現在、なんとかweb系の仕事で食べています。このブログで扱う問題は「この世とはなにか」「人生とはなにか」「人間とはなにか」「強迫神経症の原因と解決法」「うつ病の原因と寄り添う方法」「家族の問題」などについてです。
2019年12月26日木曜日
「無職だ」ということを知った途端に、無職偏見回路が発動してしまうのである
どれだけ、「つまらない」と書いてもつまらなさが解消するわけではないけど、限界なので、つまらないと書く。解消というのは、つまらなさがなくなり、楽しくなることなのだが、そんなのは、むりだ。この状態だとむりだ。長期騒音以降、ぼくは、くるしい。
発狂しそうな状態がある。発狂しそうな状態でも、とりあえず生きていれば、ちょっとはまともな状態に移行するときもある。ヘビメタ騒音以降、くるしくてくるしくてしかたがないんだよ。このくるしさは、なんていうのなか、限界的なくるしさだ。
トラブルが発生するとだれでもくるしくなるけど、なんて言うのかな? まだ、トラブル対処のよゆうがあるときにトラブルが発生した場合と、もうまったくよゆうがないときにトラブルが発生した場合とでは、ちょっとちがうんだよな。
いや、ちょっとじゃない。
だいぶ、ちがう。
ぜんぜんちがう。
気違いヘビメタで、常に極限に近いところにいるので、ちょっとでもトラブルが発生するとだめになる。
で、ヘビメタ騒音で極限に近いところにいるということが、トラブルを引き起こしやすい状態なのである。普通の状態であれば、たとえば、震度一のトラブルが一ヶ月に一回ぐらい発生するとしよう。これが普通の人の普通の状態だとする。けど、ヘビメタ騒音以降は、ヘビメタ騒音が影響して、震度一のトラブルが一ヶ月に一〇回ぐらい発生するような状態になってしまう。
ヘビメタ騒音が鳴り終わったあともそうだ。何十年たっても、ヘビメタ騒音が鳴り終わったあと、そういう状態で生きている。ヘビメタ騒音自体が、震度七のトラブルで、一日に数千回発生しているようなものなのだ。だからそれ以降はずっとくるしい。
さいちゅうの一五年間も一五年目以降もくるしい。一年目のくるしさと言ったらない。みんな、一年目のくるしさを経験しないで、「ヘビメタなんてどれだけ鳴っているって言ったってたいしたことはない」とか「ヘビメタ騒音で宿題ができないなんてあまい」とか「ヘビメタ騒音で遅刻してしまうなんてあまい」というようなことを言いやがる。
おまえらは、経験してないだろう。
で、こういうところで、他者とのあいだに溝ができるのである。気違い兄貴は、気違い親父とおなじでしらんぷりだよ。気違い兄貴が震源地なのに、ぜんぜんわかってない。どれだけ言っても、理解しない。頭がおかしいから自分がやっていることがわからない。
あれだけデカイ音で鳴らしているのに、デカイ音で鳴らしているという気持ちかない。認識がない。つもりがない。だから、本人が気違い的にデカイ音で、鳴らしているあいだ、本人には、気違い的にデカイ音で鳴らしているという認知がずっとない状態なのである。
こんなのは、普通は考えられない。けど、うちの兄貴は気違いなので、頑固にそうやって、繰り返す。頑固に否定して繰り返す。頑固に否定したと言うことも否定して繰り返す。本人はまったく関係がないつもりでやり続ける。
殺さなければ、それが終わらない。
この深刻さがわかってない。ヨソのやつらはこの深刻さがわかってない。わかってない。俺に、無理難題を押しつけているというとがわかってない。だれだって、横に気違い家族が住んでいて、そいつが、「つもりがないまま」気違い的にデカイ音で、自分が一番嫌いな音を鳴らし続けたら、遅刻するようになるのに、遅刻するようになるということが、わからない。自分の体験としてわからない。
だれだって、横に気違い家族が住んでいて、そいつが、「つもりがないまま」気違い的にデカイ音で、自分が一番嫌いな音を鳴らし続けたら、一〇〇点が取れるテストで五〇点しかとれなくなるのに、それがわからない。「ヘビメタなんて、関係がない」「ヘビメタなんてどれだけ鳴ってたって、勉強ぐらいできる」「俺だって、工事の音が鳴っている」……ちがうんだよ。ちがうの!!
工事の音や、ちょっとした楽器の音や、カラオケ屋の音や幼稚園生の絶叫とはちがうの!! ちがうんだよ!!! これ、本当にわかってない。普通の音じゃないんだ。どれだけ凶暴な音かわかってない。
うちのすぐ横が幼稚園なのでわかる。ちがうんだよ。となりの人がいろいろな楽器の練習をしているけど、ちがうんだよ。ちがうの!! カラオケ屋やスナックの前をとおるからわかるけど、ちがうの!!
ほんとうにこいつら、わかってないな。どれだけ凶暴な音で、鳴っているかわってない。手につかないんだよ。なにもできないんだよ。気違い騒音の嵐の中にいて、落ちつくことができないんだよ。普通の気分でくらこすことができないんだよ。
生きているだけで、ものすごいエネルギーを消耗してしまう。そして、そのエネルギーがまるで「いきない」のである。夢中になって仕事をしてつかれているというのとはちがうのである。まったく無益なつかれ。
たえているだけで、まるで病人のような状態になる。どうしてもくるしい。どうしても、うまくいかない。けど、やられて、他人とのあいだに溝ができる。そうなると、いろいろなことが積み重なる。
わかってない。
いろいろなことが積み重なるとそれがまた他者とのあいだの溝を大きく、広く、深くするのである。たとえば、ヘビメタ騒音の結果、仕事ができない状態になると、それが、ますます、他人とぼくとのあいだにある溝をひろげる。
仕事ができない状態というのは、無職である状態だ。無職であれば、無職をバカにする人たちが出てくる。たとえば、もし、気違いヘビメタが鳴ってない状態で生きて、ぼくが学者として出会ったら、佐藤のようなやつは俺のことをバカにしない。そりゃ、無職だからバカにしているわけだから。
けど、無職だからバカにしているというような意識は、そんなにはないんだよ。本人が持っている無職に対する偏見に、本人が気がついてない。それほど、深い偏見が、佐藤にはある。けど、佐藤は特別な人間じゃない。日本人の大半が佐藤のような感覚を持っている。無職である人に対して偏見を持っている。
「(相手が)無職だ」ということを知った途端に、無職偏見回路が発動してしまうのである。それが、ほんとうは、人のことをよく見ないで、無職だということでその人のことをバカにするというような態度になってあらわれるのだけど本人は、別に悪いことだと思ってないのである。「そんなのは、無職なんだからしかたがない」と思っている。気違いヘビメタにやられて、働けない状態になって、無職状態が長く続くと、他者の無職に対する偏見に悩まさせれるようになってしまうのである。不可避的に……。
佐藤だって、俺とおなじ期間、俺とおなじぶんだけヘビメタ騒音にやられていたら、どうしても働けないからだになって、無職になる。それが佐藤のような普通の人間にはわからない。逆立ちしたってわからない。佐藤のような人間にとっては、ヘビメタ騒音はたいしたことじゃないのである。ヘビメタ騒音というのは、佐藤にとって他人である人間が経験したヘビメタ騒音であるから、わからない。そして、経験しない以上どこまでも、ヘビメタ騒音というのは、佐藤にとってはそういうヘビメタ騒音なのである。俺が言ってるヘビメタ騒音とはちがう。俺が経験したヘビメタ騒音とはちがう。不可避的に無職にならざるをえないのに、それが、佐藤のような人間にはわからない。
