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2020年2月19日水曜日

佐藤みたいなやつは、ヘビメタ騒音にやられても普通に働けると思っているんだよな

親父、死す。

これで、俺は本当にひとりぼっちになったな。
(俺がうちに一人で住んでいたのは事実)
長期騒音で嫁さんとかいないしな。


このさきどうするかな?
まあ、もちろん、いろいろとやらなきゃならないことがあるんだけど。
いちおう、葬式は25日だ。いま、決めてきた。

どうするかな。

義理の姉には電話を掛けたけど、親戚の電話番号がわからない。だから、それ、書いておいてと言っておいのたに。それはおかあさんの時だ。


兄の長期騒音にやられてから、俺はくるしいだけの人生だったぞ。だったぞ。親父は俺のことを(つもりはないわけだけど)さんざん精神的に虐待しやがって。暴力は二回だけだ。あー。しかし、あっけないものだな。



特養から電話がきたとき、また入院かなと思った。

けど、今回は、入院じゃなかった。死亡確認だけ。死亡届をもらってきたよ。本当にヘビメタ騒音が鳴ってからの俺の人生というのがつらすぎる。ヘビメタ騒音の原因は、親父にもある。親父が気違い兄貴をいじめたから気違い兄貴があんな風になってしまった。で、気違い兄貴の頭の構造と親父の頭の構造がおなじなんだよ。ヨソの人にはまったくわかってないけど。なので、気違い兄貴が、気違い親父みたいな態度で、ヘビメタを鳴らしまくって絶対にゆずってくれなかった。ゆずってくれなかった。ゆずってくれなかった。

佐藤みたいなやつは、ヘビメタ騒音にやられても普通に働けると思っているんだよな。ヘビメタ騒音にやられても、やられてないときとおなじような大学に(努力で進学できると思っているんだよ)。けど、ちがう。進学も結婚も、ヘビメタ騒音にやられて、できなくなった。




2020年2月13日木曜日

根性を出して、笑えば、認知症は治るか


これは、根性を出せば認知症が治るのかという問題にも直結する。たとえば、「笑うこと」が認知症の症状の改善に効果的だとしよう。なら、笑っていれば、認知症が治ってしまうのか? 「笑うこと」がある程度、よい影響を与えるにしろ、「笑うこと」では、脳の萎縮や脳の機能障害が治らずに、認知症が「進行」してしまうという場合がある。むしろ、「笑うこと」によって、認知症が治ってしまう場合のほうが少ない。あるいは、ない。

ようするに、脳の物理的な変化にくらべて、「笑う」という行為がもたらす影響が小さいのだ。けど、たとえば、「笑うと認知症に効果がある」というようなことが言われただけで、『笑うことで認知症が治る』と解釈してしまう人が出てきてしまう。その人のなかでは、『笑えば、認知症は治る』ということになってしまう。

『根性を出せば認知症が治るか』という問題にも直結すると書いたけど、これは、こういうことだ。『根性を出して、笑えば、認知症が治る』ということが、ある人たちの頭のなかでは、確定事項になる。認知症だけではなくて、あらゆる、広い意味で病気が治ってしまう。狭い意味では、認知症は「症」だから、病気ではない。あくまでも、広い意味で病気だとする。

『おかしくなくても、笑えば、おかしいと感じる。おかしいから笑うのではなくて、笑うからおかしいのだ。なので、根性を出して、笑えば、認知症は治る』と言い出す人が出てきてしまう。自称明るい人(たち)だ。『根性療法』『笑顔療法』……そんな言い方はしてないけどさ。中身はそういうことだよ。

で、『笑えば認知症は治る』というようなコピーで本を出せば、売れる。

2020年2月4日火曜日

ヘビメタ騒音波及物のことがわからないだけだ


市役所に行くのはやめた。銀行に行こうかと思う。けど、買い物もする。けど、もう、どうでもいいような感じもする。……よくはないのだけど……。

どうするかな。

ヘビメタ騒音のことで、こころがやばい感じになっている。ヘビメタ騒音と長期騒音の波及物。波及物と書いたけど、波及して発生してしまう出来事のこと。これは、どうなんだろな? ヘビメタ騒音波及発生出来事と言うべきか?


気違い兄貴は、かまわずに鳴らしたわけだけど、鳴らされているあいだ、こっちには、気違い兄貴の騒音が関係のあるものになった。気違い兄貴の騒音が、自分の状態や意識と関係があるものなのである。

しかも、「ヘビメタなんて鳴ってたって、どうだっていい」「ヘビメタなんて鳴ってたって平気だ」「ヘビメタなんて鳴ってたって、俺はだいじょうぶだ」とヘビメタ騒音のなかで、俺がどれだけ言っても……けっきょく、影響を受けた。

言霊とか、思いこみとか、自己暗示とか……気違い兄貴のは快適な騒音ですべて吹っ飛んでしまう。そういう影響を受けた。不可避的な影響を受けた。

どれだけ『影響を受けない』とまじないのように、繰り返して、言っても、受けた。

受けたんだよ。

これ、ほんとうに、今世で、ヘビメタ騒音を鳴らされたことがない人にはわからない。別にヘビメタでなくてもいいんだよ。その人にとって、一番苦手な音が、鳴っていたということだ。その人が一番、この世で嫌いな音が、ものすごい音で鳴っていたということだ。こういう経験がずっと積み重なった人じゃないとわからない。

