たとえば、AさんとBさんがいたとしよう。
Aさんが、「目がいたい」と言ったとする。Aさんは、自分の目がいたいので、目がいたいと言ったのだ。それを見たBさんが、「Aさんは、目のいたさにこだわっている」と言うのである。
まるで、目のいたさにこだわらなければ、目のいたさが消失するというようなことを暗示しているような言い方なのである。Aさんが、目のいたさにこだわらない状態というのはどういう状態なのかよくわからないけど、ともかく、外側から見て、Aさんが目のいたさにこだわっているように見えない状態になれば、Aさんの目のいたさは消失するかというと、しないのである。
しないけど、あたかも、消失するようなことを暗示している言い方なのである。
「こだわっている」と評価し判断しているのは、よその人なのである。
それは、こだわっているように見えるということだ。
毎日、二時間しか眠れない状態で、生活していたら「つかれ」を感じる。その場合「つかれた」と言うだろう。それは、外から見ると、「睡眠不足からしょうじるつかれ」にこだわっているように見えるのである。
なら、毎日、二時間しか眠れない状態で、生活しているにもかかわらず、「つかれた」と言わななければどうなるか?
よその人から見れば、「こだわってない」ように見えるのである。
けど、じゃあ、よその人から見て、こだわってないように見えるようになれば、毎日、二時間しか眠れない状態で、生活していても、つかれないようになるのだろうか。
そうじゃない。
「こだわるからいけないんだ」「ごたわるからダメなんだ」というのは、言葉の遊びなのである。
* * *
それから、Bさんが言霊主義者である場合について考えてみよう。Aさんは、実際に目がいたいから、目がいたいと言ったのに、Bさんは、Aさんが目がいたいと言ったから、Aさんの目がいたくなると言うのである。
これも、Aさんの目がいたければ、Aさんが「目がいたい」と言わなくても、Aさんの目はいたいのである。Aさんは、言わなくても、「目がいたい」と感じているのである。
目がいたいと言わなければ、Aさんの目はいたくない状態になるかというと、そうではないである。けど、「目がいたいと言うから、目がいたくなる」という言い方は、まるで、Aさんが「目がいたい」と言わなければ、目がいたい状態ではなくなるというような言い方なのである。
「目がいたくない」と言えば、目のいたさが消失するか?
実際には、消失しない。そんなことで、目のいたさが消失するなら、みんな、そうやって、目のいたさを解決している。目がいたいときに、「目はいたくない」と言えば、目のいたさは消失するはずだと考えている言霊主義だって、自分の目がいたいときは、「目はいたくない」と言って、目をなおすということはしない。医者に行ったりするのである。
なら、そのとき、「言霊は役に立たない」ということに突き当たるかどうか?
突き当たらないのである。「目はいたくない」と言ったにもかかわらず、「目がいたい」とする。言霊主義者は、こういうことを、実際の生活のなかで、無視してしまう。自分にとって都合が悪いことは、簡単に無視できる性格なのである。言霊主義者は、言霊にとって都合が悪いことは、意識にのぼらないレベルで、無視している。
言霊思考と「こだわるからいけないんだ」というような思考は、わりと、系をなしていると思う。ようするに、一方を信じている人は、もう一方も信じやすい。