ヘビメタ騒音がどれだけの障害をうむか、まったくわかってない。うまれながらの障害に敏感な佐藤が、うまれたあとに発生するヘビメタ騒音障害に関してはまったく、理解をしめさない。それが人間だ。それが、普通の日本人だ。ヘビメタ騒音で働けなくなるような障害が発生したという(俺の)話しよりも、日本人の労働観のほうが強い。佐藤のなかで強い。だから、テンプレ通りの反応をする。
たまたま、俺よりも「めぐまれていたから」働けるだけなのに、えらそうなことを言いやがって。ヘビメタ騒音が小学六年生の時から二五歳まで、中学三年間と高校三年間をふくんでなっていたというハンディがないから普通に通勤ができるだけなのに、えらそうなことをいいやがって。おまえらだって、ずっとずっと毎日毎日、この世で一番嫌いな音を、「現実を常に無視する」自分勝手な家族が気違い的な意地で鳴らしていたら、通勤する能力をうしなってしまう。
けど、そういうことが、自分の身に起こらなかったから「ヘビメタ騒音なんてたいしたことじゃない」と思ってしまう。「どれだけ鳴っていると言ったってたいした音じゃないんだろ」と思ってしまう。おまえ、毎日やられてみろ。どれだけつらいか。つらいつらい毎日を必死の思いで暮らして、睡眠障害になって、毎日決まった時間に起きるということがどうしてもできなくってしまう。気違いヘビメタにやられて、パッとしない学歴になってしまう。それが、どれだけ、足を引っぱるかわってない。俺は、ヘビメタ騒音がなければ、しかる場所に行けた。しかる場所に行けたら、自分の能力を発揮できた。しかし、しかる場所に行けないとだめなのである。なけなしの努力をして、睡眠障害になってしまう。なけなしの努力をして、疲労と鬱で働けなくなってしまう。
しかし、「騒音で働けないなんてあまい」「そんなのお兄さんに言えばいい」「やっぱり人間は働かないとだめだよ」なんて言われてしまう。気軽に言うな!! 気軽に!! そういうことを言う人にとっては、気軽な問題なんだろうけど、俺にとっては気軽な問題じゃない。人生全部の問題だ。
(働くとは普通に通勤して働くということ)
2019年12月24日火曜日
「やったってやってない」がうちではとおった。これが、ヨソの人にはわからない
親友のことを考えても、俺はもう、ボロボロだ。ころろがぼろぼろだ。よくなる感じがしない。ヘビメタ騒音以降、だれといても、圧迫される感じがある。切羽詰まった感じがある。だれもわからない。
家族である気違いが、気違い的な意地で、この世で一番きらいな音を大爆音で鳴らし続けるというのが、どれだけ人を追い詰めるか、わかってない。他の人はまったくわかってない。経験としてわかってない。だから、ぜんぜんわかってない。わかってない。わかってない。
あの音のなかにいるということ自体が、ピンチなんだよ。どうでもいいことじゃないんだよ。感じ方の問題じゃないんだよ。受けとめ方の問題じゃないんだ。文脈があるといっているだろ。たしかに、気違い兄貴にとって気違いヘビメタは、気持ちのいい音だ。爆音で鳴らさないとストレスがたまるのだろう。爆音で鳴らすと気持ちがいいのだろう。まさしく、感じ方の問題、受けとめ方の問題だと言えそうだ。しかし、ちがう。ちがうんだよ。
ボクは、気違いヘビメタが嫌いだった。この世で一番嫌いな音だった。それは、聞いたときからそうなんだよ。聞く前からそうなんだよ。そういう文脈がある。腹がよじれてしまうような音なんだよ。
あんなでかい音で鳴らしていいわけがないだろ。実際多くの自治体では、いまは、騒音にかんする法律がある。
あんな音で鳴らしていいわけがない。目の前がでかい幼稚園で、横の家が離れていたから鳴らせただけだ。気違い兄貴だって、おばちゃんの家に居候したら、あの音のデカさでヘビメタを一日に一分だって鳴らすことはできない。うちでは、好きなときにどれだけ鳴らしたって、(鳴らしてないのとおなじ)気持ちでいられる。これも、うちのなかでは、気違い親父がやり始めたことだ。気違い親父が、気違い兄貴がゼロ歳の時からそういうモードで暮らしているから、うちでは、それがあたりまえになっている。むかしから、うちでは、(やったってやってない)がとおった。とおっていた。気違いが、やりとおすと、その気違いは、やったつもりをもたなくてすむのである。もちろん、気違い的な意地でやりとおすけど、本人は『やってないのとおなじ』気持ちでいられる。そういうことが普通に、一六年間成り立っていた。気違い兄貴がヘビメタをやり始めたとき、うちでは、気違いが意地をとおして、気違い的な意地でやれば、やってないとおなじだという常識が成り立っていた。気違い兄貴が気違い親父のまねをしてやりはじめた。うちでは、なじみのことだったんだ。これが、ヨソの人にはまったくわからない。気違い親父が正常な感覚と知覚を踏みにじって、そういうことを実行してきた。気違い親父は「いえでは」てっぺんだから、絶対におれない。絶対に言うことを聞かない。
「やったってやってない」がうちではとおった。これが、ヨソの人にはわからない。やったやつはそんなつもりはまったくないよ。これだって、どれだけ、問題を複雑にしているかわからない。やった張本人は、気違い的な意地でやるモードでくるらしているけど、そんなつもりがまったくないんだからな。どれだけ気違いか。どれだけこまるか! 兄貴だって、親父にやられていたときは、こまってたんだよ。それを、一六歳になったら、気違い親父のやり方で、ヘビメタを鳴らしやがって。それも、ものすごくデカイ音で鳴らしやがって。それで、やってないつもりなんだからな。じゃあ、言えばやめてくれるのかというと、それは絶対にない。絶対にない世界だ。これが、ヨソの人には、ほねの髄からわからない。だから、俺が悪くいわれる。俺がだらしないように言われる。殺さなければ、一秒だってこっちの意地を通せない。殺さなければ、一秒だってしずかにさせることができない。それを押しつけてきた。そういう状態を押しつけてきた。そういう状態を押しつけてずっと暮らしていたのに、そういうつもりがまったくないという状態だ。つもりがまったくなければ、どれだけやったって、やってないのとおなじなんだよ。
2019年11月25日月曜日
普通の人は、気にしすぎるから、そういう言葉が必要になる
はぁー。鳴っている感じがする。いましずかだけど、鳴っている感じがする。あのとき、このくらいにしずかだったら……。「やめてくれ」と言ったら、やめてくれたら……。「しずかにしてくれ」と言ったら、しずかにしてくれたら……。まったく、関係なしにガンガンステレオを鳴らして、キーキーエレキギターをひきやがって。ステレオの音にまけないぐらいの音で、エレキギターをずっとひきつづけやがって……。どれだけくるしいか。どれだけ、その日の深夜に影響を与えるか。次の日の、午前一時、二時、三時、四時、五時、六時に影響を与えるか。試験日の午前六時の気分に影響を与えるか?
