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2020年1月18日土曜日

「はねのけ」たら、その瞬間に、言われたということ自体を忘れてしまう


気違い兄貴が夢中になって、すべての時間鳴らした。もちろん、すべての可能な時間、鳴らしたということだ。一日に一秒間ですら静かにしてくれなかった。気違い兄貴の感覚で言えば、それで当然だった。気違い兄貴のなかでは、「どれだけやったって、いいこと」だったのである。その決めつけは、俺がどれだけ言っても、かわらなかった。それは、親父の決めつけが、親父のなかでかわらないのとおなじなのである。こういうことだって、「気違い家」のひとじゃないとわからない。家のなかで狂っている人が、どれだけの意地でそうするかわかってない。ほかの人はわかってない。家のなかで狂っている人の感覚が、ほかの人にはわかってない。気違い兄貴は、めいいっぱいデカイ音で鳴らしていいと思って鳴らしていたわけで、悪いことをしているとは思ってなかった。それは、どれだけ言われても、そういうふうには思えないのである。たとえば、ぼくがどれだけ「勉強の邪魔だから静かにしてくれ」と言っても、自分の音が「勉強の邪魔になっている」と思わないのである。言われたら、気違い親父とおなじように、怒り狂う。かっっっっと、くる。ようするに、自分にとって不都合なことを言われたということ「だけ」理解して、怒る。で、本人が怒ったらおしまいだ。これも、親父とそっくりなのである。顔を真っ赤にして怒って、「はねのけ」たら、その瞬間に、言われたことの内容を忘れて、言われたということ自体を忘れてしまう。気違い兄貴の頭のなかでは、「言われなかった」ということになってしまう。兄貴のなかでは、「そういうことは言われなかった」ということになってしまうのである。その都度、そういうプロセスで忘れてしまうなら、たとえ、一万回言われても、一度も言われなかったとい主観的な記憶を持つことになってしまうのである。そういう「きたない手」を使って、自分がやりたいことを優先してやってしまう。もちろん、そういう「きたない手」をつかったというつもりもない。実は親父がうちでやってきたことというのは、そういうことなのである。だから、兄貴がまねをしてそういうことをしても、うちなかでは、自然だった。あたりまえだった。うちなかでは、そういうことが普通に成り立つ。相手が言ってきた内容は理解されず、相手は言わなかったということになって、そのままやり続けるのである。けど、相手が言ってきた内容がほんとうに理解されないのかというとそうではない。「おこった」ということが、理解しているということをしめしている。相手が言ってきた内容は、いまの自分にとって認めることができない内容なのである。認めてしまったら、自分の行動をかえなければならないけど、自分の行動をかえるのは、死んだっていやなのである。だから、そういうことで、意地がある。本人は、「意地がある」と思ってないけど、ほんとうは、ものすごく強い「意地がある」。そういうやり方で、相手が言っていることを無視するのは、いつものことで、一〇回に一回だけそうだったわけじゃない。兄貴の頭は一〇回に一〇回そういうやり方で相手が言ってきたことを無視するように「できて」いる。だから、機嫌が悪いときだけそういうふうな反応をしたということではないのだ。これは、どういうことかと言うと、構造として繰り返されたということだ。これを、「たまたま起こったことだ」と考えると現象が説明できないのである。だから、認知療法家の説明では現象が説明できないのである。多くの認知療法家は、だれかが「いつも父がそうした」とか「いつも兄がそうした」ということを言うのを聞くと、自動的に「いつもというのは、行きすぎた一般化だ」と思ってしまう。それは、かならず、「いつも」ではないのである。「たまたま、そうだったにもかかわらずそう言っているだれかがいつもそうだったと誤解している」と思ってしまうのである。しかし、この場合、誤解しているのは、認知療法家のほうだ。認知療法家が「たまたま起こったのだ」という説明にこだわっているから、「いつもそうだった」ということを否定したくなるのである。
「いつも起こった」とだれかが言うのであれば、それは、その人がたまたま起こったことをいつも起こったことだと誤解しているのだと思うこと自体が、むしろ、行きすぎた一般化なのである。どんな場合でも、たまたま起こったことなのだ……ということにこだわって、まちがった一般化をしている。構造的に成り立っていることは、いつも起こることなんだよ。そして、構造的に成り立っているにもかかわらず、たまたま、そうじゃなかった場合があった……としても、それだけでは構造的に成り立っているということを全面的に否定することはできない。そりゃ、構造的に成り立っている場合にしろ、条件があるからな。たとえば、第三者がいるときは、そういうことにならない場合があるとする。その回はそうだった。だったら、「いつもそうだった」ということは成り立たないということになる。けど、だからといって構造的に成り立っていると言っている人が……つまり「いつもそうだった」と言っている人の言っていることが……まちがっているのかというとそうではない。条件がある。あーそれなのに、それなのに、「いつもそうだった」ということを言えば……鬱病患者やだれかが「いつもそうだった」言えば、その人は行きすぎた一般化をしていると思ってしまうわけだ。

2019年12月26日木曜日

「無職だ」ということを知った途端に、無職偏見回路が発動してしまうのである


どれだけ、「つまらない」と書いてもつまらなさが解消するわけではないけど、限界なので、つまらないと書く。解消というのは、つまらなさがなくなり、楽しくなることなのだが、そんなのは、むりだ。この状態だとむりだ。長期騒音以降、ぼくは、くるしい。

発狂しそうな状態がある。発狂しそうな状態でも、とりあえず生きていれば、ちょっとはまともな状態に移行するときもある。ヘビメタ騒音以降、くるしくてくるしくてしかたがないんだよ。このくるしさは、なんていうのなか、限界的なくるしさだ。

トラブルが発生するとだれでもくるしくなるけど、なんて言うのかな? まだ、トラブル対処のよゆうがあるときにトラブルが発生した場合と、もうまったくよゆうがないときにトラブルが発生した場合とでは、ちょっとちがうんだよな。

いや、ちょっとじゃない。
だいぶ、ちがう。
ぜんぜんちがう。

気違いヘビメタで、常に極限に近いところにいるので、ちょっとでもトラブルが発生するとだめになる。

で、ヘビメタ騒音で極限に近いところにいるということが、トラブルを引き起こしやすい状態なのである。普通の状態であれば、たとえば、震度一のトラブルが一ヶ月に一回ぐらい発生するとしよう。これが普通の人の普通の状態だとする。けど、ヘビメタ騒音以降は、ヘビメタ騒音が影響して、震度一のトラブルが一ヶ月に一〇回ぐらい発生するような状態になってしまう。

ヘビメタ騒音が鳴り終わったあともそうだ。何十年たっても、ヘビメタ騒音が鳴り終わったあと、そういう状態で生きている。ヘビメタ騒音自体が、震度七のトラブルで、一日に数千回発生しているようなものなのだ。だからそれ以降はずっとくるしい。

さいちゅうの一五年間も一五年目以降もくるしい。一年目のくるしさと言ったらない。みんな、一年目のくるしさを経験しないで、「ヘビメタなんてどれだけ鳴っているって言ったってたいしたことはない」とか「ヘビメタ騒音で宿題ができないなんてあまい」とか「ヘビメタ騒音で遅刻してしまうなんてあまい」というようなことを言いやがる。

おまえらは、経験してないだろう。

で、こういうところで、他者とのあいだに溝ができるのである。気違い兄貴は、気違い親父とおなじでしらんぷりだよ。気違い兄貴が震源地なのに、ぜんぜんわかってない。どれだけ言っても、理解しない。頭がおかしいから自分がやっていることがわからない。

あれだけデカイ音で鳴らしているのに、デカイ音で鳴らしているという気持ちかない。認識がない。つもりがない。だから、本人が気違い的にデカイ音で、鳴らしているあいだ、本人には、気違い的にデカイ音で鳴らしているという認知がずっとない状態なのである。

こんなのは、普通は考えられない。けど、うちの兄貴は気違いなので、頑固にそうやって、繰り返す。頑固に否定して繰り返す。頑固に否定したと言うことも否定して繰り返す。本人はまったく関係がないつもりでやり続ける。

殺さなければ、それが終わらない。

この深刻さがわかってない。ヨソのやつらはこの深刻さがわかってない。わかってない。俺に、無理難題を押しつけているというとがわかってない。だれだって、横に気違い家族が住んでいて、そいつが、「つもりがないまま」気違い的にデカイ音で、自分が一番嫌いな音を鳴らし続けたら、遅刻するようになるのに、遅刻するようになるということが、わからない。自分の体験としてわからない。

だれだって、横に気違い家族が住んでいて、そいつが、「つもりがないまま」気違い的にデカイ音で、自分が一番嫌いな音を鳴らし続けたら、一〇〇点が取れるテストで五〇点しかとれなくなるのに、それがわからない。「ヘビメタなんて、関係がない」「ヘビメタなんてどれだけ鳴ってたって、勉強ぐらいできる」「俺だって、工事の音が鳴っている」……ちがうんだよ。ちがうの!!

工事の音や、ちょっとした楽器の音や、カラオケ屋の音や幼稚園生の絶叫とはちがうの!! ちがうんだよ!!! これ、本当にわかってない。普通の音じゃないんだ。どれだけ凶暴な音かわかってない。

うちのすぐ横が幼稚園なのでわかる。ちがうんだよ。となりの人がいろいろな楽器の練習をしているけど、ちがうんだよ。ちがうの!! カラオケ屋やスナックの前をとおるからわかるけど、ちがうの!!

ほんとうにこいつら、わかってないな。どれだけ凶暴な音で、鳴っているかわってない。手につかないんだよ。なにもできないんだよ。気違い騒音の嵐の中にいて、落ちつくことができないんだよ。普通の気分でくらこすことができないんだよ。

生きているだけで、ものすごいエネルギーを消耗してしまう。そして、そのエネルギーがまるで「いきない」のである。夢中になって仕事をしてつかれているというのとはちがうのである。まったく無益なつかれ。

たえているだけで、まるで病人のような状態になる。どうしてもくるしい。どうしても、うまくいかない。けど、やられて、他人とのあいだに溝ができる。そうなると、いろいろなことが積み重なる。

わかってない。

いろいろなことが積み重なるとそれがまた他者とのあいだの溝を大きく、広く、深くするのである。たとえば、ヘビメタ騒音の結果、仕事ができない状態になると、それが、ますます、他人とぼくとのあいだにある溝をひろげる。

仕事ができない状態というのは、無職である状態だ。無職であれば、無職をバカにする人たちが出てくる。たとえば、もし、気違いヘビメタが鳴ってない状態で生きて、ぼくが学者として出会ったら、佐藤のようなやつは俺のことをバカにしない。そりゃ、無職だからバカにしているわけだから。

けど、無職だからバカにしているというような意識は、そんなにはないんだよ。本人が持っている無職に対する偏見に、本人が気がついてない。それほど、深い偏見が、佐藤にはある。けど、佐藤は特別な人間じゃない。日本人の大半が佐藤のような感覚を持っている。無職である人に対して偏見を持っている。

「(相手が)無職だ」ということを知った途端に、無職偏見回路が発動してしまうのである。それが、ほんとうは、人のことをよく見ないで、無職だということでその人のことをバカにするというような態度になってあらわれるのだけど本人は、別に悪いことだと思ってないのである。「そんなのは、無職なんだからしかたがない」と思っている。気違いヘビメタにやられて、働けない状態になって、無職状態が長く続くと、他者の無職に対する偏見に悩まさせれるようになってしまうのである。不可避的に……。

