「それでも、つかれたと言うと、つかれたような気がする」と思う人もいるだろう。しかし、これは、実際につかれたときに、「つかれた」と言った記憶があるから、そういうふうに感じるだけなのだ。実際に、つかれていないときに「つかれた」と言うだけで、ほんとうにつかれた状態になるのかというと、そうではない。「つかれたような気がする」だけなのである。
言霊主義者だって、階段から落ちていたいと言ったときは、「いたい」と言ったから、なんの理由もないのに、「いたくなった」とは思わないのだ。階段から落ちるまえに、落ちそうではないのに、急に「おちる」と言いたくなって、「おちる」と言ったから、言霊の力によって「おちたのだ」とは思わないのだ。自分が階段から落ちて、いたいと言ったときは、ちゃんと、階段から落ちるという出来事が発生して、その出来事の最中に、階段を構成する物質と自分の体が接触していたみを感じたということを理解しているのである。あるいは、階段から落ちて、床を構成する物質と自分の体が接触して痛みを感じたということを理解しているのである。この場合のいたみは、言霊の力によってしょうじたいたみではなくて、物理的な接触によってしょうじたいたみなのだ。そして、物理的な接触が発生したあとに、体が痛みを感じる構造をもっているので、接触を感知して、痛みを感じたのである。だから、順番としては、落ちている最中や落ちたあとにいたみを感じているのである。そして、自分のことだと、言霊主義者でも、順番を間違うことはないのである。これは、言霊主義者が、普段、物理的なことに関しては、言霊をまったく無視して暮らしているということの証拠なのである。自分の意識が集中する「夢」や「希望」に関しては、「言えば言ったことが現実化するから、言おう」と思っているだけなのである。そして、他人のことに関しては、自分が経験したことではないので、勝手に順番を入れ替えて、言霊理論に従って思考をしているだけなのである。
腕をどこかにぶつけると、腕がいたくなる。神経伝達の速さに依存するので、「接触」がある程度の時間の幅をもつことになると、「さいちゅう」という表現があてはまってしまう場合があるのだけど、「接触」がしょうじている時間の長さと、神経伝達の速さを無視するなら、腕をどこかにぶつけたあと、腕にいたみを感じたのである。いたいと言うまえに、いたくなるような出来事が発生しているのである。まったく、腕にいたみを感じていないときに、突然「腕がいたい」と言って、そのあと、腕をどこかにぶつけるという物理的な現象が「言霊の力によって」発生して、その結果、いたみを感じたわけではないのである。
自分のことなら、腕をぶつけたあと「いたい」と言う……ということに、疑問をもたないのである。自分の経験だから、「いたい」と言ったから「いたくなった」とは思わないのだ。ちゃんと、どこかものに、腕をぶつけたので、腕がいたくなったと思うのだ。この場合は、出来事の順番に関する認識が正常なのである。自分のことだから、出来事の順番に関する認識が正常なのだけど、ひとごとだと、自分の身の上にしょうじたことではないので、出来事の順番に関する認識があいまいになり、言霊主義的な考えをもっていると、言霊主義的な考えに引きずらて、「いたいと言うからいたくなる」と他人に言ってしまうだけなのだ。言霊主義者本人が、自分のことに関しては、言霊主義的な理解をしないということに、言霊主義者本人が、気がついていないだけなのだ。言霊主義者は、いつも自分が言霊主義に合致した現実認識をもっていると、認識しているけど、じつは、言霊主義者は、言霊主義に合致した現実認識をもっていない場合のほうが多い。いつもではないのである。ちゃんと、具体的な出来事が、自分の身の上にしょうじて、自分が体験したことに関しては、言霊主義に合致した現実認識をもっていないのである。
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「つかれた」と言うと、催眠術にかかったように「つかれ」を感じる場合は、すでに、「つかれた」という言葉と、現実的な経験の連合を経験したあとなのである。何回もそういうことがあったので、「つかれた」という言葉と「つかれた」感覚の間に「連合」ができあがっただけなのだ。だから、これは、言霊の力の証明にはならない。むしろ、言葉の力でそうなっているだけだ。言霊の力も、言葉の力もおなじだと、言霊主義者は主張するかもしれないけど、ぜんぜん、ちがう。
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身体的な病気で、いたさを感じない人は、階段から落ちてもいたさ感じないし、腕をどこかにぶつけても、いたさを感じない。いたさを感じない人が「いたい」と言っても、言霊の力によって、いたさがしょうじるかというと、しょうじないのである。身体が痛みを感じるしくみをもっているから、いたさを感じるのである。
身体的な病気で、いたさを感じない人も、「いたい」と言えば、「いたい」という言葉に宿っている言霊の力によって、いたさを感じるはずなのである。「いたいと言うからいたくなる」というのは、そういう意味なのである。「いたい」と言うと、身体的な病気で、いたさを感じない人も、言霊の力によって、いたさを感じるような感覚器と神経が発生して、いたさを感じるようになるのだ。「言ったことが、言霊の力によって、現実化する」のだから……そうならなければならない。
じゃあ、たとえば、「身体的な病気で、いたさを感じない人も、いたいと言うといたさを感じるような感覚器と神経が発生して、いたさを感じるようになる」と言うと、言霊の力によって、いたさを感じるような感覚器と神経が発生して、いたさを感じるようになるのかということを考えてほしい。
言霊主義者が言っていることは、現実的ではないのである。言霊主義者が言っていることは、でたらめなのである。けど、このでたらめが、絶対に正しいと思い込んでいる人たちがいる。言霊主義者だ。けど、自分が一倍速で経験したことに関しては、言霊主義者といえども、言霊的な思考をしない傾向が、きわめて強いのである。普段の物理的な出来事に関しては、言霊主義者と言えども、まったく言霊的な思考をしていないのである。言霊主義者も物理的な思考をして、それであたりまえだと思っているのである。自分の身にしょうじたことに関しては、そうなる。