2026年2月26日木曜日

●運気というのは、実体の写し絵なのである■社会※2026/02/26 5:36

 一括思考ということについて書いたけど、「すべて」というような言葉を含んでいなくても、一括思考になってしまう場合がある。たとえば、「運気」というような言葉は、その言葉自体が、一括思考を「さそう」言葉なのである。運気というのは、実体の写し絵なのである。悪い出来事が多いと、運気がさがったということになり、良い出来事が多いと、運気があがったということになるのである。ようするに、「運気」というのは、後出しじゃんけんで決まることなのである。そして、主体と客体(観察者)の問題がある。自分が自分自身についてどう思っているのかということと、自分が他人についてどう思っているのかということについては、分けて考えなければならないのである。ところが、他人も自分も一緒くたになってしまう。自己責任論とおなじなのだ。自分を対象にした自己責任論と、他人を対象とした自己責任論は、まったくちがうものなのに、特に、区別されないという特徴が(自己責任論には)ある。それと同様に、「運気」も、自分が他人の「運気」についてどう思っているのかということと、自分が自分の「運気」についてどう思っているかということは、ちがうことなのである。宇宙を貫く統一理論ではないけど、「運気」という言葉を使うことによって、あたかも、「運気の法則」がこの世を支配しているようなイメージを植え付けるのである。この世と書いたけど、実際には、「運気の法則」が、「ひと」の「幸福」と「不幸」を支配しているようなイメージを与えてしまうのである。運気の法則というのは、じつは、現実の写し絵でしかない。自分自身のことについて考えた場合、良い出来事がたびたび起こると「運がいい」ということになり「運気があがった」ということになるのである。そして、悪い出来事がたびたび起こると「運が悪い」ということになり、「運気がさがった」ということになるのである。しかし、それは、実際の出来事が決まったあとの話なのである。実利的に、「運気」というものがあり……「自分に、運気というものが宿っていて」その運気というものが、自立した性質をもっているように誤解をしてしまうのだけど、じつは、「運気」というのは、現実の写し絵でしかない。具体的な性質をもったものではないのに、あたかも、具体的な性質をもったものとして扱われるのである。どういうことかというと、たとえば、「運がいいから」良いことが起こると思ってしまうのだ。しかし、良いことが(頻繁に起こったから)運がいい」と思うようになったのだ。順番が違う。要するに実際に起こったことを「記述しているだけのことば」なのに、あたかも、自立した性質を持つような言葉として扱われているのである。たとえば、「運気」が身体に宿っているとする。強い運気をもつものは、いいことが起こり、運気が弱い人は悪いことが起こるということになってしまうのである。これは、自立した性質を持つのとしてイメージされているということを意味している。運気がまずあり、運気の「流れによって」いいことが起こったり、悪いことが起こったりするというプリミティブな感覚があるのである。ところが、その運気というのは、実際に起こった出来事の「結果集計」でしかない。運気というのは、単なる「時間的な集計結果」でしかないのだ。そして、時間的な集計結果というのは、条件によって、ほとんどが決まってしまうのである。だから、ほんとうは、運気という言葉で表現されているものは、さまざまな条件が結果に影響を与えているということの、言い換えにすぎないのである。ようするに、「運気」などはなく、「条件」しかない。条件が悪いと、悪いことで起きやすくなるのである。そして、条件が良いと、良いことが起きやすくなるのである。運気は、関係がない。条件が良いから、良いことが頻繁に起こる場合、「運気が強い」と表現されるようになって、条件が悪いから、悪いことが頻繁に起こる場合、「運気が弱い」と表現されることになっているだけだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。