もーーう、ぼろぼろだったよ。俺が小学生のころからそういう生活をしているということが、他の人にはわからない。ほかの人たちは、「言えばしずかにしてくれる」と思っている。『言えばしずかにしてくれるはずだ』と思っている。なので、『言わないエイリが悪い』ということになってしまう。そういう思考をするやつらが、俺のことをバカにする。どんだけ、不名誉なことか。だいたい、そういう人たちは、常識的な家族に囲まれて生きてきたので、サイコパス家族のことがわからない。(中略)もともと、現実を否定しているところがあるから、「やってない」というもうひとつの現実でものを考える。自分がやりたくてやっているさいちゅうに、相手から「(その行為を)やめてくれ」と言われたら、なにか自分がひどいことをされたような気分になって、発狂してやってしまうのだ。やり続けてしまう。けど、そういう場合でも、「やっているつもり」だけはない。だから、時間がたったあと「兄貴がこういうふうにしてたのでこまった」ということを言われても、まるでわからないのである。「やってない」という気持ちになる。「やってない」という気持ちになったら、自分のなかではやってないということになってしまうのである。親父もおなじで、「親父がこういうふうにしてこまった」ということを言われれば、「やってない」という気持ちになる。そのときだけ、相手の言っていることを否定して、おしまいだ。あとにはなにも残らない。だから、こまる。道徳観や正常な現実認識という問題をぬかせば、「人の言うことなんて気にしないでやった方がいいんです」というようなアドラー風の意見とかわらない状態になってしまう。けど、普通の人は、気にしすぎるから、そういう言葉が必要になる。人の言うことを気にしすぎるから、「人の言うことなんて気にしないでやった方がいいんです」というような意見にひかれる。道徳観や正常な認識が成り立っている人であれば、それでいい。けど、兄貴や親父のように道徳観や正常な認識が成り立ってない人間だったらどうか? まわりの人が被害を受けてこまる。これも、『感じ方の問題だ』なんてことになってしまうのである。アドラーや認知療法家の意見というのは、気にしないでやってしまうひとのことをとめられない。むしろ、気にしないでやってしまう人たちことを応援している。普通は、道徳観や正常な認識が成り立っているからそれでいいけど、道徳観や正常な認識が成り立っていない家族がいる家では、それだと、やられているやつがやられっぱなしということになってしまう。
そして、日常生活ができない状態になれば、当然、無職になる。無職期間が続けば「そんなのは、受けとめ方の問題だ」「過去なんて関係がない」と説教をされるような状態になってしまうのである。やられたほうが。そして、「やられた」という感じ方がそもそも問題なんだと、やられた方が気にするから悪いんだと説教をされるような状態になってしまうのである。こんなとがゆるされるのか?
2019年11月20日水曜日
「眠らなきゃいけない」と思っているのに、眠れない状態になる
あー、まじでつかれた。もう動きたくない。つかれた。つかれた。
↑
横になっているとき、こんなことばかり、考えている。
ほんとうに動きたくないのだ。いまは、起きて、ズボンなどの熱処理を行ったあと、洗濯をして、さらにそのあと、こうやってパソコンに向かい文章を書いているのだが。
ダニ対策として熱処理が必要なわけ。バルサンをやっても、ネズミが出現してしまったら、全部振り出しに戻る。もう、つかれた。ほんとうにつかれた。
ネズミ、ダニ、ナメクジ、全部、めちゃくちゃにつかれることをしいる。俺にしいる。あとは、睡眠時間がずれているときに、付き添いで病院に行かなければならなかったときは、ほんとうにつかれた。頭がおかしくなる寸前。「もうだめか」と思ったけど、朝の七時から九時まで眠れたときはほんとうにたすかった。
けど、ほんとうに限界なんだよな。これ、ヘビメタ騒音で睡眠回路が壊されてないひとは「なにを言ってるんだ」というような感じしかしないと思うけど、ほんとうに死にそうになる。ほんとうに、動けなかった。義理の姉が、電話をかけてくれたけど、二時間でも眠れなかったらほんとうにやばかった。
じゃあ、全部義理の姉にやってもらえばいいといいのではないかと思う人がいるのかもしれないけど、保険証からなにからなにまで、俺が持っている。「全部、渡すから行ってくれ」と言ったんだけど、それは無理だった。だいたい、義理の姉が住んでいるところが、遠い。
ともかく、俺がものすごく眠たいにしても、俺が動かなければ、手術やその他の処理が進まないのだ。全部、持っているわけだから。
ともかく、ネズミ対策と入院の世話で、くるしかった。どうしてそんなにもくるしくなるかというと、やはり、ヘビメタ騒音で睡眠回路がくずれているから、くるしくなる。
調節のための夜も、ヘビメタ騒音で眠れない夜の再現になってしまう。前日まで、午前九時から午後五時まで寝ていたひとが、当日は、午前七時から、動かなければならなくなったときの、つらさが、半端じゃない。
これ、ヘビメタ騒音で午前四時ぐらいまで、眠れないですごしたときの記憶がすべてよみがえるように、くるしい。毎日俺がどれだけくるしんでいたか。毎日俺が、人知れずどれだけくるしんでいたか。
これ、みんなわかってないけど、ヘビメタ騒音に、日中と夜、ずっと七時間ぐらい、さらされると、眠る時間になっても眠れなくなる。
「眠らなきゃいけない」と思っているのに、眠れない状態になる。
これは、ほんとうに、腕をナイフで切ったら、血が出るというような反応に等しい。けど、みんなわかってないんだよな。「午後一一時一一分には、鳴りやむのであれば、夜は眠れる」と思ってしまう。そんなんじゃないのに。自分がこの世で一番嫌いな音が、七時間、八六デシベル付近の音でずっと鳴っている状態を経験してみろ。
それも、なにを言っても話が通じない、気違い家族が鳴らしている音だ。腹が立つ。家族にやられているということは、重大な要素だ。これも、他のひとには、わからない。要素として、見逃す。他人にやられているのも、家族にやられているのもかわりがないと思ってしまう。
けど、「うち」でずっとやられつづけるということは、想像以上につらいものがある。だいたい、ヨソの人たちは「家族だから、言えばやめてくれる」と前提してしまうわけで、こういうのも、俺の首をしめる要素のひとつになる。
ともかく、他のひとは無視するけど、「眠れない夜」というのは半端じゃない破壊力を持っている。その人の人生を破壊する。「ちょっと気をつければ、いい」「過去のことは関係がない」なんて言ってられない。「ちょっとのことじゃないんだ」と言っても、実際に経験したことがないやつにはわからない。
一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日と毎日!!続いた場合の状態を経験したことがない人には、経験としてはわからない。「たるんでいるから、眠れないんだ」「健康管理は自己責任」なんてことをか考えている。俺は自分の意志で「よふかし」をしていたわけじゃない。あまえてもいないし、たるんでもいない。
けど、「夜眠れなくて」ということを言えば、まるで、俺が、好きで夜更かしをしているように考えるやつが、どれだけ多いか。一〇年、一五年、何時間も何時間も、毎日、こっちにとって重要なことがあっても、ずっと鳴っている騒音がどれだけひとの人生を傷つけるか、破壊するかわかってない。
気違い兄貴は、俺の都合というのをまったく考えてない。俺がどれだけ言っても、通じない。
それは、言わなかったのと等価だ。気違い兄貴のなかで、なにも残らないということになっていれば、なにも残らない。いつも通りに、ロボットみたいに、ずっと鳴らし続ける。鳴らすことに鳴っている」から鳴らすという態度で、遠慮なく、気遣いなく、ずっと鳴らす。
どれだけ言っても、まったく気にしないで鳴らす。これも、言われたときだけ、親父のように怒っておしまいなのだ。自分が言われたから、自分が傷ついたというような反応しかない。現実を否定して、おしまいだ。
ほんとうは、ヨソの家では三〇秒だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしているのに、「しずかにしろ」ということを言われたら、「腹を立てる」。それは、親父が、金を使いたくないのに「ハンダゴテを買ってくれ」と言われたときの怒りに相当する。自分の感情しかない。親父も兄貴も、自分の感情しかないから、壊れたロボットのようにおなじことをし続ける。
