2019年5月31日金曜日

えん罪だよ。えん罪。

正直言って、つかれた。

『盾の勇者の成り上がり』を見ていた。

よかったね。なおふみ。



しかし、これ。

俺のえん罪ははれないんだぞ。

気違い親父や気違い兄貴によってなすりつけられた、俺のえん罪ははれないんだぞ。

えん罪だよ。えん罪。

『盾の勇者の成り上がり』のなかの国王オルトクレイと第一王女マルティはやるつもりでやった。

気違い兄貴と気違い親父はまったくやる気がない。「やるつもりでやったこと」ではないのである。策略を巡らしたわけじゃない。本人が、やりたいことをやっただけ。けど、やり方があまりにも以上で、なおかつ、「やったってやってない」という気持ちが成り立っているから、俺がヨソの人から誤解を受ける。

だれだって、無職にならざるを得ないのに、無職であるということについて、説教をされる……。説教をされる立場におちいる。人びとが誤解をして、俺を誹謗中傷するのである。能力、地位、価値観。正義、道徳。気違い兄貴や気違い親父がやったことで、俺がどれだけ人にバカにされてきたと思っているんだ。『道徳観のないやつ』だと思われたか?

ごく普通の人が、ごく普通に誤解して、誤解したうえで、説教をしてくるのだぞ。説教には、価値観がかかわってる。なにが正義でなにが正義ではないか。なにが道徳的に正しくてなにが道徳的に正しくないかがかかわっている。彼ら、一般大衆にしてみれば、『働かないこと』道徳的によくないことなのである。なので、『働いてない俺』を道徳的に否定し、道徳的に考え方をあらためるべきだと説教してくる。彼らにしてみれば、それは道徳的な行為なのである。これだって、親父や兄貴のようにわるいとは思ってないだろう。

『そんなのはだれだって耐えてやっている』
『(俺以外の)だれもが、ヘビメタ騒音にさらされてない』
条件が違う。違いすぎる。以降、前回の投稿とおなじになるから書かない。

俺が無実の罪で、一般人から、罪を問われる。
やっているやつらは、シランプリだ。やっていると思ってないのだからな。気違い的な意地でこだわってこだわって、どでかい音でヘビメタを鳴らし切ったやつは、どでかい音でヘビメタを鳴らしたと思っていない。


2019年5月30日木曜日

「とりあえず行けば」成功か? 成功じゃない。不幸だ。不幸が積み重なる


とりあえず、時間通りに起きることができたんだけど、この雰囲気……気違いヘビメタ騒音の朝の雰囲気だ。●●たくなる。毎日こういう日だった。俺の体はヘビメタ騒音にむしばまれていた。俺の精神はヘビメタ騒音で破壊されていた。長すぎる。続きすぎ。どんだけ長く、毎日毎日続いたか? だれだって、こんなことをやられれば、寝不足で死にたくなるのに、ヘビメタ騒音にさらされてないやつが、「そんなのはあまい」と言ってくる。「だれだって、朝はつらい」「俺だってつらい、けど、がんばって生きている」などと言いやがる。けど、そいつは前の日、ヘビメタ騒音に七時間さらされて、眠れなかったわけじゃない。前の前の日、ヘビメタ騒音にさらされて、眠れなかったわけじゃない。一〇〇〇日前、眠れなかったわけじゃないやつ。二〇〇〇日前、眠れなかったわけじゃないやつ。俺は、自分の意思に関わりなく、気違いヘビメタにさらされて、夜眠れなくなっている。それがどれだけつらいことか? それがどれだけ、不安を助長するものか。完全に眠れなかったわけじゃないけど、二時間ぐらいしか寝てない。しかも、本来は眠っている時間としてあてがわれている五時間、六時間、『眠れない』という不安とたたかっている。ヘビメタ騒音で、自動的にそうなる。人間の体ならそうなる。ああいう、気違い的な騒音に七時間たたられて、あるいは、一四時間たたられて、神経が影響を受けないということはない。それなのになんだ? 気違い野郎が『過去は関係がない』などと言いやがる。気違いヘビメタにやられることで、そういう、気違い野郎に、「えらそうなこと」を言われる「スキ」ができる。説教をされる「ネタ」ができる。これが、どれだけ屈辱的なことかわかるか? じゃあ、言われたくないから、起きて行くとする。がんばって行くとする。けど、それは『成功』じゃない。無理をしているだけだ。だから、日中にも、次の日にもこたえる。午後四時に帰れば、気違いヘビメタが鳴っている。学校で時間をつぶすためにやった部活が、さらに俺にたたる。ヘビメタ騒音ありで、部活をやるなんてことは、不可能だった。けど、『ヘビメタ騒音にさらされる時間を少しでも少なくしよう』などと思って部活に入ってしまった。そこでの人間関係が、また、ヘビメタ騒音で!悲惨なのである。ヘビメタ騒音で、体力精神力が落ちているところでの、人間関係なのである。ヘビメタ騒音で、注意力が落ちているところでの人間関係なのである。ヘビメタ騒音で成績が落ちているところでの人間関係なのである。知的能力が、ヘビメタ騒音によって落ちているところでの人間関係なのである。無理をして行っても、不幸、不愉快が積み重なる。「できて」楽しいとかそういうのはない。できて……というのは、ヘビメタ騒音で遅刻しそうなんだけど……遅刻せずに行ったというようなことだ。あるいは、ヘビメタ騒音で自殺しそうなのだけど、自殺を我慢して、「とりあえず行った」ということだ。「とりあえず行けば」成功か? 成功じゃない。不幸だ。不幸が積み重なる。そういうのが、ヘビメタ騒音だ。ゼンブガゼンブ、つらいことになる。『行った』としても、つらい。『行かなかった』にしろ、つらい。『遅刻した』にしろ、つらい。『遅刻しなかった』にしろ、つらい。全部つらい。それが、考え方云々の問題かというとそうではなくて、前の日、前の前の日、ずっとヘビメタ騒音にたたられたことによって怒る、体全体、精神全体の不調なのである。無理をしているのである。精神的に血反吐(ちへど)をはいて無理をしているのである。それで、これだ。ふがいない。俺はヘビメタ騒音にやられて、ズタボロになった体で、生きているのがいやだった。『坂』を歩いているときだって、ずっとつらかった。『感じ方だ』『受けとめ方だ』……くそくらえ。気違いヘビメタにさらされなかったやつが、そういう状態で考えていること。ぜんぜん違う。ヘビメタにさらされたあとは、そういうことを考える余裕がない。むりやり考えたって、それがまた、『部活』のように俺を責める。こなごなにする。ヘビメタを平日七時間、休日一三時間、ほんとうに毎日毎日連続してやられるということが、すべてを形作っている。精神に影響を与える。『考え方』『受けとめ方』の問題ではない部分がある。どうしても、つかれるし、影響が出る。わるい影響が出る。それを、気違い野郎が『考え方の問題だ』『受けとめ方の問題だ』と責め立てる。どっちが最初に喧嘩を売っているかわかっているのか? 気違いヘビメタにやられると、そういうと人も喧嘩をすることになる。そういう人というのは、普通の人だ。常識的な人だ。ヘビメタ騒音に一分間もされされてない人だ。そういう『わかってない人』と喧嘩になる。そして、「ぶ」がわるい。俺の言い分は、気違いヘビメタにやられたことをもとにしているから、やられてない人には理解でない。体で理解できない。「むりなのだ」ということが、わからない。やられてない人にはわからない。実際に自分が毎日毎日経験して、体でわかってない人には、俺がなにを言っているか、根本的な部分がわからない。騒音ヘッドギアをつけて、生活すれば、わかるよ。俺とおなじように、自分が嫌いな騒音にさらされ続ければわかるよ。すべてが、やられてないやつの、たてまえ。やられてないやつの基準。けど、あれだけヘビメタ騒音にやられたのは俺だけなので、一対多になる。他のやつは、みんな、やられてない側。他のやつはみんな、やられてない側の常識に立つ。そして、俺を責める。『遅刻するな』『はずかしくないのかね』と責める。たとえ、俺が一四年間毎日ヘビメタにさらされて、朝起きることができず、無職になってしまったにしろ、『その歳で正社員歴がないなんてはずかしくないのかね』と責める。これは、責めているんだよ。そいつには、一四年間毎日ヘビメタ騒音にさらされるという現実がなかった。それだけじゃないか。えらそうに。そいつと俺のちがいはそれだけなのである。けど、ヘビメタ騒音は、広範な『障害』につながる。ヘビメタ騒音が原因で、障害が発生する。けど、そいつには、ヘビメタ騒音がそういう障害の原因になるとは思えない。なので、『ヘビメタ騒音がそういう障害の原因になるとは思えない』という立場に立って、『常識的な発言』をする。それは、俺を責めることなんだぞ。責め立てることなんだぞ。俺に発生している障害を無視して、『無理』を押しつけることなんだぞ。一対多でこんなやつばかりだったら、死にたくなるだろ。なにを言っているんだ? おまえらは!


「できた朝」が積み重なるから、死にたくなるんだよ。どうしてわからない? 