しかも、やっているのが家族で、ヨソの人は『家族なら相談すればいい』『家族なら相談すれば静かにしてくれるはずだ』と思ってしまう。『どれだけ鳴らしていると言っても、たいしたことはない』と思ってしまう。

また、経験して知っているわけではないから、ヘビメタ騒音波及物に重いがおよばず、『俺なら鳴らされたって、だいじょうぶだ』と思ってしまう。けど、それは、実際に鳴らされたことがないから、ヘビメタ騒音波及物のことがわからないだけだ。

ほんとうに、何時間も浴びていると、鳴り終わったあと、眠れなくなる。何時間も何時間も、どうしても眠れなくなる。この、眠らなければならないのに眠れない数時間というのが、どれだけ、一日の生活に影響を与えるかわかってない。あるいは、一日の精神に影響を与えるかわかってない。

2020年1月20日月曜日

たとえば、認知症は根性で治るのかという問題がある


やっぱり、不愉快だよな。これ、ほんとうに気分でだめになっているわけではないときに、こういうことを言われたら腹が立つよな。けっきょく、気違いヘビメタ騒音が与える全体的な影響というのがまったくわかってないんだよな。
あとは、気分で書いちゃうけど、たとえば、認知症は根性で治るのかという問題がある。さらに言えば、水俣病は根性で治るのかという問題がある。根性を出せば『治る』と思っている人は、根性を出さないやつが悪いと思っている。根性がないからダメなんだと思っている。その根性がなくて、認知症になってしまったやつだって、根性を出せば、認知症が治るのである。治るのに、根性を出してなおそうとしない。だから、ダメなんだ……と思うわけだ。こういうレベルの根性論が、気違いヘビメタ騒音に対して応用されてしまうと、はっきり言って迷惑なのである。けど、認知症に根性論を応用しないやつでも、自分が体験したことがない、長期ヘビメタ騒音に関しては、普通に根性論を応用してしまう。体験してないから、障害のレベルがわかってないだけだ。それから、体験してないから、障害が発生してしまう必然性がわかってない。必然性がわかってないのだから、必然性がないということになってしまう。そういう根性論者の頭のなかでは、必然性がないということになってしまう。ほんとうは、そのように言う根性論者だって、一一歳から二五歳という大事な時期に、俺とおなじ音量で、自分が嫌いな音を、俺とおなじ時間聞かされ続けたら、広範な騒音障害というものがしょうじるのに、それがわかってない。根性の問題になってしまっている。ほんとうに頭にくる。頭にくるんだよ。
で、問題なのは、佐藤のような常識的な人も、根性論者とおなじ思考をしているということだ。行きすぎた根性論者も佐藤のような常識的な人もかわりがないのである。その点においては。どうしてなら、佐藤のような人間も障害が発生してしまう必然性がわかってないからである。佐藤のような人間も、俺におけるヘビメタ騒音の問題は、俺が勝手に発生させてしまった問題だと思っているのである。気分で、ヘビメタ騒音障害者になっている……のである。だから、気分がかわれば……あるいは、根性を出して働く気になれば……ヘビメタ騒音障害の問題が片付くと思っているのである。そういう前提で、すべてのことを言う。なんと、おろかな。なんとおろかしいことか。