こっちの都合なんて、考えない。
どれだけ言われたって、考えない。
考えないと決まっているように考えない。
最初から受け付けない。言われたら、発狂して、おしまいだ。現実否定したことを言っておしまい。それで、もう、なにもなかったことになってしまう。こういう態度が、ヨソの人にはわからない。そして、ロボットのように頑固にそうしている人間にもわからない。ようするに、親父と兄貴にはわからない。
(注)義理の姉には相当に助けられている。二人で付き添うことが多かった。そのときもそうだったんだけど、じゃあ、義理の姉だけでいいかというと、そうではない。ようするに、「俺」か「俺と義理の姉」のふたつの選択肢があるわけで、「義理の姉だけ」は、ない。
基本的に、気違い兄貴がうるさくして俺の人生を破壊したのは、義理の姉と結婚する前のことなので、義理の姉にはうらみがない。兄貴の嫁さんだから、うらんでいるということはない。「だから」ね。原因について常にまちがうやつがいるんだよな。兄貴は俺に悪いことをさんざんしているけど、義理の姉は俺に悪いことをひとつもしてない。だから、俺が義理の姉をうらむということはない。こういうことも、いろいろと誤解するやつがいる。
2019年11月18日月曜日
「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」
気違い親父がやりたくなったことは、こっちがどれだけとめても、やってしまう。
勝手にエンジンがかかってしまったことは、こっちがどれだけ「やめてくれ」「やめろ」と叫んでもやめてくれない。
これは俺が大人になってからだけど、「やらなくていい」ということは、血相を変えて、顔を真っ赤にしてやってしまうというところがある。俺が、あるとき、手をすべらせて皿を割ってしまったんだよ。
で、その皿の破片は、ぼくが片付けるから、いじらなくていいといったんだよ。その途端に、スイッチが入って「やってやるやってやる」と言って、皿の破片を片付け出すんだよ。で、ぼくが「やらなくていいよ!!!」「やらなくていいよ!!!」「やらなくていいよ!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!」「やらなくていいよ!!!!!!」と、動いている親父を見て、絶叫したんだよ。
「やらなくていいと言っただろ!!!!!」「やらなくていいと言っただろ!!!」「やらなくていいと言っただろ!!!」「やらなくていいと言っただろ!!!」とさらに続けて絶叫したんだよ。
これ叫んでいるあいだ、ずっと、ちょこまかちょこまか、動いて、まるで聞いてないような状態で、やってしまう。
「やらなくていい」「やってくれるな」ということは、へんな状態でスイッチが入ってやっちゃう。
相手が必死しなって、言っているのに、からだをマッカッカにして、やってしまう。
これが病気で、頭がおかしい。
それから、ぼくはもうその時、大人になっていたわけだけど、本当に、かたづけて欲しくなかったんだよ。
親父がやると、ろくなことにならないから、いやなんだよ。
そういうことを親父がやると、破片が足に刺さったりしていやなんだよ。どれだけ、注意を払って、破片などがないことを確認しても、あらぬところに破片が落ちていて、それを(親父がいないときに)(ぼくが)踏んでしまうというようなことがあるわけ。
これ、もう、本当に呪われているんだよな。
いやなんだよ。これ、本当に、おかあさんもこまってたけど、「やらないでください」「いじらないでください」「さわらないでください」というようなことを言われると、相手が本当に!!!!やって欲しくないときは!!! 自動的に動いてしまう。親父は、相手がやめてくれとずっと横で、言っているのに、顔を真っ赤にしてやってしまう。
これ、言いたくないんだけど、「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」と一〇回、二〇回、絶叫しても、かまわずにやってしまう。エンジンがかかって、あぶらあせをかいて、一生懸命に、急いでやってしまう。相手が、言い終わる前にやってしまおうというような考えにとりつかれているとしか言いようがない態度で、切羽詰まった状態でやってしまう。これを、とめるとしたら、本当に、ぶっ殺してとめるしかない状態になってしまうんだよ。本当に、親父にいじって欲しくないとき、親父にかかわって欲しくないときは、それを、「よみとって」勝手にエンジンがかかって、むりやりやってしまう。皿の破片を拾ってくれたならいいじゃないかと思うかもしれない。そうじゃないんだよ。「やってほしくないこと」「親父に手出しして欲しくないこと」「自分であとでやると決めたことは」……くだらないことでも、自分でやる必要があるわけ。自分でやりたいわけ。この場合、俺が皿を落として割ったわけだから、自分でかたづける必要があったわけ。俺の中で、そういう必要性感じたわけ。だから、「皿の破片は、ぼくがかたづけるからそのままにしておいて」と言ったんだよ。そのままにしておいた欲しかったわけ。俺はその時、別の皿を持っていて、手がふさがっていたから、その皿を部屋のテーブルに一度置いて、ガムテープや新聞紙をとってきてガラスの破片の処理をしようと思ったわけ。
普通なら、「それは、ぼくがあとでやるからやめてください」というようなことを言われたら、やめるものだ。けど、「やめてください」と言われると、スイッチが入ってしまう。で、相手が言っていることを、全部無視して、顔を真っ赤にしてやってしまう。首のしたも真っ赤だから、たぶん、からだじゅうが真っ赤になっていると思う。で、本人は、意地悪でやっているつもりはないわけ。けど、これは、意地悪なんだよ。兄貴のヘビメタもまったくおなじで、「やめてくれ」と言われたら、スイッチが入ってしまうところがある。そのときだけ、相手の状態や言い分を無視してやってしまう。で、やってしまったら、もう関係がないわけ。こういうのも、親父と兄貴でそっくりおなじなんだよ。「そのときだけ」なんだよ。相手がいやがることを、血相を変えて夢中になってやったつもりがないんだよ。けど、現実はそうだ。相手が、横で「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」と絶叫し続けていることを、やり続けてしまう。顔を真っ赤にしてやってしまう。頭がおかしいから、相手が必死になって言っていることがまったくわからない。自分の気持ちしかない。『やってやりたくなったら』どれだけ相手がいやがっても、やってやりたいのだからやってしまうのである。これが、気違いのやりかたなんだよ。精神的な暴力なんだよ。力でやめさせようとしたら、殴り合いになる。殺し合いになる。すべてがすべてそういうテンションだ。親父は、子供が小さいときは(家のなかで)テッペンだから、気違い親父がやりたくなったら、気違い的な意地でやってしまうのである。そのときはそのときで、「俺のほうがうまいからやらせろ」という気持ちしかない。工作の宿題だって、プラモデルだって、気違い親父が「やってやる」と言ったら、ものすごいしつこさでやってしまう。これ、ほんとうにやらせてあげないと、いつまでも食らいついて、怒り狂ってやろうとする。で、理由を言っても、それは、聞かないんだよ。「これは、自分の宿題だからやらなくて良い」と理由を言っても、「どうしてだ」と聞いてくるところがある。コントじゃないけど、このやりとりを何十回も繰り返すようなところがある。理由を言っているのに、「どうしてだ」と怒り狂って聞いてくる。顔を真っ赤にして、「やらせろ」「やらせろ」とうるさい。プラモデルだって、とりあげて、やってしまうところがある。この場合のやってしまうというのは、部品を母体になる部品につけるということなのだけど、ともかく、やらしてあげるまで、横にぴったりくっついて、逆上する。理由なんて言ったって、ガン無視だ。頭がおかしいから、「自分がやってやる」「自分がうまいところを見せたい」という気持ちしかない。相手の気持ちなんて、どれだけ、相手が正確に言ったって、まるで通じない。頭がおかしいから、ほんとうに「自分がやってやりたい」という気持ちしかない。あとのことは、どれだけデカイ声で言われたって、無視なのである。無視しているということも無視してやってしまう。
