2019年10月2日水曜日

悪について

純粋に悪を目指す人だって本人にとっては、やりたいことがあるのだ。そのやりたいことが、他人の人権を踏みにじるものだから、他人にとっては「悪」に見えるのだ。「やりたいことをやればいい」というのは、悪のススメだ。被害者は愚痴を言わずに黙っていればいいというのは、傲慢だ。基本的に自分勝手な悪いやつだから、そういう発想になる。
人を大量虐殺したいやつは、大量虐殺すればいいということになってしまう。「やりたいこと」は無制限に認められるものではない。虐殺したとすると、被害者は愚痴を言えないが、被害者のまわりにいる人が愚痴を言う権利もないのだ……アドラーやアドラー信者にとっては被害者の言っていることは、大人赤ちゃんが言っている単なる愚痴だ。まあ、権利ぐらいあるかもしれないけど、「そんなのは聞かなくていい」とアドラーやアドラー信者は考える。

これは、悪について相対化がなされないから、起こる不幸なのである。
たとえば、京アニの事件があったけど、犯人にしてみれば京アニビル内に侵入して、ガソリンをまいて火をつけるということはなんとしてもしたいことだったのだ。「やりたいことをやればいい」という考えに立てば、やっていいことなのである。犯人のような自分勝手な人から見れば、自分のなかではやりたいことだから、人のことは考えないでやってよいのである。あるいは、人のことを考えるということが欠落している。あるいは、人のことを考えた場合も、犯人にとっては京アニの人たちは、倒すべき「敵」なので、「やっていい」ということになってしまうのである。犯人が「悪」を目指して「悪」を実行しているつもりがあったかどうかということだ。アドラーやアドラー信者にしてみれば、ただ単に「悪」をなしたということなのだろう。しかし、犯人は、犯人のなかでは『やらなければならない正義』を実行したすぎない。『どうしてもやりたいこと』を実行したにすぎない。犯人のなかでは「どうしてもやりたいことをやった」だけだ。そして、アドラーやアドラー信者は実は、そういうことを肯定しているのである。だから、だれを中心にして考えるかという相対的な視点が、アドラーやアドラー信者からは抜け落ちているのである。そして、アドラーやアドラー信者は被害者につめたい。

だれのなかにも『ミニ・アドラー』がいる。被害者が言っていることは、自分にとっては、不都合で不愉快な気持ちになることなのだ。ここでも、『自分の気持ち』と『自分勝手さ』が際立つ。だれにでも、自分に関係がない被害者が言っていることを聞きたくないという気持ちがあるかもしれないけど、それでは、社会は成り立たない。アドラーやアドラー信者は『そんなのは聞きたくない』という自分の側の気持ちを表明しているだけなのである。もちろん、アドラーやアドラー信者がそういう気持ちを表明することは、そんなに悪いことではない。そりゃ、自分の気持ちを言う権利はあるからな。ならば、被害者にだって自分の気持ちを言う権利があるとは考えないのか? 
https://koukokunai-hashutsujo.blogspot.com/2019/10/blog-post.html




わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。