう、寝る。
今日はいろいろなことがあった。
そして、それらのことがぼくの感情を揺さぶるので、眠れなくなった。
また、二四時間以上、眠れない状態になった。
これからも、眠れるかどうかわからない。
今年の一月三一日から、五回ぐらい四〇時間から四四時間眠れない状態になった。
いろいろな思い出が復活してしまう。親父にかかわるいろいろな思い出。しかも、そのすべてが、常識的な他人にはわからない。俺が、嘘を言っていると思うと思う。『そんな人はいない』とか言い出すんだろうな。こいつらがどれだけ、世間知らずで、思考力がないか。常識的だけど、世間知らずなんだよ。『例外』というものがわかってない。不幸な人の不幸な生い立ちというのがわかってない。頭がおかしい人の、おかしな思考法がわかってない。まあ、わかるわけがないか。そして、俺が正真正銘、本当のことを言っても、俺が嘘を言っていると思うわけだからな。こんなやつらは救いがたい。しかし、こいつらが多数派であることは否定できない。そりゃ、例外の常識なんてわかるわけがない。例外的な「うち」の常識なんてわかるわけがない。
で、その常識的なわかってない人と、第一者がおなじ考えをしているんだよ。これがどれだけヘンなことか。どれだけねじ曲がったことか。気違い的な意地でやる人が、気違い的な意地で自分がやったことを認めない。ごく自然にやってないと思っている。そして、ごく自然にやりきる。すべての状態を無視してやりきる。やりきることができれば「そんなのはやってない」と言い出す。信じちゃうだろ。第一者がそういうことを、第三者に言うと、信じちゃうだろ。そして、第二者がわなにはまる。やられっぱなしになる。
けど、それは「あたりまえ」のことなのである。毎日毎日おなじことが成り立つ。奇妙な世界だ。どれだけおかしい話しか? 悪い意味で●●●●●が親だと、そういうことになってしまう。みんなわかってない。わかるのは、ごく一部の●●●●●である親に育てられた人だ。そりゃ、ぶつけられるからな。ごく普通に、●●●●●である親の「へんなぶぶん」をぶつけられる。そりゃもう、意地になって容赦なくぶつけるんだよ。けど、本人は「やったつもりがない」。やったということを認める段になると、「やってないやってない」と言い出す。けど、この「やってないやってない」と言うこと自体が、やっているときに、現実を無視して言っていることとおなじなのである。気違い兄貴の場合は、親にやられたことを、そのまま俺にぶつけたんだよ。だから、親とおなじようにそのことにかんしてはまったく無頓着でやってないと思っている。全部、おなじ。やり方がおなじなんだよな。認知がおなじなんだよな。全部「やったってやってない」だ。気違い的な意地でやりきる。本当に全部、容赦なく、自分が好きなとおりにやって、認めないんだよな。認めるのが「まずくなる」と、おなじやり方で認めない。だから、永遠に「やってない」と思い込むことができる。

あとは、「へたれ」問題について考えた。ヘビメタ騒音を毎日ずっと何時間も何時間もやられるということは、ひどいことなのである。ヘビメタ騒音を毎日ずっと何時間も何時間もやられると、だれもが「へたれ」になってしまうのである。それが毎日続いたらどうなるか? その人が最初からへたれなのか、ヘビメタ騒音でへたれなのか、わからなくなる。これも、本当にうまくできている。毎日、やっているつもりになしに、ものすごくデカイ音でヘビメタを鳴らすということは、能力がある人間を、へたれにしてしまう。そういう力がある。毎日じゃなくても、一日でも、そういう力がある。やられた次の日は、どれだけ能力がある人間も、へたれ人間になってしまう。へたれは、いろいろな特徴がある。ヘビメタ騒音を浴びせられて、夜眠れなくなってしまうと、だれもがへたれになる。だいたい、ヘビメタ騒音を浴びせられているあいだじゅう、ずっと、『プラス向きのこと(自分にとってプラスになること)』はできないのだから。勉強だろうが、読書だろうが、パソコンだろうがなんだろうが、できない。で、ヘビメタを浴びせられているときにやったことは、きらいなことになってしまう。重いことになってしまう。へたれの特徴は、だるそうなこと、暗いこと、能力がなさそうなこと、だらしがないこと、などなどだ。覇気がないというのは、『暗いこと』のなかに入れてもいい。ともかく、生気が感じられないのである。やる気がない状態なのである。で、うっとうしがられる。へたれとだめ人間はほとんど同義語だ。だめ人間の方がまだ、まるい感じがするか?

2019年4月24日水曜日

つかれている。ずっと続きすぎた。


くらーーい。つまらないーー。さみしーーー。
さみしい。
どうにかならないか?
これなぁーー。この気分。
やなぎ荘とおなじだ。やなぎ荘にいたときの気分とおなじだ。

本当につまんない。
さっきは、午後六時ぐらいに、ヘビメタ騒音が鳴っている雰囲気がした。鳴っている感じがした。あれ、長いんだよな。雰囲気として鳴っている。つねに、その時間……夕方は鳴っていたので、夕方の感じとヘビメタノ感じがくっついている。不可分。もちろん、他の人にはわからない。そして、ヘビメタが鳴っている感じがしているときの破滅的な気分はわからない。不安でつまらない気分はわからない。あせって、不安で、破滅的……これがヘビメタ騒音の気分だ。頭がまわらない。ともかく、つかれている。つかれている。ずっと続きすぎた。

「つかれた、つかれた」と言っているからつかれる……というのは、一見正しいけど、正しくない。だれにとって、正しいのかということを問題にしなければならない。
たとえば、有機水銀で一五年間くるしんでいる人がいるとする。その人は、一五年間毎日「くるしいくるしい」と言ってきたとしよう。で、一五年目のある日、その人が「くるしいくるしい」と言っているのを聞いた人がいたとする。その場合、「くるしいくるしい」と言っているからくるしくなる(くるしく感じる)のだというのは間違っている。その人、別の人といういいかだと混乱するので、くるしいくるしいと言っている人をAさんだとする。そして、『くるしいくるしい』と言っているからくるしくなると言った人をBさんとする。Aさんは、「くるしいくるしい」と言うから、くるしくなっているわけじゃない。有機水銀という毒でくるしくなっているだけだ。だから、Bさんの解釈は間違っている。「くるしいくるしい」と言っているからくるしくなるという場合は、「くるしいくるしい」と言っている人が「気分的に」くるしくなっている場合のみに成り立つ。本当はくるしくないのに「気分で」くるしくなっていると感じている人の場合は、「くるしいくるしい」というからくるしくなる(くるしいと感じる)ということは、正しい(場合がある)。特に理由がないのに、「くるしい」と感じて、「くるしいくるしい」と言っている人はたしかに、「くるしいくるしい」と言うから『くるしく感じる』ということが成り立つ(ことがある)。けど、それとこれとは別だ。けど、「つかれた」もおなじ。「『くるしいくるしい』と言っているからくるしくなる」と他の人に対してよく言っている人は、すべての場合においてそういうことが成り立っていると思ってしまっている。特に理由がない場合と毒や騒音といった物理的な理由がある場合はちがう。「くるしいくるしいと言うからくるしくなる」……これのどこが間違っているんだ?とムキになってしまう人がいる。中立的な場合は正しいけど、そうなる理由が他にある場合は間違っている。『中立的な場合は正しいけど』と書いたけど、本当は、『中立的な場合は、正しい場合がある』と言った方が正確だ。どうしてかというと、『中立的な場合』というのが実際にはわからないからである。言ってみれば、本当に中立的で特に理由がない場合と、中立的に見えるけど本当は(発見されてない)理由がある場合があるからだ。

2019年4月23日火曜日

兄貴の知的能力は、ハンダゴテ事件で損傷されなかった。けど、気違いヘビメタ騒音事件の場合は、最初からそれが違う

つかれた。めちゃくちゃにつかれた。こりゃ、だめだ。あー、ヘビメタ騒音でつかれた。こんなにつかれていたのに、動いていたんだからなぁ。そりゃ、もっとつかれるだろう。もっとつかれて、だめになるだろう。動けなくなるだろう。がんばって、なにになった? がんばって、つかれただけじゃないか。ヘビメタ騒音のなかのつかれ。ヘビメタ騒音のあとのつかれ。ヘビメタ騒音のあとのつかれにたたられまくっているのに、意志の力で、自分のからだを動かしてきた。そして、またヘビメタ騒音のなかのつかれを経験する。……こういうことを、何千日も繰り返してきた。どうして、「ヘビメタ騒音が鳴りやんだら、そんなのは関係がない」などと言えるのか? こういうやつらは、肝心なものが見えてない。目が節穴。