よく考えてみたら、ヘビメタを鳴らしているときの兄貴の態度がおなじなんだよ。ヘビメタを鳴らしているときに「やめてくれ」と言われ取る、親父みたいな態度で、顔を真っ赤にして無視してやり続ける。
で、兄貴も親父もそうなんだけど、そういうことがあっても、そういうことがあったということが、わ・か・ら・な・い。記憶にない状態になってしまう。
兄貴は、あいてにやってやるやってやる」という部分はなかったけど、自分が勝手にやりたくなってやったことをとめられるという場合は、親父とおなじなんだよ。親父は、「やってやるやってやる」と言うときがある。そのときは、「自分がどんだけすごいか」「じぶんがどれだけうまいか」ということを見せつけたいからやる。で、ほんとうに、自分の側のそういう気持ちしかない状態になってしまう。頭の中に、自分の気持ちしかない状態になってしまう。自分の頭に一〇〇個のものをつめられるとすると、「やってやる」という気持ちだけで、一〇〇個つまっている状態になって、相手が言っていることが入ってくるスキマがなくなってしまう。普通のひとは、どれだけやりたく立って、一〇〇個入るうち、七〇個ぐらいしか埋まらない。三〇個ぐらいは、相手が必死になって言ってくれば、相手が言っていることが三〇個ぐらい、頭のなかにはいる。けど、一〇〇個中一〇〇「自分がやりたい気持ち」でうまっているから、相手がどれだけ言ったって、〇個しか入らない。で、これがおそろしいことなんだけど、自分がそうしたという記憶があたかもないような状態になる。
だから、気違い親父が「やってやるやってやる」と言うと、かならず、その手のトラブルがしょうじる。やった本人は、やってしまえば、関係がないひとになってしまう。
あとで、「親父がやってやるといってやってしまったので、こまった」ということを言ったって、親父は「そんなんじゃない」「やってないやってない」と言い出す。で、「やってないやってない」と言うときの頑固さが、「やってやるやってやる」と言うときの頑固さとおなじなんだよ。
「やってやる」と言っているときは、「やめてくれ」と言っている相手の現実を無視するのである。「やってないやってない」と言っているときは、「やった」という相手の記憶を無視するのである。実際には、やっているので、やったという現実も無視する。けど、現実稼働かなんて言うのは、関係がないんだよ。そのとき、気違い親父が否定したくなったら、現実とは関係なく否定したいわけで、否定する。で、その時間がすぎてしまえば、そういうことがあったということを忘れてしまう。自分にとって不都合なことは、どれだけ言われたって認めない。そういうことの繰り返しになる。そりゃ、時間がたっているわけだからそうなる。
兄貴もおなじで、ゆずってくれなかったのに、「ゆずってやったゆずってやった」と言うことになる。ものすごくデカイ音で鳴らしていたのに「そんなにデカイ音で鳴らしてない」と言うことになる。全部おなじなんだよ。やっているさいちゅうから、現実を無視している。自分にとって都合がいい現実しか見てない。それは、実際には現実じゃない。兄貴の頭のなかでの現実だ。はっきり言えば、妄想だ。よその家じゃ絶対に一分だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしているのに、自分が鳴らしたい時は、「そんなにデカイ音じゃない」「普通の音だ」と言うことになっているのである。気違い兄貴が、ほんとうに、自分の騒音を「三味線ぐらいの音」「フォークギターぐらいの音」だと思っていたから、いろいろなところに矛盾が生じる。けど、そんなのは無視だ。気違い親父とおなじで、「そのとき」自分にとって都合が悪いことは、どれだけわかっていても、わかることでも、わからないことになってしまうのである。正反対のことになってしまうのである。
これ、他のひとにはわからないんだろうな。
どれだけこまるか、ぜんぜんわからないんだろうな。
俺は、まるまるたい。俺は、まるまるたい。俺は、まるまるたい。
2019年10月26日土曜日
フォークギターぐらいの音なら、問題はなかった
ほんとう、やばいな。なんとしかないとなぁ。ほんとうに長期騒音にやられて、人間関係と体調がぐたぐた、だからなぁ。寝不足で動くのは、もう、なにがなんだろうがいやなんだよ。というか、できない。
けど、今年は何回も、四〇時間起きているような状態で動いてしまったので、やっぱり、つかれているんだろな。ぼくの場合、累積された披露があるから、他の人のからだの感じとは違うんだよ。
たとえば、『寝不足で動く』と言った場合の、『寝不足で動く』がちがう。これ、経験がない人には、絶対にわからないことだから、ぼくがどれだけ言葉で説明してもわからないと思う。その人の『寝不足で動く』ときの感じしかないから。長期騒音だとちがうんだよね。あとは、気違い兄貴の態度がやはり、腹が立つ。
これ、ほんとうに、気違いなんだよな。ほんとうにまったく気にしてないからな。どれだけ言われても、気にしない。本気で『デカイ音で鳴らしてない』と思っているんだよな。おまえ、気違い兄貴ですら、別の音が鳴っていたら、三〇秒で絶叫するようなデカイ音だよ。
たとえば、ベルがずっと、あの音のデカさで鳴ってたら、気違い兄貴だって「うるさい」と思うんだよ。鳴っているあいだ「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」と思うんだよ。鳴っているあいだ「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」という気持ちをおさえられなくなるようなデカイ音なんだよ。
ほんとうに、兄貴の友達のカオ君が、三〇秒でわかることが、ずっとわからない。本人は、フォークギターぐらいの音だと思っている。気違いだから、自分がデカイ音で鳴らしたいときは、デカイ音じゃないと思えるのだ。俺は、気違い兄貴が、フォークギターを鳴らしていたときは、文句を言ってないんだぞ。
フォークギターだって、兄貴の部屋で鳴らしていれば俺の部屋で聞こえるんだよ。けど、フォークギターぐらいの音なら、問題はなかった。だから、気違い兄貴が「ほんとうに」フォークギターぐらいの音でヘビメタを聴くなら問題はなかったんだよ。
それが、気違い親父とおなじ態度で、ものすごくデカイ音で鳴らしやがって。
これ、ほんとうにほかの家じゃあり得ないことだから、俺が誤解される。まるで、フォークギターぐらいの騒音で、俺ががたがた言っているように思われる。親父がつくった基地が池田から、気違い兄貴が、気違い的な意識に則って、気違い的な意地を通そうとすると、通せた。
これが問題なんだよ。
これ、気違い的な意地を通してきたのが親父だから、親父は文句を言えない。これも、本当にわかってないんだよな。気違い的な意地で毎日頑固にやり切るほうは、『ほんとうにまったくわかってない』というあり得ない日常がある。
そういうことを、他の人が信じないから、俺がうたがわれる。
これ、ほんとうに殺人沙汰なんだからな。毎日、毎分毎秒、殺人沙汰なんだからな。そりゃ、やられている方が、ひっくり返そうとしたら、殺すしかないような状態を、毎日、毎分毎秒、押しつけている。
そりゃ、『やめてくれ』と言われたら、やっている方が、気違い的な顔で怒って怒って怒って、気違い的な意地で、しがみついてやりきろうとする。殺さなければ、やめさせることができない。『やめてくれ』と言われたら、瞬間的に怒り狂う状態になってしまうのだけど、本人がやり続けることができるなら……殺されなければ……〇・一秒で『言われた』ということが、頭の中から消えてしまう。
『言われなかった』ということになってしまう。
だから、何十万回言われたって、いつも、『まったく言われない状態』で鳴らしているんだよ。『やめてくれ』と一回言われなかったと思って、ガンガン鳴らしている状態で、ずっと鳴らし切る。実
際に(デカイ音で鳴らしているにもかかわらず)相手がなにも言ってこなかったというのであれば、相手は、自分のデカイ音に関して文句がないんだなと思うことができる。こういう場合は『言われなかったから鳴らした』と言うことができるだろう。
けど、気違い兄貴は、一日に何十回言われても、トータルで何十万回言われても『相手がなにも言ってこなかった』という気持ちで鳴らしているのである。