2020年1月18日土曜日

「はねのけ」たら、その瞬間に、言われたということ自体を忘れてしまう


気違い兄貴が夢中になって、すべての時間鳴らした。もちろん、すべての可能な時間、鳴らしたということだ。一日に一秒間ですら静かにしてくれなかった。気違い兄貴の感覚で言えば、それで当然だった。気違い兄貴のなかでは、「どれだけやったって、いいこと」だったのである。その決めつけは、俺がどれだけ言っても、かわらなかった。それは、親父の決めつけが、親父のなかでかわらないのとおなじなのである。こういうことだって、「気違い家」のひとじゃないとわからない。家のなかで狂っている人が、どれだけの意地でそうするかわかってない。ほかの人はわかってない。家のなかで狂っている人の感覚が、ほかの人にはわかってない。気違い兄貴は、めいいっぱいデカイ音で鳴らしていいと思って鳴らしていたわけで、悪いことをしているとは思ってなかった。それは、どれだけ言われても、そういうふうには思えないのである。たとえば、ぼくがどれだけ「勉強の邪魔だから静かにしてくれ」と言っても、自分の音が「勉強の邪魔になっている」と思わないのである。言われたら、気違い親父とおなじように、怒り狂う。かっっっっと、くる。ようするに、自分にとって不都合なことを言われたということ「だけ」理解して、怒る。で、本人が怒ったらおしまいだ。これも、親父とそっくりなのである。顔を真っ赤にして怒って、「はねのけ」たら、その瞬間に、言われたことの内容を忘れて、言われたということ自体を忘れてしまう。気違い兄貴の頭のなかでは、「言われなかった」ということになってしまう。兄貴のなかでは、「そういうことは言われなかった」ということになってしまうのである。その都度、そういうプロセスで忘れてしまうなら、たとえ、一万回言われても、一度も言われなかったとい主観的な記憶を持つことになってしまうのである。そういう「きたない手」を使って、自分がやりたいことを優先してやってしまう。もちろん、そういう「きたない手」をつかったというつもりもない。実は親父がうちでやってきたことというのは、そういうことなのである。だから、兄貴がまねをしてそういうことをしても、うちなかでは、自然だった。あたりまえだった。うちなかでは、そういうことが普通に成り立つ。相手が言ってきた内容は理解されず、相手は言わなかったということになって、そのままやり続けるのである。けど、相手が言ってきた内容がほんとうに理解されないのかというとそうではない。「おこった」ということが、理解しているということをしめしている。相手が言ってきた内容は、いまの自分にとって認めることができない内容なのである。認めてしまったら、自分の行動をかえなければならないけど、自分の行動をかえるのは、死んだっていやなのである。だから、そういうことで、意地がある。本人は、「意地がある」と思ってないけど、ほんとうは、ものすごく強い「意地がある」。そういうやり方で、相手が言っていることを無視するのは、いつものことで、一〇回に一回だけそうだったわけじゃない。兄貴の頭は一〇回に一〇回そういうやり方で相手が言ってきたことを無視するように「できて」いる。だから、機嫌が悪いときだけそういうふうな反応をしたということではないのだ。これは、どういうことかと言うと、構造として繰り返されたということだ。これを、「たまたま起こったことだ」と考えると現象が説明できないのである。だから、認知療法家の説明では現象が説明できないのである。多くの認知療法家は、だれかが「いつも父がそうした」とか「いつも兄がそうした」ということを言うのを聞くと、自動的に「いつもというのは、行きすぎた一般化だ」と思ってしまう。それは、かならず、「いつも」ではないのである。「たまたま、そうだったにもかかわらずそう言っているだれかがいつもそうだったと誤解している」と思ってしまうのである。しかし、この場合、誤解しているのは、認知療法家のほうだ。認知療法家が「たまたま起こったのだ」という説明にこだわっているから、「いつもそうだった」ということを否定したくなるのである。
「いつも起こった」とだれかが言うのであれば、それは、その人がたまたま起こったことをいつも起こったことだと誤解しているのだと思うこと自体が、むしろ、行きすぎた一般化なのである。どんな場合でも、たまたま起こったことなのだ……ということにこだわって、まちがった一般化をしている。構造的に成り立っていることは、いつも起こることなんだよ。そして、構造的に成り立っているにもかかわらず、たまたま、そうじゃなかった場合があった……としても、それだけでは構造的に成り立っているということを全面的に否定することはできない。そりゃ、構造的に成り立っている場合にしろ、条件があるからな。たとえば、第三者がいるときは、そういうことにならない場合があるとする。その回はそうだった。だったら、「いつもそうだった」ということは成り立たないということになる。けど、だからといって構造的に成り立っていると言っている人が……つまり「いつもそうだった」と言っている人の言っていることが……まちがっているのかというとそうではない。条件がある。あーそれなのに、それなのに、「いつもそうだった」ということを言えば……鬱病患者やだれかが「いつもそうだった」言えば、その人は行きすぎた一般化をしていると思ってしまうわけだ。

2020年1月3日金曜日

「無職の意見は、すべてまちがっている」「無職は、そもそも意見を言う資格自体がない」


「日本の場合、働けるように見える人が働かない場合、その人が言っていることは、ほとんどすべて否定される」ということを書いたのだけど、もちろん、これは、ぼくが見てきた範囲では、ということだ。私の知るかぎりでは、ということだ。

「ほとんどすべて」と書いたけど、「すべて」と書いたほうが実態には近い。「無職の意見は、すべてまちがっている」「無職は、そもそも意見を言う資格自体がない」という考えを持っている人が多い。無職がなにがしかのことを言ったら、それは、まちがっているのである。なぜなら、その人が無職だからである。

しかし、無職性の低い無職の場合は、そのようには(他の人から)考えられない。無職性の低い無職というのは、定年退職者、専業主婦、学生だ。こういう属性を持っている無職は、無職でも無職あつかいされない。これは、きわめて重要なことなのだけど、「無職問題」を考えているときは、重視されない。無視される。

「無職の意見は、すべてまちがっている」……(1)
「無職は、そもそも意見を言う資格自体がない」……(2)

このように思っている人が、考え方を変えるということはない。なので、相手の人は、無職から脱出しないと、この人たちを説得することはできない。かりに、AさんがBさんから見て働ける人であったとしても、Aさんが働けない人の場合、Aさんは、(いま現在無職であるから)Bさんを説得できないということになる。

Aさんがかりに「自分は働けないのだ」ということを言ったとしても、Bさんは、現在無職であるAさんが言うことは、すべてまちがってると仮定してしまうので、納得しないのである。だから、Aさんが、「自分は働けないのだ」ということをBさんに説得して納得してもらうためには、働かなければならないということになってしまうのである。

