ほんとうに、きちがい兄貴がへんな顔で、鳴らしてたんだよな。あんなの、ない。
基本、きちがい兄貴とは、めったに、あわなかった。
きちがい兄貴が、使える、ほとんどすべての時間を使って鳴らすからだ。兄貴は、兄貴の部屋に閉じこもって、エレキギターを弾きながら、きちがいヘビメタを爆音で鳴らすわけだから、ほかの部屋にいる時間が短いのである。
でっ、兄貴が風呂にはいっているときは、風呂場にいるわけだけど、風呂場は風呂場で個室だから、話しかけるのは不便だ。風呂に……兄貴がはいっているときに、話しかけたって無意味だ。
だから、兄貴がテレビを視ながら、ご飯を食べているときだけ、話しかけることができるということになる。きちがい兄貴が、ヘビメタを鳴らしていない状態で、話しかけることができるのは、きちがい兄貴が、飯を食っているときの、わずかな時間だけだ。
でっ、話しかけても、こいつ……きちがい兄貴は、きちがい親父とおなじ態度なのである。いまにいるときの態度が、きちがい兄貴ときちがい親父でまったくおなじなのである。
きちがい兄貴に、きちがいヘビメタを鳴らすなと言うことを言えば、きちがい兄貴は、不機嫌になって黙りこくる。こっちを、無視する。どれだけ言ったって、無駄なんだよ。
そして、鳴らしているときは、爆音で鳴らしているわけだから、怒鳴ったって、そんなには聞こえない。怒鳴っているということが、わかって、音量をさげて、こっちが言うことを聴く姿勢になるときはあったけど、「鳴らさないでくれ」「しずかにしてくれ」ということを言われたら、きちがい兄貴は……「ハンダゴテを買ってくれ」と言われたときのきちがい親父のように、発狂して、はねのけてしまう。
きちがい親父が、竹を植えようとしたとき、おかあさんが、「やめてほしい」ということを言ったんだけど、真っ赤な顔をして、無視して、植えてしまったのだ。このとき、親父は「緘黙バージョン」だ。黙りこくって、真っ赤な顔をして、やってしまう。
きちがい親父のこの態度が、きちがい兄貴の態度だ。
ヘビメタを鳴らしているときに、「やめてくれ」ということを言われれば、顔を真っ赤にしてやり続けてしまうのである。
そして、あとは、なんにも、残らないのである。
こっちが、こまっているということは、まったく、なにも残らないのである。
だから、「相手はなにも言ってこなかった」という前提でずっと、鳴らすということになる。
これ、ほんとうに、きちがい的なんだけど、そうなんだよ。
この態度は、相手をおこらせる態度だ。そりゃ、こんな失礼な態度は、ないだろう。
けど、そういうことを、まったく考えないで、やってしまうのが、きちがい兄貴やきちがい親父なのだよ。
きちがい親父が竹を植え終わったとき、おかあさんに、なんて言ったと思う。「いいだろ」「ほめてよ」と言ったのである。
自分の気持ちだけで、相手がどう思っているのかなんて、まったく、わからないのである。
あれだけ「やめてほしい」「将来、ひどいことになるからやめて」と、普段は口少ないおかあさんが何度も何度も言ったのに、親父は真っ赤な顔をして、かちゃかちゃと動き、やりきってしまったのだ。
相手が「いやがっている」ということが、まったく、わかっていないのだ。まったくまったくわかっていない。
だから、「やめてくれ」と言っていた相手に「いいだろ」「ほめてよ」と笑顔で言えるのだ。
こういう人間なんだよ。
自分のなかでは満足なので、ほめられることを期待する。「やめて」「やめて」と必死に言っていた相手に対して、言うことが、これなのだ。
「やめて」「やめて」と必死に言っていた相手に対する態度が、これなのだ。こんなの、ない。普通の人間じゃないのだ。
ほんとうに、狂っている。
でっ、この時の「親父の態度」のままなんだよ。兄貴が、俺に「やめてくれ」と言われたときの態度が、こういう態度なんだよ。
「うまいだろ」とは言わなかった。きちがい兄貴は、きちがい兄貴が鳴らしたくて鳴らしているだけで、ほかのことはまったく関係ないからだ。ともかく、自分が鳴らしたい音で鳴らすということに、命がかかっているのである。
なら、そうやって、相手の意見を退けて、鳴らし続けたということが、ちょっとでも認識できれば、いいけど、認識できないのだ。「認識できればいいけど」と書いたけど、どのみち、ずっと鳴らし続けるのであれば、意味がない。
意味がないけど、どれだけ文句を言われたって、きちがい親父のように、文句を言われたと言うことは、無視して、まったくわかっていない状態が続くのである。
相手が言っていることを、ほんのちょっとでも、認めてしまえば、「ほんとうにしずかにしてやらなければならない」状態になるので、相手が言っていることは、絶対に認めないのである。命がかかっている。認めないことに、命がかかっている状態なのだ。
きちがい親父が「このハンダゴテは使える」と思い込んで、「今ハンダゴテは使えない」ということを認めなかったように、きちがい兄貴は、「自分がでかい音で鳴らしている」ということを認めなかった。
ここら辺の「あたまのつくり」がおかしいのである。
だから、約四割の常識的な人たちは、「エイリが嘘を言っている」と思うのだ。こんなのない。
約四割の人たちも、認めようとはしないのだ。
俺が本当のことを言っているということを、しつこく、しつこく、認めない。こいつらのなかでは、「エイリは嘘を言う人だ」という間違った解釈が成り立って、ずっと、そのままなのである。
俺が言うことを、いちいち、うたがう。嘘だと思って、ぼくが言ったことを、へんな風に解釈するのである。
そして、自分のなかの「常識」にあった解釈をしてしまうのである。
でっちあげだ。