やっぱり、つかれた。どうしたって、「つきあい」が減る。そうなっている。気違い兄貴は、他の人と俺の仲をさいてやろうと思ってヘビメタを気違い的な意地で、頑固にならしているわけではないのだけど、ずっと鳴らすということによって、そういう効果がある。相手が言ってくることを、一切合切無視して夢中で鳴らしきるということを、毎日毎日毎日やっていくと、ごく自然にそうなる。ごく自然にあいてはそうなる。付き合いが減らざるを得ない。計算したわけじゃないけど、ものすごい効果がある。そうやって、じょじょに追い詰めていく。頑固に相手の言っていることを無視してやり続けるというのことには、そういう効果がある。これは、親父が兄貴の言い分を無視して、「(このハンダゴテは)使える」と言い切ったときとおなじなのである。兄貴が、ヨソの人から、バカだと思われる。親父はそんなのわかるわけがない。もともと、このハンダゴテは使えないということさえ、理解しなかったのに、そんな高度なことがわかるはずがない。自分が主張したことで、相手がヨソの人からバカだと思われるということなんて理解するわけがない。そんなことが理解できるのであれば、『このハンダゴテは使えない』ということを理解している。『このハンダゴテは使えない』ということを理解しないということは、知的能力がないから理解できないということではないのである。しくみがある。『このハンダゴテは使えない』ということを理解してしまうと、新しいハンダゴテを買ってやらなければならないのである。それが、いやだけ。だから、知能とは関係なく、現実を無視して、頑固に認めない。どれだけ説明されたって、認めない。認めないということも認めない。これは、なんていうのかな、そのときはそのときで意地を張って認めないのだけど、そのほんにんにとって……つまり親父にとって……それがものすごく小さなことなのである。やったということさえ理解しなくていいほど、日常茶飯事の小さなことなのである。けど、その小さいことにいのちがかかっているんだけどな。認めたくないときは、いのちがけで認めない。で、こういうところが、親父と兄貴でおなじなんだよ。そりゃ、ヨソの人は『このハンダゴテが使えないということを理解できない大人はいない』『おまえ(兄貴)の説明が悪かったから、親父さんが理解できなかっただけだろ』と間違った推量をするわけだから。これも、おなじなんだよな。親父の態度から、そういう兄貴側の『失敗』が導き出される。失敗と書いたけど、不愉快な体験でもいい。あるいは、ヨソの人から誤解されるということでもいい。『そんなの、お兄さんに言えばいいだろ』なんて言う人は、やっぱり、同種の誤解をしているのである。おなじなんだよな……しくみが。家族のなかにいる気違いが、気違い的な意地を押し通すと、やられた人が、ヨソの人から誤解されたりだめ人間だと思われたりする。そういうしくみが成りっている。ヨソの人は常識で判断するからそうなる。ヨソの人の判断が、「いえ」のなかの実態と合致してない。
ところで、ヘビメタ騒音というのは、実は、『このハンダゴテは使えない』ということを認めないということよりもやっかいな問題を含んでいる。たしかに、ハンダゴテにかんしては(兄貴の)能力が問題になるわけだけど、親父が『このハンダゴテは使えない』ということを認めないということで、兄貴の能力は落ちてない。気違い兄貴のヘビメタ騒音の場合は、気違い兄貴がヘビメタ騒音を鳴らし切るということで、ぼくの能力が落ちているのである。体力、気力が落ちているのである。学力が落ちているのである。これは、でかい違いだ。毎日積み重なったらどれほどの量になるか。もちろん、気違い兄貴は気がつかずに、親父とおなじ状態で、意地を張って、やりきる。やりきっておいて、小さなことだと思っている。実際には、『小さなこと』だと思うことにも失敗している。まったくなにもやってないと思っている。けど、いのちがかかっている。絶対の意地で、やる。一二時間鳴らせるのであれば絶対の意地で一二時間鳴らし切る。弟がなにを言ってきても、それは、親父のように無視して、やりきる……のである。けど、気にしない。気にすることができない。親父のように、一切合切気にしない。影響を与えているとも思わない。思うことができない。どれだけ説明されても、自分がやったことで、弟がこまっているということが理解できない。ハンダゴテのときの親父のように理解できない。で、兄貴が俺に与えている影響は……でかい。毎日がハンダゴテ以上の『屈辱』なのである。おまえ、兄貴、おまえ……兄貴……おまえ……どれだけ怒ってたんだよ。親父にそういうことをやられて、どれだけ怒ってたんだよ。兄貴のヘビメタ騒音は、それプラス、実際に学力が落ちるということなんだよ。体力がなくなるということなんだよ。毎日どれだけつもるか? そんなのが、四〇〇〇日五〇〇〇日続いたら、どれだけの差ができるか? ヘビメタ騒音がなかった場合の俺と、ヘビメタ騒音が鳴っている場合の俺のあいだにどれだけの差ができる。この差は、俺に対する態度の差になって現れる。俺に対する他人の態度の差になって現れる。そりゃ、勉強ができるかできないか、どういう学歴があるか、どういう態度で暮らしているかというのは、他人の他人に対する認知に基本的な影響を与えるからな。学生のときは学歴、社会人になったら職歴(かたがき)と学歴だ。学歴は職歴(かたがき)の土台になっている。態度というのは、やる気のある態度や明るい態度という意味だ。こういうのも、人が人を見るときの認知に影響を与える。疲れ果てていたらダメなのである。気違い的な家族と一緒に住んでいて、その気違い的な家族がデカイ音でヘビメタを鳴らしまくるという迷惑行為をしている場合、どれだけの影響があるか。ヘビメタ騒音でつかれまくってしまうし、そう家族と接触すことによって、しんどい気分になってしまうだろ。接触するというのは、『ヘビメタをやめてくれ』と言いに行くことだ。『そんなの、接触しなければいい』『無視すればいい……』と言うことをいう人がいるけど、それは、問題がある。言いに行かなかったのであれば、適切な説明をおこたっているということになってしまうのである。『説明すれば、静かにしてくれたかもしれないのに説明しなかったから静かにしてくれなかったんだ。そんなの自己責任だ』と言われてしまう。俺が言ったにもかかわらず、毎日、何十回も数千日にわたって言ったもかかわらず、「そんなの、言えばいいのに、言わないからだめなんだ」と誤解してしまう人が後をたたない。『言った』と言えば、『言い方が悪い』『説明のしかたが悪かったんだろ』とハンダゴテ事件当時、兄貴のまわりにいた人のようなことを言うわけなのである。
ともかく、兄貴はハンダゴテ事件当時の親父の態度で、ヘビメタを鳴らしたわけだけど、まわりの人の認知に関する影響にかんしては、兄貴のヘビメタ騒音の方がでかい。まわりの人の認知というのは、被害を受けた人のまわりにいる人の認知ということだ。気違い兄貴は気違いヘビメタを鳴らすことによって、実際に俺の学力をうばい、能力をうばい、体力をうばっている。それが、親父のハンダゴテ事件との違いだ。親父が兄貴に与えた影響と兄貴が俺に与えた影響の違いだ。親父は、『使えないハンダゴテ』を押しつけることで、兄貴の知的能力に関する、他人の認知に影響を与えたけど、他人の認知にかかわらず、兄貴の知的能力は、ハンダゴテ事件で損傷されなかった。けど、気違いヘビメタ騒音事件の場合は、最初からそれが違う。ヘビメタ騒音自体が、俺の知的能力に影響を与える。実際の体力や実際の意欲に影響を与える。そりゃ、気違いヘビメタのなかで、ぼろぼろになってつかれはてるわけだし、そのあいだずっと、勉強をすることができない。勉強だけではなくて、本を読むというような知的な活動ができない。本当に、どれだけ気にしないようにしても、そういう気持ちとは関係なく、からだがヘビメタを浴びていれば、その影響が出る。その影響というのは、いい知れない「つかれ」だ。意欲の減退だ。勉強なんて、知能がおなじなら、勉強した時間に比例するんだよ。時間だけの問題なんだよ。(やる気は、時間にあらわれるとする)。
ともかく、ヘビメタ騒音問題はハンダゴテ事件問題なんかより、一兆倍も一京倍もでかい問題だ。これを、毎日やってないつもりで、やり続ける。五〇〇〇日たったら、どれだけの違いになってあらわれるか。


気違い的な家族というのは、他人の常識では考えることができないようなことをする家族という意味だ。

2019年4月18日木曜日

他の人がまったくわからないような異常な感覚


ヘビメタ騒音で人生がない。他の人がまったくわからないような異常な感覚で、やるから……気違い兄貴が、他の人がまったくわからないような異常な感覚でヘビメタをガンガン一日中鳴らすから……。俺がぁ、他の人から誤解を受ける。それは、親父が異常な感覚でやりきったことで、気違い兄貴が誤解をされたのとおなじだ。これ、本当にこまるんだよな。しかも、気違い兄貴のは、ずっとだから……。毎日毎日、一五年間ズッとだから……。俺が、他の人から、説教されるような身分になってしまう。だれだって、おなじことを一五年間ズッとやられたら、働けないからだになるのに、『働かなきゃだめじゃないか』『起きられないなんてうのは甘えだ』と説教をされるような状態になってしまうのだ。これは、水俣病になってない人が、水俣病になってしまった人に『働かなきゃだめじゃないか』『起きられないなんてうのは甘えだ』と説教するのとおなじだ。生物的な意味で人間のからだの反応があるのに、それを、無視する。知らないから無視する。水俣病だって、有機水銀でたしかにそういう反応が起こるということが確かめられたから、そういうことを言う人がいないだけで、有機水銀で(だれもが)そうなるということが確かめられていなければ、やはり、言われるんだよ。働いてなければ、そういうふうに言われる。起きることができないのであれば、『そんなのは甘えだ』と言われる。言われた場合、できない以上、言い返すことができない。できないわけではないけど、言い返したところで、相手は認めないだろう。
やはり、『人間の体ならこうなる』ということが、証明されなければならないんだよな。

2019年4月17日水曜日

『悪いのは言ってくるほうだ』ということになる

ヘビメタ騒音で人生がない。俺だけ取り残された。
『静かにしろ』と言ったらズッと静かにしてくれ。ズッと静かにしろ。ズッと静かにしろ。気違い兄貴の基準で静かにするなんていうのではだめだ。俺の基準で静かにしろ。普通の基準で静かにしろ。本当に気違い親父とおなじで、自分の意地を通す。ものすごくきたない手を使って自分の意地を通す。自分意識をだまして、やってないことにしてしまうんだからな。これはきたない。自分の意識をだまして、「こんなのは、小さな音だ」と認知してしまうんだからな。『小さな音だったらどれだけやったっていい』『がたがた言ってくるほうがおかしい』と考えたって、おかしくない。こういうに考えたら、『静かにしろ。静かにしろ』と言ってくるほうが、神経質で悪いやつで、へんなことを言っていると思うことができるのだから。ヨソのじゃ鳴らせないものすごくでかい音で鳴らしていて、こういうふうに思っていたら、そりゃ、まるで悪く感じないよな。『悪いのは言ってくるほうだ』ということになる。で、自分の意地を通してやったことは、次の瞬間には、「まったくやってないこと」になる。これも、親父がやり始めたことだ。自分が悪く言われるときは、「そんなんじゃない」つもりになってしまうのである。これも、本人がそう思ったらそうなんだよ。『事実』そうなんだよ。本人のなかでは。で、自分が本当にやってないのに「やった」と相手が言ってきた。言いがかりをつけてきたということになる。自分にとって不都合なことは、絶対に認められないのである。「悪いことをした」というとを認めるというのは、自分にとって不都合なことなんだよ。だから絶対の意地で認めない。で、この『(やったことを)絶対の意地で認めない状態』と『やりたいときに)絶対の意地でやる』ということが似ている。ほとんどおなじことなんだよな。おなじ構造が成り立っている。入っている項目がちょっと違うだけだ。時間がたつとかわってくる。

だから、永遠に認めない。やっているさいちゅうも認めない。だから、いつもまったく悪気がなくやりきる。本人はまったく悪いことをしたと思ってない。悪いことをさせてもらっているとか、悪いことをしているということを知っているけど押し通したという現実ではないのである。……本人にとっては。本人にとっては、いま書いたように、やっているあいだは悪いと思わないでやりきるわけだし、『(おまえが)こういうふうに意地を張ってやったからこまった』と言われたあとは『そんなんじゃない!そんなんじゃない!!やってないやってない!!』と腹を立ててれば、それですんでしまう。……本人のなかでは。


2019年4月16日火曜日

ヘビメタ騒音で「ひとりだけ」時空の果てに投げ出されたような感じがする

俺はどうしたらいいんだ?