ある属性を持っているものが言うことはすべてまちがっているという信念を持っている人は、けっこう、存在するのではないかと思う。しかし、それが、共同幻想であった場合は、もちろん、そういうひとの信念が正しいように思われてしまうのである。

「女の意見は、すべてまちがっている」……(1)
「女は、そもそも意見を言う資格自体がない」……(2)
という信念を持っている人は、現在は少ないと思うけど、むかしは多数いたと思われる。

2019年12月26日木曜日

「無職だ」ということを知った途端に、無職偏見回路が発動してしまうのである


どれだけ、「つまらない」と書いてもつまらなさが解消するわけではないけど、限界なので、つまらないと書く。解消というのは、つまらなさがなくなり、楽しくなることなのだが、そんなのは、むりだ。この状態だとむりだ。長期騒音以降、ぼくは、くるしい。

発狂しそうな状態がある。発狂しそうな状態でも、とりあえず生きていれば、ちょっとはまともな状態に移行するときもある。ヘビメタ騒音以降、くるしくてくるしくてしかたがないんだよ。このくるしさは、なんていうのなか、限界的なくるしさだ。

トラブルが発生するとだれでもくるしくなるけど、なんて言うのかな? まだ、トラブル対処のよゆうがあるときにトラブルが発生した場合と、もうまったくよゆうがないときにトラブルが発生した場合とでは、ちょっとちがうんだよな。

いや、ちょっとじゃない。
だいぶ、ちがう。
ぜんぜんちがう。

気違いヘビメタで、常に極限に近いところにいるので、ちょっとでもトラブルが発生するとだめになる。

で、ヘビメタ騒音で極限に近いところにいるということが、トラブルを引き起こしやすい状態なのである。普通の状態であれば、たとえば、震度一のトラブルが一ヶ月に一回ぐらい発生するとしよう。これが普通の人の普通の状態だとする。けど、ヘビメタ騒音以降は、ヘビメタ騒音が影響して、震度一のトラブルが一ヶ月に一〇回ぐらい発生するような状態になってしまう。

ヘビメタ騒音が鳴り終わったあともそうだ。何十年たっても、ヘビメタ騒音が鳴り終わったあと、そういう状態で生きている。ヘビメタ騒音自体が、震度七のトラブルで、一日に数千回発生しているようなものなのだ。だからそれ以降はずっとくるしい。

さいちゅうの一五年間も一五年目以降もくるしい。一年目のくるしさと言ったらない。みんな、一年目のくるしさを経験しないで、「ヘビメタなんてどれだけ鳴っているって言ったってたいしたことはない」とか「ヘビメタ騒音で宿題ができないなんてあまい」とか「ヘビメタ騒音で遅刻してしまうなんてあまい」というようなことを言いやがる。

おまえらは、経験してないだろう。

で、こういうところで、他者とのあいだに溝ができるのである。気違い兄貴は、気違い親父とおなじでしらんぷりだよ。気違い兄貴が震源地なのに、ぜんぜんわかってない。どれだけ言っても、理解しない。頭がおかしいから自分がやっていることがわからない。

あれだけデカイ音で鳴らしているのに、デカイ音で鳴らしているという気持ちかない。認識がない。つもりがない。だから、本人が気違い的にデカイ音で、鳴らしているあいだ、本人には、気違い的にデカイ音で鳴らしているという認知がずっとない状態なのである。

こんなのは、普通は考えられない。けど、うちの兄貴は気違いなので、頑固にそうやって、繰り返す。頑固に否定して繰り返す。頑固に否定したと言うことも否定して繰り返す。本人はまったく関係がないつもりでやり続ける。

殺さなければ、それが終わらない。

この深刻さがわかってない。ヨソのやつらはこの深刻さがわかってない。わかってない。俺に、無理難題を押しつけているというとがわかってない。だれだって、横に気違い家族が住んでいて、そいつが、「つもりがないまま」気違い的にデカイ音で、自分が一番嫌いな音を鳴らし続けたら、遅刻するようになるのに、遅刻するようになるということが、わからない。自分の体験としてわからない。

だれだって、横に気違い家族が住んでいて、そいつが、「つもりがないまま」気違い的にデカイ音で、自分が一番嫌いな音を鳴らし続けたら、一〇〇点が取れるテストで五〇点しかとれなくなるのに、それがわからない。「ヘビメタなんて、関係がない」「ヘビメタなんてどれだけ鳴ってたって、勉強ぐらいできる」「俺だって、工事の音が鳴っている」……ちがうんだよ。ちがうの!!

工事の音や、ちょっとした楽器の音や、カラオケ屋の音や幼稚園生の絶叫とはちがうの!! ちがうんだよ!!! これ、本当にわかってない。普通の音じゃないんだ。どれだけ凶暴な音かわかってない。

うちのすぐ横が幼稚園なのでわかる。ちがうんだよ。となりの人がいろいろな楽器の練習をしているけど、ちがうんだよ。ちがうの!! カラオケ屋やスナックの前をとおるからわかるけど、ちがうの!!