佐藤だって、俺とおなじ期間、俺とおなじぶんだけヘビメタ騒音にやられていたら、どうしても働けないからだになって、無職になる。それが佐藤のような普通の人間にはわからない。逆立ちしたってわからない。佐藤のような人間にとっては、ヘビメタ騒音はたいしたことじゃないのである。ヘビメタ騒音というのは、佐藤にとって他人である人間が経験したヘビメタ騒音であるから、わからない。そして、経験しない以上どこまでも、ヘビメタ騒音というのは、佐藤にとってはそういうヘビメタ騒音なのである。俺が言ってるヘビメタ騒音とはちがう。俺が経験したヘビメタ騒音とはちがう。不可避的に無職にならざるをえないのに、それが、佐藤のような人間にはわからない。

ヘビメタ騒音がどれだけの障害をうむか、まったくわかってない。うまれながらの障害に敏感な佐藤が、うまれたあとに発生するヘビメタ騒音障害に関してはまったく、理解をしめさない。それが人間だ。それが、普通の日本人だ。ヘビメタ騒音で働けなくなるような障害が発生したという(俺の)話しよりも、日本人の労働観のほうが強い。佐藤のなかで強い。だから、テンプレ通りの反応をする。

たまたま、俺よりも「めぐまれていたから」働けるだけなのに、えらそうなことを言いやがって。ヘビメタ騒音が小学六年生の時から二五歳まで、中学三年間と高校三年間をふくんでなっていたというハンディがないから普通に通勤ができるだけなのに、えらそうなことをいいやがって。おまえらだって、ずっとずっと毎日毎日、この世で一番嫌いな音を、「現実を常に無視する」自分勝手な家族が気違い的な意地で鳴らしていたら、通勤する能力をうしなってしまう。

けど、そういうことが、自分の身に起こらなかったから「ヘビメタ騒音なんてたいしたことじゃない」と思ってしまう。「どれだけ鳴っていると言ったってたいした音じゃないんだろ」と思ってしまう。おまえ、毎日やられてみろ。どれだけつらいか。つらいつらい毎日を必死の思いで暮らして、睡眠障害になって、毎日決まった時間に起きるということがどうしてもできなくってしまう。気違いヘビメタにやられて、パッとしない学歴になってしまう。それが、どれだけ、足を引っぱるかわってない。俺は、ヘビメタ騒音がなければ、しかる場所に行けた。しかる場所に行けたら、自分の能力を発揮できた。しかし、しかる場所に行けないとだめなのである。なけなしの努力をして、睡眠障害になってしまう。なけなしの努力をして、疲労と鬱で働けなくなってしまう。

しかし、「騒音で働けないなんてあまい」「そんなのお兄さんに言えばいい」「やっぱり人間は働かないとだめだよ」なんて言われてしまう。気軽に言うな!! 気軽に!! そういうことを言う人にとっては、気軽な問題なんだろうけど、俺にとっては気軽な問題じゃない。人生全部の問題だ。


(働くとは普通に通勤して働くということ)

2019年12月24日火曜日

「やったってやってない」がうちではとおった。これが、ヨソの人にはわからない


親友のことを考えても、俺はもう、ボロボロだ。ころろがぼろぼろだ。よくなる感じがしない。ヘビメタ騒音以降、だれといても、圧迫される感じがある。切羽詰まった感じがある。だれもわからない。

家族である気違いが、気違い的な意地で、この世で一番きらいな音を大爆音で鳴らし続けるというのが、どれだけ人を追い詰めるか、わかってない。他の人はまったくわかってない。経験としてわかってない。だから、ぜんぜんわかってない。わかってない。わかってない。

あの音のなかにいるということ自体が、ピンチなんだよ。どうでもいいことじゃないんだよ。感じ方の問題じゃないんだよ。受けとめ方の問題じゃないんだ。文脈があるといっているだろ。たしかに、気違い兄貴にとって気違いヘビメタは、気持ちのいい音だ。爆音で鳴らさないとストレスがたまるのだろう。爆音で鳴らすと気持ちがいいのだろう。まさしく、感じ方の問題、受けとめ方の問題だと言えそうだ。しかし、ちがう。ちがうんだよ。
ボクは、気違いヘビメタが嫌いだった。この世で一番嫌いな音だった。それは、聞いたときからそうなんだよ。聞く前からそうなんだよ。そういう文脈がある。腹がよじれてしまうような音なんだよ。

あんなでかい音で鳴らしていいわけがないだろ。実際多くの自治体では、いまは、騒音にかんする法律がある。

あんな音で鳴らしていいわけがない。目の前がでかい幼稚園で、横の家が離れていたから鳴らせただけだ。気違い兄貴だって、おばちゃんの家に居候したら、あの音のデカさでヘビメタを一日に一分だって鳴らすことはできない。うちでは、好きなときにどれだけ鳴らしたって、(鳴らしてないのとおなじ)気持ちでいられる。これも、うちのなかでは、気違い親父がやり始めたことだ。気違い親父が、気違い兄貴がゼロ歳の時からそういうモードで暮らしているから、うちでは、それがあたりまえになっている。むかしから、うちでは、(やったってやってない)がとおった。とおっていた。気違いが、やりとおすと、その気違いは、やったつもりをもたなくてすむのである。もちろん、気違い的な意地でやりとおすけど、本人は『やってないのとおなじ』気持ちでいられる。そういうことが普通に、一六年間成り立っていた。気違い兄貴がヘビメタをやり始めたとき、うちでは、気違いが意地をとおして、気違い的な意地でやれば、やってないとおなじだという常識が成り立っていた。気違い兄貴が気違い親父のまねをしてやりはじめた。うちでは、なじみのことだったんだ。これが、ヨソの人にはまったくわからない。気違い親父が正常な感覚と知覚を踏みにじって、そういうことを実行してきた。気違い親父は「いえでは」てっぺんだから、絶対におれない。絶対に言うことを聞かない。
「やったってやってない」がうちではとおった。これが、ヨソの人にはわからない。やったやつはそんなつもりはまったくないよ。これだって、どれだけ、問題を複雑にしているかわからない。やった張本人は、気違い的な意地でやるモードでくるらしているけど、そんなつもりがまったくないんだからな。どれだけ気違いか。どれだけこまるか! 兄貴だって、親父にやられていたときは、こまってたんだよ。それを、一六歳になったら、気違い親父のやり方で、ヘビメタを鳴らしやがって。それも、ものすごくデカイ音で鳴らしやがって。それで、やってないつもりなんだからな。じゃあ、言えばやめてくれるのかというと、それは絶対にない。絶対にない世界だ。これが、ヨソの人には、ほねの髄からわからない。だから、俺が悪くいわれる。俺がだらしないように言われる。殺さなければ、一秒だってこっちの意地を通せない。殺さなければ、一秒だってしずかにさせることができない。それを押しつけてきた。そういう状態を押しつけてきた。そういう状態を押しつけてずっと暮らしていたのに、そういうつもりがまったくないという状態だ。つもりがまったくなければ、どれだけやったって、やってないのとおなじなんだよ。

2019年12月22日日曜日

せけんのやつらは、『ヘビメタ騒音でできない』ということを認めない


どこか遠くに行きたいという気持ちはある。よく、思うんだ。『どこか遠くに行きたいな』と。
けど、実際には、行かない。行けない。
『どこに行ったっておなじだよ』という気持ちがある。『そんなの、つかれるだけで、なにもかわらないよ』という気持ちがある。『自分が動いても、気違いヘビメタ騒音にやられた雰囲気が毒ガスのように蔓延しているのだから、どこに行ったって無理』という気持ちがある。
ほんとうに、どこに行ってもくるしい。だれもたすけてくれなかった。どこに行ってもヘビメタ騒音でくるしい。まるまるたい。

『ヘビメタ騒音でくるしい』と言っているだろ。
『ヘビメタ騒音で●にたい』と言っているだろう。
『ヘビメタ騒音でできない』と言っているだろ。で・き・な・い・ん・だ・よ。できない。ヘビメタ騒音でどーしてもできない。

けど、せけんのやつらは、『ヘビメタ騒音でできない』ということを認めない。やられてないからわかってないだけだ。できないんだよ。できなくなるんだよ。

『なにが、過去は関係がない』だ。ふざけんな。

2019年12月17日火曜日

ほんとうに、自分の人生なのだけど、信じられない


ほんとうに、自分の人生なのだけど、信じられない。どうしてこうなってしまったのか。気違い兄貴が、あんな気違いでなければ、こういうことにならなかった。気違い兄貴が、気違い的な感覚で俺の言っていることを無視して、気違い的な態度で鳴らし続けなければ、こんなことになってない。気違い兄貴にやられたことがない人が、『ちゃんといわないからだめなんだ』と俺を下に見て、説教をしてくる。『無職』『引きこもり』*という属性があれば、人は、勝手に見下して説教をしてくる。おまえらだって、あんなに長い時間、あんなに長い期間、自分がこの世で一番嫌いな爆音にさらされたら絶対に働けないようになるのに、えらそうなことを言いやがって……という気持ちになる。

自分がこの世で一番嫌いな音が一日に一三時間以上鳴っている状態というのを経験してみろ。どんだけ、くるしいか。しかも、やっているやつが家族で、サイコパスだ。気違い的な意地で、自分が出している音がデカイ音だということを認めない。全部、ゆずらずにやりきっているのに、全部ゆずってやった気持ちでいる。……こういう部分が他の人にはわからない。しかも、家族のなかにそういう人間がもうひとりいる。その人間は、父親だ。こんな状態を押しつけられて、他人にはえらそうなことを言われて、俺はもう、いやだよ。



*当時

いま、アマゾンキンドルアンリミテッドを無料で楽しめるので、ぼくの本をただで読むチャンスですよ。

一ヶ月だけだけど。

2019年11月25日月曜日

普通の人は、気にしすぎるから、そういう言葉が必要になる

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はぁー。鳴っている感じがする。いましずかだけど、鳴っている感じがする。あのとき、このくらいにしずかだったら……。「やめてくれ」と言ったら、やめてくれたら……。「しずかにしてくれ」と言ったら、しずかにしてくれたら……。まったく、関係なしにガンガンステレオを鳴らして、キーキーエレキギターをひきやがって。ステレオの音にまけないぐらいの音で、エレキギターをずっとひきつづけやがって……。どれだけくるしいか。どれだけ、その日の深夜に影響を与えるか。次の日の、午前一時、二時、三時、四時、五時、六時に影響を与えるか。試験日の午前六時の気分に影響を与えるか?