もちろん、気違いだからデカイ音で鳴らしているのにもかかわらず、デカイ音で鳴らしているとは思わない。そりゃ、自分が特別にデカイ音で鳴らしたいなら、どれだけデカイ音だって、『デカイ音じゃない』といこうとになる。そんなことを認めたら、さげなければならなくなるけど、さげなければならなくなるようこなとは、命がけで(現実を無視して)認めないのである。
これも、認めないようにしようと思って認めないわけではないのである。ここらへんが、意識一辺倒の『認知療法』だと説明がつかなくなる。フロイト心理学でなければ『現象』を説明することができない。特殊な言い方だと『現象をすくえない』。
現象は、すくう必要があるんだよ。まったくわかってないのだろうけど。
ともかく、デカイ音で鳴らしているということをほんとうは知っているけど、意地でも認めないようにしようと思っている状態ではない。気違い兄貴はそういうふうに思っているわけではない。気違い兄貴は、少なくても意識的なレベルでは、デカイ音で鳴らしているつもりがほんとうにないのである。
で、『気違い兄貴は、少なくても意識的なレベルでは、デカイ音で鳴らしているつもりがほんとうにないのである』と考えた場合は、気違い兄貴の態度や発言に矛盾がなくなる。ヨソの人は、こういう気違い的な認知をもっている家族がいないので……あるいは、そういう家族に生活の根本を脅かされたことがないので……ヘビメタ騒音の問題が簡単な問題と思っている。
簡単に片付く問題だと思っているのだ。
それはそう思っているヨソの人のほうがまちがっている。けど、ヨソの人の思考の範囲では、俺がへんなことを言っているように思えるのである。こういうところでも、多勢に無勢なんだよな。俺がヨソの人から『へんなことを言っている』と思われる要素がそろっている。
ほんとうに、どれだけつらいか。障害者の人権にはめちゃくちゃに敏感な佐藤氏みたいな人ですら、こういう『感覚を言い換えることができる家族』『気違い的な家族』にやられている方の人権にはまったく無頓着だということが発生する。常識のある人たちは、気違い的な家族にやられている人間の『人権』を無視する。
どうしてなら、「やられている」とは思わないからだ。『そんなことはない』『そんな人はいない』と思っているので、『そんなことはない』『そんな人はいない』ということを前提にしてものを考える。
「ない」と思っているのだから、(感覚がおかしい家族がやったことについて)言及しているほう(やられている家族)がおかしいと思うことになる。
そりゃ、「ない」と思っているのだから、「ある」ということを前提にした発言は矛盾を含んでいることになる。あるいは「ある」ということを前提とした発言は、嘘だと思う。だから、なんとなく信じがたいのである。
で、「ともかく」「そうだとしても」というような思考が出てくる。これは、便利思考で、「ある」ことを前提にした発言を、封殺するのだけど、封殺しなかったような印象を与えるような言葉なのだ。
この場合は、「ない」ということを前提にした結論をいうことになる。それが、助言という形をとるにしろ、「ある」ことが「ない」ことになっている言葉なので、実際には「ある」ということを前提にして話している人間(やられたほう)を侮辱していることになる。
「ない」ということを想定した発言内容が、もし、ほんとうに助言だとして役に立つだろうか? あったことなのに、ないことになっている……そういう前提の助言が役に立つと思うか? おまえ、これ、どれだけ……。どれだけ、言いがたい気持ちになるか?わかるか? わからないんだろうな。
けど、「ない」ということを前提とした助言をするほうにしても、自分にとって信じがたい前提(となる話し)を聞かされたということが、不愉快な経験になるのである。それは、『なにか不愉快な感覚』を呼び起こすものなのである。
これに関しては、もうすでに述べたので、ここでは書かないけど、気違い的な家族にやられると、やられた人とヨソの人のあいだでこういう、(どちらにとっても)不愉快な交流がしょうじてしまうのだ。そういう交流を生じさせたもとになる気違い的な人は、もちろん、そんなことは知らないわけだ。
言ったって、おなじ態度で否定するわけだから、ないことになっている。
これは、たとえば、気違い兄貴が、気違い親父に『親父が持って行けと言ったハンダゴテで人にバカにされてはずかしい思いをした』ということを言ったとしても、気違い親父がまったく受け付けない場合とおなじ構造なのである。最初の段階で基本的なことがわかってないのだから(どれだけ言ってもつたわらないのだから)もっと複雑なことがわかるわけがないだろ。
最初に、たとえば、『ハンダゴテが使えない』ということを言っているのにそれを認めない人が、『ハンダゴテが使えないということで恥をかいた』という話がわかるわけがないのだ。
だから、仮に、気違い的な家族にやられた家族が、気違い的な家族がやったことで、恥をかいた(他の人から悪く言われた)ということを言ったとしても、やっている方は認めないのである。そりゃ、そんな高度なことが認められたら……認めることができるのであれば……最初から、現実を無視した気違い的なことを言ってないのである。
『恥をかいた』ということを相手に言う場合、それは、二回目の話になる。二回目の話しの時も、気違い的な家族は、「であること」を認めない。ハンダゴテの話しであれば、『ハンダゴテが使えない』といこうとを認めない。認めないのだから、『ハンダゴテが使えないということで恥をかいた』ということも認めないのである。気違い兄貴の場合だと、『デカイ音で鳴らしている』という基本的な事実を認めてないのだから、『(兄貴が)デカイ音で鳴らしていると他の人に言ったけど、他の人は信じなかった』ということを言われても、なにを言われているのかわからない状態になるだけなのである。
けど、これは、たとえば、兄貴が『自分が父親に、このハンダゴテは使えないということを言ったにもかかわらず、父親が使えないハンダゴテだということを認めなかった』ということを、他人に言ったとき、その他人が『だいのおとながそんなことがわからないはずがない』と言って、自分(兄貴)の言っていることを信じてくれなかったということを、親父に言っている場合とおなじなのである。
親父にそんな高度なことがわかるわけがないだろ。そんなことがわかるのであれば、最初からそんなことになってない。それとおなじで、気違い兄貴には、気違い兄貴のデカイ音で俺がヨソの人から悪く言われているという話しは、まったくつたわらないのである。気違い兄貴のデカイ音で遅刻をしてしまうからこまっているということをどれだけ言っても、自分(兄貴)に関係があることだとは、どうしても思えないのである。デカイ音でガンガン鳴らしているときに、『宿題ができないからこまる。静かにしてくれ』と言われても、自分が関係していることについて言われているとは思えないのである。けど、『静かにしてくれ』と言われたわけだから、そのときだけ怒り狂う。怒り狂って「はねのけたら」言われなかったことになってしまうんだよ。だから、『知らないまま』鳴らし続ける。これが、気違い兄貴が、ずっとずっと、家のなかでやってきたことだ。十何年も毎日やってきたことだ。
2019年10月18日金曜日
おれがどれだけ、気違いヘビメタの中でがんばって生きてきたと思っているんだよ?
外に出ないとへこみそうだから、外に出るかな。
けど、遠くは無理だ。
やっぱり、近くの販売機まで行って、帰ってくるしかない。しかし、しかし、しかし……。言いたいことはいっぱいあるけど、ここには書けないな。
それにしても、秋が短い。いきなり寒くなるのは、やめてほしい。このあいだまで気温三二度だったのに……。
じゃあ、まあ、行ってくるよ!!!
いまは、食べたくないから、外食はなし。買うべきものも……。あるにはあるけど、買いすぎになる。しかし、カップ麺か。
この人生はやはりくるしい。
それに、やらなきゃいけないことというのが、しょぼい。あんまりやりたくないことなんだよな。
* * *
炭酸水を見つけたので、買いに行かなかった。
しかし、途方にくれる。わかっんないだろうな。
むなしい。だれにもわからないことで、悩んでいる。だれにもわからない。
* * *
やばい。こころがこごえる。
なんとかしないとダメだな。
なんとかしないと……。
いま、しずかなのはいいんだけどな……。
いまはね……。
* * *
理解は得られない。ほんとうにぼくは誤解されている。ずっと誤解されてきた。もういやだ。
あまりにもさみしいので、たいして腹がへってないけど、あったかいものを食べに行くことにした。
なにをたべるかな?