あとそれから、障害者が人を刺せば「すべてはゆるされる」みたいなことを言うやつがいるけど、ゆるされない。そういう人は、特殊な障害を持っている人が人を殺すことはゆるすのに、普通の人が遅刻するのはゆるさないんだよな。普通の人というのは、その人から見ると普通の人に見えるということだ。その人だとわかりにくいので、特殊な障害を持っている人が人を殺すことはゆるすのに、普通の人が遅刻するのはゆるさない人をAさん、Aさんからは普通に見える人をBさんだとする。Aさんから見れば、Bさんは健常者で普通の人だ。けど、ヘビメタ騒音障害を抱えている。「ヘビメタ騒音障害」は、Bさんにとって無視されるべき障害なのである。「そんなのは甘い」のである。

で、俺はもうちょっと複雑な気持ちになるところがある。たとえば、「頭のくせ」とか「そういうところがあるから、しかたがない」という言い方に疑問を感じる。「障害者にはそういう頭のくせがある……だから、そういうことをしたとしてもしたがない」……という言い方には問題があると思う。しかも、そういうことを言っている人は人間愛に満ちているのである。にもかかわらず、「無職はケシカラン」「朝、一定の時間に起きることができないなんていうのは甘えだ(みんなやっているじゃないか。みんなやっていることなのに、おまえだけできないなんていうのはゆるさない)」と思っているのである。一方ではね。

かりに兄貴がまるまる障害だとして、まるまる障害だから、そういう感じ方をしてもしたがない……ということになるのであれば、俺の立場はどうなる? 「やったってやってない」は頭のくせだ……しかたがない。デカイ音で鳴らしているのに、フォークギターぐらいの小さな音に聞こえてしまうのは頭のくせだ(都合がわるいことを認めることができないのは頭のくせだ)だから、やったってしかたがない……それじゃ、ヘビメタ騒音にやられて人生がない俺はどうなる? ヘビメタ騒音にやられて「睡眠障害者」になってしまった俺はどうなる?

子供の成績に関心がある普通のうちと、どんだけ違うと思っているんだよ


まってくれ、俺はつまらないんだ。
たすけてくれ、俺はつまらないんだ。


ぼくにはなにもしてあげられない。

++++++++


つまんねぇ。本当につかれた。
こういうときに思い出すのが、坂なんだよな。あの坂。通学路にある坂。もう、限界だよ。ヘビメタ騒音で限界だよ。ヘビメタでくるしいだけの人生だった。なんにも知らないで、鳴らしてんだからな。何万回言ったと思っているんだよ。

兄貴は気違い親父とおなじ。自分の意地は、発狂して通すのに、発狂して通したという認知・認識がないんだよな。意地になってやったことは意地になって否定する。そういう毎日だ。毎日何時間も何時間もそういう状態で、きちがい行為を繰り返す。それで、あたりまえ、だ。どんだけ違うと思っているんだよ。子供の成績に関心がある普通のうちと、どんだけ違うと思っているんだよ。違うんだよ。何度も言うけど、気違い的な意地でやったことは、気違い的な意地で「やってないつもり」になる。気違い兄貴も気違い親父も「やったってやってない」のである。で、「やったって」の部分がとれる。そうすると今度は、「やった」と言われると「やってないやってない」と意地を張って答えることになる。場面場面がつながってないから、「やってないやってない」と言ったあと、その当の行為をしても、まったく気にしない。そういうレベルで狂っている。ともかく、きつかったよ。くるしかったよ。生きているあいだじゅうずっとくるしい。四〇年以上ずっとくるしい。ずっとくるしい。毎日ずっとくるしい。ヘビメタ騒音でずっとくるしい。俺が、どんだけ恥をかいてきたと思っているんだよ。俺がどれだけ他のやつらから『えらそうなことを言われて』きたと思かっているんだよ。そいつらは、ヘビメタ騒音が一日に一秒もないやつらなんだぞ。こっちがどういう気持ちで暮らしてきたと思っているんだよ。生きてきたと思っているんだよ。甘いのはおまえらだ。甘えているのはおまえらだ。ヘビメタ騒音がどんだけ苦しい環境だと思っているんだ。へびめたそうおんがどれだけきつい出来事だと思っているんだ? 想像力がないからわからないだけだろ。ああっ、体験してないからわからないだけか。ともかく、くるしかった。俺はダメだ。限界だ。
限界を乗り越えても、気違いヘビメタをやられた。その日、限界を乗り越えてもヘビメタ騒音をやられた。何時間も何時間も、持続してやられた。ずっとくるしい。こんなのはない。

2019年5月29日水曜日

どれだけ困るか! どれだけ、事情を知らない「ヨソのひと」が誤解するか!!


昨日の夜、ヘビメタ騒音のことでものすごく不安になった。ヘビメタ騒音でくるしい。だれもわかってくれない。

親父がネズミを引き寄せたので、ネズミが入ってくるようになったのだが、ネズミが入ってくるとナメクジが増えるのである。もう、いろいろあったけど……あまりにもありすぎて、もう……。ともかく、気違い親父の『瞬間否定語(否定語返し)』が頭にくる。「親父がかつてこういうことをやった』と言えば「やってないやってない」と瞬間的に否定した言葉を返してくる。「親父がかつてこういうことをやってくれなかった』と言うと『やってやったやってやった』と主観的に否定した言葉を返してくる。これは、ネズミでもものの見事に発揮された「しょうじょう」で、ほんとうに困った。だから、俺が最初のネズミが出たときに、『プロにたのもう』と言ったのに……。かならず、俺が言うことは否定するんだよ。それで、俺が、ネズミの糞、ナメクジ、ノミ・ダニの処理で困っている。どら猫?やネズミが入ってこないかぎり、人を刺すダニはあんまり繁殖しない。ともかく、最初のネズミに侵入されてから、一年と八ヶ月ぐらい、何回もネズミに侵入されたので、いろいろなところにネズミの糞が落ちている。親父の畳ベッドとおしいれのあいだには、おびただしいネズミの糞が落ちてたんだぞ。それを、掃除機で吸って、片付けたのは俺なんだぞ。掃除機を捨てるつもりでも、掃除機で吸い込んではいけないのだけど、あのときは、余裕がなかった。親父のおしいれのなかにあったきたない毛布の上に、ネズミの糞がたくさん落ちていて、それを、俺が手袋をして、割り箸を使ってひとつずつ片付けたんだけど、あの時点でもう、限界に達していたので、パチンコの玉のようにどばーっと積み重なっているネズミの糞を見たときは、一気に掃除機で吸い込んで、掃除機を捨てようと思った。で、親父の畳ベットが、けっこう重たくて動かない。あの空間にあるネズミの糞を片付けるには、やはり、掃除機で吸い込むしかない。もちろん、他の方法も、考えつくことはできるけど、なんて言うのかな、あの足場で、あの体力状態で片付けるとなると、親父の掃除機で吸い込むというのが最適解になる。けど、俺はマスクをしていたにしろ、いろいろなやばい空気中の浮遊物にさらされることになるんだけどな。
で、言いたいのは、ほんとうに親父の『即座に否定する態度』と兄貴の『即座に否定する態度』というのが同じだということだ。これも、入院中の親父に『親父の態度と兄貴の態度がおなじだ』と言ったら、『おなじじゃない。おなじじゃない』と即座に否定して返してくるんだよね。これは、認知症の記憶障害じゃないのである。ほんとうに困る。事情を知らない人から見ると、親父が認知症になったからそういうふうな返事をしているとも、見えるのだ。けど、違う。わかってない。これは、『もともとの性格』なんだよ。認知症の記憶障害じゃないんだよ。けど、認知症の記憶障害とみられる症状もいろいろあるわけ。(言っておくけど、認知症で入院しているわけじゃない)。
ともかく、兄貴の態度と親父の態度がおなじなんだよ。兄貴のヘビメタは、親父がやってきたことのコピーなんだよ。兄貴が『文句を言われたときの態度』は、親父が『文句を言われたときの態度』とまったくおなじなんだよ。兄貴や親父が、相手を困らせるようなことをしたとする。だから、相手が『やめてくれ』と言ったとする。相手から……特に家族から『やめてくれ』と言われたときの態度や反応がまったくおなじなんだよ。兄貴と親父でおなじ。どれだけ困るか! どれだけ困るか! どれだけ、事情を知らない「ヨソのひと」が誤解するか!! どれだけ誤解するか。しかも、ヨソの人は『誤解している』とは思わないのだからな。なんかへんな話を聞いたと思って、実は『家で迷惑をかけられた人』を攻撃し出す。『家で迷惑をかけられた人』に対して説教をし始める。「そんな人、いない」「ちゃんと言えばわかるはずだ」と……。……こういうことが、どれだけ困ると思っているんだよ。あまりにもおかしいから、他の人が信じないんだぞ。ウチのなかの状態を知らない人が信じないようなことをするな!! けど、いつもするんだよ。で、他の人は、兄貴や親父の「いじ」もわかってない。どれだけ頑固な反応かわかってない。完全に「入っちゃっている」わけで、自分の態度がおかしいと思う余裕なんてみじんもない。自分の返事がちょっと自分勝手すぎると思う余裕なんてない。完全に、現実とは正反対のことを言って、正反対のことを気違い的な意地で押し通す。そうすると、その場面で、やられたほうが困るだけではなくて、その場面で、やられたほうと、(まったくそのこととは関係がない)ヨソの人のあいだで、一種の対立が起こる。発生する。これが、どれだけしんどいことか、わかっている人は少ない。こんなことに関心がある人も少ないだろう。少数派のなかの少数派だ。ほとんどの人は、気持ちのいいこと、気持ちがよくなることしか求めてないからな。言霊でもなんでも一般論しか求めてない。『親父の否定語返し』は、『言霊』を信仰している人の理論には合致しているんだよ。だからと言って親父と言霊を信仰している人がおなじだとは、まったく思ってない。ぜんぜん違う。けど、言霊の理論とは関係がある。だから、いろいろと困る。他の人は『いいことを言えばいいことが起こる』『悪いことを言えば悪いことが起こる』というレベルの話をしているわけだから。
まあ、ともかく、困るよ。困るんだよ。
ヘビメタ騒音さえなければ……一一歳から二五歳まで、気違い兄貴がいれば、かならず、でかい音でヘビメタがガンガンガンガンキーキー鳴ってる状態が続かなければ、俺は、親父に関しては、状態をくつがえすことができた。親父のやったことに関しては、状態をくつがえすことができた。一一歳から、常に毎日、気違いヘビメタが午後一一時一一分まで問答無用で続く状態ができあがったから、くつがえすことができなくなった。そりゃ、毎日、能力や体力がそがれるわけだからな。毎日はつらいよ。毎日は。土日は、ヘビメタ騒音時間がさらに増えてしまうのだから。

