まじで、ヘビメタ騒音の毎日というのは、自殺した名前だけ店長の毎日とおなじなんだよ。自殺した名前だけ店長の場合は、基本的なことを言ってしまえば、仕事をやめるべきだった。きちがい社長の言うことは聞かないでやめるべきだった。
仕事なら、やめられる。
けど、当時のぼくは、自分の生活をやめることができなかった。こどもだったわけだから、うちを離れて、くらすということができなかった。きちがい親父の同意が必要になる。
ぼくは、小学六年生のときに、アパートを借りてくれときちがい親父に言っていた。これも、しつこくしつこく、何回も言っていた。ヘビメタ騒音が鳴っているとだめだから、アパートを借りてくれとずっと言っていたのだ。
「そんなこと、できるわけないだろ」ときちがい親父がどなっておしまいだよ。
きちがい親父は、兄貴を注意するつもなかった。これが、また、ほかの人にはまったくわからないことなんだよ。きちがい親父が、こどもを虐待していたという話を、ぼくから聞いた人は、「そんなに怒りやすい人だったら、お兄さんにヘビメタ騒音のことで怒る。注意するはずだ」と言うのだ。
ところが、そうじゃないんだよね。
これがまた、言いにくいところなんだけどさぁ。
で、また、きちがい親父の性格がめちゃくちゃに、へんだから、俺が誤解をうけるんだよな。きちがい兄貴も、きちがい親父もへんだから、俺が嘘を言っていると感じる人が、多かった。「ヘビメタ騒音のことが嘘なんじゃないか」と思っている人が多かった。
あまりにもかわっているから、人が誤解をする。
ともかく、名前だけ店長の最後の一日が、ずっと続いているような毎日だったなぁ。
楽しいわけがない。自分を鼓舞したって、ヘビメタ騒音が鳴っているわけだから、怒りと不安が続く。いままでよゆうでできていたことが、どれだけがんばってもできなくなるんだぞ。これがわかるか?