今日は、実は寿司を食べてきた。うまかった。

俺はあと何回 寿司を食うことができるのだろうか?



俺は本当にどうなってしまうんだ?



これから、こんぶでご飯を食べて、寝る~~

あーあ、本当に、リアルで人に会っても、よく知っている友達じゃないからなぁ。なんか、本当に、ヘビメタ騒音で「ひとりだけ」時空の果てに投げ出されたような感じがする。

『本のひとくちメモ』『仕事の成果が激変する知的生産ワークアウト あなたが逆転するための73のメニュー』 奥野 宣之 著

『本のひとくちメモ』

『仕事の成果が激変する知的生産ワークアウト あなたが逆転するための73のメニュー』 奥野 宣之 著


たいへん懐かしい感じがする本。俺にとってはということだけど……。ヘビメタ騒音がなかったら、こんな感じでいろいろと調べたりしてたんだろうなと思う。ぼくの場合は、どうしてもヘビメタ騒音の影響がでかすぎる。まあ、これは本の感想になってないけどね。これは、本の感想になってなくてもいい『ひとくちメモ』だからそれでいい。

「本屋は社会の縮図だ」というようなことが書いてあったけど、これはたしかに、でかい本屋にいくと感じたことだな。まあ、いろいろな分野の本がブロックごとに場所をわけておいてあるといことなのだけど、歩き回っていろいろな分野の本を読むのが楽しみだった。基本、図書館の本よりも、『現在』に対応しているので、はやりのものもわかる。まあ、哲学の棚をあさったあとは、旅行の本の棚とかさ、そういうところを見るというのでもけっこう、知的な旅をしているつもりになる。
『仕事の成果が激変する知的生産ワークアウト あなたが逆転するための73のメニュー』 奥野 宣之 著のなかに書いてあることで一番印象に残ったのは、オンライン読書会のことだ。これは、著者と著者の友達でやっているらしい。まあ、気の知れた知的な人との読書会はおもしろいよね。
しかし、ぼくはやはり、ヘビメタ騒音の影響がでかすぎる。かなり深いことを話してきた友達をうしなってしまったし、実際の読書会に出るのは(睡眠障害などがあって)気が重い。
本当にヘビメタ騒音ですべての道がふさがれているんだよな。親父の気違い的な性格だけだったら、それで、知的な世界に潜り込んでどうにかなったのに……。毎日、ヘビメタ騒音で勉強の邪魔をされるとつらい。勉強の邪魔だけではなくて、『興味を持ったこと』をやることすら、すべての時間、強烈に邪魔されたのだから。で、「じゃまされた」というような言葉を使うと、それに微妙に反応する人たちがいる。その人たちは、「じゃまされた」というような言葉を聞くこと自体を、よからぬことだと考えているのである。ヘビメタ騒音を本当に鳴らされているわけでもないのに、「じゃまされた」と思うから「じゃまされた」ということになるのだ……というような思考をする。これは、普通の状態ならわかるけど、あの騒音のパニック状態だとそういうことはなりたたない。生物的に無理だ。無理なことを要求してくるんだよな。無理なんだよ。ぼくがどれだけその「むりなこと」にこだわってきたか。昨日、老人ホームのことについてある人(兄貴の嫁さん)と話していたんだけど、奇声をあげてずっとさわいでいる老人なんかよりズッとデカイ音でヘビメタを鳴らしてたんだぞ……あんたの旦那は……と思ってしまった。老人ホーム(介護施設)にかんしては、ぼくが、電話をしたんだけどね。これはこれで、うちくだくようなことが昨日あったわけ。
まあ、本の話に戻そう。いろいろとわけがあって、なんて言うのかな? 疲れ果てててしまった。なので、知的な活動に制限が加わった。
・アウトプットは大切だ
・ヘビメタ騒音で気力や体力を削られた
・思考をしているとどうしてもヘビメタ騒音のことが頭に浮かぶ(実際に関係がある)(そりゃ、この世の雰囲気だからな。そして、からだの状態に本当に影響を与えている)
・読書会は無理か
・本屋巡りやでかい本屋に行く機会がほとんどなくなった(若い頃はそれでも必死になって、心理学の本を読んでいた。ぼくにとって、心理学の本を読むということは、「不思議な現象を説明ができる現象にする」ということなのである。どうしても治さなければならない病気を治すために医学の勉強をしているようなものだ)

2019年4月15日月曜日

けど、これ、包み隠さず言うと、ヘビメタ騒音の雰囲気だ


つかれたぁ~~~
鬱だ。
いちおう起きたけどなぁ
いちおう起きることができた。
けど、これ、包み隠さず言うと、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。これじゃ、どう考えても気分が悪い。憂鬱だ。ヘビメタ騒音の雰囲気が強すぎる。

他のやつらって、この感じがないんだろ。どうしてなら、ヘビメタ騒音の日々が一五年間も続かなかったから。ずるいよな。

この感じがあるのとないのとじゃぜんぜん違う。もし、人間という生命体……生物が、毎日七年間気違い騒音にさらされると、こういう状態になるとすれば、彼らにしてもこういう状態になるわけだ。人間という生物が七年間毎日、気違いヘビメタ騒音にさらされて普通に通勤通学するという状態なら、絶対にこういう「雰囲気」がうまれて、その後もこういう雰囲気が生きているあいだつきまとうとするならば、それは、ぼくと彼らの個体の差ではない。けど、個体の差として理解されてしまう。毎日あんな騒音にさらされたら、名医ではいられないといっただろ。医者にもなれないよ。
ともかく、気違いヘビメタにやられたということが、異常すぎるんだよ。ぼくだけやられた。だから、他の人は「たいかん」としてぼくの状態がわからない。経験としてわからない。だから、もし、そうだったら……おなじことを経験したら……こうだということに関しても、考えに差が出てくる。「俺は、そんなことがあったとしても、そんな状態にはならない」と思えるからだ。けど、人間という生物の特性を考えるとやはり、気違いヘビメタ騒音が最低でも七年間、通勤通学をしているのに続いた場合、俺とおなじ状態になると思う。けど、何度も言うけど、それはぼくの個人的な問題にされる。「考え方が暗いからそうなんだ」「つらいつらいと言っているからそうなんだ」と防衛的な人は言うわけだ。こういうことを言う人たちは、実は防衛的な人で、どちらかというと、暗示を受けやすい人たちなのだ。はっきり言って、暗示に弱い。だから、防衛する必要がある。

まあ、ぼくは、人間という生物の特性として一〇〇%だれでもこうなると思う。しかし、何度も言うけど、気違い兄貴が横の部屋に住んでいて、気違い理論で、気違い的にデカい音で鳴らしてなにも感じないという状態が毎日毎日、続いたのはぼくだけだ。だから、ぼくの弱さにされてしまうのである。ぼくの責任にされてしまう。たとえば、ぼくが「いまげんざい」ヘビメタで憂鬱だとしよう。それは、たとえば、やらなければならないことがあって、朝起きた場合、こういう雰囲気になって、憂鬱になるとする。それは、ヘビメタ騒音数千日の結果だ。しかし、ここでも、問題がある。誤解をされる問題がある。それは、たとえば、まだ眠りたりないときに起きて動かなければならないという状況は、だれもがちょっとは経験したことがあることだからだ。数千日も続かなかった場合と、数千日続いた場合とでは違う。しかし、類推・想像できる。そして、その想像した値というのが違うのである。だれだって、眠りたりないで起きた場合は、そこそこつらい。そこから、真横でヘビメタ騒音数千日生活のつらさを推し量ってしまう。そうすると、間違いがしょうじる。
『けどけど、おまえはいまさっき、人間という生物ならだれでもおまえとおなじことが生じると言ったではないか』……と思う人がいるかもしれない。言った。で、これは、別に矛盾してない。ヘビメタ騒音数千日を経験してない人が感じる朝の憂鬱(朝の雰囲気)とヘビメタ騒音数千日を経験したことがある人が感じる朝の憂鬱(朝の雰囲気)は違う。だから、違う。違っていても当然だ。

今日もちょっとはすすんだので、よしとする。


俺は本当にどうしたらいいんだ?
ここで歳をとって死ぬのか?
それが一番確率的には高い。
一人さみしく死ぬのかね?

たぶん、今日は午前四時ぐらいまでは眠れない。
それは、計算のうちだ。
明日は、行かなければならないのだ。
つまり、普通の人の時間帯にあわせて、動かなければならない。
あーーあ。俺が時間を指定できるとはいえ、うまくいくかなぁ???

