一〇〇%詐欺は、したくないので、思考実験というものをすることにした。これは、仮定の話だ。最初から、仮定の話……。
ようするに、「人間」という主語を使って書きたいと思う。人間は、こうだ……というモデルを作っておきたい。あくまでも、モデルの話なので、「実際にこうだ」と言っているわけではない。
実際にこうだと言い切ってしまうと、一〇〇%詐欺になってしまうのだ。
どうしてかというと、ぼくが感じたことだからだ。
ぼくが経験的に知りえたことを土台にして「人間」というものについて考えてみたい。
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きちがい兄貴の騒音というのは、普通の家では成り立たない騒音なのだ。いくら、きちがい的にやりたい人がいたとしても、家族や近所の人の態度というものがある。
そして、自分の出している騒音に関する、自分の認知が正しいのかどうかということを、普通の人は俯瞰できる。ようするに、ほんとうにものすごくでかい音で鳴らしていたなら、ものすごくでかい音で鳴らしているということが、認識できる。
その認識がどれだけ、自分にとって不都合なことであったとしても、普通は、不都合なことだから、認識しないようにするということはしない。
もし、認識しないようにしようと、意識的に思って認識内容にした場合は、意識的に思って認識しないようにしたという認識がしょうじる。どうしたって、しょうじてしまうのだ。
この、スーパーバイザー(監督者)としての機能が、きちがい兄貴の場合はぬけているのだ。
自分にとって、不都合なことは、認識しないのである。
だから、でかい音で鳴らしているということも、ほんとうに、嘘ではなく、認識しない。認識しないようにしたという認識もない。
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ヘビメタ騒音相当の音を騒音レベル一〇〇と呼ぶことにする。
サラリーマンの場合、どれだけ疲れたと言っても、家に帰ったあと、ずっと、横の部屋で、きちがい的な人がきちがい的な音を鳴らし続けるということはない。
ほんとうに、きちがい兄貴は、きちがいだったんだよ。
騒音についてきちがいだったの。そして、目の前がでっかい幼稚園の敷地だったし、隣の家とは、庭や道路で、うまいこと、距離があった。もちろん、普通の人たちなら、近所で大問題になるような音なんだよ。
実際には、隣の人たちは、それぞれに、理由があって、親父に文句をあまり言わなかった。幼稚園が近いので、騒音耐性が強い人が多かったのかもしれない。
それでも、隣の家からは、文句を言われたことがある。
そして、当時、隣の家の子どもだった人が「ほんとうにくるさかった」「文句を言ってやろうと思っていた」と言ったんだよ。隣の家に住んでいて、なおかつ、当時のことを知っている人は、「ほんとうにうるさかった」ということを知っているのだよ。だから、俺の妄想ではないわけ。
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騒音レベル一〇〇の騒音を経験したことがない人は、自分の騒音経験の範囲で、騒音というものを考えてしまう。だから、「俺だって、騒音ぐらいある」とか「わたしだって、騒音ぐらい経験した」ということを言うわけ。
けど、そういうことを言っている人たちは、みんな、普通に通勤して働ける人なのである。そして、うつ病的な鬱を毎日感じている人間ではないのである。そりゃ、人間だから「鬱になるとき」はある。
けど、これも、ぜんぜんちがうのレベルのを「鬱」を想定して、ものを言っているわけ。「そんなのは関係がない」「騒音なんて関係がない」と言う人たちは、ぼくが経験した騒音とはちがう騒音を思い浮かべて、自分が騒音の打撃を受けなかったから、「そんなのは関係がない」「騒音なんて関係がない」と言うわけ。
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もし、ぼくとおなじレベルの騒音を経験した人だと、ぼくが、愚痴を言っているようには思えないはずだ。
けど、「そんなのは関係がない」「騒音なんて関係がない」と言う人たちは……みんな……たぶん……ぼくが、愚痴を言っていると思っていると思う。
ともかく、ぼくとおなじレベルの騒音を経験して、通勤通学が不可能になっている人は、ぼくのことをバカにしたりしない。
「根性がないから無職なんだ」「根性がないから、通勤できないなんてことを言っているんだ」とは思わないのである。
ところが、「そんなのは関係がない」「騒音なんて関係がない」と言う人たちは……たぶんだけど、「根性がないから無職なんだ」「根性がないから、通勤できないなんてことを言っているんだ」と思っていると思う。