「つらい」とか「できない」ということを「愚痴」だと認識したとしよう。だれかが「つらい」とか「できない」ということを言っている場合、だれもがそれを愚痴だと認識できるわけではない。
「こいつは愚痴を言っている」と思った人だけが、「愚痴を言っている」と認識できるのだ。
だから、だれかが愚痴を言ったというのは、だれか別の人の認知だ。個別具体的な、愚痴というのが決まっているわけではない。聞いた人が、愚痴かどうかを決めているわけ。自分が「自分は愚痴を言った」と思うことがあるかもしれないけど、それは、他者が別の他者に関して、別の他者が愚痴を言ったと思うケースよりは、少ない。実際に問題になるのは、他者が別の他者に関して、別の他者が愚痴を言ったと思うケースなのである。
まあ、そういう基本的なことを認識したあとで、名前だけ店長について考えよう。
だれかが、名前だけ店長は、「つらい」「できない」と愚痴ばかりに言っていると認識したとしよう。名前だけ店長よりも、よゆうがある生活をしている人が、名前だけ店長は愚痴ばかり言っていると認識したのだ。
名前だけ店長の生活というのは、どれだけがんばっても、一日に二時間しか眠れないような状態だ。毎日、一五年間もそういう生活が続いているなら、一日のなかで「つらい」と感じる回数が多くなる。いっぽう、たとえば、一日に三時間しか働かず、生活によゆうがある人は「つらい」と感じる回数が少なくなる。
もっとも、その人が、なんらかの病気にかかっているのであれば、たとえ、一日に三時間しか働いていないにもかかわらず、「つらい」と感じる回数が多くなる。
名前だけ店長の暮らしというのは、きちがいブラック社長によってつくられたものだ。きちがいブラック社長がきちがいではなくて、名前だけ店長が言っていることを聞いて、労働時間を少なくしてやればいい。
そうすれば、名前だけ店長が「つらい」と感じる回数が少なくなる。
なので、解決法としては、労働時間を少なくてして、「つらい」と感じる回数を少なくするということを目指すべきだ。
ところが、常識的な凡人は、あたかも、きちがいブラック社長の視点でものを言う。
名前だけ店長が、一日に二時間しか眠れないような状態で生活しているにもかかわらず「つらい」と言わないようにすればいい……というようなことを言う。
「つらい」「できない」と愚痴ばかり言うから「つらい」状態を引き寄せてしまう……というようなことを言う。
ネガティブワード使うから、ネガティブな現実を引き寄せしまう……というようなことを言う。
引き寄せという言葉を使っているけど、基本は、言霊だ。
けど、これは正しいのかどうかということをもう一度考えてほしい。
名前だけ店長がつらいのは、ブラック社長が、ものすごい量の仕事をおしつけているからだ。ブラック社長のしわざなのである。
人間の限界をこえる仕事量を、名前だけ店長はおしつけられている。「つらい」と言ってあたりまえだ。「できない」と言ってあたりまえだ。
けど、常識的な凡人は、名前だけ店長の、こういう「現実」を無視してしまうのである。
名前だけ店長は、愚痴を言いやすい人だから、愚痴を言っていると思ってしまうのである。こういう認知のしかたがまちがっている。