たいていの言霊主義者は、こまっている人に「いい方法」を教えてやるつもりなのである。
しかし、ダメな方法なのだ。
ところが、「ダメな方法だ」ということを言われると、たいていの言霊主義者はおこってしまう。
こういう、やばい状態が蔓延しているのである。
たいていの言霊主義者にとって、言霊理論は、絶対的な真理なのである。そのように思っている人間だからこそ、やっかいなのである。やられたほうは、対処にこまるのである。
悪意はないのだけど、悪意があると相手に思われてもしかたがないことを、多くの言霊主義者は、やってしまう。
これ以降、単に言霊主義者と書く場合は、ぼくが知っている範囲の言霊主義者を意味しているということにしておく。
言霊主義者は、「元気だ元気だと言えば元気になる」と言い、「実際に、自分は元気になった」ということを言う。「だから、言霊は存在している」ということを言うのだ。
ところが、これは、言葉による自己暗示であって、言霊の力の証明にはならない。
言霊主義者にとって、自己暗示的な言葉の力と、超自然的な言霊の力がおなじものだということになっているのである。
言霊主義者にとっては、じつは、言霊の力のほうが、物理的な力よりずっと上の存在なのだ。言霊主義者にとっては、じつは、言霊の法則と、物理の法則では、言霊の法則ほうが優位な法則なのだ。
だから、物理的な力では起こりえないことが、言霊の力で、起こるのである。それで、あたりまえだと言霊主義者は信じているのである。
しかし、これは、言霊主義者の注意が言霊に向かったときだけの話だ。
普段は、言霊も、言霊の力も無視して暮らしているのである。
電車がどうして、動くのか?
言霊主義者だって、言霊の力によって、電車が動くと思っていない。
電気の力で、電車が動くと、言霊主義者だって思っているのである。
「電車が動く」と言ったから、言霊の力によって、電車が動くようになったとは、言霊主義者ですら、考えていないのである。電車が、言霊の力によって動いているとは、言霊主義者だって考えていないのである。
そういう意味では、言霊主義者は、「それであたりまえだ」と思っていることに関しては、言霊思考にならないのである。
特別に、注意が言霊に向いたとき、言霊主義者は言霊思考をしてしまう。注意が言霊に向いたときというのは、主に、他人の悩みを聴いたときと、自分の夢や希望について語るときだ。
他人の悩みを聴いたときは、他人の条件を無視して、「言えば、言っただけで、問題を解決できる」ということを言うのである。
そして、自分の夢や希望について語るときも、言霊に注意が向いているときなのである。
『言霊の力によって、それがかなうと思いたい』からである。『言ったのだから、かならず、かなう』と思いたいのである。
言えば……言霊の力によって……言ったことが現実化する……ことになっているので、「かなう」と言えば、言っただけで、かなうことになるのである。これは、妄想的な判断だけど、本人のなかでは、真実だということになっているのである。
* * *
言霊主義者が妄想しているような「超物理的な力」としての「言霊の力」と、自己暗示の効果としてあらわれる「身体に働く物理的な力」としての「言霊の力」は、まったくちがう力なのだけど、言霊主義者のなかでは、両者は区別されず、おなじものとして認識されているのである。
これも、非常に厄介なことなのだ。
言霊主義者自身が、言霊主義者自身をだましているのだけど、言霊主義者自身が、そのことについては、まったく無頓着だという状態なのだ。
まえから、「言霊の力」と「物理的な力」とどっちが上(うえ)かということを問題にしているのだけど、言霊主義者は、第一義的には、言霊の力のほうが、物理的な力よりも上(うえ)だと考えているのである。
ようするに、言霊によって、物理法則を、いくらでも、書き換えることができると思っているのだ。
言霊によって、物理法則は、改変できるのである。
しかも、改変するには「言うだけ」でいいのだ。
言霊主義者は、物理法則も、言うだけで、簡単に改変することができると思っているのだ。