ほんとうにこいつら、わかってないな。どれだけ凶暴な音で、鳴っているかわってない。手につかないんだよ。なにもできないんだよ。気違い騒音の嵐の中にいて、落ちつくことができないんだよ。普通の気分でくらこすことができないんだよ。

生きているだけで、ものすごいエネルギーを消耗してしまう。そして、そのエネルギーがまるで「いきない」のである。夢中になって仕事をしてつかれているというのとはちがうのである。まったく無益なつかれ。

たえているだけで、まるで病人のような状態になる。どうしてもくるしい。どうしても、うまくいかない。けど、やられて、他人とのあいだに溝ができる。そうなると、いろいろなことが積み重なる。

わかってない。

いろいろなことが積み重なるとそれがまた他者とのあいだの溝を大きく、広く、深くするのである。たとえば、ヘビメタ騒音の結果、仕事ができない状態になると、それが、ますます、他人とぼくとのあいだにある溝をひろげる。

仕事ができない状態というのは、無職である状態だ。無職であれば、無職をバカにする人たちが出てくる。たとえば、もし、気違いヘビメタが鳴ってない状態で生きて、ぼくが学者として出会ったら、佐藤のようなやつは俺のことをバカにしない。そりゃ、無職だからバカにしているわけだから。

けど、無職だからバカにしているというような意識は、そんなにはないんだよ。本人が持っている無職に対する偏見に、本人が気がついてない。それほど、深い偏見が、佐藤にはある。けど、佐藤は特別な人間じゃない。日本人の大半が佐藤のような感覚を持っている。無職である人に対して偏見を持っている。

「(相手が)無職だ」ということを知った途端に、無職偏見回路が発動してしまうのである。それが、ほんとうは、人のことをよく見ないで、無職だということでその人のことをバカにするというような態度になってあらわれるのだけど本人は、別に悪いことだと思ってないのである。「そんなのは、無職なんだからしかたがない」と思っている。気違いヘビメタにやられて、働けない状態になって、無職状態が長く続くと、他者の無職に対する偏見に悩まさせれるようになってしまうのである。不可避的に……。

佐藤だって、俺とおなじ期間、俺とおなじぶんだけヘビメタ騒音にやられていたら、どうしても働けないからだになって、無職になる。それが佐藤のような普通の人間にはわからない。逆立ちしたってわからない。佐藤のような人間にとっては、ヘビメタ騒音はたいしたことじゃないのである。ヘビメタ騒音というのは、佐藤にとって他人である人間が経験したヘビメタ騒音であるから、わからない。そして、経験しない以上どこまでも、ヘビメタ騒音というのは、佐藤にとってはそういうヘビメタ騒音なのである。俺が言ってるヘビメタ騒音とはちがう。俺が経験したヘビメタ騒音とはちがう。不可避的に無職にならざるをえないのに、それが、佐藤のような人間にはわからない。

ヘビメタ騒音がどれだけの障害をうむか、まったくわかってない。うまれながらの障害に敏感な佐藤が、うまれたあとに発生するヘビメタ騒音障害に関してはまったく、理解をしめさない。それが人間だ。それが、普通の日本人だ。ヘビメタ騒音で働けなくなるような障害が発生したという(俺の)話しよりも、日本人の労働観のほうが強い。佐藤のなかで強い。だから、テンプレ通りの反応をする。

たまたま、俺よりも「めぐまれていたから」働けるだけなのに、えらそうなことを言いやがって。ヘビメタ騒音が小学六年生の時から二五歳まで、中学三年間と高校三年間をふくんでなっていたというハンディがないから普通に通勤ができるだけなのに、えらそうなことをいいやがって。おまえらだって、ずっとずっと毎日毎日、この世で一番嫌いな音を、「現実を常に無視する」自分勝手な家族が気違い的な意地で鳴らしていたら、通勤する能力をうしなってしまう。

けど、そういうことが、自分の身に起こらなかったから「ヘビメタ騒音なんてたいしたことじゃない」と思ってしまう。「どれだけ鳴っていると言ったってたいした音じゃないんだろ」と思ってしまう。おまえ、毎日やられてみろ。どれだけつらいか。つらいつらい毎日を必死の思いで暮らして、睡眠障害になって、毎日決まった時間に起きるということがどうしてもできなくってしまう。気違いヘビメタにやられて、パッとしない学歴になってしまう。それが、どれだけ、足を引っぱるかわってない。俺は、ヘビメタ騒音がなければ、しかる場所に行けた。しかる場所に行けたら、自分の能力を発揮できた。しかし、しかる場所に行けないとだめなのである。なけなしの努力をして、睡眠障害になってしまう。なけなしの努力をして、疲労と鬱で働けなくなってしまう。

しかし、「騒音で働けないなんてあまい」「そんなのお兄さんに言えばいい」「やっぱり人間は働かないとだめだよ」なんて言われてしまう。気軽に言うな!! 気軽に!! そういうことを言う人にとっては、気軽な問題なんだろうけど、俺にとっては気軽な問題じゃない。人生全部の問題だ。


