みんな、ヘビメタ騒音の一日が、どんだけ切羽詰まった一日になるか、わかってない。ぜんぜんわかってない。鳴ってない時間も含めて、ものすごくしんどい。鳴ってない時間も、動かないからだを無理やり動かして、パニックになっているところがある。動かないんだよ。この動かないからだを無理やり動かしている時間というのが、たとえば、「うつ感情のもと」なのである。「うつ病のもと」なのである。こういう時間に生成された「感情」は、意識的な意思で変更することができない感情なのである。感情と書いたけど「感覚」といってもいい。ぜんぜんちがう。これも、こういうくるしい時間が毎日毎日、数千日にわたって続いた人と、そうではない人は、ぜんぜんちがうのである。そうでない人は、感覚的にわからない。数千日にわたって経験した人が考える「憂鬱な状態」と数千日にわたって経験してない人が考える「憂鬱な状態」とは、ちがう。ちがうのだけど、これまた、「憂鬱」というような抽象的な単語を使うと、「俺だって、憂鬱なときはある」ということが言える。数千日にわたって経験してない人だって「俺だって、憂鬱なときはある」ということが言える。けど、じゃあ、数千日にわたって経験した人が言う「憂鬱な状態」と、数千日にわたって経験したことがない人が言う「憂鬱な状態」はおなじものかというと、やはり、ちがうものなのである。ちがう」と考えたほうがいい。ちがうことについて言っていると考えたほうが、合理的だ。
基本的に言って、「できると言えばできる」というようなことを、数千日にわたって経験した人は言わない。こういうことは、数千日にわたって経験してない人が言う言葉だ。数千日にわたって経験した人は「できる」と言っても「できない状態」を何十万回も経験している。突き付けられている。突き付けられてないということ自体が、経験の不足を物語っている。