こんな俺でもやらなければならないことがある。それが、めんどうくさい。
『帰ってきたらやらなきゃならないな』と思うと、しんどい。もう、むりでしょ。
もう、ぼくはだいぶ前に壊れて、無理なからだになっている。無理な精神になっている。ほんとうに、この時間、気違いヘビメタがガンガン鳴っていた。気違い兄貴の気違いヘビメタがデカイ音で鳴っているというのはたしかだ。
ところが、ヨソの人は、それを認めない場合がある。ヨソの人がぼくのことを誤解するとき、いくつかのポイントがあるのだけど、そのうちのひとつは『そうは言っても、そんなにデカイ音で鳴っているわけがない』というような誤解ポイントだ。
ちがうって言っているでしょ。
気違い兄貴がスピーカーから四メートル離れているところで、聞いて、ヘビメタ難聴になっている。これは、四メートル離れたところで、八五デシベル以上の音で鳴っていたということを暗示か、明示している。普通、音源がはっきりしているものの場合、音源から一メートル離れたところで音の大きさを測るんだよ。だから、もっとデカイ音で鳴っていたということだ。
もうひとつは、どれだけ言ってもやめてくれなかったということだ。これも、信じない人がいて『言えばやめてくれたはずだ』というようなまちがった信仰を持っている。 気違いの状態というのがまるでわかってない人なんだよな。その人は、健常者に囲まれて育ってきた人なのだろう。
だから、その人の常識で考えると、『家族がそんなことをするはずがない』『言えばわかるはずだ』ということになってしまうのだろう。
けど、それは、その人の家族が健常者だけだったからだ。こういう人が、音のデカさと、音の持続時間と音の持続期間を否定したまま「そうだとしても(仮定)……ちゃんとやらなきゃだめだろ」というようなことを言う。
『そうだとしても?? そうだとしても?? おまえ、何千日もやられてみろ。どれだけ根性がある人でも「できなくなる」。この人たちは、やられてないから、そういうことが言える。自分の身で体験してないからそういうことが言える。
こういう人たちだって、自分の意見には相当に自信があるから、容易には、(自分意見を)引き下げない。引き下がらない。「あったとしても、できるはずだ」という意見にこだわる。いろいろな誤謬ポイントがあるんだよな。ひとごとだと思って簡単に言いやがって。
おれがどれだけ、気違いヘビメタの中でがんばって生きてきたと思っているんだよ?? ほんとうにゆるしがたい。すべてがゆるしがたい。
気違い兄貴の態度(全体)がわからないだけだろ。気違い兄貴の態度全体が、そのひとにとっては非常識なものだから、「そんなのはありえない」というまちがった理論にこだわってしまう。こういうやつの、まぬけな意見で俺がどれだけ不愉快な思いをしてきたか。
こういうやつに、兄貴の姿、兄貴の態度、兄貴が実際に頑固にやってきたことを説明しても、容易には信じない。繰り返しになるけど、「だとしても」と仮定の話をしやがる。そいつにとっては、『仮定』なんだよ。こんなことがゆるされていいわけがない。しかも、そいつは、そういうまちがった仮定でものを言っても、自分の意見を言っただけだというスタンスを維持できるのである。
自分の意見を言っただけ?
そんなことはないよ。俺を侮辱しているよ。ゆるせないよ。
どうして、他人が理解できないような異常な家族にやられると、こういうことになってしまうんだ!! どうして!! どうして!!
* * *
ヘビメタでくるしい。どうしてもくるしい。くるしいだけの人生だった。ヘビメタ騒音で猛烈にくるしい。
だれもわかってくれない。適当なことを言う。いや、不適切なことを言う。彼奴の常識では計り知れない「うち」なんだよ。だから、あいつらの思いこみが、全部間違った方向で、爆走する。気違い兄貴が、ルールを破って悪いことをした。毎日毎日、熱心に、頑固に、悪いことをした。これが重要なことなのに、それは、スルーだ。
完全にスルー。エイリさんの話はほんとうではないかもしれないという、常識的だかまちがっている判断をして、スルーしてしまう。いつもついも「かりに」だからな。
いま、午後一〇時で、しずかだ。この時間だって鳴っていたし、鳴っていたら、どれだけ言っても、しずかにしてくれなかった。それなのに、気違い兄貴は「うるさくした」ということがわかってないし、ヨソの人は『ちゃんと言えばしずかにしてくれたはずだ』という前提立って、俺のことを悪く言う。
『エイリさんがちゃんと言わなかったから悪い』『エイリさんは、コミュ障なのでちゃんと言うことができなかったのではないか』なんて、思ってしまう。
そして、「かりに」鳴っていたとしても、そんなことが、そんなに影響を与えるはずがない……と気違い的な判断をしてしまう。自分だって、一〇〇〇日もやられれば、どれだけくるしいことかわかるはずなのに、やられてないからわからない。
三味線ぐらいの音が二時間ぐらい鳴っていたのだろう……ちょっとうるさいテレビの音が三時間ぐらい鳴っていたのとおなじぐらいだろうと思ってしまうのだ。「そんなんじゃない」とぼくが、どれだけ言っても、こいつらはこいつらで、信じない。
信じてくれる人は、俺が最初に説明したときに信じてくれる。「ひどい目に遭いましたね」と言ってくれる。「そんなんじゃ、働けなくなって当然だ」と言ってくれる。
けど、こういう人たちは、案外少ない。こういう人たちは兄貴が!悪いことをしたということを、一発で理解しいてる。
俺のことを悪く言うやつらは、兄貴が悪いことをした……それも一四年と数ヶ月にわたって、毎日悪いことをしたということを、無視してしまう。『そんなことで働けないなんていうのは甘えだ』と思ってしまう。『騒音で通勤ができないなんておかしい』と思ってしまう。
けど、やられればわかるよ。だいたい、一日のなかでも、七時間は長い。平日、訳し七時間、土曜は約一〇時間、日曜は約一二時間、夏休み、冬休み、春休みは、約一三時間三〇分と、最初に言ってるだろ。
ほんとうに、七時間、機関銃の弾を浴びるように、気違いヘビメタの高音と低音を浴び続けると、眠れなくなる。終わったあとに眠れなくなる。ヘビメタが終わったあとに眠れなくなるんだよ。それだって、常識野郎にしてみれば『自己責任』だ。こいつら……こいつら……。
こいつらが、俺の悪口を言っているのに、こいつらのなかでは、俺が兄貴や親父の悪口を言っているということになっている、らしい。勝手に、コミュ障だと決めつけて、コミュ障だからだめなんだと言うのは、悪口じゃないのか?