もーーう、ぼろぼろだったよ。俺が小学生のころからそういう生活をしているということが、他の人にはわからない。ほかの人たちは、「言えばしずかにしてくれる」と思っている。『言えばしずかにしてくれるはずだ』と思っている。なので、『言わないエイリが悪い』ということになってしまう。そういう思考をするやつらが、俺のことをバカにする。どんだけ、不名誉なことか。だいたい、そういう人たちは、常識的な家族に囲まれて生きてきたので、サイコパス家族のことがわからない。(中略)もともと、現実を否定しているところがあるから、「やってない」というもうひとつの現実でものを考える。自分がやりたくてやっているさいちゅうに、相手から「(その行為を)やめてくれ」と言われたら、なにか自分がひどいことをされたような気分になって、発狂してやってしまうのだ。やり続けてしまう。けど、そういう場合でも、「やっているつもり」だけはない。だから、時間がたったあと「兄貴がこういうふうにしてたのでこまった」ということを言われても、まるでわからないのである。「やってない」という気持ちになる。「やってない」という気持ちになったら、自分のなかではやってないということになってしまうのである。親父もおなじで、「親父がこういうふうにしてこまった」ということを言われれば、「やってない」という気持ちになる。そのときだけ、相手の言っていることを否定して、おしまいだ。あとにはなにも残らない。だから、こまる。道徳観や正常な現実認識という問題をぬかせば、「人の言うことなんて気にしないでやった方がいいんです」というようなアドラー風の意見とかわらない状態になってしまう。けど、普通の人は、気にしすぎるから、そういう言葉が必要になる。人の言うことを気にしすぎるから、「人の言うことなんて気にしないでやった方がいいんです」というような意見にひかれる。道徳観や正常な認識が成り立っている人であれば、それでいい。けど、兄貴や親父のように道徳観や正常な認識が成り立ってない人間だったらどうか? まわりの人が被害を受けてこまる。これも、『感じ方の問題だ』なんてことになってしまうのである。アドラーや認知療法家の意見というのは、気にしないでやってしまうひとのことをとめられない。むしろ、気にしないでやってしまう人たちことを応援している。普通は、道徳観や正常な認識が成り立っているからそれでいいけど、道徳観や正常な認識が成り立っていない家族がいる家では、それだと、やられているやつがやられっぱなしということになってしまう。
そして、日常生活ができない状態になれば、当然、無職になる。無職期間が続けば「そんなのは、受けとめ方の問題だ」「過去なんて関係がない」と説教をされるような状態になってしまうのである。やられたほうが。そして、「やられた」という感じ方がそもそも問題なんだと、やられた方が気にするから悪いんだと説教をされるような状態になってしまうのである。こんなとがゆるされるのか?

2019年11月20日水曜日

「眠らなきゃいけない」と思っているのに、眠れない状態になる


あー、まじでつかれた。もう動きたくない。つかれた。つかれた。

横になっているとき、こんなことばかり、考えている。
ほんとうに動きたくないのだ。いまは、起きて、ズボンなどの熱処理を行ったあと、洗濯をして、さらにそのあと、こうやってパソコンに向かい文章を書いているのだが。

ダニ対策として熱処理が必要なわけ。バルサンをやっても、ネズミが出現してしまったら、全部振り出しに戻る。もう、つかれた。ほんとうにつかれた。

ネズミ、ダニ、ナメクジ、全部、めちゃくちゃにつかれることをしいる。俺にしいる。あとは、睡眠時間がずれているときに、付き添いで病院に行かなければならなかったときは、ほんとうにつかれた。頭がおかしくなる寸前。「もうだめか」と思ったけど、朝の七時から九時まで眠れたときはほんとうにたすかった。

けど、ほんとうに限界なんだよな。これ、ヘビメタ騒音で睡眠回路が壊されてないひとは「なにを言ってるんだ」というような感じしかしないと思うけど、ほんとうに死にそうになる。ほんとうに、動けなかった。義理の姉が、電話をかけてくれたけど、二時間でも眠れなかったらほんとうにやばかった。

じゃあ、全部義理の姉にやってもらえばいいといいのではないかと思う人がいるのかもしれないけど、保険証からなにからなにまで、俺が持っている。「全部、渡すから行ってくれ」と言ったんだけど、それは無理だった。だいたい、義理の姉が住んでいるところが、遠い。

ともかく、俺がものすごく眠たいにしても、俺が動かなければ、手術やその他の処理が進まないのだ。全部、持っているわけだから。

ともかく、ネズミ対策と入院の世話で、くるしかった。どうしてそんなにもくるしくなるかというと、やはり、ヘビメタ騒音で睡眠回路がくずれているから、くるしくなる。

調節のための夜も、ヘビメタ騒音で眠れない夜の再現になってしまう。前日まで、午前九時から午後五時まで寝ていたひとが、当日は、午前七時から、動かなければならなくなったときの、つらさが、半端じゃない。

これ、ヘビメタ騒音で午前四時ぐらいまで、眠れないですごしたときの記憶がすべてよみがえるように、くるしい。毎日俺がどれだけくるしんでいたか。毎日俺が、人知れずどれだけくるしんでいたか。

これ、みんなわかってないけど、ヘビメタ騒音に、日中と夜、ずっと七時間ぐらい、さらされると、眠る時間になっても眠れなくなる。

「眠らなきゃいけない」と思っているのに、眠れない状態になる。

これは、ほんとうに、腕をナイフで切ったら、血が出るというような反応に等しい。けど、みんなわかってないんだよな。「午後一一時一一分には、鳴りやむのであれば、夜は眠れる」と思ってしまう。そんなんじゃないのに。自分がこの世で一番嫌いな音が、七時間、八六デシベル付近の音でずっと鳴っている状態を経験してみろ。

それも、なにを言っても話が通じない、気違い家族が鳴らしている音だ。腹が立つ。家族にやられているということは、重大な要素だ。これも、他のひとには、わからない。要素として、見逃す。他人にやられているのも、家族にやられているのもかわりがないと思ってしまう。

けど、「うち」でずっとやられつづけるということは、想像以上につらいものがある。だいたい、ヨソの人たちは「家族だから、言えばやめてくれる」と前提してしまうわけで、こういうのも、俺の首をしめる要素のひとつになる。

ともかく、他のひとは無視するけど、「眠れない夜」というのは半端じゃない破壊力を持っている。その人の人生を破壊する。「ちょっと気をつければ、いい」「過去のことは関係がない」なんて言ってられない。「ちょっとのことじゃないんだ」と言っても、実際に経験したことがないやつにはわからない。

一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日と毎日!!続いた場合の状態を経験したことがない人には、経験としてはわからない。「たるんでいるから、眠れないんだ」「健康管理は自己責任」なんてことをか考えている。俺は自分の意志で「よふかし」をしていたわけじゃない。あまえてもいないし、たるんでもいない。

けど、「夜眠れなくて」ということを言えば、まるで、俺が、好きで夜更かしをしているように考えるやつが、どれだけ多いか。一〇年、一五年、何時間も何時間も、毎日、こっちにとって重要なことがあっても、ずっと鳴っている騒音がどれだけひとの人生を傷つけるか、破壊するかわかってない。

気違い兄貴は、俺の都合というのをまったく考えてない。俺がどれだけ言っても、通じない。

それは、言わなかったのと等価だ。気違い兄貴のなかで、なにも残らないということになっていれば、なにも残らない。いつも通りに、ロボットみたいに、ずっと鳴らし続ける。鳴らすことに鳴っている」から鳴らすという態度で、遠慮なく、気遣いなく、ずっと鳴らす。

どれだけ言っても、まったく気にしないで鳴らす。これも、言われたときだけ、親父のように怒っておしまいなのだ。自分が言われたから、自分が傷ついたというような反応しかない。現実を否定して、おしまいだ。

ほんとうは、ヨソの家では三〇秒だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしているのに、「しずかにしろ」ということを言われたら、「腹を立てる」。それは、親父が、金を使いたくないのに「ハンダゴテを買ってくれ」と言われたときの怒りに相当する。自分の感情しかない。親父も兄貴も、自分の感情しかないから、壊れたロボットのようにおなじことをし続ける。

こっちの都合なんて、考えない。
どれだけ言われたって、考えない。
考えないと決まっているように考えない。

最初から受け付けない。言われたら、発狂して、おしまいだ。現実否定したことを言っておしまい。それで、もう、なにもなかったことになってしまう。こういう態度が、ヨソの人にはわからない。そして、ロボットのように頑固にそうしている人間にもわからない。ようするに、親父と兄貴にはわからない。


(注)義理の姉には相当に助けられている。二人で付き添うことが多かった。そのときもそうだったんだけど、じゃあ、義理の姉だけでいいかというと、そうではない。ようするに、「俺」か「俺と義理の姉」のふたつの選択肢があるわけで、「義理の姉だけ」は、ない。
基本的に、気違い兄貴がうるさくして俺の人生を破壊したのは、義理の姉と結婚する前のことなので、義理の姉にはうらみがない。兄貴の嫁さんだから、うらんでいるということはない。「だから」ね。原因について常にまちがうやつがいるんだよな。兄貴は俺に悪いことをさんざんしているけど、義理の姉は俺に悪いことをひとつもしてない。だから、俺が義理の姉をうらむということはない。こういうことも、いろいろと誤解するやつがいる。

2019年10月26日土曜日

フォークギターぐらいの音なら、問題はなかった


ほんとう、やばいな。なんとしかないとなぁ。ほんとうに長期騒音にやられて、人間関係と体調がぐたぐた、だからなぁ。寝不足で動くのは、もう、なにがなんだろうがいやなんだよ。というか、できない。


けど、今年は何回も、四〇時間起きているような状態で動いてしまったので、やっぱり、つかれているんだろな。ぼくの場合、累積された披露があるから、他の人のからだの感じとは違うんだよ。

たとえば、『寝不足で動く』と言った場合の、『寝不足で動く』がちがう。これ、経験がない人には、絶対にわからないことだから、ぼくがどれだけ言葉で説明してもわからないと思う。その人の『寝不足で動く』ときの感じしかないから。長期騒音だとちがうんだよね。あとは、気違い兄貴の態度がやはり、腹が立つ。

これ、ほんとうに、気違いなんだよな。ほんとうにまったく気にしてないからな。どれだけ言われても、気にしない。本気で『デカイ音で鳴らしてない』と思っているんだよな。おまえ、気違い兄貴ですら、別の音が鳴っていたら、三〇秒で絶叫するようなデカイ音だよ。

たとえば、ベルがずっと、あの音のデカさで鳴ってたら、気違い兄貴だって「うるさい」と思うんだよ。鳴っているあいだ「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」と思うんだよ。鳴っているあいだ「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」という気持ちをおさえられなくなるようなデカイ音なんだよ。

ほんとうに、兄貴の友達のカオ君が、三〇秒でわかることが、ずっとわからない。本人は、フォークギターぐらいの音だと思っている。気違いだから、自分がデカイ音で鳴らしたいときは、デカイ音じゃないと思えるのだ。俺は、気違い兄貴が、フォークギターを鳴らしていたときは、文句を言ってないんだぞ。

フォークギターだって、兄貴の部屋で鳴らしていれば俺の部屋で聞こえるんだよ。けど、フォークギターぐらいの音なら、問題はなかった。だから、気違い兄貴が「ほんとうに」フォークギターぐらいの音でヘビメタを聴くなら問題はなかったんだよ。

それが、気違い親父とおなじ態度で、ものすごくデカイ音で鳴らしやがって。

これ、ほんとうにほかの家じゃあり得ないことだから、俺が誤解される。まるで、フォークギターぐらいの騒音で、俺ががたがた言っているように思われる。親父がつくった基地が池田から、気違い兄貴が、気違い的な意識に則って、気違い的な意地を通そうとすると、通せた。

これが問題なんだよ。

これ、気違い的な意地を通してきたのが親父だから、親父は文句を言えない。これも、本当にわかってないんだよな。気違い的な意地で毎日頑固にやり切るほうは、『ほんとうにまったくわかってない』というあり得ない日常がある。

