言葉には力があるので、多少は体に影響を与えるとする。
けど、これは、言霊の力ではないのである。断じてちがう。
前も話したけど、言霊主義者というのは、言葉の力を言霊の力だと、思っているのである。そして、これは、誤謬を生み出す。
「元気だ元気だと言ったら、元気になったような気がした」とする。「元気だという言葉が、自分の体に影響を与えた。だから、言霊には力がある」……と思っているのだ。そこからの推論で、言えば言ったことが「言霊の力によって」現実化されると思うわけだ。
一度、言えば言ったことが「言霊の力によって」現実化されるということが、正しいこととして頭中に成り立つと、「のろい」「ジンクス」系の言霊も、あることになってしまうのである。
ほんとうは、この二者は、峻別しなければならないのである。
しかし、「言葉の力があるということ」が「のろい」「ジンクス系」の「言霊の力」を、証明しているような「感じ」がしてしまうのだ。しかし、これは、間違っている。
もともと、「雨が降ると言ったら、雨が降った」ということからも、「のろい」「ジンクス系」の言霊の力があると、言霊主義者は確信してしまっているところがある。
そして、自分が、「元気だと言ったら」自分が元気になったような気がしたということも、体のしくみではなくて、言霊の力によって、元気になったのだと誤解してしまうのだ。
そして、この両者は、言霊主義者の中で、区別されていないのだけど、ともかくも、「元気だ元気だと言ったら、元気になったような気がした」ということが、「のろい」「ジンクス」系の言霊の力があるということの……根拠になってしまうのだ。
もちろん、これは、間違った推論なのである。ほんとうは、根拠になんかならない。
「元気だ元気だと言ったら、元気になったような気がした」ということは、「のろい」「ジンクス」系の言霊の力があるということの、根拠にはならないのだ。
どうしてかというと、「元気だ元気だと言ったら、元気になったような気がした」というのは、体がもたらす感覚だからだ。自分の体のことで、自分が申告するだけなら、いかようにでも言えるのだ。
じつは、言霊主義者の場合、自分の体以外の、外部の出来事に関しても、この感覚が成り立っているのである。しかし、ほんとうは、この二者は、区別しなければならないのである。
自分の体(からだ)系のことと、出来事招喚系のことは、区別しなければならないのである。
出来事招喚系の場合は、招喚したあとは、出来事が物理的なプロセスを経て、現実化するのである。それは、外部の出来事であって、本人の気分とか、本人の体調とかとは、ちがうことなのである。
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一度、「言霊の力がある」ということになると、なんでも、言霊の力でくつがえすことができるということになってしまうのである。言霊主義者の頭のなかでそうなるのである。
しかし、言霊主義者のなかにも、現実感覚は成り立っているので、その言霊主義者にとって「あまりにもあたりまえであること」は、言霊感覚の影響を受けないのである。
しかし、自分が、「あたりまえだ」と思っていることに関して、自分が、「言霊の力を無視している」ということが、言霊主義者の頭のなかにのぼることは、めったにないことだ。
一〇〇%詐欺になることをおそれず、現実感覚で言ってしまうと、 言霊主義者の頭のなかにのぼることは、ないと言っていいレベルなのだ。そのくらいに、完璧に無視しているのである。そして、無視しているということも、完璧に無視しているのである。
ひとごとだと、自分が経験したことではないので、現実感覚が成り立っていないことなのである。自分にとって、現実感覚が成り立っていないことに関しては、言霊感覚が成り立ちやすいのである。言霊主義者の場合、言霊感覚が成り立ちやすいのである。
なので、ほかの人のことだと、言霊的な説教をしてしまう。「絶対に正しい」と思っているのだ。しかし、ほかの人の条件を無視することは、非常に失礼なことなのである。
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現実に感じるつかれの段階を一〇〇段階にわけるとする。
きちがいヘビメタにやられたときのつかれは、一〇〇段階の一〇〇段階目なのだ。つかれが一〇〇なのである。一(いち)が、つかれ最小。一〇〇がつかれ最大だ。
自己暗示のような意味で、言葉には力があるので、「元気だ元気だと言ったときに、元気になったような気分がする」とする。自己申告制なので、実際に元気になるとしておこう。
たとえば、「元気だ元気だ」と言うことによって、一(いち)のぶんだけ、実際につかれが減るというモデルについて考えてみよう。
一〇〇つかれているときに「元気だ元気だ」と言えば、一だけ、つかれが減るので、つかれは九九になる。一〇〇段階中の九九番目(に強い)つかれだ。
「元気だ元気だ」と言えば、一だけつかれが減るので、「元気だ元気だ」というと、一〇〇の疲れが九九になる。これだって、モデルとしてわかりやすいように、一だけ減るということにしているだけだ。
ほんとうは、現実的な世界では一〇〇つかれているときに「元気だ元気だ」と言うことによってしょうじるつかれの減退(減少)は、〇・〇〇〇〇〇〇一ぐらいだと思う。
実際には、つかれが消えないのだ。
むしろ、つかれた状態で「元気だ元気だ」と言ったぶんだけ、つかれが増えるような気がする。実際、ヘビメタ騒音でつかれているときに、「元気だ元気だ」と言ったときのつかれ方が並じゃないのである。「どへーーっと」思う。