(働くとは普通に通勤して働くということ)

2019年12月24日火曜日

「やったってやってない」がうちではとおった。これが、ヨソの人にはわからない


親友のことを考えても、俺はもう、ボロボロだ。ころろがぼろぼろだ。よくなる感じがしない。ヘビメタ騒音以降、だれといても、圧迫される感じがある。切羽詰まった感じがある。だれもわからない。

家族である気違いが、気違い的な意地で、この世で一番きらいな音を大爆音で鳴らし続けるというのが、どれだけ人を追い詰めるか、わかってない。他の人はまったくわかってない。経験としてわかってない。だから、ぜんぜんわかってない。わかってない。わかってない。

あの音のなかにいるということ自体が、ピンチなんだよ。どうでもいいことじゃないんだよ。感じ方の問題じゃないんだよ。受けとめ方の問題じゃないんだ。文脈があるといっているだろ。たしかに、気違い兄貴にとって気違いヘビメタは、気持ちのいい音だ。爆音で鳴らさないとストレスがたまるのだろう。爆音で鳴らすと気持ちがいいのだろう。まさしく、感じ方の問題、受けとめ方の問題だと言えそうだ。しかし、ちがう。ちがうんだよ。
ボクは、気違いヘビメタが嫌いだった。この世で一番嫌いな音だった。それは、聞いたときからそうなんだよ。聞く前からそうなんだよ。そういう文脈がある。腹がよじれてしまうような音なんだよ。

あんなでかい音で鳴らしていいわけがないだろ。実際多くの自治体では、いまは、騒音にかんする法律がある。

あんな音で鳴らしていいわけがない。目の前がでかい幼稚園で、横の家が離れていたから鳴らせただけだ。気違い兄貴だって、おばちゃんの家に居候したら、あの音のデカさでヘビメタを一日に一分だって鳴らすことはできない。うちでは、好きなときにどれだけ鳴らしたって、(鳴らしてないのとおなじ)気持ちでいられる。これも、うちのなかでは、気違い親父がやり始めたことだ。気違い親父が、気違い兄貴がゼロ歳の時からそういうモードで暮らしているから、うちでは、それがあたりまえになっている。むかしから、うちでは、(やったってやってない)がとおった。とおっていた。気違いが、やりとおすと、その気違いは、やったつもりをもたなくてすむのである。もちろん、気違い的な意地でやりとおすけど、本人は『やってないのとおなじ』気持ちでいられる。そういうことが普通に、一六年間成り立っていた。気違い兄貴がヘビメタをやり始めたとき、うちでは、気違いが意地をとおして、気違い的な意地でやれば、やってないとおなじだという常識が成り立っていた。気違い兄貴が気違い親父のまねをしてやりはじめた。うちでは、なじみのことだったんだ。これが、ヨソの人にはまったくわからない。気違い親父が正常な感覚と知覚を踏みにじって、そういうことを実行してきた。気違い親父は「いえでは」てっぺんだから、絶対におれない。絶対に言うことを聞かない。
「やったってやってない」がうちではとおった。これが、ヨソの人にはわからない。やったやつはそんなつもりはまったくないよ。これだって、どれだけ、問題を複雑にしているかわからない。やった張本人は、気違い的な意地でやるモードでくるらしているけど、そんなつもりがまったくないんだからな。どれだけ気違いか。どれだけこまるか! 兄貴だって、親父にやられていたときは、こまってたんだよ。それを、一六歳になったら、気違い親父のやり方で、ヘビメタを鳴らしやがって。それも、ものすごくデカイ音で鳴らしやがって。それで、やってないつもりなんだからな。じゃあ、言えばやめてくれるのかというと、それは絶対にない。絶対にない世界だ。これが、ヨソの人には、ほねの髄からわからない。だから、俺が悪くいわれる。俺がだらしないように言われる。殺さなければ、一秒だってこっちの意地を通せない。殺さなければ、一秒だってしずかにさせることができない。それを押しつけてきた。そういう状態を押しつけてきた。そういう状態を押しつけてずっと暮らしていたのに、そういうつもりがまったくないという状態だ。つもりがまったくなければ、どれだけやったって、やってないのとおなじなんだよ。

2019年12月22日日曜日

せけんのやつらは、『ヘビメタ騒音でできない』ということを認めない


どこか遠くに行きたいという気持ちはある。よく、思うんだ。『どこか遠くに行きたいな』と。
けど、実際には、行かない。行けない。
『どこに行ったっておなじだよ』という気持ちがある。『そんなの、つかれるだけで、なにもかわらないよ』という気持ちがある。『自分が動いても、気違いヘビメタ騒音にやられた雰囲気が毒ガスのように蔓延しているのだから、どこに行ったって無理』という気持ちがある。
ほんとうに、どこに行ってもくるしい。だれもたすけてくれなかった。どこに行ってもヘビメタ騒音でくるしい。まるまるたい。

『ヘビメタ騒音でくるしい』と言っているだろ。
『ヘビメタ騒音で●にたい』と言っているだろう。
『ヘビメタ騒音でできない』と言っているだろ。で・き・な・い・ん・だ・よ。できない。ヘビメタ騒音でどーしてもできない。