ともかく、俺が眠れなくなって……この、眠らなきゃならない時間に、アノカンジで眠れなくなるって……ヘビメタ騒音に長期間さらされた人じゃないと、体験してないことだからな……。勝手に想像で、わっかようなことをいいやがって……。

眠れないと腹がへってくる。で、しかたがないから、一階の台所に行ったら……なめくじがシンクの中に三匹いた。これ! しかも、風呂場と台所のあいだの壁のところにもう一匹いた。これ、俺が処理しなきゃいけないんだぞ。なめくじには線虫というやばい生命体がついてるんだぞ。あのねばねばの液のなかにも線虫がたくさんいるんだぞ。

ほんとうになめくじだって、ネズミがこないときは、一年に一回も見ることがない状態だったんだぞ。

2019年5月28日火曜日

一日のなかでやっていること


一日のなかでやっていることが、適切な殺虫剤を買うためにアマゾンを調べるとか、洗濯とかそういうことばかりだ。あーーあ。

そして、かつてぼくを精神的に虐待した人の病院関係のあれこれ。

2019年5月27日月曜日

むりやりプラス向きの言葉を発しているという危機的な状況についての無意識的な認知

言霊の感覚は、そりゃ、人間だからあるよ。こういうのは、プリミティブな感覚で、だれにでもある。原始人だって現代人だって、こういう感覚を持っている。まあ、原始人のことはわからないけどさ。



言いたいことは、言霊の感覚自体は、ぼくにもあるということ。さらに言ってしまえば、言霊の感覚は強迫神経症と強く結びつくので、強迫神経症の人は言霊感覚に支配されてしまうところがある。で、強迫神経症的な言霊の感覚なんだけど、「わいること」にしか発揮されない。不安を呼び覚ますようなものなのである。



で、まあ、言霊に関しては、なんかいい使い道がないかなと思っている。「よくなるよくなるよくなる」といった、もともとが不安をともなう、言葉の繰り返しは、強迫神経症的な人にはむかない。どうしても、「ふあんなきもち」が強くなる。これは、意識しているわけではないけど、もともとが不安から出ていることなので、繰り返し繰り返しいえば言うほど、「ふあんなきもち」が強くなってしまうのである。

あとは、状態がそれをゆるさない場合は、やはり、わるい効果しかない。たとえば、ヘビメタ騒音が鳴っている中でどれだけ「よくなるよくなるよくなる」「へいきだへいきだへいきだ」「しゅうちゅうできるしゅうちゅうできるしゅうちゅうできる」と言っても、むだ。そりゃ、発狂的な騒音がガンガン鳴っている状態だから、「よくなるよくなるよくなる」「へいきだへいきだへいきだ」「しゅうちゅうできるしゅうちゅうできるしゅうちゅうできる」といっているあいだも激しくこころがゆさぶられている。パニックのような状態になっている。音がでかすぎて、とてつもなくくるしい。……くるしいという全体的認知が成り立っているので、言葉だけでどれだけ否定しても、言葉だけで否定しているだけの、全体的にはくるしい状態が成り立つということになる。これは、体の認知として、強い影響を与える。まあ、「体の認知」と言ったけど、これは、無意識ということだ。けど、音の振動は、ほんとうに体につたわっている。耳だけではなく、体全体が、不愉快な振動にさらされるわけで、無意識と体全体の不愉快な振動を含んでいる概念だと思ってくれ。「体の認知」というのは、そういう意味で使った。

以上、意識的なプラス向きの言霊がわるい影響を与える場合があるということについて、語ってみた。



やっぱり、全体的な認知のほうがでかい。やっぱり、むりやりプラス向きの言葉を発しているという危機的な状況についての無意識的な認知が発生していると思う。

2019年5月26日日曜日

「できない」は甘えか? 意思による制御 パンチドランカー・小便もらし アスベスト・肺機能 記憶と体験

起きた。

さっそく、洗濯ハンガーを外に出す。

あーつかれた。



とりあえず、赤飯を食べる。

ちょっとでいい。



あーつかれた。



以上の作業を行ったので、もう一度、寝るかな。

みんな、俺がどれだけつかれているかわかってない。
わかってない。

つかれがとれて欲しい。
普通の朝を迎えたい。

ヘビメタ騒音をやられればだれだって、こういう状態になるのに、みんなわかってない。まるで俺が不摂生だからこうなったと言わんばかりだ。まるで、プラス向きのアファメーションを……ヘビメタ騒音のさいちゅう、あるいはヘビメタ騒音のあと……やらなかったから、こうなったと言わんばかりだ。

どうして、そうやってせめる? 

人間の体として「りょう」がある。許容量がある。その、人間の体としての『許容量』をこえた。だから、治らずにくるしんでいる。数千日の
記憶は、単なる記憶ではなくて、体験なので、体がかかわっている。

パンチドランカーとおなじ。職業病とおなじ。水俣病とおなじ。一〇年以上、何回も何回も、アスベストを吸ってしまった人とおなじ。たとえば、アスベストの場合、作業の記憶があるとする。もちろんあるだろう。で、記憶とは別にアスベストを吸ったという経験がある。

この場合、アスベストを吸ったという記憶に悩まされている部分もあるかもしれないけど、記憶だけに対処してもどうにもならない。そして、過去の出来事が影響を与えている。『過去のことは過去のことだから、現在のことに影響を与えるわけがない』という考え方は間違っている。

「アスベストなんて関係がない。元気だ元気だ」と言えば元気になるわけではない。また、アスベストが関係している症状はアスベストを吸ったことによってもたらされているわけだから、どれだけ『関係がない』『関係がない』と何回も何回もアファメーションをしても、『関係がない』状態にはならない。「アスベストなんて関係がない。元気だ元気だ」と言えば、アスベストを『過去において』吸ったということが『いまの肺の状態』と関係がないことになるかというと、関係がないことにはならない。

アスベストを含んでいる天井のパネル(部品)などをはがしているときなどの記憶がくるしいものだったとしよう。で、くるしい記憶があるから悩んでいるとしよう。その場合、くるしい記憶に対処しても、体の経験があるからダメだということになる。肺の中に入ったアスベストが問題なのだ。

実際には、作業中は(やっかいではあるけど)そんなにはくるしくなかったと思える。アスベストのことがわかってなかったから、作業をしたのだろう。一〇年以上職業的にアスベストにさらされた場合、肺にアスベストを吸った影響が出るというのは、実際にそういう人があらわれてから、わかったことだ。

だから、アスベストに関する記憶でくるしめられているということは、少ないだろう。けど、言いたいことはおなじだ。「記憶のほうに対処してみてもしかたがない」ということが言える。

アスベストの場合は、記憶はたいして関係がないのだけど、記憶と体が症状に関係している場合、記憶のほうを精神的にどうにかしようとしても、体のほうが治らなければしかたがない。アスベストに関しては、肺からアスベストが出ていけば、体の問題がなくなるのである。逆にいえば、体の問題に対処していないのに、精神主義的な助言をしてもむだだということになる。

おなじことがパンチドランカーについても言える。なぐられた記憶に対処しても、パンチドランカーの症状がなくならない。体のほうに変化が生じたからだ。過去の出来事によって体のほうに変化が生じた。

けど、精神主義の人や言霊系の人から見ると、体の症状が精神的な症状にみえるのである。精神主義的な人や言霊系の人は、体の問題を無視してしまう。だから、たとえば、『まっすぐ歩けない』といったことや『不意に小便が出てしまう』ということに対して精神主義的な助言を行う。

「まっすぐ歩けないと思っているから歩けない。まっすぐ歩けると思えばまっすぐ歩ける」「実際、俺は、まっすぐ歩けるしぃーー。まっすぐ歩けないなんていうのは甘えだ」と助言する。「くやしかったら、まっすぐ歩いてみろ。俺はまっすぐあることができるぞ。まっすぐ歩けないなんていうのは、甘えだ」と言いやがるのである。

意思にかかわらず小便が出てしまうという症状に関しても、彼らは「突然、不意に小便は出ない」「突然、不意に小便は出ない」「突然、不意に小便は出ない」と何回も何回も念仏のように唱えれば、「突然、不意に小便が出ないようになる」というようなことを言う。

また、『思ったことは現実化する』と考える人たちは、「もらしてしまうと考えるから、もらしてしまう」と考える。「もらさない」と何回も何回もこころの中で思えば、「もらさなくなる」から、そうしなさいと助言する。

けど、パンチドランカーで小便をもらすようになった人は、もともとは、小便をもらすような人ではなかったのだ。ようするに、脳みそに打撃を受ける前は、普通に小便ができた。不意に小便が出るようになったのは、打撃の結果だ。『不意に小便が出るようになる』と何回も思ったから、そうなったというわけではない。

「意思による制御」という問題がある。あるいは、「意思による制御に対する信仰」という問題がある。この人たちは、「意思による制御」に対する信仰があるので、体のほうの変化を認めない。体のほうが変化したあとも、「意思によって制御できるはず」なのである。

なので、ある人が「意思によって制御できない」ということを言うと、(精神主義者や言霊主義者は)そのある人のことを『甘えている』と判断する。精神主義者や言霊主義者は、体に変化が生じた人に対して、『甘えている』と言う。彼らにしてみれば「できないなんてことはない」のである。その時点では、精神主義者や言霊主義者には、実際に、それができる。だから、別に、自分が間違ったことを言っているようには思わないのである。

