2022年10月5日水曜日

条件に関しては、都合よく、無視してしまうのである。

 たとえば、39度のお湯につかっている人にとっては「快適だ快適だと言えば、快適になる(快適な感じがする)」といったことは、「事実」なのである。いっぽう、1度の水に使っている人にとっては、「事実」ではない。

1度の水につかっている人は、39度のお湯につかって「快適だ快適だ」と言えば、快適な感じがするのだろうということを想像しなければならなくなるのである。

水の温度という条件がちがう。

この条件のちがいを無視してしまうのである。

めぐまれた側の人……生まれたときから恵まれた生活をしている人は、39度のお湯につかるのが当たり前なので、1度の水につかっている人のことなんて考えることができないのである。

1度の水につかっている人は……つかるしかない人は、どれだけ「快適だ快適だ」と言っても快適にはならず、つめたい水のなかで、つらい思いをすることになる。

人間のからだというのは、物理的な存在だ。そして、生きていくには、さまざまなしくみがある。体温をだいたい36度あたりで維持しないと生きていけないのである。

それは、言霊の「空想世界」とはちがって、「現実世界」だ。物理的なからだに依存していることは、物理的なからだに依存しているので、「空想世界」でだけ、快適になれば、それでいいということにはならないのだ。

ところが、39度のお湯につかれる人間にとっては、39度のお湯につかっているだけで、物理的な条件が満たされてしまうので、物理的な条件について考える必要がないのである。

所与の条件として、快適に感じられるようになっているのである。

なので、「快適だ快適だ」と言えば「快適に感じることができる」あるいは「快適になる」というのは、その条件において、「真実」なのである。

ようは、条件が成り立っているから、「快適だ快適だと言えば快適になる」ということが真実であるように感じることができるだけなのだ。

ところが、こういう「言霊」的なことを言う人は、そういうことを……つまり、所与の条件を無視してしまう。なので、言霊は絶対法則として成り立つというようなことを言う。条件に関係なく、言霊が成り立つのである。

条件に関しては、都合よく、無視してしまうのである。

しかし、条件はある。そして、言霊なんかよりも、物理的な条件のほうが人間のからだや人間が自然に持つ感じ方に、影響をあたえるのである。

じつは、条件が満たされている人が、条件が満たされてない人の感じ方を無視しているのである。どうして無視することができるかというと、すでに、その条件が満たされているからだ。

これがわかってない人が多すぎる。こういう人たちは、エックスをすればワイになるといった二項文を絶対的な法則だと思っている。

彼らにとっては絶対的な法則なのである。彼らは、条件を考えないので、現実世界において条件を満たしてない人にも、この絶対的な法則が成り立つはずだと考えてしまうのである。

しかし、そういう思い込みや思い込みにもとづく発言が、条件をみたしてない人のこころをゆさぶり、傷つけるのである。



毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。