そういうことを、他の人が信じないから、俺がうたがわれる。

これ、ほんとうに殺人沙汰なんだからな。毎日、毎分毎秒、殺人沙汰なんだからな。そりゃ、やられている方が、ひっくり返そうとしたら、殺すしかないような状態を、毎日、毎分毎秒、押しつけている。

そりゃ、『やめてくれ』と言われたら、やっている方が、気違い的な顔で怒って怒って怒って、気違い的な意地で、しがみついてやりきろうとする。殺さなければ、やめさせることができない。『やめてくれ』と言われたら、瞬間的に怒り狂う状態になってしまうのだけど、本人がやり続けることができるなら……殺されなければ……〇・一秒で『言われた』ということが、頭の中から消えてしまう。

『言われなかった』ということになってしまう。

だから、何十万回言われたって、いつも、『まったく言われない状態』で鳴らしているんだよ。『やめてくれ』と一回言われなかったと思って、ガンガン鳴らしている状態で、ずっと鳴らし切る。実

際に(デカイ音で鳴らしているにもかかわらず)相手がなにも言ってこなかったというのであれば、相手は、自分のデカイ音に関して文句がないんだなと思うことができる。こういう場合は『言われなかったから鳴らした』と言うことができるだろう。

けど、気違い兄貴は、一日に何十回言われても、トータルで何十万回言われても『相手がなにも言ってこなかった』という気持ちで鳴らしているのである。

もちろん、気違いだからデカイ音で鳴らしているのにもかかわらず、デカイ音で鳴らしているとは思わない。そりゃ、自分が特別にデカイ音で鳴らしたいなら、どれだけデカイ音だって、『デカイ音じゃない』といこうとになる。そんなことを認めたら、さげなければならなくなるけど、さげなければならなくなるようこなとは、命がけで(現実を無視して)認めないのである。

これも、認めないようにしようと思って認めないわけではないのである。ここらへんが、意識一辺倒の『認知療法』だと説明がつかなくなる。フロイト心理学でなければ『現象』を説明することができない。特殊な言い方だと『現象をすくえない』。

現象は、すくう必要があるんだよ。まったくわかってないのだろうけど。

ともかく、デカイ音で鳴らしているということをほんとうは知っているけど、意地でも認めないようにしようと思っている状態ではない。気違い兄貴はそういうふうに思っているわけではない。気違い兄貴は、少なくても意識的なレベルでは、デカイ音で鳴らしているつもりがほんとうにないのである。

で、『気違い兄貴は、少なくても意識的なレベルでは、デカイ音で鳴らしているつもりがほんとうにないのである』と考えた場合は、気違い兄貴の態度や発言に矛盾がなくなる。ヨソの人は、こういう気違い的な認知をもっている家族がいないので……あるいは、そういう家族に生活の根本を脅かされたことがないので……ヘビメタ騒音の問題が簡単な問題と思っている。

簡単に片付く問題だと思っているのだ。

それはそう思っているヨソの人のほうがまちがっている。けど、ヨソの人の思考の範囲では、俺がへんなことを言っているように思えるのである。こういうところでも、多勢に無勢なんだよな。俺がヨソの人から『へんなことを言っている』と思われる要素がそろっている。

ほんとうに、どれだけつらいか。障害者の人権にはめちゃくちゃに敏感な佐藤氏みたいな人ですら、こういう『感覚を言い換えることができる家族』『気違い的な家族』にやられている方の人権にはまったく無頓着だということが発生する。常識のある人たちは、気違い的な家族にやられている人間の『人権』を無視する。

どうしてなら、「やられている」とは思わないからだ。『そんなことはない』『そんな人はいない』と思っているので、『そんなことはない』『そんな人はいない』ということを前提にしてものを考える。

「ない」と思っているのだから、(感覚がおかしい家族がやったことについて)言及しているほう(やられている家族)がおかしいと思うことになる。

そりゃ、「ない」と思っているのだから、「ある」ということを前提にした発言は矛盾を含んでいることになる。あるいは「ある」ということを前提とした発言は、嘘だと思う。だから、なんとなく信じがたいのである。

で、「ともかく」「そうだとしても」というような思考が出てくる。これは、便利思考で、「ある」ことを前提にした発言を、封殺するのだけど、封殺しなかったような印象を与えるような言葉なのだ。

この場合は、「ない」ということを前提にした結論をいうことになる。それが、助言という形をとるにしろ、「ある」ことが「ない」ことになっている言葉なので、実際には「ある」ということを前提にして話している人間(やられたほう)を侮辱していることになる。

「ない」ということを想定した発言内容が、もし、ほんとうに助言だとして役に立つだろうか? あったことなのに、ないことになっている……そういう前提の助言が役に立つと思うか? おまえ、これ、どれだけ……。どれだけ、言いがたい気持ちになるか?わかるか? わからないんだろうな。

けど、「ない」ということを前提とした助言をするほうにしても、自分にとって信じがたい前提(となる話し)を聞かされたということが、不愉快な経験になるのである。それは、『なにか不愉快な感覚』を呼び起こすものなのである。

これに関しては、もうすでに述べたので、ここでは書かないけど、気違い的な家族にやられると、やられた人とヨソの人のあいだでこういう、(どちらにとっても)不愉快な交流がしょうじてしまうのだ。そういう交流を生じさせたもとになる気違い的な人は、もちろん、そんなことは知らないわけだ。

言ったって、おなじ態度で否定するわけだから、ないことになっている。

これは、たとえば、気違い兄貴が、気違い親父に『親父が持って行けと言ったハンダゴテで人にバカにされてはずかしい思いをした』ということを言ったとしても、気違い親父がまったく受け付けない場合とおなじ構造なのである。最初の段階で基本的なことがわかってないのだから(どれだけ言ってもつたわらないのだから)もっと複雑なことがわかるわけがないだろ。

最初に、たとえば、『ハンダゴテが使えない』ということを言っているのにそれを認めない人が、『ハンダゴテが使えないということで恥をかいた』という話がわかるわけがないのだ。

だから、仮に、気違い的な家族にやられた家族が、気違い的な家族がやったことで、恥をかいた(他の人から悪く言われた)ということを言ったとしても、やっている方は認めないのである。そりゃ、そんな高度なことが認められたら……認めることができるのであれば……最初から、現実を無視した気違い的なことを言ってないのである。

『恥をかいた』ということを相手に言う場合、それは、二回目の話になる。二回目の話しの時も、気違い的な家族は、「であること」を認めない。ハンダゴテの話しであれば、『ハンダゴテが使えない』といこうとを認めない。認めないのだから、『ハンダゴテが使えないということで恥をかいた』ということも認めないのである。気違い兄貴の場合だと、『デカイ音で鳴らしている』という基本的な事実を認めてないのだから、『(兄貴が)デカイ音で鳴らしていると他の人に言ったけど、他の人は信じなかった』ということを言われても、なにを言われているのかわからない状態になるだけなのである。

けど、これは、たとえば、兄貴が『自分が父親に、このハンダゴテは使えないということを言ったにもかかわらず、父親が使えないハンダゴテだということを認めなかった』ということを、他人に言ったとき、その他人が『だいのおとながそんなことがわからないはずがない』と言って、自分(兄貴)の言っていることを信じてくれなかったということを、親父に言っている場合とおなじなのである。

親父にそんな高度なことがわかるわけがないだろ。そんなことがわかるのであれば、最初からそんなことになってない。それとおなじで、気違い兄貴には、気違い兄貴のデカイ音で俺がヨソの人から悪く言われているという話しは、まったくつたわらないのである。気違い兄貴のデカイ音で遅刻をしてしまうからこまっているということをどれだけ言っても、自分(兄貴)に関係があることだとは、どうしても思えないのである。デカイ音でガンガン鳴らしているときに、『宿題ができないからこまる。静かにしてくれ』と言われても、自分が関係していることについて言われているとは思えないのである。けど、『静かにしてくれ』と言われたわけだから、そのときだけ怒り狂う。怒り狂って「はねのけたら」言われなかったことになってしまうんだよ。だから、『知らないまま』鳴らし続ける。これが、気違い兄貴が、ずっとずっと、家のなかでやってきたことだ。十何年も毎日やってきたことだ。

2019年10月18日金曜日

影響を受けたことがないやつが、好き勝手なことをいいやがる

おかしいんだよな。けっきょく、ヘビメタをやられてないやつらが好き勝手なことを言っている。


おなじぶんだけやられれば働けないからだになるのに……そいつらだって。おなじぶんだけやられれば、どうやっても楽しめない『頭』になるのに……そついらだって。勝手に、ヘビメタ騒音の影響を過小評価して、好き勝手なことを言いやがる。これ、小学六年生の時からそうなんだよな。あとは、親父の頭の構造や兄貴の頭の構造は、普通の人にはわからない。だから、親父や兄貴がうちでやることを説明しても、他の人は、根本的なところで誤解する。誤解したところで『言えばいい』『相談すればいい』と言いやがる。こうやって、なめられる。勉強にしたって、楽しむ力にしたって、眠る力にしたって、どれだけ影響を受けるか? 影響を受けたことがないやつが、好き勝手なことをいいやがる。

そいつらは、鳴らされたってたいしたことはない(自分だったらちゃんとできる)と言うわけさ。やられてないのに……。どれだけのことかわかってないだけの話だろ。からだの反応として、やはり、疲れが残る。頭も含めてからだだから、鳴らされたあと、影響がどうしても残る。それは、何度も言うけど、走ったあと息がつらくなるのとおなじだ。走ったあとの影響よりも、騒音の影響のほうが長いのである。どうして、これがわからない。普通のからだの反応なんだよ。それに、これは、悪い意味で筋トレ』みたいなところがある。繰り返しで、からだ事態に変化が生じる。それも、生きているからだのしくみなのに、やられていることが他の人にはしょうじない異常なことなので、他の人にはわからない。

短い期間の鬱を経験した人が、勝手なことを言う。認知療法にかぶれて、キレイゴトを言う。『自分だってつらい思いをした。けど、認知療法的な考え方でなおった』と言う。それは、そうなのだろうけど、俺はおまえじゃないし、量がちがう。そういうことが成り立たない世界なんだよ。そんなんじゃないんだよ。

2019年10月16日水曜日

そいつは、自分の考えを放棄しない。そいつは、かわらない。


気違い兄貴が、「やりたい」から、昂然と無視したことがでかすぎる。それが、常識外れで、あり得ないことなんだよ。普通は、あり得ないことだ。どれだけやろうと思っても、できないことだ。けど、「やりたい」から、できる。事実を否定して、「ない」ことにしてしまう。夢中になって否定しているときは、夢中になって否定しているだけなのである。否定すること意外なにも考えてない。まさに「いまここ」しかない状態で否定する。普通なら絶対にわかることがわからなくなる。普通なら言わなくてもわかることがわからなくなる。普通なら、言われたら絶対にわかることが、わからなくなる。わかってしまったら「できなくなってしまう」から、命がけで否定する。「いまここ」しかないから、「いまここ」で否定すれば、それでいいのである。だから、そのあと、当人が否定したことを頑固に、気違い的な意地でやり通しても、『まったくやったと思ってない』状態が続く。こういうしくみ。こういうマジック。こういうことで、どれだけ俺が傷ついたか。勉強の邪魔をされて、めちゃくちゃな人生になったか。これ、否定する人もいるかもしれないけど、勉強はやりたいときもあるのだ。いつも、気違いヘビメタが鳴っていると、勉強をしたいときもできない。そして、普通の人は、気違い兄貴のヘビメタ騒音が『普通の騒音』だと思っている。ちょっとデカイテレビぐらいの音だと思っている。カラオケぐらいの音だと思っている。「そんなんじゃない」って言っているのに。もちろん、俺の部屋で聞いたときの話しだ。よその家にどのくらいとどいているのかは知らない。あの気違いヘビメタ騒音のなかで勉強するのは無理なんだよ。これも、『無理じゃない』『集中すればできる』と言うやつがいるけど、そいつは、俺とおなじ条件で、気違い兄貴のヘビメタ騒音を一秒も経験してない。経験してないやつが言う、単なる憶測にもとづいた意見なのである。俺とおなじ条件でくらしてから言え。