けど、精神主義者や言霊主義者は『体験』を無視している。

一〇年、二〇年毎日続いたことによって、体が変化してしまうということを、軽く見ている。あるいは、認めない。

たとえば、人間は小便を我慢できる。……普通の範囲でね。これも、小便を意思で我慢し続けると、最後には言ってみれば「決壊」して(小便が出て)膀胱の機能が損害される。もし損害されたとすると、かつては小便を我慢できた人も小便を我慢できなくなる。「意思による小便の制御」ができなくなる。

その場合、そういうことを経験してない普通の人や精神主義者や言霊主義者は、意思による小便の制御ができるので、「小便の制御ができないなんて甘えだ」と言い放つことができる。彼らは、「できない」と言う人に対して説教ができるという素敵なポジションを手に入れたのだ。

『実際、俺は小便が我慢できないなんてことはないしぃー』という立場からものを言うことができる。

「意思的な制御ができないなんてーのは、甘えだ」「できるできると言えばできる」……こういうことを、こわれた人に対して、言うことができる。

けど、それは、膀胱の機能が阻害されてないからだ。それから、小便の我慢について言えば、限界をこえて我慢しようとした結果、膀胱がこわれてしまったのである。限界はある。精神主義的なことを言う人は『限界なんてない』という考えにこだわっている場合が多い。これは、また別の問題としてあつかう。


睡眠に関しても、おなじことが言える。五〇〇〇日以上、ヘビメタ騒音という物理刺激を受けた後、俺の睡眠回路がこわれた。これは、生物的な話しだ。体の話しだ。五〇〇〇日以上、ヘビメタ騒音という物理刺激を受けてない人が「朝、起きれないなんていうのは甘えだ」「一定の時間に起きれないなんていうのは甘えだ」「ヘビメタ騒音で遅刻してしまうなんていうのは、甘えだ」と言いやがる。

「過去は過去。現在には影響を与えない」「過去のことにこだわっていてもしかたがない」と言いやがる。こだわるとか、こだわらないといった問題じゃないんだよ。ほんとうにまったくわかってないな。


騒音ヘッドギアをつけて五〇〇〇日、しょーーもない生活をしてみればわかるよ。

2019年5月25日土曜日

それ、自分の首を絞めているだけだから。

俺はとてつもなく特殊な場合について語る必要があるのだろうか?
一般的な「いいはなし」だと、絶対につらくなる人が出てくる。
アファメーションもしかりだ。『自分によい言葉をかけてあげる』……想像すると、それは良さそうなことなのだけど、実はいいことじゃない。「ちがう」とぼくの魂が叫ぶ。「それはちがう」と激しく言う。「ちがうちがうちがう」。

違うんだよ。どうして、他の人にはわからないのだろう。
どうしてわからないのだろう??
どうして??

あまりにも特殊だから、特殊地区に入っているのだろうか?
一般的によいこことされること……本ですすめられていること……を実践すると、ますます悪くなる人がいる。他の人は、「親による虐待」というようなことを考えた場合でも、一般的な事をすすめる。で、それは、間違っている。俺には間違っている。それでよくなったことがない。

一般的なこと? 精神世界の本や精神治療の本を読めば、いくらだって書いてあるよ。それだと、逆向きの効果しかない人たちがいるんだよ。それがわかってない。それがわかってない状態で、一般論だと逆向きの効果しか出ない人が、がんばって、『一般的にいいこと』とされることをやる。涙ぐましいね。それ、自分の首を絞めているだけだから。

一般の人にはいいことでも、その人たち……特殊な人たち……にとってみれば、「わるい」ことなんだよ。あまりにも特殊だから、一般の人は「そういうとくしゅなひとのそんざい」を無視してしまう。「おんなじだ」と見なしてしまう。「おんなじだ」と見なしてしまうのには理由がある。たとえば、『困難』『不幸』『憂鬱』『怒り』という「ことば」で言い表されていることが違うからだ。ほんとうは、違うことについて話しているのである。それは、『親』とか『家族』といった「ことば」にも成り立つ。

アファメーションが「わるく」働いてしまう場合がある。それは、「ひとのじょうたい」によって違う。あるいは、根本的に違うから違う。根本的に特殊な人がいる。おなじじゃない。




ほんとうに、『騒音ヘッドギア』をつけて暮らしてみろ。わかるから。


お湯をぬいた。

ところで、カレーでも食べようかなと思っている。実は、昨日、赤飯をつくってしまい、白いご飯がない。レトルトカレーでもいいんだけど、赤飯に掛けるつもりはない。

松屋あたりのカレーを食べに行くかな。
いちおう、午前中に通販が到着するかもしれないから、一二時まではまとう。

あとは、孤独だなぁ。けど、これで、話し相手がいても、俺が言うことが、『ダニ退治について』と『ヘビメタ騒音について』だからなぁ。
まあ、相手がなにか話題をもっていたらそれにのっかるけど。これなぁ~~。

けっこう、ほんとうにヘビメタ騒音で追い詰められているんだよ。こっちに、ヘビメタ騒音のことを書くときらわれるんだけど、まあ、いいや。ヘビメタ騒音がなかったら、おれは、友人関係も続いている。普通に、女の子とつきあっていたと思う。そして、結婚もしていたと思う。人間関係が切れて、社会的に孤立している状態にはならなかったと思う。『教育論』などで食っていけたと思う。

ヘビメタ騒音でどれだけの打撃を受けるかぜんぜんわかってない人には、ぜんぜんわからないことだと思う。けど、ほんとうに、『騒音ヘッドギア』をつけて暮らしてみろ。わかるから。生活上のすべてのことに影響が出る。『鳴っている時間』だけではなくて、『鳴っていない時間』……『会社にいる時間』や『学校にいる時間』にまで、影響が出る。

『鳴っていない時間』のほうが、影響としてはでかいのではないかと思えるほどだ。もちろん鳴っていない時間のあれやこれやは、前の日にずっと鳴っていたことが原因なので、『鳴っている時間』が『鳴ってない時間の失敗』を作り出すわけだけど、鳴っていない時間』は影響を受けてないわけではないのである。こういうのも、想像力がない人はわからない。『騒音が鳴ってない時間に影響を受けるなんてことはない』と思ってしまう。頭がわるいとしかいいようがない。どうして、そういう正反対のことを考えてしまうのか?


想像力がないんだな。あるいは、ほんとうに長時間の激しい騒音を経験したことがないのか? 頭がおかしい家族が真横の部屋で、ガンガン、七時間から一四時間鳴らしていたら影響を受けるに決まっているだろ。

2019年5月24日金曜日

人に対する思いやりがないから『自分なら(そういうことがあっても)だいじょうぶだ』と思っているだけ


ちょっと片付けたけど、全面的におもしろくない。今日、おもしろくないところに行くということを考えないとしてもおもしろくない。
ヘビメタ騒音で感情が死んだ。だからおもしろくない。行くところがあっても、行くところがなくても、だれと会っても、ひとりでも、おもしろくない。
普通に鳴らされている毎日が続いたあと、うまくいくはずがない。

ヘビメタ騒音でとてつもなくくるしかった。

あと、このあいだ言ったことだけど、ぼくと彼らの違いは、ぼくが働けるかどうかにかかっている。ぼくが普通に働けると思っているから、彼らはそう言った。

ぼくは、「ヘビメタ騒音で働けない」と言ったにもかかわらず、彼らは、ぼくがほんとうは働けるのに、サボって働こうとしないやつだと「みなした」のだ。こんな屈辱!

こういうことを言ってくるやつらと、つきあう気になるか?

彼らとぼくの違いはもうひとつある。彼らは、ヘビメタ騒音を毎日一四年と数ヶ月にわたって、経験してない。ぼくは、ヘビメタ騒音を経験した。

一日一日が地獄だっよ。あんなこと、やられて、働ける体が維持できるわけがないだろ。そういうところに、想像がいかないんだよな。彼らは……。

だから、間違った前提に立って間違ったことを言う。けど、彼らは間違ったことを言っているつもりはない。どうしてかというと、彼らはぼくが働けるのにもかかわらずサボって働いてないだけだと思っているからだ。

また、「『ヘビメタ騒音』と言ったって、そんなにはひどくないのだろう」……と勝手に見なしていた。そういう見なしが、感情の前提、意見の前提にある。「そんなには、ひどくないのだろう」というのは、働けなくなるほどひどいことじゃないだろということだ。

彼らは、たとえ、ヘビメタ騒音が一四年と数ヶ月続いたとしても『働ける』と思っている。自分なら、そういうことがあったしても、『働ける』と思っている。

そういうこと、というのは、ぼくが言っているようなヘビメタ騒音が鳴っていたということだ。エイリさんは働ける……なのに働いてない……だからケシカラン……というのが、常識的な人の判断なのだ。

俺は、ヘビメタ騒音で働けないと言っているだろう!!! (まあ、むかしのはなしだけどさ)。けど、この対立は実はずっと成り立っている。ぼくが働いたとしても成り立っている。

こういうことを彼らが言ったということは、ぼくが働いたあとも有効なのである。ゆるせない。ヘビメタ騒音に関する認識が間違っている。何千日も、気違い兄貴の態度で、横の部屋でヘビメタを、あれだけでかい音で鳴らされた場合、どういうことになるかということについて、完全な考え間違えをしている。彼らは!!

なので、彼らは、ぼくに対してまちがった見方をしているのである。どうしたって、普通には働けなくなるんだよ。通勤ができなくなるんだよ。なんでそれがわからない??