どうして、コミュ障だと思うかというと、その時点で、俺が引きこもり無職だからだ。引きこもり無職なら、コミュ障にちがいがないというまちがった信念がある。あー、どうしてこいつらは、常識的な人間なのにこうも倒錯しているのか。
俺がその時点で引きこもり無職なのは、ヘビメタ騒音が足かけ一五年間も毎日続いて、働けなくなったからなんだよ。こうやって、原因と結果をはきちがえる。むしろ、そういう人間のほうが、コミュ障なのではないかと思う。
俺の説明を聞いても、相手が(俺が)ヘビメタ騒音で働けなくなったということを理解してないからだ。ほんとうに、原因と結果がわかってない。
そういうふうにまちがった判断をする人だってほんとうに、あの音のデカさで、あの気違い兄貴の態度で、あの時間の長さ、ヘビメタ騒音を鳴らされたら、毎日眠れなくなって、まるで地獄の中で生活しているようなくるしい状態になる。そのひとつの症状として、『眠れなくなる』というのがある。もっと正確に言うと、『適切な時間に眠れなくなる』ということだ。適切な時間というのは、世間の人が『眠るべき時間だ』と考えている時間ということだ。
俺だって、ヘビメタ騒音がなければ眠れたのである。気違いヘビメタを浴びてない人が……一日にのなかで長時間……毎日毎日浴びてない人が、適切な時間に眠れるのは当然のことだ。
そりゃ、徹夜をすることもあるかもしれないけど、『毎日ヘビメタが鳴っているわけではない』から、回収できる。睡眠時間と睡眠リズムを回収できる。その人たちが『俺だって、つらい朝がある。それでも、がんばって働いている(通勤している)』というのは、一見、正しそうな発言だけど、正しくない。
そういうレベルのつらさは、俺だってヘビメタ騒音が鳴る前に経験しているから、知っている。そういうレベルのつらさと、毎日つもっていくヘビメタ騒音のつらさはちがう。ぜんぜんちがう。
けど、実際には気違い兄貴のヘビメタ騒音を一日も経験してないので、そいつらはわかってない。なおさら、毎日積み重なったときのつらさなどはわかるわけがない。そういうやつらが、わかったようなことを言う。勝手に俺を混みしゅょうだと決めつけて、俺のことを悪く言う。
もちろん、本人は……本人たちは、俺のことを悪く言っているつもりはないのだ。『あたりまえのことを言っている』『正しいことを言っている』と思っている。『そんなことを言われたって、実際に働いてないのだからしかたがない』と思っている。『エイリさんは、働いてないのだから、自分たちからそういうことを言われたってしかたがない』と思っているわけだ。こういう思いこみだって、失礼な話しなんだぞ。ほんとうは!! まったくわからないのだろうけど。
普通の人がこういうことを思う。特に悪い人じゃなくても、こういうふうに思うわけだ。気違い兄貴の態度があまりにも異常なので、他の人がこうやって、まちがった判断をして俺の悪口を言い出す。兄貴とは違った意味で、悪いとは思ってない……そういう人たちは。兄貴のへんな性格はヨソの人をそうやって誤解させる「ちから」がある。
これは、親父の場合もおなじだ。あまりにもへんだから、他の人が誤解してしまうのである。で、じゃあ、他の人にわかるように上(縦書きにする場合は右)に述べたことを説明すれば相手は納得してくれるかというとそうではない。
それから、短い自己紹介時間で、上(縦書きにする場合は右)に述べたようなことを討論形式で?説明できる機会があるかというと、ない場合もある。だから、そいつらは、最初の印象通りに誤解する。僕はむかし、第一印象の研究をしたかったんだ。
2019年9月12日木曜日
もし、そんなにやられていたら、もっとぐちゃぐちゃになってる
けど、ヘビメタ騒音のことを説明したあとの発言がこんなものだからな。
どれだけ、ヘビメタ騒音、気違い兄貴の性格、気違い親父の性格が普通の人に理解されないかわかる。
普通の人というのは、健常者の親に育てられた中産階級の人という意味だ。親に学歴があるだけで、文化がちがうんだよな。
けど、中産階級ではなく下層階級でも、(父親が)健常者なら、気違い親父のような振る舞いはしない。いろいろなことに関して、気違い親父らしい反応はない。これ、普通の人にどれだけ話しても、話半分で理解して、本当のところは理解しない。
だから、「たとえ、そうだとしても、影響を受ける必要はない」と認知療法家のような必要論を展開してくる。まあ、Yu氏が、「たとえ、そうだとしても、影響を受ける必要はない」と言ったわけじゃない。
Yu氏の話にもどると、Yu氏の発言がどういう意味だかいちおう説明しておこう。ヘビメタ騒音の時間の長さ、ヘビメタ騒音の大きさ、ヘビメタ騒音が鳴っていた期間の長さについて、俺は説明した。
「もしそれが、ほんとうなら、エイリさんがもっとぐちゃぐちゃになっていてるはずだ。見たところちゃんと話もできるみたいだし、エイリさんのヘビメタの話しは嘘なのだろう」……こういう意味で、上記(右記に修正)の発言をしたのである。
ほんとうなら、もっとぐちゃぐちゃになっている……嘘だから、まとも?なのだろうということだ。
で、まともはまともだけど、長い間働いてないことはケシカランことであるから、「そういう人とはつきあうのはいやだ」「そういうひとを相手にするのはやめておこう」という気持ちが……あったのではないかと思う。
気違い家族のヘビメタ騒音に耐えて、どれだけくるしくても毎日学校に行った結果がこれだ。手短に言って、「学校に行けたのなら、問題がない」とYu氏は思っていたようなのである。
どれだけまちがっているか? Yu氏の教育論はまともだけど、ヘビメタ騒音に関しては、完全に誤解している。俺の人格に関しても完全に誤解している。
Yu氏の話じゃないけど、ヘビメタ騒音が鳴っていたから、無職なのに(決まった時間に起きて働くことができなくなった)のに、無職の人がいっていることだから、ヘビメタ騒音のことも嘘に違いがないと思う人たちもいる。
因果関係がわかってない連中だ。そういうふうに言う人たちだって、俺とおなじ環境で、俺が経験したのとおなじ分量の騒音を、長い期間にわたって押しつけられたら、働けなくなるのに、それがわかってない。
知的な人ですら、こういう反応だ。いかに、労働にかかわる(仕事にかかわる)共同幻想の力が強いかわかる。無職なら問答無用で、信頼がおけない人なのである。長期間無職な人の発言は、信用することができなのである。
一度、こういう妄想的な偏見が成り立つと、すべての解釈に、その妄想的な偏見が影響を与える。
これが、日本だ。これが日本人だ。これが、日本労働教徒だ。
+++++++++++++
ちなみに、因果律がわからない人はダメだと思う。ヘビメタ騒音の話を聞いて、ヘビメタ騒音が原因で俺が働「け」なくなっているということが理解できない人は、人間としてダメだと思う。なおさら、その人たちが興味を持っている哲学の話しなんてまったくの無意味だ。因果律がわからない人たちが語る哲学の話しなんて、意味がない。
気違い兄貴が、普通の人たちがわからないようなしくみで、気違いヘビメタを(気違い的なこだわりで)鳴らした結果がこれだ。普通の人は、理解できない。気違い兄貴のこだわりがわからない。うちのなかで、それまで成り立ってきた(明文化されない)ルールがわかってない。気違い兄貴のやり方が、それまで、うちで成り立ってきた(明文化されない)ルールに基づいた、やり方なのである。「そんなのはない」「そんなひとはいない」と考えるやつらが、納得するわけがない。
どんだけ、世間からずれているか。うちの基準が……うちのなかでだけ成り立つ基準が世間の基準からずれているか? それこそ、気違いが意地を通せばそれが成り立ってしまう世界なんだぞ。そして、気違いだから、自分がやったことを、絶対の意地で認めないということをしやがる。それも、問題のある行為をするときとおなじ意地で認めないのである。そういうしくみが成り立っている。
だから、本人はまったく気にせず(やっているつもりがないまま)絶対的な無責任体制でやりきることができるのである。こういう気違い家族に、勉強の時間をうばわれていいわけがないだろ。睡眠時間をうばわれていいわけがないだろ。
これは、他の人にはわからないことだと思うけど、一日に約七時間ヘビメタを鳴らされていると、眠れなくなる。この不眠に関しても、「自己責任」「自己責任」のあらしだからな。こんなの、ない。
どれだけ、他人がひどい存在になるか、だよな。気違い兄貴に、気違いヘビメタを鳴らされる日々をすごすということは、どれだけ耐えても、まるで報われないのである。すごした時間が長ければ長いほど、働けなくなるけど、他人はまったく理解しないという構造が成り立っている。俺がどれだけがんばって、学校に通ったか、「通えたなら問題はない」と考えるYu氏のような人にはまったくわからないのである。倒錯。倒錯。
毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/
ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。
自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。
●ヘビメタ騒音というのは
ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。
あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。
俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る
日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!
「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!
各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。
ぼくはまけない
「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。
サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。
認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。
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九九・九九%の人が無視するけど、ほんとうに、たいへんだった。 毎日がたいへんだった。 そして、九九・九九%の人が無視するけど、きちがい兄貴が、実際に鳴らしきったということが重要なんだよ。 きちがい兄貴が、こっちの状態を無視して、全部の時間、鳴らし続けた。ぼくの状態を無視して鳴らし...
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書いてしまうのだけど、また、不安になっている。これ、やばいわぁーー。普通のときもあるのだけど、あきらかに不安になるときがある。この不安というのが、普通の不安ではないのである。 ヘビメタ騒音と書いてあるけど、ヘビメタ騒音がらみの不安なんだよな。 ヘビメタ騒音から発生した不安で、い...
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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。
過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。
用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。