あれ、ほんとう、気違い兄貴は『ヨソじゃ一分だって鳴らすことができないような』デカイ音で鳴らしているということを知っていると思ってたけど、ほんとうに、知らなかったんだな。親父とおなじで、ほんとうに「そのとき」しかない。文句を言われているとき、『否定して』のりきれば、『そうじゃない』ことになっているのである。これ、ほんとうに頭がおかしいから「いじわる」でなく、できる。もちろん、やっていることは最低最悪の意地悪なんだけど、本人は、別に意地悪でやっているわけではないのだ。別に意地悪で(知っているのに)しらばっくれているわけではないのだ。で、知っているのにしらばっくれている人は、正常で!……やってることが異常でも正常だ。……ほんとうに異常なのは、どれだけ言われても、知らないまま、やり続けることができるやつだ。これは、ほんとうに「やったってやってない」の境地に立って、「いまここ」しかないから、文句を言われたときだけ……やめろと言われたときだけ……発狂して否定して、はむかって、おしまいなのである。そのあとやったって、やっているつもりがないのである。「いまここ」の意地しかない、気違い野郎だからこそできる、最低最悪の意地悪だ。こういうのを、正常な人の意地悪といっしょにするな!! どんだけ、足を引っぱられるか。もし、正常な人が意地悪をするつもりで、知っているのに認めない(知らないふりをする)という態度で鳴らしたなら、いっくらなんでも、一ヶ月で終了する。「うちでも」鳴らせない状態になる。けど、うちは、そもそもが、気違い親父が作った家なので、成り立ち続ける。そういうことが他の人にわからない。どれだけ、倒錯した感覚で鳴らしているか……他の人は……わからない。ほんとうに気違い的な意味で、自分勝手なのである。気違い的な意味で、「いまここ」しかないのである。「いまここ」の自分の感情しかない。認めたくないという自分の感情があると、現実を無視して、絶対の意地で認めないのである。「いまここ」を認めずに押し切れば、それでいいのである。「いまここ」の感情しかないのである。だから、どれだけ言われても、相手がこまっているということがわからない。自分がやりたい……自分が思ったとおりにやりたい……自分が思ったとおりに思いっきりやりたい……という感情しかない。いつもそうだから、いついかなる時に言ってもおなじ反応が返ってくる。これ、親父がやり始めたことで、普通の人間ならできないことなのである。そりゃ、普通の人間は、どれだけ意地を張っていても、自分がやっていることがわかっているからなぁ。気違い親父と気違い兄貴は、「いまここで」自分がやっていることがわかってない。頑固にやっているのに、頑固に否定している状態だ。現実否認がひどすぎる。自分がやりたいと思ってやっていること、あるいは、自分にとって都合が悪いことは、気違い的な意地で否定する。その気違い的な意地で否定するときは『現実』なんて一切合切関係がないのである。頭の中の『自分にとって都合がいい現実』しかない。自分の感覚器を書きかえて自分にとって都合がいい『現実認知』をつくる。夢中になってつくる。「いまここ」しかないのだ。相手の言っていることや現実を否定して、「やることができれば」よいのである。相手がこまっているということは、これっぽっちもない。相手が(自分がやっていることで)こまっているということは……そいつの現実のなかには……一切合切ない。自分の感情だけだからな。感覚器まで書きかえて……感覚器に依存した認知まで書きかえて、自分がやりたいことを押し通す。曲げられるのは、感覚に依存した認知そのものなのである。こうやって、自分がやりたいことを、押し通す。もちろん、押し通したつもりなんてないのである。こういうマジック。こういう気違いマジック。これで俺がどれだけひどい目に遭ってきたか。

こういうひどい目に遭ってきた人間に対して、生かじり精神世界の人は「相手をかえるのではなくて自分をかえるしかない」などということを言う。こういう現実もある。こういう現実が、この世をもっと地獄にするんだよ。こいつらは、こいつらで、なにをしているのか本当にわかっているのかな? と思う。たとえば、事実ではないことでうらみをもって、ガソリンをまいて、人を焼き殺すやつがいたとする。たしかに、他の人が「やめろ」と言っても、そいつの考えをかえることかできない。なら、殺されてもいいのか? これは、そういう問題なんだぞ。たとえば、知的障害者を殺そうとしているやつがいるとする。そいつに対して、『そういうことはやめろ』と言っても、そいつは、自分の考えを放棄しない。そいつは、かわらない。『そういうことはやめろ』といっくら言っても、そいつの考えがかわらなかったとする。なら、殺されたほうは、それでいいのか? 『相手をかえるのではなくて自分かえるしかない』から、殺されてもいいかの? これは、そういう問題なんだぞ。そういうことを、かるがるしく口(くち)にする。自分が妄想的な人に殺されるということを考えたことがないから、そういうことが言える。自分の人生が、妄想的な考えをもった人に破壊されるということがなかったから、そういうことが言える。家族が、妄想的な考えをもっていて、自分の人生を破壊したらどうなるんだよ?


2019年10月14日月曜日

一三時間鳴らされ続けたときのからだの状態がわからない


自分がやりたいから、意地になって、条例違反であるような騒音を出しまくっていたんだぞ。家族だということとと、一家の大黒柱であり、兄貴の親権者である気違い親父が気違いだから、話しが複雑になった。こんなの、ほんとうによその家じゃぜっーーーったいにありえないことなんだよ。だから、よその家の人は、よその家の人の常識でものを考える。『そんなに意地に鳴って鳴らす人はいない』と思っている。『そんな音で鳴らしていたら、絶対に親がしずかにさせるはずだ』と思っている。……ちがうんだよ。親が原因だ。気違い兄貴の態度は、気違い親父の態度のコピーだから、うちには浄化する機能がない。
ともかく、兄貴は、ハンダゴテ事件の時の親父のような態度でずっと鳴らしていたわけで、気違い親父のように「つもり」がない。これが、この騒音の背景にある。で、これが他の人には逆立ちしてもわからないのである。そして、他の人がわからないことはもうひとつ、ある。ほんとうはもうひとつじゃないけど、もうひとつは、ほんとうに、気違いヘビメタを一日に約七時間鳴らされたときのからだの状態だ。これが、まったくわからない。休日、夏休み、冬休み、春休みは、一日に一三時間鳴らされるのだけど、一三時間鳴らされ続けたときのからだの状態がわからない。俺がサボっているように見える。俺がもともと、『そのくらいの能力しかない』ように見える。これは、神様がおかしい。
ともかく、よそじゃ一日に一分だってあり得ないようなデカイ音で鳴らされた。気違い兄貴は気違い兄貴だから、自分がやりたかったら、自分がやりたい気持ちだけになってしまうのである。気違い親父とおなじなのである。自分がやりたい気持ちになったら、それにあがなうようなこと!! ……もし、それを認めたら、自分がやりたいようにできなくってしまうことは、どれだけ明らかなことでも、意地になって認めない。意地になって認めないということも認めない。言われたときに、発狂しておしまいなのである。言われたら、怒って、無視してやり通しておしまい。さされなければ、絶対にやめない。殺されなければ絶対にやめない。これが親父とまったくおなじ態度なのである。で、そういう態度でやったことは、気違い兄貴のなかでは、全部やってないことなのである。こういう、気違い的なところがある。これだって、うちの人以外はわからないだろ!!
もうひとつ言っておくと、気違い兄貴は、そういう性格だということが(ヨソの人は)わかってない。兄貴自身も兄貴自身がそういう性格だということがまったくわかってない。気違い兄貴は、自分が意地になって、こだわってこだわって……親父のように相手が言っていることを無視して……やったことは、やってないと思っている。一日に一三時間、こだわってこだわって、頑固に鳴らしても、気持ちとしては!!一分も鳴らさなかった場合とおなじなのである。そのくらいに感覚がズレている。

佐藤氏は『早く気がついてくれないかな』などと言っていたけど、それは、そのまま佐藤氏に返す。どれだけ、考え違いをしているんだよ。佐藤氏が思っているヘビメタ騒音の影響は、一〇〇京ぶんの一だ。ぜんぜんわかってない。これも、ほんとうに、小学六年生の時からズッとやられて、勉強の邪魔をされ続ければわかるよ。それによって、どういう人生になるかわかるよ。ぎりぎりの努力をしても、気違いヘビメタに押し流されてしまう。無視して、からだに影響が残らないということがない。こういうことが、まったくわかってない。まるで、ヘビメタ騒音が一五年後に鳴りやんだらまったく関係がないと思っているんだからな。そんなことであるわけがないだろ。どれだけ想像力が欠如しているか? この、想像力のなさは問題だぞ。

   *   *   *

やっぱり、ヘビメタ騒音のことが大きすぎる。おおきすぎる。どれだけ、たたったか。ほんとうに普通の人とおなじように、普通に勉強ができる状態であれば、高校や大学におちたとしても、それこそ、自己責任ということで満足できたんだ。ヘビメタ騒音に、すべての時間たたられている毎日で、そんなことが、思えるはずがないだろ。こういうのも、ぜんぜんちがうんだよな。

ほんとうにやられてない人にはまったくわからないことを、毎日ずっと経験しすぎた。あの時間の長さはない。ものすごく長い時間、強烈にデカイ音で騒音を聞かされた。この部屋にいるあいだ、どうしてもくるしかった。それは、勉強している、勉強していないにかかわらず、くるしかった。そして、『なら外に出ればいい』と考える人がいるかもしれないけど、ヘビメタ騒音のなかで外に出る用意をして、外に出ることの困難さがわかってない。それから、ヘビメタ騒音のなかに帰ってくることに鳴る。この気持ちの重さが、わかるわけがない。やられたことがないやつにわかるわけがない。気違い兄貴とのもめごとは、気違いとのもめごとだから、ものすごく、気持ちをかき乱されるのである。これも、気違い親父が気違い兄貴が「うちに」いる人じゃないと、逆立ちしてもわからない。この人たちのやり方は、掲示板の「あらし」よりもひどい。頭がおかしくなければできないことは、健常者を健常者を傷つける。頭がおかしくなければできないことを頑固にやって、まったくやってないつもりでいられる感覚は、健常者を傷つけるのである。感覚が傷つける。感覚は態度になってあらわれるから……。