午前10時ぐらいに電話がかかってくるかもしれない。その時俺は、寝ているだろう。眠っているだろう。

一人で暮らしているとふとした瞬間に、うわっとくるものがあるね。
本当に一人になっちゃったな。あのときはまだ、いつでも会える友達が数人いたからなぁ。あーーあ。やなぎ荘とは違うね。

やなぎ荘だと思って暮らせばいいやと思ったけど、やなぎ荘とは違う。



   *   *   *

今日もちょっとはすすんだので、よしとする。

しかし、睡眠時間が回転する「病気」はどうにかしないとなぁ。

で、この「病気」のどこが問題かというと、睡眠時間があってない時間に、起きて、行動しなければならないときのからだの状態が問題なのである。いや、こころとからだの状態が問題。もう、自殺寸前の投げやりな気持ちになる。ヘビメタ騒音のときとおなじ状態になる。本当に睡眠時間がとれないまま、動いているときの「あのかんじ」はない。ところで、病気と書いたけど、これは病気ではない。症候群だ。けど、広い意味で「病気」と言ってみた。

2019年4月14日日曜日

そんなにうるさいのなら、親がなんとか言う

いま、思うとヘッセはしみたなあ。とくに、ナルチスとゴルトムントがしみた。バッハを聴くとあの頃のことが思い出される。

これがぼくの青春だったのか。

あの、くらい部屋で、ヘッセとユングを読みまくるのが俺の青春だったのか。本当にあの頃がぱーっと思い出されるなぁ。そして、俺はかわってない。俺の脳みその中がかわってない。女に対する態度がかわってない。としだけくったけどなにもかわってない。まあ、お母さんが死んでしまったし……そういう変化はあったけど。



本当にすべてがヘビメタ騒音なんだよな。ヘビメタ騒音で破滅破綻。殺すに殺せずズッとやられて、ズッとくるしい。物語がはじまらない。通勤通学ができない。非二四時間睡眠覚醒症候群で破滅。絶対にやめてくれなかったんだよな。やなぎ荘から帰って……家に帰って、めしを食っているときだって、「めしくをっているときだけはやめてくれ」と言っているのに「めしをくっているんだからいいだろ」と言って、一分たりとてやめてくれなかった。常にそういう状態だ。俺は、気違いヘビメタ騒音のなかでめしを食った。はらわたがにえくりかっている状態でめしを食って良いわけがない。



これも、顰蹙を買うかもしれないけど、選択肢がない。ヘビメタ騒音が鳴っているということは、俺の選択じゃない。よく、他の人が「あのとき大学に進学したらどうだったのだろう」とか「あのとき、彼女に好きだと言ったらどうだったのだろう」とかということを口にするときがある。あるいは、考えるときがある。要するに、過去の「いふ」について考えるわけだ。で、ぼくも過去の「いふ」について考えているみたいだけど、選択肢があるのとないのとでは違う。「もし、A大学ではなく、B大学に進んでいたらどうだったのだろう。考えてもむだだ。いふについて考えることは意味がない」という結論に達するらしい。これが、たいていだれでもそうみたいなんだよな。その人は、A大学に進むこととB大学に進むことを、選べた。ヘビメタ騒音は選べなかった。それが違う。



気違い兄貴という異物。気違い兄貴という、空間をゆがめる異物。

気違い兄貴という……。本当に気違い兄貴が気違い兄貴ではなくて普通の兄貴だったら……。いふいふいふ。



「やめてくれ」と言ったらやめてくれるような人だったら

「ヘッドホンをしてくれ」と言ったらヘッドホンをしてくれるような人だったら……こんなことにはなってない。俺はつらい思いをしなくてすんだ。本当に殺すしないんだよな。話しがもどってしまうけど。……そして、ヘビメタ騒音のことは、俺にとってどうでもいい小さなことではないのである。だれだって、おなじ状態になればわかるよ。小さなことであるはずがないだろ。どうでもいいことであるはずがないだろ。



気違い兄貴のヘビメタ道具を壊したら、気違い兄貴は、「ヘビメタ道具を壊したのだから鳴らしていい。がたがた言ってくるな。言ったって聞いてやらない」と言うだろう。気違い兄貴をぶん殴ったとしてもそうだ。気違い兄貴と気違い親父のことはよくわかる。そういうことをしたら、気違い的な意地でやりまくる。気違い的な意地でやりまくる。「やっていい」口実を与えたようなものだ。おまえが(そういう悪いことをしたのだから)俺だってやっていい……こういう口実で絶対にやりきる。もっとも、なぐってもなぐらなくても「絶対にやる」ということはわからないわけよ。気違い兄貴の場合。気違い的な意地でそうする。現実なんて無視だ。本当は、デカイデカイ音で鳴らしているのに、現実を無視して「フォークギターぐらいの音で鳴らしている」「テレビぐらいの音で鳴らしている」と本気で思い込んでいる。「たいしてデカイ音じゃない」と本気で、何十年も毎日思っている。十数年は毎日、「たいいしてデカイ音じゃない」と思って、強烈にでかい音で鳴らした。だから、俺が!!他の人から誤解されるんだぞ。「どれだけ、でかい音で鳴らしてたって言ったってそんなにでかい音で鳴らしているじゃないだろ」なんて、教師は思うわけだから。これ、本当に教師が想像もつかない音で鳴らしているんだよね。ぼくの部屋の状態がわからない。わかってない。「ものすごい音で鳴っている」「ものすごくでかい音で鳴っている」と言ったって、今度は、教師の方がわからない。教師は教師のなかでの「そうおん」というものについて考えるからだ。「へびめた」なんて言葉も知らない。本当に教師をやっているような人が育ってきた家庭と、気違い親父ががむしゃらにつくってきた家庭とは違うんだよ。この違いがわかってないんだよな。本質的にわかってない。さらにわかってないやつが「そんなにうるさいのなら、親がなんとか言う」とか「そんなにうるさいのに親が注意しないはずがない」とか言いやがるんだよ。これだよ。俺が本当にどれだけ、誤解を受けてきたか。教師が想像もつかないような過程で、教師が想像もつかないような音で鳴らしている。気違い兄貴が鳴らしている。で、これも、「お兄さんのことを気違いとか……(そういうことは言うべきではない)」というような話しをする教師まででてくるわけで、本当に、こっちはふんだりけったりだ。ぜんぜん違うから、ぜんぜんわからないんだよね。挙げ句の果てにそんなにおかしい父親だったら、どうして、精神病院に入ってないんだ? (どうして、精神病院につれていかなかったんだ?)」というようなことまで、思いやがる。つれていけるわけがないだろ。やられているやつがつれていけるわけがない。だいたい、お母さんまでやられているわけだら。お母さんががましちゃったらそれでおしまいなんだよ。こういうことすらわからない。想像力がないからぜんぜんわかってない。挙げ句の果てに、時代背景を無視して、いまの基準でものを言ったりする。小室直樹を読んでいないとしても、そういうことに関しては、自力で気づくべきだ。

2019年4月13日土曜日

その人のなかの「じょうしき」をこえるものは、排除しようとする

つかれた。言いようがない。どうしたもんだ? この人生をどうすればよいのだろうか? このつかれは言いようがない。だいたい、ヘビメタ騒音で親友との人間関係ですらめちゃくちゃになった。他の浅い付き合いの人ともやはり、ヘビメタ騒音でめちゃくちゃになる。どうしてかというと、気違いヘビメタのやり方があまりにも異常だから他の人にとって常識の範囲ないの思考で対処できるものではないものになってしまうからだ。どうしたって、その人のなかの「じょうしき」で考えるわけで、その人のなかの「じょうしき」をこえるものは、排除しようとする。人間にはそういう傾向がある。だから、こういう人たちは、誤解をする。本当のヘビメタ騒音について誤解をする。彼らの頭のなかには本当のヘビメタ騒音のことが入ってない。俺が言ったって、入らない。おなじように、彼らの頭のなかには、本当の気違い兄貴の態度が「はいらない」。常識的に考えてないからない……と思ってしまう。『常識的に考えてないからない。だから、エイリが言っていることはおかしい』と思ってしまう。『たとえそういうことがあったとしても、ちゃんとやらなければダメだろ。そんなのは言い訳だ』と思ってしまう。俺ができないと言ったらできないんだよ。……『俺ができないと言ったらできないんだよ』と言いたくなるような細かいことで対立することになる。これは、俺が引き下がって言わなかったにしろ、対立として残る。どうしてなら、『できない状態』が続くからだ。これがわからない。気違い兄貴、シランプリで、あり得ない音で鳴らし続けやがって。あり得ない態度で鳴らし続けやがって。俺が本当のことを言っているのに、他のやつが信じないんだぞ。それは、兄貴が親父の態度について本当のことを言っているのに、他の人が信じないのとおなじだ。「そんなのはない」のである。他の人たちにとって「そんなのはおかしい」のである。だから、他の人たちは「兄貴がおかしいことを言っている」と思う。「かりにそうだとしても、そんなことが影響を与えるはずがない。いいわけをしている」と思ってしまうわけだ。親父の態度は、他の人たちにとって信じられないことだからな。「かりにそうだとしても」と言っているとき、威力の弱体化がおこる。本当だと仮定しているのに、あたかも、本当ではないと仮定しているのとおなじような状態になる。本当だとしても……と言っているときに、相手の本当の力を弱体化させる。もちろん、頭のなかでだ。「相手」というのは、話に出てくる相手のことで、俺の場合は、兄貴、兄貴の場合は、親父だ。かりに本当だとしてもそんな影響はないと考えてしまう。

2019年4月11日木曜日

兄貴のヘビメタに対するこだわりが、他の人にはわからない

なんとか起きた。ほんとうに「なんとかおきた」という感じだ。あーーあ、つかれた。起きたけどつかれた。昨日残した焼きそばの残りを食べる。この焼きそばが、カップ焼きそばなんだけど、うまくない。



昨日は通販で味噌を買った。これは、だしが入ってない味噌なので、味噌にぎり丼用なのだけど、味噌汁にも使いたいので、だしも買った。だしは高いので、どうかなと思うけど、いいや。だしは、他のものに入れてもうまいしな。



なんかちょっとは気分的に復活して欲しいんだよ。ちょっとは……さ。なんかやる気にならないかな? 最近、なんて言うのかな? やらなければならない用事はあるけど、自分がやりたくてやっていることがないんだよ。つらいんだよ。

スマホを買ったよ。けど、まだ開けてない。まだ、楽天モバイルと契約するかどうかまよっている。本体があればいい。もし契約しても、六ヶ月ぐらいで解約するつもりだ。



むかしだったら、新しいパソコンがきたのとおなじでうれしいと思うんだよな。けど、いまの俺は「めんどうくさい」だけだ。たとえば、契約をするのがめんどうくさい。金が出て行くとなると気分がさがる。ズッと定期的に出ていくというのが、ものすごくいやなわけ。



むかしだったら絶対に楽しいはずなんだけどな……。



PC-8801mkIIのキーボードを買った。これは、コネクタが大きなタイプだ。矢印キーが上の方に四つ並んでついているやつだ。むかしのがいいんだよ。むかし、欲しかったから。これも、きれいなやつがくればいいなと思っているけど……きてみないとわからないな。写真を見た限りは、わりときれいだったけど。

これも、本当なら、ものすごくうれしいはずなんだよ。



あたま、ぬけてるわぁーー。



このままいくと感情がぬけたまま生きていくことになる。

   *   *   *

たとえば、「一〇〇〇万円あげるから、旅行でも風俗でもなんでも好きなことにお金を使っていいよ。好きなものを買えばいいよ」と言われたとしよう。そして、一〇〇〇万円、本当にもらったとしよう。楽しいか?