ほんとうに、六ヶ月間でもいいから、経験してみろ。そのあいだ学校でも職場でもいいから、「かよって」みろ。あいつらだったら、七ヶ月目に不登校、出社拒否になるよ。俺だから七年間も八年間ももった。これがわかってない。ほんとうにあれだけの長い時間ずっと毎日、あの音のデカさでやられるということの意味が、わかってない。

俺は、言葉としては説明したぞ。経験としてわかってないからわかってないだけだろ。俺が言ったことを信じてないだけだろ。

彼らとぼくの差は、一一歳から二五歳までのあいだ、気違い的なヘビメタ騒音を聞かされ続けたかどうかの差なのである。別に、人格の差とか能力の差ではないのである。

けど、彼らはヘビメタ騒音を聞かされずに一一歳から二五歳までの時間をすごした。毎日をすごした。これは、ものすごい差になってあらわれる。

手短に言って、騒音に対する「耐性」の差でもないから。軒並み普通の人なら、あの騒音を毎日……ほんとうに毎日午後一一時一一分ぐらいまで聞かされ続けたら……そして、どこかに通う必要があったなら、俺のように通えなくなる。これは、あたりまえなんだよ。彼らは、自分の体験を通して知らないから、ただ単に『鳴っていたとしても(自分なら平気だ)』と仮定しているだけだ。

それを、自分は職歴があるからと、えらそうに!!
それを、自分働いているからと、えらそうに!!!

傲慢だから、あるいは、想像力がないから、あるいは人に対する思いやりがないから『自分なら(そういうことがあっても)だいじょうぶだ』と思っているだけなんだよ。「そういうこと」の内容を低く見積もりすぎている。

2019年5月23日木曜日

つまらないけど、行ってくる。

つまらないけど、行ってくる。



胸が張り裂けそうなんだが。

ともかく、ヘビメタ騒音なしで普通に暮らしたかった。

ヘビメタ騒音なしの青春が欲しかった。



あの娘としあわせに暮らしたかったな。

ちょっとは、いろいろな思春期のデートらしいことをしたかったな。



ヘビメタでずぶねれだよ。

ヘビメタで鬱で鬱で、ともかく、くるしい。

ヘビメタでふがいない気持ちでいっぱいだった。

ヘビメタにやられまくっている自分がいやだった。

ヘビメタにやられて、能力一〇分の一、体力二〇分の一で、へーこら、言いながら、暮らしている自分がいやだった。そりゃ、毎日あんなことをやられて、自信』なんてもてるわけがないだろ。『鳴らすな』と言ったらやめてくれたので、自信が持てたというわけではないのだから。そして、鳴らすなと言ったらやめてくれたので、自分が思ったとおりの成績を残せたわけではないのだから。


「ネガティブなことを言うから、ネガティブな結果になる」というのは、あっている場合もあるけど、間違っている場合もある


立ち食いそば屋のコロッケそばでも俺には、ごちそう?だ。ごちそうというか、かなり奮発して食べる食べ物だ。……俺はそういう感覚で10代20代30代40代をすごしてきた。家でつくれば100円もしない。100円でおつりがくる。味もたいしてかわらない。だから、立ち食いそば屋などでは食べずに、なるべく安い食材をそろえ、自分でつくって食べるほうがよいのではないかと思っていたのだ。いまも、そういう感覚はある。しかし、380円……。何十倍、何百倍、何千倍ものカネが、入院費でなくなる。いや、何万倍か?

まあ、いいや。ともかく、なるべく外食をする機会を増やしたい。なんて言うのかな? 「ここ入って食べようかな」と思ったときは、なるべく、そこに入って食べたほうがよいのではないかといまでは考えている。昨日も実は、「梅しそラーメン」と「コロッケそば」のあいだでゆれていたのだ。さらに、「ジャージー麵」という選択肢までくわわってしまったのだ。実はラーメンはあんまり食べたくなかった。けど、「梅しそラーメン」なら別だ。和風と書いてあったし、あぶらぶんが少ないのでは? と思った。けど、コロッケそばにした。昨日はなんか、駅のそば屋の前を通る前、「あとで、ここでコロッケそばを食べよう」と思ってしまったのだ。だから、初志貫徹。いろいろと誘惑はあったけど、最初に食べたいと思ったものを食べた。(食べる前に郵便局で用事を済ませなければならなかった)。

ぼくは、毎朝、限界をむかえる。
「もう、いいや」と思う。
それでも、なんとかがんばって動いている。けど、しんどい。

まあ、こういうことを書くと、人が減るんだけどなぁ!!

今日も、息継ぎ・あまさん方式でゴミを片付けた。息を止めて、段ボールのうえにかかっているビニールをとって、段ボールをまとめるという作業であ~~る。これから、まだ続けるつもりだけどな。

ぼくがこの世に存在している意味はなんなんだろうな?

最近、暑かったり寒かったり、いそがしい。一日のなかで気温の差が激しすぎる。

みんな、風邪をひかないようにね。
俺も、なるべく風邪をひかないようにしている。けど、「めんどうくさくて」穴があくんだよな。あとは、暑いから服を脱いで寝たのに、起きたときは寒いとか……そういうことが多い。

あーあ、犬が吠えまくっている。騒音とほこりがいやだ。騒音にかんしては、ヘビメタ騒音で一生分の騒音を経験してしまったので、騒音を「げどく」できない。

アルコールと同じようなものだ。

人が一生涯のなかで飲めるアルコールの量はだいたい決まっている。もちろん、個体差があるんだけどね。のんべいさんが、「おれは大丈夫だ」「俺には限界なんてない」と飲み続けていると、ある日、限界がくる。

こののんべいさんは、好きで飲み続けて自分の内臓をわるくしたのでいいけど、俺はずっとヘビメタ騒音を聞かされ続けて、限界をこえてきたので、あんまりよくない。

もちろん、のんべいさんにとっては、重要な問題だ。好きで飲んでいたアルコールが飲めなくなってしまうのだからな。飲むと、気持ち悪くなってしまうのだから、しかたがない。

ぼくは、コーヒーでそれを経験している。コーヒーはもともと、ヘビメタ騒音にやられて朝が苦手になっているとき、目をさますつもりで、朝飲むようにしたのが、きっかけなんだけどな。

けど、コーヒーでは、非・二四時間睡眠覚醒症候群は治らなかったよ。頭も、すっきりしたように感じるのは、最初の頃だけで、あとは、あんまり効き目がなかった。けど、コーヒーを一日に一五杯から二〇杯ぐらい飲む習慣が残った。

俺は、「自分は、将来、コーヒーを飲めなくなる」とは思わなかったし、口に出したこともなかった。それどころか、ほんとうに、ずっとこのペースで飲めるつもりでいたのである。

「コーヒーアレルギーの人がかわいそうだな」と思ったりもしていた。俺は、「コーヒーアレルギーじゃなくてよかった」ともちょっと思ったことがある。


言霊信仰者は、「自分は、将来、コーヒーを飲めなくなる」と言ったから、そうなったと考えるのだ。もし、俺が、一回だけでもそういうことを言ったら「それが現実化した」とせめてくる。「コーヒーを飲んでも腹が痛くならない」と俺が二〇回言ったとしても、その二〇回の発言は無視してしまう。

説明できることだけを説明して、説明できないことは、無視してしまう。こういう都合がいいやつらなのだ。「ネガティブなことを言うから、ネガティブな結果になる」というのは、あっている場合もあるけど、間違っている場合もある。

それで、説明できる場合もあるけど、それでは説明できない場合もある。けど、説明できない場合を、無視してねじ伏せる。「すべてはこうだ」と言いたがる。「言ったから現実化した」「言わなかったから現実化しなかった」と言いたがる。それは、一部の現実しか見てないから、そういうふうに言えるだけだ。

古今東西、世の中の権力者は、不老不死を求めてきた。じゃあ、「俺は死なない」「俺は永久に生き続ける」と言えば、そうなるか? ならない。

けど、問題なのはそういうことじゃない。その人が信じていて、その人の日常に適応しているのであれば、それでいい。しかし、信じている人たちは、既に不幸な人に対して「なにか不幸なことを言ったから、その不幸が現実化した」と言いたくなる。言いたくなる。言いたくなる。

「すべて、そうだ」という考え方にかられて、そういうふうに言いたくなる。すでに、不幸な人に対して、「不幸なのは、おまえの責任だ」と言いたくなる。言いたくなる。言いたくなる。「おまえが不幸なことを口にしたから、不幸になったんだ」と言いたくなる。言いたくなる。言いたくなる。最後に「これは正しい」と付け加えたくなる。

「不幸なことを言うから不幸になった」「幸福なことを言えば幸福になる」「これは正しい」と言いたくなる。言いたくなる。言いたくなる。

けど、これは、やっちゃいけないことなんだよ。人を傷つけて楽しんでいるだけだ。「幸福なことを言えば幸福になる」に関して付け加えておこう。「『幸福なことを言えば幸福になる』にもかかわらず、そうしなかったおまえがわるい」という気持ちがあるのだ。せめている。カルマを生み出している。

俺が、だるい。

今日、ゴミを出すためにポスティングされた広告を丸めたんだけど、そのときに、ほこりが出た。これ、ほんとうに、ポストに入れないで欲しいんだよな。



ともかく、だるい。

俺が、だるい。



しかし、この世は残酷だ。エサを先にもらったひな鳥が、大きくなり、もっとえさをもらいやすくなる。日向に落ちたタネが大きくなって、日影をつくる。日影に落ちたタネは大きくなれない……まあ、タネの比喩はいろいろと問題があるんだけどな。日影じゃないとだめなやつもいるからな。おなじ種類のタネで、ある程度、日照時間が長くないとだめなやつの場合、偶然決まった位置によって、最初の差がどんどん広がっていくということ。ひな鳥も、偶然! たまたま!! 先にもらったほうが、大きくなって、エサをもらいやすくなる。偶然の差が、その後の「傾向」を決めてしまう……。自然界にはそういうことが(わりと多く)存在する。