ともかく、普通の家であれば、一日目の一〇分目あたりに、親が怒って、やめさせられるはずなんだよ。そのあとは、一日に一分だってできないようになってあたりまえなんだよ。あんな音で鳴っているうちなんてない。どこを歩いたってない。あんなのはおかしい。けど、気違い親父は『全部やめろっていうわけにはいかないだろ』などと言って俺に怒り狂っていたのである。だから、注意しなかったのに、一五年(じゅうごねん)たって終わったあとは、「注意した注意した」だ。「注意してくれなかった」と俺が言うと、親父が「注意した注意した」と怒っておしまいなのである。こういう反応しかない。頭がおかしい。これ、「全部やめろっていうわけにはいかないだろ」と言ってたときとおなじだ。気違い親父がうちにいて、気違い兄貴のヘビメタを『ウチのなかで聞いている時間』というのは、平日は〇分(ぜろふん)だ。だから、気違い親父はこまらないのである。あとは、気違い親父が外にいるときに、鳴っているんだよな。日曜日二時間ぐらいかな。いっしょの『敷地』にいあわせるのは。親父と兄貴が、いっしょの『敷地』にいあわせるのが二時間だ。それ以外は、親父は気違い兄貴のヘビメタを聞かないので、こまらないのである。あとは、自分がめちゃくちゃなことをしてきたという気持ちが無意識的にはあるのか、言えなくなってしまったのである。だいたい、からだのデカさが、自分をこえると、言えなくなってしまう。それまでは、気違い兄貴のヘビメタ騒音とおなじやり方で、もめごとを引き起こして、怒り狂っている。あれ、やり方がおなじなんだよな。もちろん、本人はまったくつもりがないというところも含めておなじだ。お母さんは『あんまり言うと怒るから』なんて言って、あんまり言わなかった。言うというのは、兄貴に注意するということだ。で、いつもこまっていた。お母さんはこまっているだけなんだよ。親父は、問題の所在がわからない。あまりにも頭がおかしすぎて、どれだけ言われても(よその家では絶対にあり得ないような)異常な音でならしていると言うことがわからない。そりゃ、親父がいないときに鳴らしているわけだから、自分がこまらなければわからないのである。もちろん、でかくなった兄貴に注意をするのはいやだという『強い』意志があったんだけど。そのとき俺は、小学六年生だったので、親父よりも小さく、親父は俺に対しては、怒り狂えるのである。兄貴に対しては、もう、わけのわからないことで怒り狂うということができなくなっていた。で、そうなったら、必要な注意も意地になって『絶対にしない』というような状態になってしまう。『注意してくれ』と言われたら、真っ赤な顔をして怒り狂って『しかたがない!!しかたがない!!』と怒鳴っていた。気違い兄貴は、親父のことを無視して、自分が好きなようにやると言って、好きなようにやっていたから親父に対して(こうだった)ということがないんだよ。俺に対しても、小さいときのように怒り狂うというのはなくなったのだけど、自分が悪く言われたら、もう、怒り狂うことになっている。悪くと言うか、自分にとって都合が悪いことを言われたら、怒り狂う。そこは、かわってないんだよ。(相手の体の大きさには関係なく)かわってない。で、気違い兄貴も、自分がデカイ音で鳴らしたいときに、『静かにしろ』と言われたら親父のように怒っておしまいなんだよ。この、気違い反応。で、そういうふうに言い終わったあとは、……怒ったあとは、両方とも、『やってないつもりになる』。そして、やり続ける。自分の感情だけだから……。いまそのときを、気違い的な怒り狂いでのりきったら、それでもう、関係がないひとになっているから、関係がないつもりでやり続ける。殺さないとやめさせることができない。そういうことを押しつけてくる。両方とも……。親父も兄貴もおなじなんだよ。頭の構造がおなじ。気違い感覚がおなじ。

こういう、他の人にはにわかに理解できないことで俺がどれだけくるしんできたか。傷ついてきたか。

人間というのはたしかに愚痴を聞かされるのはいやだというところがある。他人の不平不満は聞きたくないという気持ちがある。これは、本能ではないけど、防衛本能のように、ある程度普遍的に成り立つ。例外はあるんだよ。例外はある。




2019年10月13日日曜日

七年ぐらいで、七〇歳以上の『蓄積疲労』を感じている


ほんとうにつまらないんだよな。いろいろと、やる気がない。やる気が出ない。楽しくないからな。「やらなきゃ」と思ってやることが楽しいわけがない。俺のここらへんの回路は、完全に、長期騒音で焼き切れている。普通なら、楽しくなくてもできることができなくなってしまっている。そして、楽しいと感じることがまったくなくなってしまった。長期騒音で、楽しいと感じるこころがなくなってしまった。だから、この世には、「やりたくないのに、やらなければならないこと」しかないというような状態になっている。とうぜん、「やりたくないのに、やらなければならないこと」なんて、やりたくない。やりたくないし、我慢してやっても、つらいだけでおもしろくい。ところで、我慢してやっているうちに、おもしろくなるというようなことを考える人もいるのだ。これは、一理ある。けど、一理しかない。手短に言うと、この回路が、焼き切れている。どこまでもなれない。逆に、騒音のように、続けば続くほど、つらい状態になる。いや、もっと正確に言えば、騒音なかでやりたくないことを、我慢してやっているように、疲労がたまって、どうしてもできないことになってしまう。やっているうちに楽しくなるとか、なれればそれほどいやなことではないというのは、気違いヘビメタ騒音によって、回路が焼き切れてない人たちが言う、真理だ。たわごとだ。たしかに、人間にはそういうところがあるけど、それは、一般人に関する真理であって、俺にとっての真理じゃない。ヘビメタ騒音で回路が焼き切れているから。



だいたい、定年退職する人は、『もう、四五年働いたからいい』という気持ちもあるのだろうけど、『からだがいうことをきかなくなった』というような気持ちもあると思う。ようするに、六五歳なり、七〇歳になって、昔のようには、動けなくなったので、やめるということだ。ぼくのヘビメタ騒音体験は実際には一四年と四ヶ月だけど、だいたい、七年ぐらいで、七〇歳以上の『蓄積疲労』を感じている。ほんとうにヘビメタ騒音にたたられながら、午前七時四五分には起きて、学校に行って帰ってくるというのは、サラリーマンの労働換算でいうと、一日に二二時間ぐらい働いているような状態なのである。しかも、うすいガス室の中で、からだが(将来的には絶対にだめになる)労働をしているようなものなのである。なので、ぼくは七年間で、労働を四五年間ぐらい繰り返してきた定年退職者とおなじか、あるいは、それ以上に悪い状態になっている。もちろん、状態というのは、からだの状態だ。だから、ヘビメタ騒音にやられた俺にしてみれば、七年間のヘビメタ騒音だけで、定年退職者とおなじような状態になっているのである。はっきり言ってしまえば、六五歳と言うよりも、七〇歳、八〇歳、九〇歳だ。ヘビメタ騒音七年間で、五〇年間働き続けた人よりも悪い状態になっている。

2019年10月5日土曜日

こういう「なめたこと」を言われるようになる


ほんとう、俺が他人だったら、いまの状況でどうするのだろう? どういうふうに感じて、どういう行動をするのだろう?
まあ、それは、かりに、ヘビメタ騒音一四年(足かけ一五年)の経験がない俺が、いまの状況でどうするかという問題とおなじだ。経験がないのであれば当然、体力も感じ方もちがう。一日にできることの量がちがう。そして、気分がちがうだろう。俺が、ヘビメタ騒音で、どれだけ他人から悪く言われているか。この『他人から悪く言われる』というのは、ただ単に悪口を言われたということではない。実際の、体調とセットになっているのである。働けない状態とセットになっている。そして、ヘビメタ騒音がなかった場合の学歴にくらべて、ヘビメタ騒音があった場合の学歴が低すぎるのである。自分がヘビメタ騒音なしで普通に暮らして、そういう体力、そういう学歴なら納得がいくけど、あしかけ一五年間ヘビメタにやられて、そういう体力、そういう学歴なのだから納得がいかない。だいたい、他人がどう言うかなんて関係がない』『他人がどう思うかなんて関係がない』と言っている人は、高確率で無職や引きこもりのことをバカにした発言をする。要するに、『他人がどう思うかなんて関係がない』という発言をする人と『無職や引きこもりのことをバカにした発言をする』人がかぶっている場合が多い。もちろん、『他人がどう思うかなんて関係がない』と言うけど、無職や引きこもりをバカにした発言をしない人もいるし、無職や引きこもりをバカにした発言はするけど、『他人がどう思うかなんて関係がない』とは言わない人もいる。両方とも言わない人がいる。けど、かぶっている人たちもかなりいるんだよな。というか、日本人としてそれがスタンダードなのではないかと思ったりもする。いまの日本人の感覚だと普通にそういうことが成り立つと思う。ぼくもヘビメタ騒音にやられて、無職引きこもり問題がヒトゴトではなくなったから、いろいろと考えたのだけど、もし、ヘビメタ騒音がなければ、そういうことを言ってたかもしれない。そのくらいに、現在の日本人としてはスタンダードな考え方なのである。無職や引きこもりをバカにした発言をする人はほんとうに、無職や引きこもりをバカをバカにしている。相当に下に見ている。無職や引きこもりは、矯正されるべき人間だと思っているのだ。おのおのの無職や引きこもりには、それぞれ、人にはわかりにくい理由を抱えているかもしれない。しかし、そういう理由は、「あまえるな」のひとことですっ飛んでしまう。その人の頭のなかでは。しかし、その人は、俺とおなじぶんだけ、俺とおなじ期間に、ヘビメタ騒音を体験したわけではないのだ。つまり、ぼくとは条件がちがう。ほかの無職や引きこもりとも、条件がちがうかもしれない。しかし、その人は『自分は歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いている』と言ったりする。そういう自負があるのだ。しかし、ヘビメタ騒音を鳴らされてきたわけではないという条件は変わらない。人の条件に対する理解がないからそういうことを言っていられるだけだ。その人間だって、また、別の災厄が降り注ぎ、体が動かなくなったら、歯を食いしばっても、血反吐を吐いても、働けない状態になる。そういうふうに言っていた人間だって、ひどい認知症になったら働けない。水銀中毒になったら働けない。歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いているなら、働けるわけで、働いてもいいのではないかと思う。実際、毎日毎日、職場で血反吐を吐いていたら、働けないと思うけど、それは、文字通りの意味ではなくて、比喩なのだろう。ヘビメタ騒音が毎日続いた。兄貴のヘビメタ騒音は、しつこさと音量の点で、毒だと言える。生活毒、あるいは、騒音毒なのだ。神経がやられる。これは、毎日一四年以上続いたら、残る。これが、証明できないから、常識的な人から『自分は歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いている』などと言われてしまうのだ。そういうことを言う人は、日本のサラリーマンは「みんな」歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いているそうなのだ。「だから、おまえもヘビメタ騒音なんて言ってないで働け」という言葉が続くのだ。一四年以上、ヘビメタ騒音を鳴らされると、こういう「なめたこと」を言われるようになる。これが、ぼくがこの人生で学んだことだ。「歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いている」なんて言っているやつが、ほんとうに、血反吐を吐いたら、もう、だいぶ働けないからだになっていると思ったほうがいい。

注(文章中の働くというのは、通勤して会社で働くということね)

2019年9月12日木曜日

もし、そんなにやられていたら、もっとぐちゃぐちゃになってる

「もし、それがほんとうなら、もっとぐちゃぐちゃになってる」って言った人(Yu氏)がいたなぁ。知的な人ですら、こうなんだからな。俺はこの人の本を読んでいる。書いてあることは正しいと思うよ。