楽しくない。ヘビメタ騒音で楽しくない。ぼくの人生を返して欲しい。どうしてもつらい。わかいときはかえってこない。



むかし、幼稚園に上がる前、俺は、兄貴と喧嘩をして、くちびるを切ってるんだよ。おしつぶすように切った。だから、もともとのかたちとは、ちょっと違うんだよな。で、微妙なことを言うと、もともとのかたちのほうがすきなわけ。



ともかく、気違い兄貴のヘビメタ騒音で全部ない。気違い兄貴のやり方があまりにも以上なので、他の人にはわからない。特に常識的な人にはわからない。『そんなの関係ない』と言ったやつをまるまるしてやりたい気持ちになるときがある。そういうことを言ったやつだって、本当におなじようにヘビメタ騒音を浴びれば、おれとおなじような状態になる。ただたんに、浴びなかっただけなのに、まるで自分がすぐれているようなことを言いやがって。すぐれているって、『俺より』すぐれているという意味ね。「そんなの、甘えている」と言いたいわけだよ。やつらは。けど、何度も言うけど、やつらが想定している騒音生活とぼくが実際に体験した騒音生活が違う。「そうおんぐらいだれだってある」とか言ったやつをまるまるしてやりたい。「そんなんじゃない」って言っているだろ。こういうやつに、なめられるような人生になってしまうんだよ。こんなやつら、騒音がなければ、ぼくの足下にもおよばないやつらなのに。けど、まあ、こういうことを言うと『ぼくの足下にもおよばないやつらとか』そういう考え方が良くないというふうに思う人もいるだろう。ようするに、ぼくがそいつらをバカにしている……そういうのはけかからんと思うわけだよ。けど、最初にバカにしてきたのはそいつらだ。こうなると、どろじあいなんだよ。けどさ、本当にヘビメタ騒音がずっと鳴ってなかったらこんなことになってない。気違い兄貴が気違い兄貴ではなく、普通の兄貴で、騒音が普通だったらこんなことになってない。気違い兄貴のヘビメタに対するこだわりが、他の人にはわからない。ものすごくデカイ音でヘビメタを鳴らすことに対するこだわりの深さがわからない。そのためには、自分の感覚器を書きかえてしまうようなところが、他の人にはわからない。これは、親父がやったことなんだよな。自分にとって不都合なことは、絶対に認めない。一目見ればわかることでも、一秒聞けばわかることでも、都合が悪いなら、一切合切認めない。けど、一切合切認めないというつもりがない。一切合切認めてない」という認知がないんだよ。わざとやっているわけではないわけ。じゃあ、ゆるされるのかというと、ゆるされない。わざとやっているわけじゃないのだから、「ゆるされるべきだ」というようなことを言う人たちもいるのだけど、わざとやっているわけではないから、どこまでも、しつこく続くんだよ。わざとやっているつもりがないから、どれだけ言われても、まったくつもりがないままやり続けてしまう。まったく反省しないまま、やり続けてしまう。やられた方は、他の人から、誤解されたりひどい目に遭う。そりゃ、『ちゃんと言わないからダメなんだ』なんて他のやつは言ってくるわけだから。なにも知らないのに……。

   *   *   *
いまだって、幼稚園の園舎で何十人?何百人の園児が、奇声をあげているよ。まあ、同時に奇声をあげているのは、十数人と言ったところだろうけど。

けど、俺は別に『だから、勉強ができない』『だから、作業ができない』とは思わない。実際、このくらいの騒音なら、無視して勉強することができる。けど、至近距離の、壁のすぐむこうの、あのレベルのヘビメタ騒音だと、どうやっても、どーーーやっても、勉強ができない。しかも、勉強ができないだけじゃない。プラスマイナスゼロじゃなくて、勉強ができないにもかかわらず、自分の部屋にいてヘビメタ騒音に耐えていると言うこと自体が、マイナスなんだ。大きなマイナス。勉強なんてしたくないから、勉強なんてしないで、パソコンをいじっていたとかそういう話しじゃないんだよ。それなら、パソコンをいじっているぶんだけプラスだろ。けど、じゃあ、ヘビメタ騒音のなかでパソコンをいじっていれば(他の人たちとおなじように)プラスなのかというとそうじゃない。ヘビメタがあるかないかで、ぜんぜん違う。しかも、ヘビメタを浴びているぶんだけ、からだと精神が猛烈につかれる。このつかれが、これまた、ヘビメタ騒音独自の異常な「つかれ(疲労)」で、ゲームをしてつかれたとか、楽しく遊んでつかれたというのとは違う。ヘビメタ騒音を浴びたことで、睡眠回路がめちゃくちゃになってしまったといっているだろ。緊張型の不眠症があるといっているだろ。これも、『健康管理ができないのはたるんでいる証拠だ』とか言う人がいるんだけど、そうじゃないんだよ。その人は、ヘビメタ騒音を浴びてない。ヘビメタ騒音を浴びずに、そういうことを言うな。たとえば、学校から家に帰ってきて、七時間ヘビメタを浴びたとすると、その七時間のせいで、眠るべき時間になっても、眠れなくなってしまう。それは、一日とか二日の問題じゃなくて、土日も含めて、毎日の問題なんだよ。これ、二〇〇〇日、三〇〇〇日つもった場合は、また、一日とか二日騒音で眠れなかったというのとはちがう問題が生じるんだよ。

2019年4月7日日曜日

あのとき、絶対に鳴らさせないようにしなければならなかったんだ

やっぱり、ヘビメタ騒音で人生がない。
だめだこりゃ。あのとき、絶対に鳴らさせないようにしなければならなかったんだ。そうじゃなければ、ぼくの人生がない。それが決定してたんだ。ズッと毎日、『今日こそ、鳴らさせないようにしよう』と決意して学校から帰ってきたけど、気違いの壁にはばまれて、静かにさせることができなかった。殺さなければ静かにさせることができなかった。一日中、静かにさせることなんて、できるわけがない。その時、イップンカンですら、殺さなければ静かにさせることができなかった。気違い兄貴がそういうことを押しつけてきた。気違い兄貴は気楽に鳴らしてたみたいだけど、絶対にやめてらやないということにかんしては、いのちがかかっていた。気楽の意味が違うんだよな。一日中、あんな音で鳴ってたら、こまるに決まっているだろ。気違い兄貴だって別の音を、あの音のデカさで一〇分間、横の部屋で鳴らしているやつがいたら、一〇分間、腹が立ちっぱなしになって、イライラして、勉強なんてできなくなる。そういう音を、まったく気にしないで鳴らしていた。どれだけ言ったって、親父のように認めない。どれだけ言ったって……。けっきょく、気違いが意地を通すということになる。殺せないわけだから……。そういう毎日だ。そういう毎日。

言われたら、怒って鳴らし切る。一日中鳴らしても、まったく鳴らさなかったのとおなじ気分でいる。影響を与えてないと思っている。気違い野郎。ともかくおしまいだ。そして、こういうことが毎日普通に続けば、やはり、ぼくが他の人からバカにされるようになる。『ちゃんと働け』と説教をされるようになる。こんな人生やってられるわけがないだろ。何度も言うけど、気違い兄貴の「あのおと」は、本人だって、耐えられない音だ。そういうデカイ音だ。そういうデカイ音で鳴らしていいわけがない。自分が鳴らしたかったから、小さい音だと思ってしまっただけだ。

2019年4月6日土曜日

つかれた

つかれた。本当につかれた。

どうするかな。コーヒーをちびちび飲みたい。けど、いま飲めば蕁麻疹が出ることがはっきりしている。もう、雰囲気でわかる。



まじめに言ってつかれた。



けど、ここで寝てしまうと、夜眠れなくなる可能性が高くなるので、横になるわけにはいかない。ちょっと横になっただけで眠ってしまう可能性がある。けど、つかれた。



もう、いいや」という気持ちがまた強くなった。これは波のように襲ってくるな。枯渇しているんだな。体力・気力リソースが枯渇している。いま、人と会ってどうのこうのという気持ちにはなれないしなぁ。おしいれの工事はなるべく早くやらなければならない。ネズラスにやられるわけにはいかないのだ。けど、あそこに入って作業するとなると、いろいろとたいへんなんだよ。作業のあと風呂に入らないとダメだし。



あんまりやりたくない。けど、本当にコーヒーが飲みたい。ああああっ。コーヒー飲みたい。コーヒー。



いま、紅茶を飲んだけど、紅茶じゃないんだー

コーヒー、飲みたい。



やらなきゃなぁ……と思うことは、けっこうある。

人と会う気力がないようなことを言ったけど、気を遣わなくていい、既に同居している、女の子のことは抱きしめたいな。既に同居しているというのが、きもね。そんな人いないけどさ。抱きしめたい。



けど、まあ、ひとりで気楽というか……少なくても相手の生活を稼がなくていい状態は気楽だと言えば気楽だ。あとは、世間的な男性に求められる役割をしなくていいというのは、楽だ。ひとりのことで、いっぱいいっぱいだからね。ヘビメタ騒音以降、もう、いっぱいいっぱいだよ。パンク、破滅している。既に、パンク、破滅している。パンク、破滅している人こそ、さみしいのだ。だから、ジレンマがある。



買い物とか掃除とか作業とか、いろいろとやらなきゃならないことがある。掃除を少しずつでもいいからすすめていかないと、たいへんなことになる。家の掃除がたいへんなんだよ。「これ、どうするんだよ」と思うときがある。皿のセットとか捨てちゃおうかな。あんなの使わない。売るわけにもいかない。ちゃんときれいなセットじゃないからね。食器棚に入っている食器は、使わない。むだな鍋もたくさんある。これは、どうしてそうなってしまったかというと、悲しいお話があるのだ。鍋を巡る……めんどーーな話がある。まあ、それも、一方の主役がいなくなれば、むだなものでしかない。少しずつ、捨てていくしかない。(いや、一方の主役がいても、むだなものはむだなものなんだけどね)。ゴミを捨てられない人はいるからね。俺も、そういうところはある。



ともかく、つかれたな。というのがある。つかれた。



さて、今日は、なにをするかな?

