2021年4月9日金曜日

いま、午後四時二二分。きちがいヘビメタが鳴っていた

 すべて遅いよ。すべて、遅い。いま、午後四時二二分。きちがいヘビメタが鳴っていた。毎日、三六五日、日曜日だろうが祝日だろうが冬休みだろうが夏休みだろうが、試験の前だろうが試験期間中であろうが、午後4時22分は、きちがいヘビメタが、ものすごい音で、鳴ってた。

 

普通の音じゃない。

ものすごい音で鳴っていた。

どれだけ、言っても、どれだけ怒鳴り込んでも、一分も、やめてくれなかった。一秒もやめてくれなかった。これが、きちがい兄貴がしたことだ。けど、きちがい兄貴は、「静かにしてやった」と思っている。これは、嘘じゃなく、そう思っているのだ。

実際にやったことは、一分だろうが一秒だろうが絶対にゆずってやらないということなのに、本人は「ゆずってやった」と本気で思っている。これが、きちがい兄貴の態度だ。これがきちがい兄貴の認識だ。自分が、思いっきり鳴らして満足できる範囲でゆずってやればいい」ということになっている。

だから、ときどき、五分間ぐらい、〇・一デシベルだけゆずってやれば、それでゆずってやったことになってしまううのである。

言っておくけど、その5分間だってめちゃくちゃにうるさい。ヘビメタを鳴らしている本人の耳が悪くなるぐらいにうるさい音で鳴らしている。

けど、そういううるさい音で鳴らしていても、本人が「ゆずってやった」気持ちになれば、「ゆずってやった」ということになってしまう。

 

これが、自動的に発動される。

 

毎日、毎時間、毎分毎秒、自動的発動「されている」。だから、本人は、二四時間中二四時間、自分が鳴らせるときに、なんの制約もなしに鳴らしているのに、「ゆずってやった」と思っている。

こんなのは、ない。

きちがいおやじとおなじなんだよ。きちがいおやじは「ゆずってった」つもりで、使えないハンダゴテを出してきているんだよ。使えないハンダゴテを物置から持ってきてやることが、最大限の譲歩だ。相手が、それで「助かるか」「助からないか」なんてまったく問題じゃない。

全部、自分の心のなかの問題なのである。自分が「ゆずってやった」つもりになれば、それは、絶対に「ゆずってやったこと」になるのだ。これが、おやじのやり方だけど、きちがい兄貴のやり方は、おやじのやり方のコピーだ。

おやじはハンダゴテで、きちがい的なやり方を通したけど、きちがい兄貴はヘビメタ騒音できちがい的なやり方を通した。場所や道具がちがうだけなのである。やり方はいっしょだ。

けど、こういうことが、ほかの人にはわからない。だから、『親が文句を言わないのであれば、たいした音で鳴らしてなかったんだろう』と思ってしまう。『そんなにでかい音で鳴らしていたら、絶対に親が注意をする。注意をしなかったのであれば、言っているほどでかい音で鳴ってはいなかったのだろう』と推論してしまう。

もちろん、まちがった、推論だ。けど、きちがいおやじときちがい兄貴のことが、わかってなければ、ちゃんとした推論だと思ってしまう。まちがってないと思ってしまう。

そうなると、その人たちの頭のなかには『エイリさんが妄想でものを言っている』とか『エイリさんがおおげさにものを言っているのではないか』とかという考えが浮かぶのである。

これがどれだけ、俺を傷つけるか? もちろん、きちがいおやじやきちがい兄貴は、これをねらって、やっているわけではない。意図的にやっているわけではない。自分がきちがいモードで対処すれば、俺から話を聞いた普通の人たちが誤解してくれるだろうと思ってやっているわけじゃないのだ。

しかし、効果てきめんだ。

ほかの関係がない人はみんなひっかかる。「そんなの、お兄さんに言えばいい」「そんなのは家族で相談すればいい」……そういう言葉がどれだけ俺をむなくそわるい気分にさせるか、ほかの人はわかってない。

じゃあ、そういう状態で、ほかの人がそういうことを言って、俺がむなくそわるそうな顔をしたらどうなるか? ほかの人は「ただ、自分が思ったことを言っただけなのに、そんなふうに怒って」「ただ、助言しただけなのに、そんな不愉快そうな顔をして」と思いやがるんだよ。こういうになったら、俺がどれだけ、きちがいおやじやきちがい兄貴のことについて、ちゃんとした説明をしてもムダだ。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。