けど、ヘビメタ騒音のことを説明したあとの発言がこんなものだからな。

どれだけ、ヘビメタ騒音、気違い兄貴の性格、気違い親父の性格が普通の人に理解されないかわかる。

普通の人というのは、健常者の親に育てられた中産階級の人という意味だ。親に学歴があるだけで、文化がちがうんだよな。

けど、中産階級ではなく下層階級でも、(父親が)健常者なら、気違い親父のような振る舞いはしない。いろいろなことに関して、気違い親父らしい反応はない。これ、普通の人にどれだけ話しても、話半分で理解して、本当のところは理解しない。

だから、「たとえ、そうだとしても、影響を受ける必要はない」と認知療法家のような必要論を展開してくる。まあ、Yu氏が、「たとえ、そうだとしても、影響を受ける必要はない」と言ったわけじゃない。

Yu氏の話にもどると、Yu氏の発言がどういう意味だかいちおう説明しておこう。ヘビメタ騒音の時間の長さ、ヘビメタ騒音の大きさ、ヘビメタ騒音が鳴っていた期間の長さについて、俺は説明した。

「もしそれが、ほんとうなら、エイリさんがもっとぐちゃぐちゃになっていてるはずだ。見たところちゃんと話もできるみたいだし、エイリさんのヘビメタの話しは嘘なのだろう」……こういう意味で、上記(右記に修正)の発言をしたのである。

ほんとうなら、もっとぐちゃぐちゃになっている……嘘だから、まとも?なのだろうということだ。

で、まともはまともだけど、長い間働いてないことはケシカランことであるから、「そういう人とはつきあうのはいやだ」「そういうひとを相手にするのはやめておこう」という気持ちが……あったのではないかと思う。

気違い家族のヘビメタ騒音に耐えて、どれだけくるしくても毎日学校に行った結果がこれだ。手短に言って、「学校に行けたのなら、問題がない」とYu氏は思っていたようなのである。

どれだけまちがっているか? Yu氏の教育論はまともだけど、ヘビメタ騒音に関しては、完全に誤解している。俺の人格に関しても完全に誤解している。

Yu氏の話じゃないけど、ヘビメタ騒音が鳴っていたから、無職なのに(決まった時間に起きて働くことができなくなった)のに、無職の人がいっていることだから、ヘビメタ騒音のことも嘘に違いがないと思う人たちもいる。

因果関係がわかってない連中だ。そういうふうに言う人たちだって、俺とおなじ環境で、俺が経験したのとおなじ分量の騒音を、長い期間にわたって押しつけられたら、働けなくなるのに、それがわかってない。

知的な人ですら、こういう反応だ。いかに、労働にかかわる(仕事にかかわる)共同幻想の力が強いかわかる。無職なら問答無用で、信頼がおけない人なのである。長期間無職な人の発言は、信用することができなのである。

一度、こういう妄想的な偏見が成り立つと、すべての解釈に、その妄想的な偏見が影響を与える。

これが、日本だ。これが日本人だ。これが、日本労働教徒だ。

+++++++++++++

ちなみに、因果律がわからない人はダメだと思う。ヘビメタ騒音の話を聞いて、ヘビメタ騒音が原因で俺が働「け」なくなっているということが理解できない人は、人間としてダメだと思う。なおさら、その人たちが興味を持っている哲学の話しなんてまったくの無意味だ。因果律がわからない人たちが語る哲学の話しなんて、意味がない。


気違い兄貴が、普通の人たちがわからないようなしくみで、気違いヘビメタを(気違い的なこだわりで)鳴らした結果がこれだ。普通の人は、理解できない。気違い兄貴のこだわりがわからない。うちのなかで、それまで成り立ってきた(明文化されない)ルールがわかってない。気違い兄貴のやり方が、それまで、うちで成り立ってきた(明文化されない)ルールに基づいた、やり方なのである。「そんなのはない」「そんなひとはいない」と考えるやつらが、納得するわけがない。

どんだけ、世間からずれているか。うちの基準が……うちのなかでだけ成り立つ基準が世間の基準からずれているか? それこそ、気違いが意地を通せばそれが成り立ってしまう世界なんだぞ。そして、気違いだから、自分がやったことを、絶対の意地で認めないということをしやがる。それも、問題のある行為をするときとおなじ意地で認めないのである。そういうしくみが成り立っている。

だから、本人はまったく気にせず(やっているつもりがないまま)絶対的な無責任体制でやりきることができるのである。こういう気違い家族に、勉強の時間をうばわれていいわけがないだろ。睡眠時間をうばわれていいわけがないだろ。

これは、他の人にはわからないことだと思うけど、一日に約七時間ヘビメタを鳴らされていると、眠れなくなる。この不眠に関しても、「自己責任」「自己責任」のあらしだからな。こんなの、ない。

どれだけ、他人がひどい存在になるか、だよな。気違い兄貴に、気違いヘビメタを鳴らされる日々をすごすということは、どれだけ耐えても、まるで報われないのである。すごした時間が長ければ長いほど、働けなくなるけど、他人はまったく理解しないという構造が成り立っている。俺がどれだけがんばって、学校に通ったか、「通えたなら問題はない」と考えるYu氏のような人にはまったくわからないのである。倒錯。倒錯。


2019年9月11日水曜日

中学三年、高校三年の計六年間、鳴ってなければ、そもそも、俺はこのうちにいない


ネズミが出た。

この時間にネズミが出ると、どこに助けを求めていいのかわからない。24時間対応と言っても、自動アンサーリングマシンだからな。



通気口はふさいだので、かべのなかにいるやつがでてきたということなのだろう。だから、通気口のひとつは、開けたり閉めたりできるようにしておいてくれと言ったのに。

この、こころぼそい気持ちはなんだ。そして、この疲労はなんだ。

超音波のやつをずっとつけておいたので、うまいこと逃げたときに、通気口にフタをできたかなと思ったけど、だめだったか。問題なのは、床下でネズミが死んでしまうことだ。



もう、本当につかれたよ。親父が魚の切り身を使ってネズミを餌付けしなければこんなことにならなかったのに……。いったんねらわれたら、どこまでもねらわれる。壁のなかのネズミに関しては、ぼくがバルサンをやったあと、かたづけるはずだったんだけど、床下に逃げてしまった場合問題がある。しかし、ほんとうに、すべてにつかれた。

いまある、米、まな板、炊飯器、冷蔵庫のなかのもの、電子レンジ、包丁、鍋、皿、スプーン、箸、醤油、味噌、油などを捨てるつもりになれば、バルサンは、たける。もう、それでいいか。

それとも、バルサンをやる前に、ネズミの専門家(別のやつ)を呼ぶか?

なんか、いろいろと疲労が積み重なる。

気違い兄貴のヘビメタだけで、ズタボロなのに、この時間にネズミ。

しかも、通気口をふさいだあとに……。あっちからは入れないようになっているんだよな。あの人を信用した場合……。やはり、通気口をふさいだとき、床下か壁のなかにネズミがいたんだな。



ネズミがどこで死ぬかが問題なんだよな。

最後のネズミをネズミシートでつかまえて、粗大ゴミを出したあと、壁の工事をするというのがひとつのアンサーだったわけだけど……。



ほんとうに、ヘビメタ騒音で心細かった。不安だった。気違いヘビメタもネズミもおなじ。というか、俺にかんして言えば、すべてがヘビメタ騒音から発していることなのである。ヘビメタ騒音が一五年間も鳴ってなければ、少なくても、中学三年、高校三年の計六年間、鳴ってなければ、そもそも、俺はこのうちにいない。

だから、ネズミなんてどうだってよかった。親父が餌付けをして、急性胆嚢炎になったとき、親父は死んでいた。その前の日に、バスタブの中で後ろに倒れて、立てない状態になったところで、死んでいた。まあ、そのときすでに急性胆嚢炎になっていたはずだから、バランスを保つことができなかったのだろう。

ともかく、俺があのとき、たすけてやらなければ、親父は死んでた。さらに、ある理由で、親父は救急車を呼びたくなかったわけだから、救急車を呼ばずに、急性胆嚢炎で死んでいただろう。あの朝、俺が、ストローで水を飲ませてやったり、ストローでライフガードを飲ませてやらなかったら、親父はたぶん死んでた。

ぼくが、死んだのは、高校受験の時だ。

あれ以降、こころが死んでいる。高校生活だって、気違いヘビメタに毎日たたられてたいへんだったよ。あの時点で、一日に一分も鳴らない状態になれば、どうにかなっていたかもしれない。

あるいは、ほんとうに、小学六年生の半年間と、中学一年生、二年生、三年生の三年間で、死んでいたか。だめになったあと鳴りやんでもだめなんだよね。(こころが)死んだあと、鳴りやんでもだめだ。毒ガスで死んだあと、きれいな空気のところに死体を持っていけば、生き返るかというと生き返らないだろ。

クリティカルポイントがある。

リターン可能ポイントがある。

それをすぎたら、ダメなんだよ。

気違い兄貴のやつ、まるで気にしないでやりやがって。あのとき、とどめを刺されたよ。とどめを撃たれた。入学試験前に、それまで三年間ずっと毎日勉強の邪魔を続けた騒音が六時間、七時間、一〇時間、一二時間鳴ってということがどういうことだかわかるか?

わかるわけがない。『ただの入試の失敗なんて、どうでもいいことだ』ということではないんだよ。入試の失敗はでかいけど、ヘビメタ騒音が三年間鳴っていたことの方がデカイ。俺の場合は、そういうことだ。

けど、入学試験の時のことを言えば、入学試験の失敗で死にたくなるんておかしいと思うだろ。そうじゃないんだよ。先行する三年間、毎日、じゅうぶんにと言うか、すこしも勉強ができなかったことの方がおかしい。

そして、睡眠回路をずっと乱され続けたことの方がデカイ。俺がどれだけ根性を出してがんばっても、睡眠回路がこわれていく。この状態がどういう状態だかわかるか? 根性主義者、まるまるまる。ちがうんだよ。ちがうの。

おかあさん、気違いヘビメタ騒音でまるまるまる。
おかあさん、気違いヘビメタ騒音でまるまるまる。


   *   *   *

すさむなぁ。こんな人生ない。
ヘビメタでくるしすぎる。
ヘビメタでくるしいと言っているだろ!!!

   *   *   *

俺がネズミでこまっているのに……。
この時間帯もヘビメタが鳴ってた。気違い兄貴がほんとうに気違いで、気違い的な意地で鳴らした。気違い的な意地で、一分もゆずってくれなかった。試験だろうがなんだろうが一分もゆずってくれなかった。

それが、気違い兄貴がこだわってこだわって、毎日毎日やったことだ。

試験前日だって一分だって静かにしてくれないのに、普段の日、静かにしてくれるわけがないだろ。それなのに、親父のように『しずかにしてやった』と思っている。

気違いだから、そういうふうに思うことが可能なんだよ。普通の人だったら絶対にそういうふうに思えない。正常な感覚ではなくて妄想に支配された感覚だから、そういうふうに現実を言い換えることができる。やっているそばからそういう感覚だ。

たとえば、だれだって自分勝手なところがあるとする。けど、病的に自分勝手な人は普通の人ではない。病的な自分勝手さで、現実を書きかえてしまう人は、普通の人ではない。自分勝手な人だから、自分がやったことがわからない。

自分が夢中になって夢中になって、こだわってこだわって、絶対の意地でやったことがわからない。今度は、絶対の意地で否定する。やり終わったら、今度は、絶対の意地で否定して自分がやったということを認めない。逆に、自分が命がけでやってやらなかったことは、「やってやったこと」になっいてる。気違い兄貴のあたまのなかではそうなっている。そういう、なんて言うのかな? 自分にとってだけ都合がいいち書き換え」がある。

たとえば、異常な人はただ単に、正常な人も持っている性格の一部を異常に強く持っている※だけ※だというような言い方をする人たちがいる。そういう言い方で、異常な人がやったことを、うやむやにしていいのか? やられた人がゆるせばいいのか? やられた人がゆるさない場合どうなる? 