ゼリーとジュースを買いにいかないとなぁ。あとは、長ネギと肉かな。

「もーーつかれた」という気持ちがある。気違いヘビメタにやられた次の日の朝「もーーつかれた」のピークだった。もう、あれ、動くか死ぬかで、しかたがないから、動いただけで、つねに毎日、限界値を超えていた。つねに毎日限界をこえて、不可避的にがんばっていた。そりゃ、死ぬわけにはいかないから、動くしかないのだけど、ヘビメタ騒音でつらい。昨晩のヘビメタ騒音でつらい。昨日の、あかるい時間からはじまった夜の長い長いヘビメタ騒音でつかれた。ヘビメタで眠れない状態というのが、そのまま再現されてしまう。昨日もそうだった。これ、日時を決められると、ヘビメタ騒音で眠れなかったときとおなじ状態になってしまうんだよな。起きれるかどうか心配になって眠れなくなる。遅刻しないかどうか心配になって眠れなくなる。ほとんど眠ってない状態でむりやり動いているときの状態が、想起されて、つらくなる。本当に毎日『死ぬか動くか』を突きつけられて、くるしんでいた。動くしかないから動いているけど、死体に鞭を打って動いているようなものだ。ヘビメタ騒音生活というのは、そういう、つらいことだ。鳴っているときだけ、うるさいと思うようなことではない。けど、普通の人は、そういうことがわからない。もちろん、言えば理解できる人はいるけど、その人が自分の経験として、俺とおなじぐらいのヘビメタ騒音を俺とおなじ時間の長さ聞いたわけではない。そういう経験があるわけではない人だと、やはり、その人が想像するヘビメタ騒音と、俺が経験したヘビメタ騒音のあいだに差があるということになる。あるいは、その人が想像するヘビメタ騒音のつらさと、俺が経験したヘビメタ騒音のつらさが大きく違うということになる。そうなると、言うことが違ってくる。で、そういう認知の差が、……要するに、喧嘩になって現れる。ダイヤともそうだったんだよな。だから、本当に気違い兄貴が、気違い的な意地でヘビメタを鳴らしたから、親友と絶交したということになる。そうするしかない。だいたい、ヘビメタが鳴ってなかったら、俺は、ヘビメタが鳴っているときよりもズッと勉強ができて、親友にも、友達にもいい影響を与えることができたはずだ。ヘビメタ騒音で勉強することができないということが、親友にも友達にも悪影響を与える。俺の勉強のことなのだけど、あんまりいい影響を与えない。気違いヘビメタというのはそういう騒音だ。これが、他の人にはわからない。どれだけのハンディとなって現れるか……。どれだけ、他の人が俺のことを認識するときの指標になるか。ヘビメタ騒音のハンディを抱えている俺は、本来の俺ではない。他の人はみんな、ヘビメタ騒音というハンディを抱えてない。ヘビメタ騒音を抱えている俺は、不可避的に他の人に迷惑をかけるような状態になっている。そりゃ、遅刻にしたって、忘れ物にしたって、試合中のうっかりミスにしたってそうなんだよ。ヘビメタ騒音で全体的な能力が下がった状態になっているから、他の人から見ると、俺がそういう人間だと見える。こういう障害なんだよ。そして、なんて言うのかな? それは、説教をしたくなるようなところなんだよ。たとえば、遅刻は、どうだ? 遅刻をしたら、説教をしたくなるだろ。遅刻をするやつは、遅刻をしないやつよりもだめなやつに見えるだろ。だらしないやつは、だらしなくないやつよりも、だめなやつに見えるだろ。気違いヘビメタ騒音で、身だしなみを整える時間も体力もない。家に帰ったら、午後一一時一一分までずっとひたすら、ヘビメタ騒音が鳴っている状態だ。それが毎日あたりまえだ。休みのは日朝から、夜の一一時一一分までヘビメタがガンガン鳴っている状態があたりまえだ。こんなの、ない。普通の家だったら、一日に一〇分間だってあり得ない音なんだよ。でかすぎるという意味で。気違い兄貴が自分のヘビメタじゃない音を、一〇分間あの音で聞かされたら、一〇分間「うるさいうるさい」と思って頭にくるような音なんだよ。不可避的に頭にきて、気になるような音のデカさなんだよ。不可避的に。けど、気違い兄貴にしてみれば自分がやりたい大人ので『このくらいの音で鳴らしたっていい』『うちでなら、このくらいの音で鳴らしたってかまわない』と思って、気違い親父のように頑固に鳴らすわけで、殺さなければ、やめさせることができない。頭がおかしいから、迷惑をかけているつもりがない。やっていいことをやっているというつもりしかない。本当に自分が我慢して譲るつもりなんて、一秒間だってないんだよ。もし、一秒間我慢させられたら、一秒間、本気で怒る。「こんなのやってられるか」「どうして、我慢しなきゃいけないんだ』と怒り狂って、一秒後には、ガンガン鳴らし始める。殺さなかったらやられる。そういうことの繰り返しだ。毎日・毎時間・毎分・毎秒……そういうステータスなんだよ。相手はそういうつもりで、頑固にずっと鳴らしているんだよ。これが俺の責任だというのか?

2019年4月4日木曜日

『ヘビメタ騒音で勉強ができなくてこまっている』なんてことを認めてしまったら


買い物に行ってきた。
ほめてくれよ。買い物に行ってきたんだぜ。すごいだろ。すごいよ。買い物だぞ、買い物!!!! すごすぎる。
俺はなんてすごいんだ。

あーーあ。つまんない。

実はやばいところに入る前に、やばいところ専用スリッパにはきかえるべきだったのだけど、そうしないで作業してしまった。なので、一個つぶれた。さらに、渡り廊下を渡るとき、それをはいたまま、別のスリッパの上にのっかった。これは、いつもやっていることで、渡り廊下を渡るときは二重スリッパになる。けど、考えてみるとやばいところを歩いたやつで、スリッパの内側を踏むということは、その踏まれたスリッパもだめになるということなのだ。

だから、スリッパを買ってきた。

実は、やばい場所用スリッパというのは、バスブーツと言われるもので、ブーツじゃないんだけど、靴のようになっている。あれは、300円ぐらいして高い。あれを捨ててしまうのはもったいない。

けど、あの作業は、プロにたのむと四〇万円ぐらいはとられるだろうから、俺がやれば四〇万円節約したことになる。

いま、昼型なんだけど、昨日、ちょっと緊張して眠れなかった。正直言うと、眠ったのかどうかわからない。けど、起きておかないと、今日の夜もそうなるので、起きている。
基本、何月何日の何時何分に集合ということになると、俺は眠れなくなる。ヘビメタ騒音時代のことを思い出してしまうのだ。
やばいところに入った服も洗っている。これは、使い捨てカッパを使った場合も使わない場合もそうしている。本来なら、もう、カッパは必要ないのだけど、なんとなく、かゆくなるから、やはりつけた方が良いということがわかった。これが、精神的なものなか?それとも、本当になにかに刺されているのか?わからない。カッパを着ていたときは、肩のところはかゆくならなかった。今回はかゆくなった。で、入りたくない風呂に入った。

気違い兄貴がガンガン鳴らしているときの感じがするんだよ。一人で住んでいるのだけど、そうなる。自分ひとりしかいないのにそうなる。これは、午前一〇時でも、午後一〇時でもおなじだ。午前一〇時にやられた時期もある。各夏休み、各冬休み、各春休みだけど。あとは、日曜日、祝日か。
それから、なんか集中しはじめたときに、気違いヘビメタの感じが襲ってきて、集中できなくなる。本を読んでいても、そうなる。ちょっとむずかしい本を読んでいると、そういう感覚に襲われる。もう、俺はダメだ。

まあ、やなぎ荘にいるときもそうだっんだけどな。
俺が本当にどれだけなめられたか。気違いヘビメタで勉強が遅れてどれだけなめられたか。気違いヘビメタが鳴ってなかったら、勉強ができるということで押さえつけることができるやつらだ。本当に頭にくる。立つ瀬がない。

十何年間も毎日やられていいわけがないだろ。学生時代ズッと毎日やられていいわけがないだろ。そういうことが、まったくわからないんだよ。親父のようにまったくわからない。兄貴は、まったくわからないんだよ。わからないとなったら、何十万回言われたってわからない。親父にとって、使えないハンダゴテが使えるハンダゴテに見えるように、兄貴には、どれだけ(自分が鳴らしたって)弟の勉強には関係がないように見える。だから、認めずにやりきる。で、認めずにやりきったことにかんしてはまったくなにも考えてないということになる。そりゃ、『どれだけやったって、やってないのとおなじ』だからだ。『ヘビメタ騒音で勉強ができなくてこまっている』なんてことを認めてしまったら、自分が思ったようにヘビメタを鳴らせなくなってしまう。我慢しなければならなくなる。そういうことに抵触することは、気違い親父とおなじで一切合切認めない。認めなければ、どれだけやったってやってないのとおなじなんだよ。一目見ればわかることが、どれだけ見てもわからない。一回聞けばわかることが、何十万回聞いてもわからない。自分に関係があるような感じがしない。だから、勉強の邪魔をしているつもりがないままずっと鳴らしてしまう。それは、俺が言わなかったからではない。俺が、何万回言っても、気違い兄貴のほうで聞いたことになってないだけなのだ。『勉強の邪魔だから、静かにしてくれ』と俺が何十万回、言ったと思っているんだよ。本当、気違い兄貴。自分がやりたいことに反するなら、認めないというやり方でやりきるのである。で、やったというつもりがしょうじない。こういうしくみだよ。