けど、せけんのやつらは、『ヘビメタ騒音でできない』ということを認めない。やられてないからわかってないだけだ。できないんだよ。できなくなるんだよ。

『なにが、過去は関係がない』だ。ふざけんな。

2019年12月17日火曜日

ほんとうに、自分の人生なのだけど、信じられない


ほんとうに、自分の人生なのだけど、信じられない。どうしてこうなってしまったのか。気違い兄貴が、あんな気違いでなければ、こういうことにならなかった。気違い兄貴が、気違い的な感覚で俺の言っていることを無視して、気違い的な態度で鳴らし続けなければ、こんなことになってない。気違い兄貴にやられたことがない人が、『ちゃんといわないからだめなんだ』と俺を下に見て、説教をしてくる。『無職』『引きこもり』*という属性があれば、人は、勝手に見下して説教をしてくる。おまえらだって、あんなに長い時間、あんなに長い期間、自分がこの世で一番嫌いな爆音にさらされたら絶対に働けないようになるのに、えらそうなことを言いやがって……という気持ちになる。

自分がこの世で一番嫌いな音が一日に一三時間以上鳴っている状態というのを経験してみろ。どんだけ、くるしいか。しかも、やっているやつが家族で、サイコパスだ。気違い的な意地で、自分が出している音がデカイ音だということを認めない。全部、ゆずらずにやりきっているのに、全部ゆずってやった気持ちでいる。……こういう部分が他の人にはわからない。しかも、家族のなかにそういう人間がもうひとりいる。その人間は、父親だ。こんな状態を押しつけられて、他人にはえらそうなことを言われて、俺はもう、いやだよ。



*当時

いま、アマゾンキンドルアンリミテッドを無料で楽しめるので、ぼくの本をただで読むチャンスですよ。

一ヶ月だけだけど。

2019年12月11日水曜日

ヘビメタ騒音の朝なんて、『人間魚雷になる日の朝』とおなじなんだよ。


「どうにかしないとやばいな」というのはあるけど、動けない。「どうにかしなければ」と思いながら、なにもしないまま時間だけがすぎていく。



たとえば、リアルであっている人がいたとして、その人にはぼくの内面の崩壊がわからない。



騒音問題は、睡眠障害を含めてけっこう重たい問題なんだよ。睡眠障害で「うけ」が悪いよ。だいたい、これから眠るつもりなんだけど、ほんとうは、行かなきゃならないところがある。昼間あたり……。けど、俺は行かない。寝ているから。


   *   *   *


2019年12月11日07時16分15秒
ほんとうーーーに、つらかった。どれだけ、ぼくが「つらかった」と言っても、まったくつたわらないだろうけど、つらかった。で、この朝の感じが『リアル』なんだよね。この朝の感じはヘビメタ騒音の朝の感じだ。どれだけだれがなんと言おうと、つらいものはつらい。破滅破綻を感じるものは、破滅破綻を感じてしまう。長く続きすぎたんだよ。ヘビメタ騒音が長く続きすぎた。毎日続いた。毎日の経験の上にできあがった感覚は、否定できない。『破滅を感じる必要はない』と言ったって感じる。『破綻を感じる必要はない』と言ったって感じる。
気違い兄貴が、ほんとうに気違いモードで気違いヘビメタを鳴らした。ほんとうは、深刻な問題なんだけど、当事者ではない人にとっては、どうでもいい問題だ。どうでもいい問題だという意味で、『破滅を感じる必要性がない』のである。けど、どうだ。気違い兄貴が、気違い的な意地で、気違い的な感覚で、ヘビメタを鳴らすと、破滅を感じる。長いからな。一日のなかで長すぎる。だれもわからない。そりゃ、体調、くずれるよ。力が出ない体質になる。つかれやすい体質になる。どれだけ、よゆうがある時間だってめちゃくちゃだ。ズタボロだ。これは、ほんとうにヘビメタ騒音でそうなっている。『めちゃくちゃだと感じる必要がない』とか『ズタボロだと感じる必要がない』と言われて片づく問題じゃないんだよ。こういうことで、気違いヘビメタを体験してない普通の人と、敵対しなければならなくなるだろ。まあ、ついうっかり、敵対という言葉を使ってしまったから『敵対する必要はない』と言葉をかえされてしまうけど、少なくても、意見があわない。で、感覚的に、ぼくが言っていることがわからない。わからない上で、正論を吐く。だいたい、日本は、労働至上主義みたいなものがある。無職(*)のいうことは、なんだろうがまちがっているのである。そういう思いこみのほうをどうにかしろよ。無職は、むかしの非国民みたいなものなんだよ。いったん非国民になったら、どれだけいじめてもいいということになってしまう。いまだって、無職*であるならば、どれだけののしってもいいということが成り立っている。感覚として成り立っている。あるいは、下ののものとして説教していいという感覚が成り立っている。『無職なのだからしかたがない』という感覚が成り立っている。これは、『非国民なのだから、しかたがない』という感覚とおなじだ。
まあ、非国民のことはいいよ。これは、あとで書くよ。基本的には、なんて言うのかな? どうして、日本人なのに人間魚雷になった人の気持ちがわからないのかという問題がある。俺には棺桶と言われる魚雷につめこめられた人の気持ちがわかる。どうして、拒否できなかったのかわかる。どうして、逃亡できなかったのかわかる。これがわからずに、お国のためにすすんで人間魚雷になっていたという物語を考え出してしまうほうがどうかしている。

