2019年10月26日土曜日

フォークギターぐらいの音なら、問題はなかった


ほんとう、やばいな。なんとしかないとなぁ。ほんとうに長期騒音にやられて、人間関係と体調がぐたぐた、だからなぁ。寝不足で動くのは、もう、なにがなんだろうがいやなんだよ。というか、できない。


けど、今年は何回も、四〇時間起きているような状態で動いてしまったので、やっぱり、つかれているんだろな。ぼくの場合、累積された披露があるから、他の人のからだの感じとは違うんだよ。

たとえば、『寝不足で動く』と言った場合の、『寝不足で動く』がちがう。これ、経験がない人には、絶対にわからないことだから、ぼくがどれだけ言葉で説明してもわからないと思う。その人の『寝不足で動く』ときの感じしかないから。長期騒音だとちがうんだよね。あとは、気違い兄貴の態度がやはり、腹が立つ。

これ、ほんとうに、気違いなんだよな。ほんとうにまったく気にしてないからな。どれだけ言われても、気にしない。本気で『デカイ音で鳴らしてない』と思っているんだよな。おまえ、気違い兄貴ですら、別の音が鳴っていたら、三〇秒で絶叫するようなデカイ音だよ。

たとえば、ベルがずっと、あの音のデカさで鳴ってたら、気違い兄貴だって「うるさい」と思うんだよ。鳴っているあいだ「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」と思うんだよ。鳴っているあいだ「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」という気持ちをおさえられなくなるようなデカイ音なんだよ。

ほんとうに、兄貴の友達のカオ君が、三〇秒でわかることが、ずっとわからない。本人は、フォークギターぐらいの音だと思っている。気違いだから、自分がデカイ音で鳴らしたいときは、デカイ音じゃないと思えるのだ。俺は、気違い兄貴が、フォークギターを鳴らしていたときは、文句を言ってないんだぞ。

フォークギターだって、兄貴の部屋で鳴らしていれば俺の部屋で聞こえるんだよ。けど、フォークギターぐらいの音なら、問題はなかった。だから、気違い兄貴が「ほんとうに」フォークギターぐらいの音でヘビメタを聴くなら問題はなかったんだよ。

それが、気違い親父とおなじ態度で、ものすごくデカイ音で鳴らしやがって。

これ、ほんとうにほかの家じゃあり得ないことだから、俺が誤解される。まるで、フォークギターぐらいの騒音で、俺ががたがた言っているように思われる。親父がつくった基地が池田から、気違い兄貴が、気違い的な意識に則って、気違い的な意地を通そうとすると、通せた。

これが問題なんだよ。

これ、気違い的な意地を通してきたのが親父だから、親父は文句を言えない。これも、本当にわかってないんだよな。気違い的な意地で毎日頑固にやり切るほうは、『ほんとうにまったくわかってない』というあり得ない日常がある。

そういうことを、他の人が信じないから、俺がうたがわれる。

これ、ほんとうに殺人沙汰なんだからな。毎日、毎分毎秒、殺人沙汰なんだからな。そりゃ、やられている方が、ひっくり返そうとしたら、殺すしかないような状態を、毎日、毎分毎秒、押しつけている。

そりゃ、『やめてくれ』と言われたら、やっている方が、気違い的な顔で怒って怒って怒って、気違い的な意地で、しがみついてやりきろうとする。殺さなければ、やめさせることができない。『やめてくれ』と言われたら、瞬間的に怒り狂う状態になってしまうのだけど、本人がやり続けることができるなら……殺されなければ……〇・一秒で『言われた』ということが、頭の中から消えてしまう。

『言われなかった』ということになってしまう。

だから、何十万回言われたって、いつも、『まったく言われない状態』で鳴らしているんだよ。『やめてくれ』と一回言われなかったと思って、ガンガン鳴らしている状態で、ずっと鳴らし切る。実

際に(デカイ音で鳴らしているにもかかわらず)相手がなにも言ってこなかったというのであれば、相手は、自分のデカイ音に関して文句がないんだなと思うことができる。こういう場合は『言われなかったから鳴らした』と言うことができるだろう。

けど、気違い兄貴は、一日に何十回言われても、トータルで何十万回言われても『相手がなにも言ってこなかった』という気持ちで鳴らしているのである。

もちろん、気違いだからデカイ音で鳴らしているのにもかかわらず、デカイ音で鳴らしているとは思わない。そりゃ、自分が特別にデカイ音で鳴らしたいなら、どれだけデカイ音だって、『デカイ音じゃない』といこうとになる。そんなことを認めたら、さげなければならなくなるけど、さげなければならなくなるようこなとは、命がけで(現実を無視して)認めないのである。

これも、認めないようにしようと思って認めないわけではないのである。ここらへんが、意識一辺倒の『認知療法』だと説明がつかなくなる。フロイト心理学でなければ『現象』を説明することができない。特殊な言い方だと『現象をすくえない』。

現象は、すくう必要があるんだよ。まったくわかってないのだろうけど。

ともかく、デカイ音で鳴らしているということをほんとうは知っているけど、意地でも認めないようにしようと思っている状態ではない。気違い兄貴はそういうふうに思っているわけではない。気違い兄貴は、少なくても意識的なレベルでは、デカイ音で鳴らしているつもりがほんとうにないのである。

で、『気違い兄貴は、少なくても意識的なレベルでは、デカイ音で鳴らしているつもりがほんとうにないのである』と考えた場合は、気違い兄貴の態度や発言に矛盾がなくなる。ヨソの人は、こういう気違い的な認知をもっている家族がいないので……あるいは、そういう家族に生活の根本を脅かされたことがないので……ヘビメタ騒音の問題が簡単な問題と思っている。