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本当に寝ているときがつらい

本当に寝ているときがつらい。ヘビメタ騒音期間中とおなじ状態になってしまう。本当にくるしかった。毎日死にたかった。毎日死にたいからだを動かして……むりやり動かして生きてきたんだ。もう、動けないよ。

本当にヘビメタ騒音の音量が、普通の人が考えられるような音量じゃないんだよね。あんな音で鳴らしている家なんて、どこにもない。「うち」だけ。どうして、そういう気違いにあたってしまうんだ。どうして、ぼくの兄貴は気違いなんだ。騒音気違いなんだよ。これ、本当に、本人が夢中になってやっていることは、何万時間やったって、「やってないこと」として認識しているんだよね。夢中になってやっているから。自分が本当に我慢して、一秒間譲るという気持ちは、最初からないわけ。けど、「ゆずってやらない」と思っていると思っている気持ちがない。頑として、一秒間だって本当に譲るのはいやだという気持ちがあるのに、そういう気持ちがあるということを認めない。一切合切、認知しない。認知する必要性があるということも、認知しない。だから、ゴクゴク自然に、息を吸ったり吐いたりするように、『どでかい音で』ヘビメタを鳴らすということになる。で、『どでかい音で』鳴らしたいという気持ちが、他の人よりも強いのである。普通の人が考えることができる『どでかい音で鳴らしたい』という気持ちなんかよりも、気違い兄貴のなかにある『どでかい音で鳴らしたい』という気持ちのほうがずっとずっと強い。他の人は、気違い兄貴の『どでかい音で鳴らしたい』という気持ちが、どれだけ強いかわからない。理解できない。気違い兄貴すら、理解してない。けど、それは、絶対の意地でなされることなんだよ。で、絶対の意地でなしていることは、なしているさいちゅうも、特に認めない。認識しない。実際に、静かにさせられそうになったら、ものすごく怒って、気違い親父のようにはねのける。はねのけたら、もう、本人のなかでは、『言われなかった』ことになってしまう。だから、なにも言われなかったつもりのまま、デカイデカイ音で鳴らすことができる。それが毎日続いた。で、毎日続いたときの、こちら側の「こまりかた」が、これまた他の人にはわからない。本当に、気違い的なデカイ音で、家族がヘビメタを鳴らして、絶対譲らないということを経験したことがある人が、いないからだ。兄貴みたいな態度でずっと、毎日、すべての可能な時間を使って鳴らした人が、他にいない。だから、そういう兄弟がいる人も、他にいない。だから、他の人は俺の話を聞いて、『ヘビメタ騒音が鳴ってたんだな』ということを考えるだけだ。自分の経験じゃないのである。だから、必然的に、俺の認知とその人たちの認知に差が生じる。で、この認知の差が、腹立たしいのである。すべてがすべて、腹立たしいことにつながる。もちろん、俺を中心にして考えた場合の話しだ。認知差……他者と俺の認知差……他と者と俺のヘビメタ騒音に関する認知の差は、でかい。他の人たちは、どれだけこまるかわかってない。他の人たちは、気違い兄貴の構造がわかってない。他の人たちは気違い兄貴の認知がわかってない。だから、本当俺が文句を言われる。これは、気違い親父に兄貴がやられたとき、兄貴が他の生徒や先生に文句を言われるのとおなじだ。気違い親父の構造が他の人にはわからないのである。説明しても「へん」だから、みとめないのである。他の人たちは『そんな人はいない』『そんなことはない』と思う人たちなのだ。だいたい、八割がたがそういう人だ。そういう人たちは、ゴクゴク自然に、兄貴をバカにする。『説明がへたくそだった』『そのハンダゴテが使えないということがわからないなんて、なんてバカなんだ』と思う。兄貴が使えると判断して、もってきたように思うわけだから。しかも、気違い野郎は、『そんなのは言い訳だ』とか言い出す。これは、実際にはなかったことだけど、ネットの気違い野郎は、そういうふうに言い出すよ。『そんなのは言い訳だ』『そんなのは自己責任だ(ちゃんと説明できなかったおまえが悪い』と言いやがるんだよ。『なんであれ、自分の現実は自分が作り出している』……とかなんとか、気違い的な理由で人を責める。

ともかく、本当に鳴らされた人のつらさがわからない。他の人にはわからない。経験したことがない人にはわからない。一五年間なんてわかるわけがない。殺さなければやられてしまう。鳴らされてしまう。で、実際には殺せなかった。俺がやなぎ荘に出たのは(アパートを借りたのは)ヘビメタ騒音歴一一年目だ。こんなの終わっている。こんなの終わっている。

本当に毎日くりかえされてしまう。で、ヘビメタが毎日ズッと、夜の一一時ぐらいまで鳴っているのにもかかわらず、次の日学校に行った期間というのは約七年間だ。日曜日は学校に行ってない。行ってたときもあった。部活をやっていたから。どうして部活に入ったかというと、気違いヘビメタ騒音を少しでもさけるためだ。けど、これは、ほんとーーに失敗した。ただ通うだけでも、絶望的にたいへんなのに、部活に入ってしまったら、もっとたいへんだった。気違い兄貴のヘビメタに足を引っぱられる時間がものすごく長い。一日の中でものすごく長い。で、かならず、次の日に影響を与える。強烈な影響を与える。これは、毒ガスを吸わされた場合、毒ガスを吸わされているさいちゅうもくるしいけど、吸い終わったあと、毒ガスを吸ってないにもかかわらず、くるしいということがあるのとおなじだ。吸わされたあと、症状が出る毒ガスの場合、毒ガスを吸ってないにもかかわらず、症状が続く場合がある。吸わされて、吸わされたあと、吸ってないにもかかわらず、症状が出る場合がある。ヘビメタもおなじだ。これ、ヘビメタを浴びせられたら、そのあとのくるしい状態をさけることができないのである。「どうしたってそうなる」ということなのだ。これも、他の人には絶対にわからないのだろう。押し出される。ヘビメタを一〇時間聞かされた影響がその日の夜と、次の日の朝と、次の日の日中に出るのである。それは、不可避的で、ガスを吸ったのに吸ってないのとおなじ状態でいられるわけではないのとおなじだ。聞かされたのに、聞かされてないのとおなじ状態にとどまるわけにはいかないのだ。こういう状態の時と、普通の人が『つらいと言うからつらい』というような助言をするときの状態が、どれだけ違うかわからないのか? 押し出される!!押し出される!!押し出される!!押し出される!!押し出される!! ガスとおなじように影響を受ける。どうしてわからないんだ!! どうしてわからないんだ!! どうしてわからないんだ!! どうしてわからないんだ!!


横になっていれば楽かというとそうではないのである。くるしいのである。

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さて、どうするかな??
ねずみ対策はしたいけど、いま、レインコート(パンツ部分)がかわいてない。まだ、干してある。さっき見たけど、まだ、かわききってない。まあ、おそろしきねずみの糞はすべて封印したので、できなくはない。けど、ねずみの糞と接触していたところは、掃除機をかけただけで、まだ、小さなほこりが残っているかもしれない。その小さなほこりに、ものすごいバイ菌(原虫などを含む)がいたらいやだなと思う。

きのうやったんだよ。昨日は、高性能マスク二枚、防塵グラス、レインコート(カッパ部分)、レインコート(パンツ部分)、スリッパ、を装備して、とりあえず、押し入れの中にあるものを外に出して、ねずみの糞を掃除機で吸い取った。

どうして、ぼくがこんなことをしなければならないんだ? と思う。親父がやったことなんだぞ。これ。ちゃんと、割れ目の処理をしておいてくれたらいいのに、いいかげんなことばかりしやがって。まるで役に立ってないだろ。新聞紙とか、入れっぱなしの新聞紙にどれだけほこりがつもっていると思っているんだよ? あんな新聞紙とビニールで、ちゃんとねずみが防げるわけがないだろ。すのことか木片?がいろいろとはいっている。あそこは、やばいと思っていたんだ。で、見せてもらったとき、いろいろなものが入っていて、肝心の所が見えなかった。全部出して確認するなんてことはできないんだよ。出さずに、確認しても、本当に穴がふさがっているのかどうかわからない。穴と書いたけど、実は穴じゃない。おしいれの床が抜けているのだ。手前の方は、ぬけてない。壁側の方がぬけている。で、左右の高さが違う。右は一三センチぐらい、左は二五センチぐらい下にさがっている。これも、親父が貼り付けたビニールシートをはがしてやっとわかった。ビニールシートをはがすのだって、たいへんだったんだぞ。
俺は本当にほこりがいやなのに、俺がほこりの世話をしなければならなくなる。で、ほこりがつもっているところに、ねずみの糞がぱらぱら落ちているから、掃除がしにくい。

特に新聞紙のうえにほこりとねずみの糞がのかっているばあいは、掃除機で吸い取るのがものすごくむずかしい。新聞紙が吸い込み口の方にくっついてしまうからな。

ともかく、工事できるところまではすすんだ。

ところで、ぼくは、今朝、ものすごく、気違いヘビメタのことで腹が立った。気違い兄貴の態度が腹立たしい。本当になにもやってないつもりなんだからな。ジブンノキモチしかないんだよな。これ、親父とおなじなんだよ。やりたくなったら、ジブンノキモチしかないから、やるわけだけど、相手がなにを言っても相手のことは気にならないんだよ。これ、気にする能力がまったくないという意味で気にならない。だから、やるわけなんだけど、本人は気楽で「つもりがない」。だから、本人のなかでは「やった」という気持ちがないわけ。だから、あとで「やった」と言われたら「やってないやってない」ってさわぐ。で、それは、「さいちゅう」でも、おなじなんだよ。これがわかるやつ、いるか? こういう気違いが家族のやつがいるか? こういう気違い的な家族が気違い的な行為を夢中になってやった場合、どういうことになるかわかっているやつがいるか? 気違い的な家族と一緒に住んでないやつは、あるいは、一緒に住んだことがないやつは、わからないんだよ。だから、「言えばいい」なんて、軽く言う。「言えばいい」と言ったやつに、「言った」「さんざん言った」「言ってもだめなんだ」と言っても、「言えばいい」と言ったやつは認めないんだよな。半分認めない。言えばやめてくれる世界に住んでいて、言えばやめてくれると思っている。俺が「言った」「さんざん言った」「言ってもだめなんだ」と言ったあとも、そういう世界観を手放してない。だから、仮定の話になる。もう、いいよ。ふざけるな。ともかく、そういうやつからすれば、俺が言えばいいことで、悩んでいようにしか見えないのである。『言えばいいこと』というのは、言えば解決してしまうような簡単なことなんだよ。そういうやつらは「ちゃんと言わないからダメなんだ」というような、まったく見当違いのことを言い出す。もう、いやだ。他の人が理解できないような気違い的な父親や兄貴にたたられて、もう、俺はいやだ。他の人が理解できないから、他の人が、完全に誤解する。そんなんじゃない」とぼくが言っても、その人たちはその人たちなりの常識的な解釈をする。常識的な解釈を捨てない。なので、その人たちは、間違った解釈をする。そいつらは「(そんな人はいない)エイリさんがちゃんと言わないからダメなんだ」という考え方をもったままなのだ。これがどういうことだかわかるか?
これ、本当に、気違い家族にたたられた人しかわからない。常識的な人は、気違いについて理解してない。気違いの考え方、気違いの感じ方、気違いの気持ちがわからない。だから、気違い的な家族が、ものすごく自分勝手なことをした場合の『雰囲気』がわからない。『過程』がわからない。どういうやりとりになるかわからない。わかってない。これ、いちいち、プロセスがあるんだよ。ほんとうにまるでわかってないな。やられた方が誤解を受ける。本当に、世間のやつらはわかってない。

