言霊主義者であって、「受け止め方の問題だ」と考えている人も、矛盾している。
言霊の力をつかって、相手の受け止め方をかえることができるからだ。
たとえば、AさんとBさんがいたとする。
Aさんは言霊主義者なのだけど、Bさんに「すべては受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」と言ったとする。
「相手をかえようとしても、むだなので、自分がかわるしかない」などということを、AさんはBさんに言うのである。言霊主義者のAさんは、言霊で相手を、いかようにでも、かえられるのである。
それなのに、「相手をかえようとしても、むだだ」と思ったのは、どうしてだろうか。Aさんは、Bさんの受け止め方を、言霊の力で、かえることができるのである。
そして、Bさんをこまらせている相手がCさんだとする。
その場合も、Aさんが、言霊を使って、Bさんの考え方にあわせて、Cさんの考え方をかえてあげれば、それで、Bさんの問題は解決する。
Bさんに「すべては受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」と言う必要はないのだ。
Aさんが言霊主義者の場合、「すべては受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」とBさんに言うのではなく、Bさんに「言霊の力を使って、Cさんの性格をかえればいい」と言うことだってできるのだ。
言霊理論が正しいなら、Bさんが「Cさんの性格が、自分(Bさん)を、こまらせない性格にかわる」と言えば、Cさんの性格が、自分(Bさん)を、こまらせない性格にかわるのだから、それで、Bさんの問題は解決するのである。
Bさんの受け止め方をかえなくても、……言霊の力を使って、Cさんの性格をかえれば……Bさんの問題は解決する。
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だいたい、言霊主義者は「言霊は絶対だ」と言っているのだから、言霊に関しては、自分の受け止め方以外の受け止め方を、認めていないのである。言霊に関する、自分がもっている受け止め方以外の受け止め方を、認めていない。
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「すべては、受け止め方の問題だ」と言うけど、言霊の問題は受け止め方の問題ではないのである。「すべては、受け止め方の問題だ」と考えているということは、言霊に関しても、受け止め方の問題だと考えているということを、暗示しているのである。
なので、「言霊は絶対だ」という考え方と「すべては、受け止め方の問題だ」という考え方は、相互に矛盾している。
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ようするに、Aさんは、言霊の力を使って、Bさんの受け止め方や、Bさんの話のなかに出てくるCさんの受け止め方をかえるとができるのだ……。言霊理論が正しいなら……。しかし、実際には、「言霊の力を使って、人の考えをかえることはできない」と思っているので、Bさんには「すべては、受け止め方の問題だから、Cさんの考え方にあわせて、自分の受け止め方をかえればいい」ということを、言ってしまう。言霊理論が正しいなら、こんな助言は、そもそも必要がない。
Aさん自身が、「言えば、言ったことが現実化する(これは、絶対に正しい)」と思っていて……なおかつ「人はかわらないので自分をかえればいい」とか「人のことはかえることができないので、自分の受け止め方をかえればいい」と言うこと自体が、不自然なのである。
なんでなら、言霊の力を使って、人のことをかえられるし、人の受け止め方もかえることができるからだ。
今回の例に関して言うと……Aさんは、Bさんの受け止め方も、Cさんの受け止め方も、自由にかえることができるのである……。言霊理論が正しいなら。言えば、Bさんの受け止め方も、Cさんの受け止め方も、自由にかえることができる。
そして、Aさんは、Bさんの性格も、Cさんの性格も自由にかえることができるのである……。言霊理論が正しいなら……。
さらに、Bさんは、Cさんの性格を自由にかえることができるのである……。言霊理論が正しいなら……。
ところが、Aさんは、Bさんに、「Cさんの性格をかえることは、Bさんにはできないので、Bさんの受け止め方をかえればいい」と助言するのである。矛盾しているだろ。
そして、このことは、Aさんが、ほんとうは、言霊理論を信じていないということを意味しているのである。
Aさんは、「言霊は絶対だ」と言っているのに「すべては、受け止め方の問題だ」とも言っているのである。これも、おかしな話だ。
「言えば、言ったことが現実化する」のであれば「すべては、受け止め方の問題だ」と考えること自体がおかしいのだ。
「言ったことが現実化する」のだから「受け止め方の問題」ではない。
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「すべては受け止め方の問題だ」と言っているときは、言霊なんて、まったく信じていないのである。言霊の力もまったく信じていない。言霊も言霊の力も、まったく信じていないから、「すべては受け止め方の問題だ」と言いきることができるのだ。
そして、逆に……「言霊は絶対だ」と言っているときは「すべては受け止め方の問題だ」とは、まったく考えていないのである。ぜーーんぜん、考えていない。 「すべては受け止め方の問題だ」と自分が言いきったことを、忘れてしまう。
ぜんぜん、考えていないのである。まったく矛盾を感じないのである。