ともかく、気違いヘビメタでくるしい。最初の「偶然の差」がどうのこうのというのは、ヘビメタ騒音とは関係がない。

最初の「偶然の差」を偶然の差じゃないと言いたがる人たちがいる。この人たちは、結果をなんとしても肯定したい人たちだ。実際にそうなったのだから、それは、偶然じゃなくて必然なんだと思いたい。けど、これは、偶然なんだよ。ほんとうは、意味合いがない。けど、実際そうなったということを「発見したあと」意味合いを付与したくなる。どうして、意味合いを付与したくなるかというと、根本的な不安を抱えているからだ。自分が存在している意味について、根本的な不安を抱えているからだ。「自分が存在している」のだから「(自分の存在には)意味がある」と考えたいんだよ。根本的な不安を抱えていなければ、偶然の差を偶然の差として「ひきうける」ことができる。根本的な不安を抱えているから、偶然の差を偶然の差として引き受けることができない。なんとしても、「意味」を与えたくなる。
だから、これは、自分の存在に意味を与えたいという傾向が、すべての現象に一般化したようなものなのだ。

2019年5月22日水曜日

言われれば怒った


誰かと話をしたいけど、「おれはつかれた」というような話しかできない。

それじゃ、まずいだろ。

けど、つかれた。

暑いような寒いような……。
いつか元気になれるかもしれない。ヘビメタ騒音前の状態に戻れるかもしれない。

けど、もうつかれた。本当につかれた。俺をつかれさせんな。俺をつかれさせんな。

人といるときも「ヘビメタ騒音のことで不安」。人といるときも「ヘビメタ騒音でつかれている」。これがどういう状態だかわかるか? これがどれだけ俺の人生に影響を与えてきたかわかるか? 長すぎる。気違い兄貴、長すぎる。おまえが親父のような態度で、鳴らし続けたから……。あんなにでかい音で鳴らさなくたっていいだろ。「へっへーーん」って感じだったよ。言われれば怒った。これ、自分がやりたいことを「とめられる」「やめさせられるようなこと」を言われると、真っ赤な顔をして怒って、執着してやりやがる。スイッチが入っちゃう。気違い親父とおなじ。まったくおなじ。こんなの、よその家の人にはわからない。どういう態度でヘビメタを鳴らしているかなんてわからない。気違い兄貴側の認知がどういうものか、他の人は、想像すらできない。仮説として考えることすらできない。そして、気違い兄貴が一番無頓着なんだよ。他の人とおなじように想像できない。想像をしようと思うことすらできない。気違い兄貴は想像しようとすら思わない。完全に無視だから。自分が明らかな態度で頑固にやっていることなんだけど、「じぶんはまったくかんけいがないこと」なのである。それが鉄板。気違い的に鉄板。親父とおなじだから。頑固にやるということと、頑固に無視するということがふたつ同時に成り立っている。で、やりきったら、やってないことになってしまう。まったく関係がないことになってしまう。気違い兄貴が存在としてそういう存在だから、二四時間中二四時間そういうモードで暮らす。だから、本人は、気違い的な意地でやったことを、気違い的な意地で認めない。認めないでやりきる。「へっへーん しらねぇよ」なのである。自分がやっていることで、弟がどれだけ困っていても、まったくわからない。わからないのはいわれないからわからないのではなくて、「ハンダゴテの親父」とおなじように、どれだけ、なんじっかい言われたってわからないのである。わからないとなったらわからないし、わからないことは、「なかったこと」になってしまう。だから、本人は、本当にいつも、気にしないでやりまくる。通す。自分の意地を通してやりたいようにやる。おれるということがない。相手が言うとおりにするということがない。一秒だってない。一秒間相手が思ったとおりにしてやったら、すごい騒ぎだ。「やってやったやってやった」と怒り狂う。〇・一デシベルでも静かにしてやったら「やってやったやってやった」と怒り狂う。で、あとはもう、「おれがすきなようにやっていいな」という発狂モードでやりきる。だからやっているのに、やっているということを、これまた、発狂モードで認めない。認めなかったら、やったってやってないんだよ。こういうことが、毎日、普通に発生する。そりゃ、常識的な人はわからないよな。「まともな家族」しか経験してない人にはわからないよな。だから、間違った前提で間違ったアドバイスをしてくる。そして、その場合、ヘビメタ騒音の影響に関して、かならず、過小表する。どんだけ俺がそういうことで、追い詰められるか。バカにされるか。ゆるせない。

2019年5月21日火曜日

ヘビメタ騒音でだるいと言っても、だれもわからない

ヘビメタ騒音でだるいと言っても、だれもわからない。
本当のところは、だれもわからない。

おなじ経験した人じゃないとわからない。みんな、「ヘビメタ騒音なんてどれだけ鳴ってたといっても、たいしたことはないんだろ」と思っているのだろうか? そう思うやつは、四割ぐらい入るだろう。頭にくる。まるまるまる。あー、本当につかれた。本当につかれた。もう、ぼくは限界だ。つかれた。

けっきょく、他の人にはわからないつかれにとりつかれたまま、生きていくしかないか。ぼくががんばって生きてたころ、どれだけつらかったか。ほんとうに、みんな、俺ががんばって元気を出せば言い」と思っているわけだからな。逆なんだよ逆。俺ががんばってしまったから……騒音なかでがんばってしまったから、だめになっている。不可避的にだめになっている。たとえば、問題なのは、一年に二〇回三〇回、遅刻した日じゃないんだよ。そうじゃない。一年に数百数十数日、ヘビメタ騒音が前の日の午後一一時一一分まで、ガンガン鳴っているにもかかわらず、……がんばって起きて通ってしまった日が問題なんだよ。わかってない。どれだけつらいか。そして、ヘビメタ騒音がない人と、ある人の差がでかすぎる。これは、ヘビメタ騒音がない人にはまったくわからない。だから、とんちんかんなことを言う。俺はもう、たえられない。俺が悪く言われる。ありきたりの、俺に負担がかかりまくるアドバイスをされる。それは、もうだめだからだめなんだよ。それをやって、破綻しているんだよ。ヘビメタが積み重なっていた日々、それをやって破綻している。(アドバイスの実際の内容は)破綻の原因のひとつなんだよ。いいことじゃないんだよ。首を絞めるわるいことなんだよ。俺の首を絞めまくるわるいことなんだよ。

ああ、それから、休めば回復すると思っている人たちがいる。そういう前提で物事を話すな。頭にくる。そうではない場合がある。休んだってよくならない場合がある。どれだけ休んだってよくならない場合がある。

それから、たとえば、ちょっとした風邪をひいている人に、「ちょっとは体を動かしたほうがいい」とアドバイスすることと、ひどい病気にかかって体を動かすと、動かしたぶんだけわるくなってしまう人に対して「ちょっとは体を動かした方がいい」とアドバイスすることは違うことだ。普通の場合は、それは、見てわかるか医者が診断してわかる。けど、ヘビメタ騒音に対するアドバイスというのは、わからない。要するに、アドバイスするほうが、なんて言うのかな、考え違いをしている。ヘビメタ騒音を体験した人が俺だけで、他の人は、ヘビメタ騒音を体験していないので、体を動かしてはいけない重病人に対して、「ちょっとは体を動かしたほうがいい」とアドバイスをしているのとおなじ状態になってしまう。比喩的に言うとそうだ。

俺にアドバイスをしてくれる人は「気違い兄貴のヘビメタ騒音」を経験してない。気違い兄貴のヘビメタ騒音が数千日、積み重なった場合、どんなことになってしまうかということが、その人たちは、経験を通してわかっているわけではない。体のことなんてわかるわけがない。その人たちが経験している「騒音」とぼくが経験している「騒音」がはなから違うために、わからない。わかってない。その人たちは、ぼくの騒音がわかってない。兄貴のヘビメタ騒音がわかってない。兄貴のヘビメタ騒音について、その人の騒音体験をもとにして話しをすることになる。けど、これは、間違っている。前提がぜんぜん違う。

俺のことは「おいていってくれ」とだれもが言いたくなると思う。あんな態度でおなじことをされ続ければ、そういうことになる。学生時代を通してずっと毎日、ああいう態度で……気違い的な態度でずっと、鳴らされ続けたら、だれだってそう言わざるを得ないような状況に追い込まれる。経験してないからわかってないだけ。自分のこととして経験してないから、想像がおよばないだけ。

おれのことはおいてってくれ
おれのことはおいてってくれ

2019年5月20日月曜日

二〇分の一の体力、一〇分の一の能力で、ぜいぜい言っている状態

しずかだなぁ。ヘビメタでうるさかったなぁ。ヘビメタで死にたかったなぁ。しずかだなーー。あんなの、ない。だれだって、俺のようになるのに、ヘビメタ騒音を知らない人は……兄貴がやったヘビメタ騒音を知らない人は……俺がちょっとした騒音でだめになったと思ってやがる。あるいは、「なってなくたってそんなものだ」と思ってやがる。ヘビメタ騒音のハンディは、他の人にはわからない。ほんとうにすべてがだめになる。生活上のすべてがだめになる。「だめ」が毎日つもったらどれだけつらいことになるか。どれだけ、つらい生活になるか? ほんとうに二〇分の一の体力、一〇分の一の能力で、ぜいぜい言っている状態になってしまう。ほんとうはできるのに、ほんとうにできなくされる。これ、ほんとうに時間の問題なんだよな。勉強なんて、本能的にわかるわけではないのだから、学習によって身につけるしかない。この学習というのは、学習心理学的な意味で学習だ。ようするに、時間をかけるしかない。時間をかけると言っても、ずっと勉強しているということではない。あいまあいまでいいから、ともかく、クリーンな時間が必要なのである。ヘビメタ騒音に汚染されてない時間が必要だ。それから、ヘビメタ騒音をずっと鳴らされている状態で暮らしたら、どーーしたって、鬱になる。けど、それだって、他の人にはわからないから、俺の責任だと言われる。



