2023年9月16日土曜日

親切な人が、「よし、人に親切にしよう」と思うと、ろくなことがない。

 「どれだけなになにでも」といった言い方は、環境の格差を無視している言い方なのである。

ところが、環境の格差がでかいのである。

環境の格差がでかい影響をあたえる。

こういう、でかい影響をあたえる要素を、まったく考えないで、「どれだけなになにでも、Xをすれば、Yになる」というようなことを言うのは、おかしなことだ。

最初から、まちがっている。

まちがっていることを、えらそうに言うな。

環境というのは、環境と言えば、環境という一つの要素なのだけど、実際には、複数の要素が組み合わさって、「その人の」環境をつくりあげている。複数の要素なのである。

その重要な環境という要素をガン無視して、Xという、小さな要素に注目して、XをするかどうかがYになるかどうかを決定するという考え方は、おかしい。

どうしてなら、Xというのは、とるにたらない小さな要素だからだ。影響をあたえない要素を、わざわざ、つまみあげて、影響をあたえる要素をガン無視するなんておかしいだろ。 

「人に親切にすれば、しあわせになる」……。その人がいままで生きてきた環境を無視して、人に親切にしたかどうかだけを、つまみあげる。しかも、今現在、しあわせではない人は、人に親切にしたことがないということを明示しているのである。

こんなのは、ない。

「どれだけふしあわせでも、どれだけつらくても、人に親切にすれば、しあわせになる」……そんなことはない。もともと、根がやさしい人がいたとする。

その人は、普段の状態で、人に対して親切だ。

ところが、きちがい家族のもとに生まれてしまったので不幸だとする。この場合、その人が不幸である原因は、人に親切になかったことではない。親切にしている。人に親切なのに、きちがい家族にやられて、ボロボロなのである。

だいたい、もともと、親切な人が、「よし、人に親切にしよう」と思うと、ろくなことがない。どうしてかというと、過剰に親切にすることになるからだ。

こういう場合は、自分が「思った親切」をしがちになる。そんなことを思わなければ、普通の親切な人なのに、そういうことを思ってしまうがゆえに、おしつけがましい人になってしまうのである。

こういう場合は、普通の程度に親切にする場合よりも、トラブルがしょうじやすい。

だいたい、「自分がしあわせになるために」人に親切にするというのは、もう、目的がちがってしまっているのである。親切にする場合は、相手のことだけを思って親切にすればよいのである。

「人に親切にして、自分の運をあげたい」「人に親切にして、自分がしあわせになりたい」……こういう気持で親切にするということ自体が、まちがっている。

ともかく、「親切にする機会」を「ねらっている状態」というのは、トラブルを起こしやすい状態だ。そういう、一見よさそうなことに注意をうばわれて、そのときになって、行動すると、かならず、トラブルがしょうじる。

どうしても、「自分が思った親切行為」をしがちになる。その「自分が思った親切行為」というのは、「親切にする機会」を「ねらっている状態」で思いついた親切行為なので、「相手が思っていること」とはちがってくる……ことが多い。

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。