2019年4月1日月曜日

毒ガスのなかで育ってきた人はこういうふうに劣っている


もう、なんて言うか……普通の気分になろうとすることをやめよう。これは、むりだ。気違いヘビメタにやられたぼくと、他の人とでは、違う。人生の経験が違う。これは、毒ガスのなかで育ってきた人の基礎体力と、きれいな空気のなかで育ってきた人の基礎体力をくらべるようなものだ。普通に考えて、毒ガスのなかで育ってきた人なんて、体力がなさそうでしょ。どこかに問題を抱えてそうでしょ。で、それはその人のせいじゃないわけ。毒ガスのなかで育ってきたということは、その人のせいじゃない。けど、その人のことだから、あたかもその人の特性のように言われてしまうわけ。そして、「毒ガスのなかで育ってきた人はこういうふうに劣っている」ということを科学が証明するわけ。データが証明するわけ。だから、毒ガスのなかで育ってきた人は劣っているというイメージができあがる。けど、それは、毒ガスのせいであって、その人の特性ではないわけ。もともと、特性ではない。けど、劣っているとか劣ってないというのは、その人の特性のように語られるわけ。だれだって、おなじようにおなじ毒ガスにさらされたら、そうなるのに、まるで、毒ガスにさらされなかった人たちは、もともとすぐれているから、すぐれているというようなイメージができあがるわけ。その人がもっているもともとの能力が違うというような印象を与えるわけ。そして、その印象を指示するような実験結果が出てくるわけ。その実験は、本当はそういうことを意味していないのに、普通の人は『実験で証明された』とか思ってしまうわけ。

普通の人とベースが違う

風呂に入った。

いま、洗濯をしている。



はぁ~~~



紅茶、飲む。



紅茶は、朝、起きたときから飲んでいる。

今日は、朝、だった。もちろん、夜起きるときも、夜、起きたらすぐに飲んでいる。やばい。これは、飲みすぎだ。コーヒーのようになってしまう。水やお湯をもっと飲むべきだというのはわかっているのだが……。



まあ、二月よりはましなんだよ。いまの状況は……。なので、これからどんどん良くなっていくと思うしかないな。二月、どれだけ、くるしかったか。



買い物に行くかどうかまよっている。買い物に行ったら、炭酸ジュースを買う。このあいだ、そとに出たのは金曜日だ。土曜日と日曜日はほとんど寝ていた。どうするか? 楽しい気分じゃない。これは、ヘビメタでだめになっているだけで、もし、ヘビメタがなかったら普通の状態だと思う。なんて言うのかな? 普通のレベルが下がっているのだ。俺にとって、ヘビメタ騒音で楽しくない状態が普通の状態になっている。ベースが違う。普通の人とベースが違う。

ヘビメタが一五年間毎日続いたあとの普通の状態というのは、普通に言えば、ものすごくくるしい状態だ。ものすごくくるしい状態が普通の状態になってしまっている。そりゃ、楽しくないよな。



ヘビメタ騒音にやられるということは、人から『説教されるポジション』におちてしまうということなのだ



今日の午前11時30分ぐらいに、新元号が発表か!
テレビを視ない人だけど、視るかな。
あーあ、平成になったとき、俺は喫茶店で友達(S君)と将来について語り合っていた。
あーあ。そのS君ともヘビメタ騒音のを巡って、喧嘩してわかれてよ。
あーーあ。
彼とは、長かったなぁ。
まあ、ヘビメタ騒音がなければ、俺は彼に言い影響だけを与えていたと思う。いろいろとおもしろいことをやって、彼にもやる気を与えることができたんじゃないかなと思う。やる気とチャンス。
俺は、正直言ってヘビメタ騒音でくるしい。いまも。当時も。
俺以外に本当のヘビメタ騒音をあびたひとがいないので、ぼくが言っていることは、他の人には通じない。「それでもどうにしかなきゃならないでしょ」などということを言われるのがオチなのだ。けど、「それでもどうにしかなきゃならないでしょ」などということを言う人は、ぼくとお品時ヘビメタ騒音を一日も経験したことがない人なんだよね。それじゃつたわらなくて当然だ。それじゃ、ズレがあって当然だ。その人のなかの騒音体験」をもとにしていっているだけだから、ぼくが経験したヘビメタ騒音の騒音体験とは違う。
ともかく、気違い兄貴は気楽に、あたりまえのこととして、どれだけ言われても、気違いヘビメタをすべての可能な時間鳴らし続けたのだけど、でかかったね。でかすぎるよ。あんなのやられて、まともな人生を歩めるはずがないだろ。ヘビメタ騒音を過小評価する人……もっと正確に言えば、ヘビメタ騒音の影響を過小評価する人は、頭がおかしい。現実を知らない。まったくわかってないまま、常識に従って、ヘビメタ騒音を過小評価して「まちがったこと」を言う。もう、そう運命づけられている。これは、くるしい。これは、ぼくにとっては、過小評価してくる他人が敵になるということだからくるしい。これ、本当、こういうしくみなんだよな。
ヘビメタ騒音を経験したことがない俺だったら、絶対に言われなくていいコゴトを、他の人から言われるようになる。ぼくはむかしから、ポジションということについて語っているけど、ヘビメタ騒音にやられるということは、人から『説教されるポジション』におちてしまうということなのだ。毎日ずっと、ヘビメタ騒音を何時間も何時間もやられて、心身ともにつかれまくるということは、人から軽蔑され、バカにされるポジションにおちるということなのだ。普通はヘビメタ騒音ではないことで、そういうポジションにおちていくわけ。それは、生まれながらの能力とか性格とか容姿とかいろいろなことが関係しているのだけど、ヘビメタ騒音という特異な理由によって、そういうところにおちていく。やっているやつは、シランプリだ。そういう特異な理由をつくっているやつはシランプリだ。まったく関係がない人として、毎日絶対の意地で、特異な理由を作り続ける。気違い兄貴は、どれだけの影響を与えているかまったくわかってない。「わかってなければ、やってないのとおなじだ」という気違い思考があるから、絶対にわからないままやり続ける。俺にとって、それが現実だった。そういう気違い的な兄、がいる世界、が、現実だった。

過小評価してくる人が敵じゃないなんてことはないんだよ。敵なんだよ。これがわからないのか。
それから、文中の『本当のヘビメタ騒音』というのは、『ぼくが経験したのとおなじヘビメタ騒音』という意味だ。おなじ時間の長さ、おなじ時期に、おなじ期間の長さ、おなじ音のデカさ、おなじ曲を経験した人じゃないとわからない。一日の中でそれがどういう影響を与えるかわからない。五〇〇〇日以上続いた場合、五〇〇〇日以上続いたということが与える影響がわからない。五〇〇〇日以上、毎日、おなじように、午後一一時一一分まで、入試だろうがなんだろうが絶対に気違い的な意地で、気違いヘビメタ騒音を鳴らす他人……だけど「うちのひと」がいるという状態がわからない。そういうことが続いた場合のからだの状態がわからない。そりゃ、聞けば『五〇〇〇日以上鳴ってたんだな』ということがわかるけど、それは、文章を理解しただけで、実際に五〇〇〇日以上おなじように鳴らされたわけじゃない。この違いがでかい。でかすぎる。本当に俺にとって、絶対的に重要で、一日中静かにしてほしかったときだって、一日中鳴ってたんだぞ。その時の、俺の気持ちがわかるか。俺にとって重要な日、十何時間も、気違いが、横の部屋で、普通のうちでは絶対にあり得ない音鳴らし続けるということの意味がわかるか? 気違いが、横の部屋で、こだわっこだわって、絶対に言うことを聞かないで、ヘビメタを十数時間鳴らし続ける時の、十数時間の俺の気持ちがわかるか?? 『横の部屋』だから問題なんだよ。いっしょの家に住んでいる『兄』だから問題なんだよ。本当に『家族』だから問題なんだよ。他人だったらどれだけ簡単な問題か。それだけじゃない。気違い親父が「おおや」ではなくて、他人が「おおや」だったら、どれだけ簡単な問題化。簡単に片付く問題か。これ、まったく地味で目立たないけど、ものすごくでかい問題だ。問題の質を決定づけてしまうものすごく重要な要素だ。

本当にヘビメタ騒音を一日も体験しなかったやつに、えらそうなことを言われる。そういう人生だ。俺がどれだけズタボロになりながら、ヘビメタ騒音に耐えてがんばってきたか。そういうことを、無視して「ちょっとがんばればそんなのはなんでもない」というようなことを言いやがる。こんなのがゆるされていいのか? ゆるされていいわけがないだろ。こういうやつらも、人間の尊厳を台無しにするようなことを、平気で言いやがるな。それで、『人権だ』『スピリチュアリズムだ』と言ってやがる。


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わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。