ヘビメタ騒音でしんどい。

いまは、しずかだけど、ヘビメタ騒音でしんどい。

この、朝の雰囲気。

ほんとう、くるしかった。くるしかっただけの人生なんだよな。苦しいだけの生活なんだよな。すべてが、ヘビメタ騒音で「くさいもの」になる。すべてがヘビメタ騒音で「できない」ことになってしまう。

ヘビメタ騒音のハンディが、他の人には見えない。そうすると、俺がバカにされる。必然的にバカにされる。特に、ヘビメタ騒音のハンディ」がどのくらいのものかまったく想像ができないバカな人にバカにされることになる。これは、くやしいだろ。これは、くやしい。

気違い兄貴が、気違い的な意地で、自分のやりたいことを、やるから、こんなことになってしまうんだぞ。

++++++++
ヘビメタ騒音がなく、バリバリと働いていたらこんなことは書かなかっただろうと思う。

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2019年5月19日日曜日

つかれた。


それにしても、つかれたなぁ。
つかれた。
どうしても、つかれた。
そして、つかれがとれない。




ほんとうに、気違い兄貴にやられてから、他の人に誤解されっぱなしだ。気違いが、気違い的な意地でやりきると、やられたほうは、不可避的にそういうことになってしまう。他の人とのトラブルを抱えることになってしまう。二四時間中、どれだけの時間、気違いヘビメタ騒音にとられたか。

2019年5月18日土曜日

無職という言葉を障害者という言葉に置き換えて、自分が言ったことを考えてみろ


そんなの無職なんだからしょうがない。
バカにされても無職なんだからしかたがない。
そういうことを言われても無職なんだからしかたがない。
こういう発想なんだよ。
無職のところを、障害者と置き換えるとどうなるか?

そんなの障害者なんだからしょうがない。
バカにされても障害者なんだからしかたがない。
そういうことを言われても障害者なんだからしかたがない。

俺がヘビメタ騒音で働けないと言っているのに、ヘビメタ騒音の影響で働けなくなると言うことを信じない人は、普通に、俺をバカにして、見くだす。そして、
実際に無職なんだからしたがないと言いやがる。
こういうことを言うやつが、障害者の人権には敏感なんだよ。
無職の人権には鈍感だな。
しかも、自分が無職に偏見を持ってるということがわかってない。

ヘビメタ騒音の影響を過小評価するのはやめろ。おまえがやられたって、働けなくなる。それなのに、やられてないから、そういうことがわからない。どれだけデカイ影響を与えるかわかってない。働けるわけがないだろ。あんなの、十数年にわたって毎日やられたら、働けなくなるに決まっているだろ。本人の意思ではどうすることもできない睡眠障害にやられて決まった時間に起きられなくなるに決まっているだろ。それがわからないのは、実際に、十数年にわたって毎日ヘビメタ騒音を聞かされなかったからだ。そいつが、俺よりも人間的にすぐれているから、ではないのだ。そいつが俺よりも能力があるから、ではないのだ。そいつが俺よりも体力があるから、ではないのだ。やられたら、だれもが働けないからだになる。働けないからだになったら、無職期間がつみかさなるに決まっているだろ(当時)。それを、なんだ。ふざけるな。

もう一度言う。無職という言葉を障害者という言葉に置き換えて、自分が言ったことを考えてみろ。ふざけるな。

「家かたづけ」をやっているのだけど、いつかかたづく?のだろうか?


「家かたづけ」をやっているのだけど、いつかかたづく?のだろうか? なんか、底なし沼のような気がしてきた。これ、ほんとう、くるしいわぁ。
まあ、なんとかするしかないな。あとは、どうせタンスとかそういうものは、プロに任せてもっていってもらわないとだめだからなぁ。


本当につかれたなぁ。
どうしようかな~~

どうするか?

どうするんだ?俺は??
俺はどうするんだ??
このままなのか??

どーしても、体力がないから、一日やれることが限られているんだよな。つかれちゃうんだよな。

+++++++++++

こういう雰囲気で黄昏れているとき?……もぼくの人生の重要な時間の一部なんだよな。こういうことでよいのだろうか? もっと、生き生きと生きたかったなぁ。ヘビメタ騒音で全部ぶっ壊れた。

2019年5月16日木曜日

ほんとうに、友達といるときも「鬱度が高い」のである

それなりにがんばったけど、なんか、つまらない。







これ、外に出てもかわらない。



友達と外に出てもかわらない。何十年もおなじ。







これは、●●なぁ。



「ああ、俺の人生はなんだったんだろう」と思うよ。



けど、これ、ヘビメタ騒音歴八年目ぐらいからずっと思っていることだから……。ほんとうにすべてない。気違いが気違いの意地で鳴らしたら、俺の人生がすべてなくなった。



これも、他の人にとってみれば、「エイリが言っているだけのこと」なんだよな。あーあ。こんなのないなぁ。


ほんとうに、友達といるときも「鬱度が高い」のである。ヘビメタ騒音で人生がみえなくて、くるしい。不安。つまらない。そりゃ、自分の能力を根本的なところでこわされて、不安に感じないはずがないだろ。そして、世の中の「こうすればいい」というアドバイスは、すべて、ヘビメタ騒音を経験したことがない人たち」による、無理なアドバイスなのだから、くるしくなるに決まっているだろ。やられた俺と、やられてない一般の常識的な人という対立構造ができあがっている。「むりなんだよ」。「むりなんだよ」と言っても、なんだかんだと言って「むりだ」ということを認めない。ヘビメタ騒音を鳴らされて、俺がどういう気持ちで、どういう体力状態で生きてきたと思っているんだ?

十何年間も、一日に二〇時間働いているような状態でいいわけがないだろ。二時間しか眠れない状態でいいはずがないだろ。疲労度は一日に四八時間働いているのとおなじだ。疲労度がつもっていく。もう、七年続いたら、休んだって解決しない。「休めば、そのうち、元気が出てくる」というクソ理論なんだからな。そのクソ理論が間違っているんだよ。

ポジション、見なし問題、偏見のスキーマ



気違い兄貴のハンディで、俺がつねにはじをかいている。

他のやつには見えない。他のやつには見えない、気違い兄貴のハンディで、俺がつねにバカにされ、説教される。そういうポジションに落ち込んだ。これって、ポジションなんだよ。もちろん、ポジションだけではないのだけど、ポジションなんだよ。基本的な能力とか関係ないから。ヘビメタ騒音で落ちているということが、他の人に見えなきゃ、最初からそのくらいしかできない(能力がない)と見なされてしまうわけだから。見なし問題というのは、実はある。それは、偏見のスキーマとむすびついている。

   *   *   *

障害児に対する偏見や差別とたたかっている?人なんだけど、普通に、無職に対する偏見がある人がいる。もちろん、まるで悪いと思わずに偏見をぶつけて、差別するんだよ。見なして、差別するんだよ。「それだって、事実なんだからしかたがない」とかぬかしやがるんだよ。事実というのは「彼」が三五歳なのに、働いていないという事実だ。あるいは、プラスして、「彼」は三五歳なのに、それまでちゃんとした社員として働いたことがないという事実だ。そんなのは、おかしいのである。「はずかしくないのかね」というセンスだ。おまえのほうがはずかしいよ。そういう、常識通りの、しかし、間違った見方をしやがって。おまえのほうがはずかしい。常識的な見方でも、間違っているときがある。常識的な見方ならば、かならず間違っている、なんて言わない。けど、間違っているときがある。前提がおかしいんだよね。けど、前提がおかしいというとがわかってない。

2019年5月15日水曜日

あのときの、あれ、ない

あのときの、あれ、ない。あのときの、あれ、ない。あのときの、あれ、ない。あれを経験してない人が、経験した俺に対して、わかったようなことをいいやがる。『オレだって騒音ぐらいあった』と言うけど、その騒音は、俺が経験した毎日のヘビメタ騒音とは違うんだよ。できるんだったら、できるぐらいの騒音なんだよ。できるんだったら、できないような状態にならない騒音なんだよ。





「あのときの、あれ、ない」なんて言うと、俺がバカみたいだけど、「あのときの、あれ、ない」と言いたくなるような感情はある。パッと浮かんでくる。経験してないやつが、「そんなのはおかしい」「そんなのは気にしなければいい」「そんなのはいいわけだ」とうるさい。(まるまるまるまるまる)。



あー、ほんとう、あのときのあれはない。

   *   *   *

経験しないで、えらそうなことを言いやがって。だれだって、こうなる。だれだって、そうなる。「できている」というのは、条件が違うからだ。俺だってヘビメタ騒音が鳴ってなければ、あんなにもしつこく何時間も何時間も鳴ってなければ、あんなにもしつこく、何年も何年も鳴ってなければ、できた。けど、「鳴ってなければできた」という仮定の話になってしまう。これがどういうことだかわかるか? わかってないやつに、えらそうなことを言われるということなんだよ。経験したことがないやつに、えらそうなことを言われるということなんだよ。

