2022年10月19日水曜日

「おカネがありすぎると幸福度がさがる(こともある)」ということまでは、わかる。

 たとえば、39度のお湯につかっている人が、「45度だと熱すぎる」「熱すぎても快適ではない」「水温と快適さとは関係がない」と言ったとしよう。

ずっと1度の水につかっている人にとっては、39度も45度もつかったことがないので、関係がない話だ。

39度のお湯につかっている人が「快適な温度について」語ったとしても、関係がないことなのである。さらに言っておくと「熱すぎても快適ではない」というのは、正しいけど、「水温と快適さとは関係がない」というのは、まちがっている。

「45度だと熱すぎる」と言っているではないか。関係がないわけがない。どうして、「熱すぎても快適ではない」ということが「水温と快適さとは関係がない」ということになってしまうのか?

水温がおカネで、快適さが幸福度だとする。

「おカネがありすぎても、不幸な人がいる」あるいは「おカネがありすぎると幸福度がさがる(こともある)」ということまでは、わかる。

しかし、「おカネがありすぎると、幸福度がさがるので、おカネと幸福度は関係がない」ということは、まったくわからない。

おカネがありすぎると、幸福度がさがるのであれば、もちろん、おカネと幸福度は関係しているのである。なぜ、これがわからないか?

おカネを、ちょうどいいていど、持っている人が「おカネなんて幸福度とは関係がない」と、おカネをもっていない人に言うのは、問題がある。

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問題なのは、39度のお湯につかれる人にとって、1度の水につかっている人の「つらさ」は関係がないことだということだ。39度の湯につかっている人が「1度の水につかっている人 つらさなんて、自分には関係がないことだ」と言った場合、その言葉の意味は正しいのである。

なのであれば、もちろん、「人に親切にするとしあわせになる」とか「人に親切にすると幸福度があがる」というようなことは言うべきではない。「つらい」状態の人を見すてているのだから、「つらい」状態の人に対して親切にしてない。

「そんなのは俺に関係があることではない」と言って、1度の水につかっている人には、親切な行為をしないのだから、親切な行為をしない人が、「人に親切にすると幸福度があがる」というようなことを言っているということになる。

生まれの格差は、おおきなおおきな格差で、その格差が生み出す、不幸な体験は、毎日毎日、つもっていくものなのである。生まれの格差・下の人は、毎日毎日、不幸な出来事を経験することになるのである。

それは、その人がもっている「幸福感に」影響をあたえる。

これは、でかい影響をあたえると言っていい。

なんでなら、きれいごととはちがって、実際に生じていることだからだ。実際に生じていることを、感覚認知しているわけだから、実際に生じてないこと……えそらごとの話……よりも、実際に生じていることが、その人の幸福感にでかい影響をあたえる。

このでかい影響をあたえる部分に関しては、「そんなのは差がない」「あったとしてもたいした差じゃない」ということを言って、無視する人が「親切な人である」はずがないのだ。

しかし、そういう人でも、「小さな親切」は自分の身の回りの人にできる。身の回りに生まれの格差・下の人がいなかったら、当然に、小さな親切も、生まれの格差・下の人にはしないということになる。

その人は、生まれの格差・下の人にかんしては、小さな親切もしなければ、大きな親切もしないということになる。無関心なのである。

大きな親切というのは、その人の状況をかえてしまうような親切だ。水温のたとえを使うのであれば、39度の人が、1度の人に対して、39度のお湯をあたえるということだ。

けど、そうなると、39度の人が、今度は、つめたい水につかることになるのである。なので、大きな親切は、なしがたいのである。

39度のお湯につかっている人にとっては、1度の水につかっている人の話は「えそらごと」の話なのである。いっぽう、1度の水につかっているひとにとっては、39度のお湯につかっている人の話は「えそらごと」の話なのである。現実的ではない話なのである。

状況がちがうのだから、そうなる。生まれてからずっと体験していることがちがうのだから、そうなる。

実際に発生する出来事が、その人の「幸福な感じ」や「不幸な感じ」を決定しているのである。「えそらごと」のいい話が、その人の、「幸福な感じ」や「不幸な感じ」を決定しているのではない。

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おカネと幸福度は関係があるから、おカネがありすぎると幸福度がさがるのでしょ。どうして、関係がないということになってしまうのか?

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。