ところが、普段の言霊主義者でも……『電車は、言霊の力ではなくて、電気の力によって動いている』と考えているだ。
電車に向かって、「動け」と言ったって、「動かない」と思っているのだ。
言霊理論に従えば、言霊の力によって、動くはずなのである。
自分が言えば、言ったことが現実化するので、動くはずなのである。
動かなかったら「言えば、言ったことが現実化する」という言霊理論が間違っているということになる。
だから、言っても、動きそうもないときは、「動く」とは言わないのだ。
言霊主義者も、電車は、電気で動くものだと思っている。
しかし、言霊主義者は、自分の注意が言霊に向かっているときは、言霊の力によって、電車が動くと思っているのだ。
電気に関する物理的な法則は、言霊の力によって、いくらでも、書き換えることができるのだ。自分の注意が言霊に向かっているときは、電気のことは、無視して、言霊が現実を書き換えることができると思ってるのである。
言えば、物理的な力をこえて、言霊の力が、機能するのである。
言霊主義者にとっては、電気の力なんて、いくらでも、改変できるものなのだ。
言霊主義者は、じつは、言霊によって、すべての物理法則を改変することができると主張している。言霊主義者が自信をもって言うことの背後には、物理法則をこえる言霊の法則が横たわっているのだ。
言霊主義者にとって、言霊というのは、超自然的な力として意識されているのである。どのような摩訶不思議なことでも、言ってしまえば、言霊の神秘的な力によって実行されるのである。
言葉には、そういう、摩訶不思議な力が宿っていると、言霊主義者は真剣に考えているのである。
だから、こういうところに、矛盾があるのだけど、言霊主義者自身は、それにまったく気がつかないのだ。
これ……言霊法則が物理法則を超克するという考え方は、幼稚な考え方だ。幼児的万能感が生み出している妄想にすぎない。
しかし、自分の体や感情に限って考えると、「元気だと言えば、元気になる」というような考え方が成り立ってしまう。
この 「元気だと言えば、元気になる」という考え方が、超物理的な力としての言霊の力が存在することの根拠になっているのだ。言霊主義者のなかでは……。
もちろん、理論的に考えれば、根拠にならないのだけど、だまされて、根拠になると思い込んでしまう場合がある。
言霊教祖や言霊のセミナー講師が、そういう説明をすることがあるのである。
言霊教祖や言霊のセミナー講師も、両者の区別をしていない。
言霊教祖や言霊のセミナー講師も「超物理的な力としての言霊の力」と「アファメーションとしての言霊の力」を区別していないので、「アファメーションとしての言霊の力」があるから、「超物理的な力としての言霊の力」もあるという説明をしてしまう。
あるいは、言霊教祖や言霊のセミナー講師も「超物理的な力としての言霊の力があるということは、アファメーションの効果があることによって証明できる」と説明してしまう。
教えるほうが、間違っているのだ。
だから、教わるほうも、そのまま、間違いを継承してしまうことになる。
自分の身体に限った話としての「アファメーションの効果」を、物理法則すら改変することができるような言霊の力があることの証明として使ってしまうところが……言霊教祖や言霊のセミナー講師にはある。
証明にならないということを、ぼくが説明しても、彼らは認めない。
「そんなことはない」「言霊は絶対だ」「言霊の法則は宇宙をつらぬく絶対の真理だ」と言って、聞かない。
「元気だと言うと元気になることが心理学の実験で証明されている」「だから、言霊の力はある」と言って、聞かない。
わからない人のために言っておくけど、 「元気だと言うと元気になるということ」は、「自分の身体に限った話なのだけど、アファメーションの効果がある」ということを言っているにすぎないのだ。
ところが、これを「言霊があることの証明」として語ってしまう。「言霊があり、言霊の力によって元気になっている」と説明してしまう。
けど、これは、間違っていることなんだよ。