2019年5月13日月曜日

『すべての場合において、すべての人にとってアファメーションはプラスの効果がある』わけではない


鬱だがしかたがない。行くしかない。けど、この気分。本当に、ヘビメタ騒音の朝とおなじだな。いま、午前五時五九分。気違いヘビメタのせいで、入学試験の朝、午前五時五九分、こういう気持ちだった。あれからまったくかわってないんだよな。こころのなかにふきあれる「風」が。嵐が。こんなマケイクサ。小学六年生の後半から、中学一年生の毎日、中学二年生の毎日、中学三年生の、入試までの毎日、ずっと、気違いヘビメタにやられて試験を受けに行くわけだから、おもしろいわけがない。『自分の実力をだすぞ』とワクワクできるわけがない。で、そういうときに、嘘でもいいから『自分の実力をだすぞ』と自分に言い聞かせるように言う……。これがどれだけ俺のこころを破壊してきたか。こんな……。こういう言霊的な宣言(アファメーション)は、プラスの働きをするときとマイナスの働きをするときがある。アファメーションを(ひとに)すすめる人は、すべての場合において、そういうアファメーションがプラスの働きをすると思っている。すべての人において、そういうアファメーションがプラスの働きをすると思っている。けど、違うんだよな。明らかに、マイナスに働くことがある。けど、そういう指摘は、また、うけないんだよな。そりゃ、プラスだと信じたい人ばかりだからだ。信じたい人にとっては、俺の指摘は、なんとなく不愉快なものなのである。そりゃ、うけないよな。アファメーションなどに興味がある人は、アファメーションの効果を『信じたい』わけだから。うけなくても、俺にとっては真実なんだよ。けど、じゃ、誰かさんにとって、アファメーションはどんな場合でもかならずプラスの効果があるということが真実であると言えるのか言えないのかと言えば、言えるだろうとは思う。誰かさんにとっては真実なんだろう。けど、じゃあ、誰かさんが『すべての場合において、すべての人にとってアファメーションはプラスの効果がある』と言った場合、それが正しいかどうかということについて、ぼくは、異議をはさまざるを得ない。

どうせ、やらなければならないのであれば、楽しくやったほうがいい。どうせ、行かなければならないのであれば、楽しい気持ちで行ったほうがいい。そりゃ、そうだ。そりゃそうなんだが、そういうふうにはならない現実がある。俺の場合、何千回も繰り返されたヘビメタ騒音で、そういうふうにはならない状態になった。これ、違うんだよな。どうして、こころが「イチマイイワ」だと思う人たちがいるんだろう。まあ、その人たちはそういう幻想を維持して、がんばって欲しい。けど、『真実』ではないから。

こころが自由に操作できるわけではない。それは、長年体験してきたことや生物的な限界によって、支配されている。要するに、人体やそれまでの体験の影響を受ける。

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小さな楽しみをつくってなんとかしようと思うけど
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2019年5月12日日曜日

おなじ言葉なのだけど、あらわされている内容が違う

起きてから二回目のご飯を食べた。内容は、昨日買ってきたコロッケ。まあ、コロッケもうまい。ぼくは揚げ物をそんなに食べない人間なんだけど、昨日から今日にかけて、とても食べたくなっている。揚げ物ばっかり食っているなぁ。それに、マーガリンとか。あんまり普段は食べなものを食べている。

あとは、身体的につかれたなというのがある。あとは、明日、午前九時まで行かなければならないところがある。時間を決められるとやばいんだよな。そういうからだになってしまった。一五年間の日部メタ騒音で。

で、こっちには書くべきではないのだけど、やっぱり、しんどいわけよ。本当に根本的につらい。つかれた。これで、だれかいい人と会う約束があったとしても、しんどいわけだから……。こういうことなんだよ。ぼくに好意を持っている美少女や趣味趣向があういいやつと会うにしろ、しんどくてつかれていて、浮かないところがある。楽しくない部分がある。疲労のなかに「とけていく」感じがする。いっしょにいて、も、たいしておもしろくもなく、楽しくもない。
ヘビメタ騒音というのは、そういうものなんだよ。人間をそういうものにしてしまう音なんだよ。
ヘビメタ騒音が七時間鳴っている日というのは、だいたい、二〇時間ぐらい気を張り詰めて働いて、二時間ぐらいで移動や移動の準備をして、二時間ぐらい横になっている日とおなじだ。本当はこれよりもつらい。ヘビメタが七時間鳴っているということは、二〇時間働いているのよりもつかれる。つかれかたが半端じゃないのである。ほんのちょっとうるさい音で一時間ぐらい鳴っていたというわけではないからな。俺の話を聞いても、そういうふうに誤解するやつがいるんだよな。そんなものじゃないと言っているのに。その人の騒音体験がそういうものなのだろう。だから、そういう騒音体験をもとにして、騒音のつかれを「おしはかる」のだろう。けど、ちがう。これ、一日は二四時間だから、おかしな話になるけど、あのヘビメタを七時間鳴らされ続けるということは、労働時間にすると、だいたい、四〇時間ぐらいだ。一日に四〇時間ぐらい、気を張り詰めて働くの同じようなストレスがかかってしまう。一日に四〇時間はおかしいけど、労働のストレス量と「うちの」ヘビメタ騒音のストレス量を考えるとそのくらいになる。毎日四〇時間以上の労働をしているのとおなじストレスがかかる。そういうめちゃくちゃな状態だ。ほんの少しの睡眠で、回復できるわけがないだろ。そして、一五年という期間の長さが問題だ。これ、本当に、「なりおわったらかんけいがない」と言う人がいるけど、底まで長い期間やられると、終わってからも、ずっと、尾を引く。体の疲れが残る。感じ方がおかしくなる。『楽しい』と感じる能力がなくなる。しかし、これも、一五年間そういう目に遭ってきた人じゃない人に『楽しい』『楽しい』と言えば楽しくなるのにそういう努力をしないからだめなんだとだめ出しをされるようになる。『楽しく感じない』なんていうのは、そいつがわるいという理論だ。『楽しく感じようとしないのがわるい』『考え方がネガティブだからわるい』『過去のことは過去のことなのに、こだわるからわるい』と間違った理論を展開しやがる。その間違った理論の根底には、その人の騒音体験がある。その人の考える『騒音』といったものとぼくが実際に経験した気違いヘビメタ騒音はちがうのである。『騒音』というおなじ文字であらわされているにもかかわらず、俺が騒音と言う場合と、その間違った考えをもっている人が騒音と言う場合は、まったく違った意味合いをもつ言葉になってしまうのである。おなじ言葉なのだけど、あらわされている内容が違う。

ともかく、気違い兄貴の態度でやられると、気違いヘビメタ騒音を体験してない人から、俺が軽く見られるのである。『楽しみを感じない』ということだって、自己責任だと彼らは言っているのである。そんなのは、楽しみを感じるようにしようとしないおまえがわるいと彼らは言っているのである。このダメダシ。こいつらは実際に実際のヘビメタ騒音を経験してない。これは、走ったら息があがるということを、走ったことがまったくない人が理解してないのとおなじだ。人間の体の反応としてそうなるということが理解できてない。あまりにも特殊な経験だから、理解できないのはわかるけど、愚かだ。だいたい、こいつらは、「(おまえが)わるい」とは言ってないと言い出すと思うけど、じゅうぶんに言っている。

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一キロ走った人が、走り終わったあとしばらくぜいぜい言ってたとしよう。そのとき、一度も走ったことがない人が「走り終わったのだから、ぜいぜいいう必要はない。走り終わったのだから過去のことは関係がない」とか「激しく呼吸をしようとするから、ぜいぜい言っているんだ。激しく呼吸をするのをやめようと思えばぜいぜいぜいいう必要はない(激しく呼吸をする必要はない)」ということを言ったらどう思う?
おまえは、走ったことがないからわからないだけだろと思うだろ。そういうことだ。

過去のことって、走っているさいちゅうのことな。関係、あるじゃないか。走ったから、走り終わったあとも、しばらくのあいだぜいぜい言う。激しく呼吸をしなければならない状態が続く。
まあ、こういうことを言うと、「しばらく」のあいだだけだろと思う人がいるかもしれない。これは、短期的な影響と長期的な影響の二種類があると思っていい。ヘビメタ騒音が鳴っていた日、たとえば七時間ヘビメタを鳴らされ続けたあと、眠れなくなるのは、「しばらくのあいだ」の影響とおなじだ。それと、ヘビメタ騒音を一五年間やられたあと、一六年目以降「楽しく感じることがなくなってしまった」というのは、たしかに違う。けど、これは、モデルが違うだけなのである。この場合は、三〇年間チェーンソーを使っていたから、三一年目、チェーンソーを使っていなくても、手が震えるといった例や、一〇年間ボクサーをやったから、引退したあともパンチドランカーの症状が出たという例とおなじだ。要するに、短期的な反応と長期的な反応があるということだ。

ぜいぜい言うというのは、激しく呼吸することだとする。この場合、「ぜいぜい言うのをやめよう」とか「ぜいぜいいう必要はない」と何回も言っても、やはり、ゼイゼイ言うのではないか。それは、からだが、酸素を必要としているからである。いままでのマイナス分を取り戻そうとしているのである。その場合、『必要』はあるわけで、『必要がない』とは言えない。ストレッサーに対する反応は、「ひつようだからやっている」という部分がある。というか、体にとっては必要なことなのである。問題なのは体の反応に対して、ストレッサーが強すぎたときだ。また、ストレッサーの持続が、長すぎたときだ。
ともかく、走ったことがない人が「ぜいぜい言う必要はない」などと冷ややかに言ったとしても、それは、走ったことがある人にはとどかない。「おまえ、なに言っているんだ」という話になる。ヘビメタ騒音にかんしてはそれとまったく同じ話なんだよ。けど、違うところがある。それは、走ったことがない人はきわめて少数であるのに対して、「うちのあにきの」ヘビメタ騒音をあびたことがない人がきわめて多数だからである。原理はまったくおなじだけど、立場(けいけんのあるなし)が違うので、おなじ話だということがわからないだけだ。普通の人にはわかるわけがない。






わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。