簡単に片付く問題だと思っているのだ。

それはそう思っているヨソの人のほうがまちがっている。けど、ヨソの人の思考の範囲では、俺がへんなことを言っているように思えるのである。こういうところでも、多勢に無勢なんだよな。俺がヨソの人から『へんなことを言っている』と思われる要素がそろっている。

ほんとうに、どれだけつらいか。障害者の人権にはめちゃくちゃに敏感な佐藤氏みたいな人ですら、こういう『感覚を言い換えることができる家族』『気違い的な家族』にやられている方の人権にはまったく無頓着だということが発生する。常識のある人たちは、気違い的な家族にやられている人間の『人権』を無視する。

どうしてなら、「やられている」とは思わないからだ。『そんなことはない』『そんな人はいない』と思っているので、『そんなことはない』『そんな人はいない』ということを前提にしてものを考える。

「ない」と思っているのだから、(感覚がおかしい家族がやったことについて)言及しているほう(やられている家族)がおかしいと思うことになる。

そりゃ、「ない」と思っているのだから、「ある」ということを前提にした発言は矛盾を含んでいることになる。あるいは「ある」ということを前提とした発言は、嘘だと思う。だから、なんとなく信じがたいのである。

で、「ともかく」「そうだとしても」というような思考が出てくる。これは、便利思考で、「ある」ことを前提にした発言を、封殺するのだけど、封殺しなかったような印象を与えるような言葉なのだ。

この場合は、「ない」ということを前提にした結論をいうことになる。それが、助言という形をとるにしろ、「ある」ことが「ない」ことになっている言葉なので、実際には「ある」ということを前提にして話している人間(やられたほう)を侮辱していることになる。

「ない」ということを想定した発言内容が、もし、ほんとうに助言だとして役に立つだろうか? あったことなのに、ないことになっている……そういう前提の助言が役に立つと思うか? おまえ、これ、どれだけ……。どれだけ、言いがたい気持ちになるか?わかるか? わからないんだろうな。

けど、「ない」ということを前提とした助言をするほうにしても、自分にとって信じがたい前提(となる話し)を聞かされたということが、不愉快な経験になるのである。それは、『なにか不愉快な感覚』を呼び起こすものなのである。

これに関しては、もうすでに述べたので、ここでは書かないけど、気違い的な家族にやられると、やられた人とヨソの人のあいだでこういう、(どちらにとっても)不愉快な交流がしょうじてしまうのだ。そういう交流を生じさせたもとになる気違い的な人は、もちろん、そんなことは知らないわけだ。

言ったって、おなじ態度で否定するわけだから、ないことになっている。

これは、たとえば、気違い兄貴が、気違い親父に『親父が持って行けと言ったハンダゴテで人にバカにされてはずかしい思いをした』ということを言ったとしても、気違い親父がまったく受け付けない場合とおなじ構造なのである。最初の段階で基本的なことがわかってないのだから(どれだけ言ってもつたわらないのだから)もっと複雑なことがわかるわけがないだろ。

最初に、たとえば、『ハンダゴテが使えない』ということを言っているのにそれを認めない人が、『ハンダゴテが使えないということで恥をかいた』という話がわかるわけがないのだ。

だから、仮に、気違い的な家族にやられた家族が、気違い的な家族がやったことで、恥をかいた(他の人から悪く言われた)ということを言ったとしても、やっている方は認めないのである。そりゃ、そんな高度なことが認められたら……認めることができるのであれば……最初から、現実を無視した気違い的なことを言ってないのである。

『恥をかいた』ということを相手に言う場合、それは、二回目の話になる。二回目の話しの時も、気違い的な家族は、「であること」を認めない。ハンダゴテの話しであれば、『ハンダゴテが使えない』といこうとを認めない。認めないのだから、『ハンダゴテが使えないということで恥をかいた』ということも認めないのである。気違い兄貴の場合だと、『デカイ音で鳴らしている』という基本的な事実を認めてないのだから、『(兄貴が)デカイ音で鳴らしていると他の人に言ったけど、他の人は信じなかった』ということを言われても、なにを言われているのかわからない状態になるだけなのである。

けど、これは、たとえば、兄貴が『自分が父親に、このハンダゴテは使えないということを言ったにもかかわらず、父親が使えないハンダゴテだということを認めなかった』ということを、他人に言ったとき、その他人が『だいのおとながそんなことがわからないはずがない』と言って、自分(兄貴)の言っていることを信じてくれなかったということを、親父に言っている場合とおなじなのである。

親父にそんな高度なことがわかるわけがないだろ。そんなことがわかるのであれば、最初からそんなことになってない。それとおなじで、気違い兄貴には、気違い兄貴のデカイ音で俺がヨソの人から悪く言われているという話しは、まったくつたわらないのである。気違い兄貴のデカイ音で遅刻をしてしまうからこまっているということをどれだけ言っても、自分(兄貴)に関係があることだとは、どうしても思えないのである。デカイ音でガンガン鳴らしているときに、『宿題ができないからこまる。静かにしてくれ』と言われても、自分が関係していることについて言われているとは思えないのである。けど、『静かにしてくれ』と言われたわけだから、そのときだけ怒り狂う。怒り狂って「はねのけたら」言われなかったことになってしまうんだよ。だから、『知らないまま』鳴らし続ける。これが、気違い兄貴が、ずっとずっと、家のなかでやってきたことだ。十何年も毎日やってきたことだ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。