弱肉強食とか強いものが生き残るとか言っている人たちがいるけど、強いのではなくて、自分勝手なだけだ。認知や人間としての感覚を書きかえて、自分勝手に振る舞っているだけだ。

それなら、やられたほうが、殺してもいいということになってしまうのである。やられたほうが、やったほうを殺したら、それは、その場では、やられたほうが実は強かったということになるのだから……。その理論にしたがえば……。

そして、やり勝ちが承認される。やられたほうが怒って、殺せば、それで、すんでしまう。だって、だれでも怒りがあるから、怒って殺した人だって、正常な人が持っている感情を特別に強く持っていた※だけ※なんだということになってしまうからだ。

これ、ちょっとでも飢餓陣営の人はわかるのか? こういう現実を『異常な人』『異常な家族』につきつけられたらどうなるんだ? それは、どうでもいい小さな問題じゃないんだぞ。

やられた方が、我慢して我慢して、働けなくなって、他の人からバカにされるようになればいいということではないんだぞ。働けなくなった……にもかかわらず、それを我慢して働けば、それでいいということではないんだぞ。

ネットが発達したから、たまたま働けているだけで、ネットが発達してなかったら、働けない状態が続くのである。気違い兄貴がやったことで、俺がバカにされて続けていいわけがないだろ。「ゆるし」……。

だれがなにをゆるすのか? 俺が気違い兄貴をゆるせば、それですむ問題じゃないんだよ。俺のなかではそうだ。俺以外の人のなかでは、俺が気違い兄貴をゆるせば、それですむ問題なのだろう。けど、それは、俺以外の人間だからそう思えるだけだ。

俺が兄貴のことを、俺が中学三年生の時に殺さなかったから、(外では)俺が働けないからだになっているんだぞ。我慢して我慢して、俺が働けないからだになっている。俺が三五歳の時、おまえらは俺になんと言ったか覚えているか?

なんで、殺すことを我慢した善人である俺が、他の人からだめ人間のように言われるのか? 働かずにサボっているからだめな人間だと思われなければならないのか? 「その歳で働いてないなんておかしい」と思われなければならないのか。

学歴? 学歴? 職歴? 職歴? おまえ、そんなもの、ヘビメタ騒音で、吹っ飛んでしまうに決まっているだろ。一日に何時間も何時間も、あのデカさのヘビメタ騒音にたたられるということは、ものすごくひどいことなんだよ。どれだけ我慢強い人だって、働けないからだになるに決まっているだろ。進学に失敗するに決まっているだろ。ほんとうに他人ごとだと思って、ぼろくそに言いやがって。偏見。差別。無職差別。引きこもり差別。

佐藤氏に言っておくと、盛氏の態度がああなのは、佐藤氏が盛氏に、『(社会経験がないから)指導してやってくれ』というようなことを言ったからなんだよ。盛氏のなかではあれが『指導』だったんだろ。だから、ああいう態度なんだよ。(ネットのことを担当しているあいだは)。(言っておくけど、俺はあの時点で、盛氏よりも、ネット(ウエブサイト構築)に関して知識があった。秀丸のマクロに関してもたぶん盛氏よりも知識があった)。ネットの知識や技術に関しては、森氏はぼくに指導ができない。(そりゃ、知識や技術がない人がある人に指導できるわけがないだろ)。

そして、俺は、機種依存文字については、佐藤氏に判断をあづけたあと『好きにやってくれ』と言われたので、機種依存文字を機種に依存しない文字に書きかえただけなんだよ。これもやってやらなければよかったことなんだけど。

あと、俺に対してガンガン言ってきた人(かりにA氏)が、どうして俺のことをうらんでいるか(いたか)というと、佐藤氏が司会をやったとき、ある人が質問をした。その質問にかなり時間をとられていた。で、その質問に関しては、ぼくも興味があったので、なるべく深く話して欲しかったのでそれはそれでよかった。A氏は(たぶん)あのとき『他の人だっているのだから、もっと短くしろ(するべきだ)」と言った人なんだよ。けど、その人だということに気がつかずに、ぼくが横の人に『あの話しはもっと掘り下げて欲しかったな』と言ってしまったんだよ。で、それを聞いたA氏が怒ったというわけ。

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あの中でヘビメタ騒音はひどいことなので、働けなくなるのももっともだ(しかたがない)と思った人は何人いた? これ、ちょっと気になるんだよな。ああいうレベルの人たちですら、そういうふうに思うことに失敗する。これは、おかしい。どうして、「ヘビメタ騒音なんて鳴ってたって、働けるはずだ」と思うのか? 俺は、ヘビメタ騒音がどういう時間の長さ、どういう期間の長さ、どれだけの大きな音で鳴ってたか、短めに、説明したぞ。そういう説明を信じなかったやつは何人だ?


2019年8月21日水曜日

「エイリが言っているだけ」に聞こえる人もいるだろう

俺はどうしたらいいんだ?
すべてがバカらしいよ。
ともかく、ヘビメタ騒音なしですごしたかった。ヘビメタ騒音なしで生きたかった。とくに、中学生活と高校生活がきつすぎる。ほんとうに毎日、午後一一時一一分までガンガン鳴ってた。何時間も浴びせられると、ほんとうに眠れなくなる。あの眠れない時間が、ぼくの精神をおかしくした。緊張がなみじゃないのである。他の人に知られず、他の人に理解されることなく、ズッとやられた。気違い感覚が成り立っているから、ぜんぜん気にしない。どれだけ言っても、気違い兄貴は気にしない。言われたときだけ、「怒って反応」するけど、自分が怒ったあとは、もう、なんにも感じないでやりきることができる。だから、言われるたびに怒って、やりきるということになってしまう。時間までやりきるということになってしまう。午後一一時一一分までやりきるというとになってしまう。やりきったら、一分だって鳴らさなかった気分のままなんだよ。その日、二〇回文句を言われて、二〇回怒ったとしても、なにもなかったということになってしまう。そういう毎日の繰り返しだ。他人が理解するにしても、それは、やられなかった人が、「そういうことがあったんだ」と理解するだけで、実際の経験がともなってない。実際の経験とそういう知識はぜんぜんちがう。俺は戦争に行ったことはないけど、テレビドラマに出てくる戦争と実際の戦争がちがうようにちがう。気違いヘビメタが鳴っているということを理解したとしても、そんなことでは、気違いヘビメタによってしょうじる障害や変化を理解できない。もちろん、「エイリが言っているだけ」に聞こえる人もいるだろう。これ、ちがうんだよな。こんな人生ない。

2019年8月17日土曜日

電子レンジでご飯を温めるとき、金属のスプーンを入れるという儀式に親父がこだわってこたわって(こまった)

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2019年08月17日17時09分57秒
喉がかわいて起きてしまった。
水分補給した。
しかし、どうしたものだ?

暑い。
まあ、冷房があるからね。
けど、ぼくはあんまり冷房に強い方じゃない。

やばいことに、寝る時間がだいたい午前九時から午後七時ぐらいのあいだにおさまっている。これが続いている。これは、やばい。ぼくにとってはあり得ないことだけど?二週間近くこの状態が続いている。ちょうど、他の人に合わせて動かなければならない時間帯が、睡眠でふさがっている。中心的な睡眠時間の前後二時間は、動けない状態なので、やばい。

あとは、親父が呼び込んだネズミのせいで、ダニが発生している。で、親父の部屋のゴミを片付けたときに……。木曜の不燃ゴミの日に、一度出したものが返されたとき(持って行かなかったとき)……。けっきょく、一度袋に入れたものを出して、入れ直さなければならなかったとき……ダニにやられている。で、居間でやったから、居間がダニ地帯になってしまったみたいなんだよな。
(進入路をつぶすために)プロにたのんだほうがいい……俺がつかまえるからいい(20回、30回おなじ会話?)
これ、「俺がつかまえるからいい」と親父が言っているとき、親父は怒っているんだぞ。頭がおかしい。
けっきょく、親父はネズミの小便とネズミの大便は無視していたので、現在の状態にいたっている。俺が、どんな気持ちで、親父の部屋にあるネズミの大便を片付けたと思っているんだよ? ものすごい量のネズフンがあった。で、親父の部屋の押し入れが、ひどかったんだよ。不燃ゴミにまとめて入れたから……。そりゃ、だって、ネズミの糞がついているものを可燃ゴミに入れるというのは抵抗があった。ともかく、その作業中に、「強烈にかゆいダニ」にされている。

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電子レンジでご飯を温めるとき、金属のスプーンを入れるという儀式に(気違い親父がこだわって)やめさせることができなかった。何十回でも、何百回でも、そうする。親父が電子レンジでご飯を温めるときは、なぜだか、ご飯に金属のスプーンをさして、温めようとするのだ。で、これ、何回言っても、とめられない。好きにさせるしかない。けど、あぶないだろ。金属のスプーンなんだから。ちゃんと、あぶないと言うことを言い聞かせればやめてくれると普通の人は思うだろ。けど、ちがうんだよ。聞かない。頭がおかしいから、自分が思いついたやり方でやる。自分が思いついたやり方に対する気違い的なこだわりがすごい。「爆発する可能性があるからやめろ」「スパークする可能性があるからやめろ」と言っても、聞かない。「爆発なんてしないよ」とか言いやがる。で、見てたんだけど、たしかに爆発はしなかった。けど、可能性はあるんだよ。爆発する原理を説明するのは、けっこうむずかしいんだけど、説明したって理解しない。気違い親父側に、金属のスプーンを入れなければならない理由があるかというと、ないのだ。親父が思いついたことで、親父自身も、どうしてやるのか?ぜんぜんわかってないのだけど、ともかく、そういうことにこだわってそうする。で、「やめてくれ」と言っても、聞かない。何十回言っても聞かない。そういうことになっちゃうんだよ。他の人はわからないのだろうけど。
で、これは、脳梗塞の影響や認知症の影響じゃない。親父がわかいときの方が、ひどかった。どんだけの威力があるか。他の人は、頭がおかしいやつの「踏ん張り」を知らない。これ、気違い的な父親にたたられたことがない人だと、ぜんぜんわからないんだよな。そういう幸せな人が、親子フレームを持っていると、気違い的な父親にたたられた不幸な人を、悪く言い出す。これも、不幸だよな。悪が援助され、正義がくじかれるわけだから。しかも、親子フレームにのっとって、そういう発言をする人は、普通の行為をしていると思っているわけで、悪を援助しているつもりがないんだよな。これもおかしい。けど、気違い的な父親にたたられた人と、気違い親父にたたられてない人の割合を考えると、圧倒的に気違い的な父親にたたられてない人のほうが多い。
男の子の場合、父親が適切なロールモデルにならないということが与える影響はデカイ。自分を虐待してくる気違い的な父親が適切なロールモデルになるわけがないだろ。もう、こういうところでも、話しがちがってしまっているんだよな。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。