ヘビメタが鳴っている最中に、「元気だ元気だ」と言ったときは、怒りが爆発して・もっともっと、つかれてしまう。発狂状態になってしまう。これは、そのときの身体に影響を与えるし、そのあとの身体に影響を与える。
たとえば、ヘビメタが鳴り終わって、一〇分経ったとき、「眠ろう」と思っているときの身体に影響を与える。悪い影響を与える。
言霊主義者は、「元気だ元気だ」と言えば、かならず、身体にいい影響を与えると思っているけど、実際には、そうではない。悪い影響を与えるときだってある。
さきのモデルに組み込むとすると、たとえば、九〇から一〇〇までの間で疲れている場合は、「元気だ元気だ」というたびに、〇・一のぶんつかれるということにしておきたい。
まあ、〇・一は控えめな数字だ。ほんとは、一ぐらいつかれるのではないかなと思っている。ともかく、「元気だ元気だ」と言ったときに、つかれが減らない場合だけではなくて、つかれが増えてしまう場合もあるということは、認識しておかなければならない。
言霊主義者は「どんなときでも」「かならず」……「元気だ元気だ」と言えば、元気になると思っている。
実際にはちがう。
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つかれの段階数値モデルについて考えてみたけど、実際には、「元気になるか」「元気にならないか」の二値について論じられているのだ。
言霊に関する議論のなかでは、言霊の効果というのは、二値で語られることが多い。
たとえば、「元気だ元気だと言えば、元気になる」ということについて考えてみよう。「元気になる」場合と、元気にならない場合の二値なのだ。言霊主義者が「元気だ元気だと言えば」「かならず」「元気になる」ということを言い、言霊主義を否定する人が「元気にならないことだってある」ということを言うのだ。
別に段階は関係がないのだ。つまり、つかれの段階は関係がないことになっている。
「どんなにつかれていたって、元気だ元気だと言えば元気になる」と言霊主義者は主張するのである。
ところが、ほんとうは、言霊主義者も、ものすごくつかれたときは、いくら「元気だ元気だ」と言っても、元気にはならないのである。
「つかれがちょっと減ったかもしれない」と思うかもしれないけど、言霊主義者だって、「早く寝よう」と思ったり「ちょっと休憩をしないだめだ」と思ったりするのである。
ところが、 「早く寝よう」と思ったり「ちょっと休憩をしないだめだ」と思ったりするということは、言霊主義者が「元気だ元気だと言えば元気になる」と主張しているときは、言霊主義者の頭のなかから、完全に、消し去られているのだ。消去されている。
現実世界で、実際に自分が「早く寝よう」と思ったり「ちょっと休憩をしないだめだ」と思ったということは、リコールされないのである。まったく、リコールされない。
「元気になるのだから、元気になる」と言霊主義者は思っている。つかれた状態から、「元気だ元気だ」と言っただけで、元気な状態になるのである。二値だ。
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つかれ一〇一段階モデルというものを考えてみよう。〇段階目は、つかれていない状態なのである。このつかれていない状態が、元気な状態であるか、ただ単につかれていない状態なのかは、問題のあるところなのだけど、とりあえず、このモデルでは、言霊主義者の実感に合わせて?「つかれていない状態」であれば「元気な状態」だとする。
つまり、〇段階目では、元気だとする。
そうすると、一〇〇段階目のつかれを感じているときも、「元気だ元気だ」と言えば、いきなり、〇段階目の状態になるのである。つまり、元気になるのである。こんなのは、ない。
言霊主義者だって、人間だ。
胸に手を当てて考えれば、自分の感覚とズレているということがわかるだろう。
言霊主義者にとって「元気だ元気だ」と言うことは、「「魔法の回復薬」」なのだ。
アニメに出てくる「魔法の回復薬」とおなじだ。あるいは、魔法の治癒薬なのである。
死にそうになっているのに、「元気だ元気だ」と言うだけで「元気な状態になってしまう」のだ。
これが、幼児的万能感ではなく、なんだ?
言霊主義者は、ほかの人に言うときは、妄想を信じ切った状態で、ものを言っているのである。死にそうな状態でも、「元気だ元気だ」と言えば元気になるのである。どんな病気にかかっていても、「なおる」と言えば、なおるのである。
なんだって、できると言えばできるのである。
幼児的万能感に支配されている状態なのである。
ほかの人のことは、自分のことではないので、妄想理論が大爆発している状態で、人のことについて、とやかく言うのである。
アニメに出てくる「魔法の回復薬」なんてない。
言えば、言っただけで、アニメに出てくる「魔法の回復薬」を使ったのとおなじ状態になるのだ。こういうでたらめなことを、真実だと言っているのが、言霊主義者だ。
しかも、相手が「言ったけど、効果がなかった」と言えば、「言い方が悪いからダメなんだ」と言うのが、言霊主義者だ。
言霊主義者だって、「魔法の回復薬」なんてもっていない。
言霊主義者においても、「元気だ元気だと言うこと」は「魔法の回復薬」じゃない。
ところが、言霊主義者は、「元気だ元気だ」と言うことは、「魔法の回復薬」を飲むのとおなじだと言っているのである。
言霊主義者は「そんなことはない」と反論するかもしれないけど「言えば言ったとおりになる」のだから、おなじなんだよ。「つかれる前の健康な状態になる」と言えば、「つかれる前の健康な状態になる」のである。「傷つく前の健康な状態になる」と言えば、「傷つく前の健康な状態になる」のである。
「魔法の回復薬」とおなじじゃないか。