2019年9月3日火曜日

そういう問題じゃない。そういう問題じゃないんだ。


生きてるぞ。頭の中はヘビメタ騒音のことでいっぱいだけどな。

CSSのかなり高度な本を読んだ。文字が小さい。昔ならいいけど、いまはきつい。だから、おくと文字がおおきくなる系のルーペを使っているのだけど、これは、これで、不便なところもある。

まず、今日はシャワーを浴びることができたということがいい。これが、いい点。
あとは、いまもやってもらっているのだけど、ネズミ対策が進行中だ。

いやな点
ヘビメタ騒音に関することで、他人が誤解するので頭にくる。これ、必然的に『善人』が誤解するわけだから、いだよな。これも、この世の地獄の一つだ。気違いがヘビメタ騒音を出して、出してないつもりでいるということが押し出すことがでかすぎる。これ、しくみがわからないんだよ。他の人には……。ヘビメタ騒音生活は、それだけで破綻だ。

「だれだってやなことはある」「俺だっていやなことはある」ですむ問題じゃない。日常生活をしていれば、それは、「いやなこと」はある。しかし、それは、ヘビメタ騒音がなくてもあることだ。

で、家にいるときはいつもヘビメタ騒音がガンガン鳴っている日常生活というのは、切羽詰まった状態でいやなことばかりなのである。どうしてかというと、ヘビメタ騒音がいやなことを……日常生活上のいやなことをつくりだすからだ。これは、必然的に作り出す。これが実感としてわかってない人だから、「だれだってやなことはある」「俺だっていやなことはある」と言えるのである。そういうレベルじゃない。

俺は、ヘビメタ騒音がはじまる前から、気違い親父にたたられていたわけで、それだけでも、他の人よりも、いや目に遭うことが多い。気違い親父が直接、わけのわからないことで怒り狂ってくるということだけではない。

気違い兄貴の『ハンダゴテ事件』のようなものが、毎回起こってしまうのである。だから、ここでも、気違いが気違い的な感覚でふんばると、やられたひとが、まわりの人……事情を知らない人から、無能呼ばわりされるという問題がしょうじる。

これは、そのまま、気違い兄貴-俺とのあいだにも成り立つ。「ウチ」のなかで、あれている人が、あまりにも気違い的な感覚であれているので、他の人がわからないのである。

ともかく、普通に暮らしてたって、そりゃ、いやなことはあるけど、ヘビメタ騒音生活は、ヘビメタ騒音だけで、限界値に達する。そして、ヘビメタ騒音にたたられていることが、次々にトラブルを引き起こしてしまうのである。その日、宿題ができないということもそうだし、そういう日が三年間毎日積み重なって、入学試験に失敗する(という結果を得る)ということも、人生上のトラブルだ。ともかく、量がちがう。ひとつひとつが離れてないのである。ヘビメタ騒音を鳴らされていることによって、まわりとのトラブルが不可避的に、かつ、自動的に発生する。そして、そのトラブルに、ヘビメタ騒音のなかで対処しなければならないということになってしまうのである。ヘビメタ騒音のなかというのは、ヘビメタ騒音生活中に、ということだ。そうなると、片付く問題だって片付かないのである。この量が、ひどすぎる。大きすぎる。他の人は、『ヘビメタ騒音にたたられた』というぼくの話で、そういうところまで、想像することができない。その人の『騒音トラブル』やその人の『日常生活のいやなこと』を思い出してしまう。その基準で、ものをいいやがる。けど、これは、実際にヘビメタ騒音生活を経験した人じゃないとわからないと思うけど、ヘビメタ騒音生活中のトラブルというのは、そうじゃない生活中のトラブルとは、質量ともにちがうのである。また、すでにからだがテンパっている状態なので、……究極的にがんばっているのにもかかわらず、トラブルが生じるということになってしまっているのである。これは、気をぬいていたからトラブルが発生したというのとはちがう。気をぬいている場合は、改善する余地がある。改善するための体力がある。気違いヘビメタ騒音生活では、余地も体力もない。ほんとうに生きるか死ぬかの究極の状態なのである。そのくらい、追い詰められる。毎日追い詰められる。にもかかわらず、他人は他人なので、その深刻さがわからない。

死にものぐるいでがんばっているのに、耐えて耐えてがんばっているのに、気をぬいていると思われる。サボっていると思われる。甘えていると思われる。こんなのはない。

感覚がズレた家族が、気違い的な意地で、よその家では一分だってやらないことを毎日毎日7時間以上やるということによって、強烈にくるしい状態になる。そのくるしい状態は、他の人にはわからない。感覚がズレた家族に毎日毎日7時間以上やられまくった人じゃないとわからない。あんなの、気違い兄貴にしたって、別の音であれば、騒音だとわかる音の大きさなのに、自分がやりたい気持ちでやっている以上、絶対の意地でわからないわけだからな。これは、意識して認めないというのではなくて、無意識的にそういうところをすり抜けてわからないのである。だから、本人はどれだけやったって、「やったつもりがないまま」なんだよ。キチガイ的な意地で毎日長時間にわたってやっていることなのに、「やってない」と思っている……こういう奇妙キテレツことが起こってしまう。そして、本人はそれでこまらない。本人はそれで『得』をしている。だって、よそのうちならやれないようなことを、うちでは『気にしないで』やれるわけだから。そして、それをやりたいわけだから。気違い兄貴は思いっきりヘビメタを鳴らしたいわけだから、そうできるというのは、気違い兄貴にとっていいことだ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。