関係がないけど、
ヘビメタ騒音の朝なんて、『人間魚雷になる日の朝』とおなじなんだよ。

   *   *   *

みんな、気違い兄貴の意地がわかってない。みんな、気違い兄貴の感覚がわかってない。みんな、気違い兄貴の態度がわかってない。

どれだけこまるか。どれだけ、気違い兄貴が重症か、みんなわかってない。平日、一日六時間四〇分。日曜祭日、一日一三時間気違いヘビメタが鳴っていると、どれだけ苦しい生活になるかぜんぜんわかってない。みんなわかってない。

こいつらわかってないから、てきとうに『どれだけ鳴ってたって勉強ぐらいできる』とか『どれだけ鳴ってたって遅刻しないことは可能だ』というようなことを言う。自信を持って言うわけだからな。けど、そういう言うやつは、一日もヘビメタ騒音を経験してないし、一〇〇〇日、連続でヘビメタ騒音が毎日鳴った場合、どういうからだの状態になるかわかってない。

『そんなの、お兄さんに言えばいい』『言えばわかってくれる』『ちゃんといわないからだめなんだ』……。どれだけズレているか。

『人の悪口を言うのはよくない』『なおさら、家族の悪口を言うのはよくない』……。悪口? おまえ、どんだけ。

2019年12月4日水曜日

『いま動くんだったら、死んだ方がましだ』という時間がある


いま、やばい状態になった。

精神的にやばい状態になって起きてきた。なんかつかれたから横になったんだよ。「うわっ」という感じがするときがあるなぁ。

悪い意味で……。やっぱり、くるしいこととか思い出してしまう。



明日は、歯医者か。


   *   *   *


けっきょく、今日、片付け関係でやったことは、すてるフライパンを洗うということだけか。
さっき、「うっ」ってなったけど、半分眠っているような状態はやばいな。
ほかには、今日は通販の受け取りを二回やった。あとは、洗濯物を干した。洗濯物は、すでに洗ってあったものだ。
今日は日差しが強くてたすかった。
なんとかするべきなのだが、むずかしく考えすぎなのか、あるいは、神が俺の邪魔をしているのか、あんまり……。いいアイディアが浮かばない。浮かんだとしても、行動する気になれない。行動はしんどい。これは、やられた人間じゃないとわからないと思うけど、ともかく、『いま動くんだったら、死んだ方がましだ』という時間がある。起きたくないときに、起きて体を動かすときは、そういう感じがある。ならば、『起きたのではないか』『動いたのではないか』と思うかもしれない。『いま動くんだったら死んだ方がましだ』と思っているのにもかかわらず、動くことができたのだから、そんなのは嘘だと思う人もいるかもしれない。けど、その人は、その蓄積を無視している。それから、起きて動いているあいだじゅう、くるしい。ずっとおなじようにくるしい。これがちがうんだよな。気違い騒音にやられてない人とやられた人だとこれがちがう。普通は起きたくないときに、起きて行動していても、だんだん体がなれてくるものだ。それは、気違いヘビメタにたたられる前に経験している。気違いヘビメタにたたられる一一歳までは、起きたくないときも起きて、動いていれば体がなれた。けど、それは、気違いヘビメタの連続がはじまる前の話で、ぜんぜん風景がちがってしまった。からだがちがう。こういうのがわかってないんだよね。今朝も話したけど、やられた人とやられてない人とでは、「つらい」の感覚がちがう。「できない」の感覚がちがう。おまえ、どれだけぼくが、動かない体を動かしたと思っているんだよ。気違いヘビメタにたたられてない人は、「ほら、動いた」と思うだろう。けど、ちがうんだよ。動いたことが全部マイナスになっている。そういう世界だ。家族による気違いヘビメタがものすごい音で一一時一〇分まで鳴っている世界というのはそういう世界だ。だんだんそういう世界になっていくのである。

俺は、無理をして動いたから……七年間毎日動いたから、だめになってしまったのだ。まあ、八年九年一〇年……と続くのだが。

ほんとうにつかれたよ。


2019年11月26日火曜日

こころがさめてしまって、どうにもならない


こころがさめてしまって、どうにもならない。そして、これまた、他の人には絶対にわからないだろうけど、この世の感じがヘビメタ騒音にたたられている感じなのだ。ヘビメタ騒音にたたられている時に認知したこの世の感じがそのまま、続いている。だから、どこに行っても楽しくない。さっき、ダイヤ君といろいろなところに言ったときたのしかったと書いたけど、ヘビメタ騒音でうすらよごれている。ほんとうに楽しかったけど、ダイヤ君といっしょにいるあいだも、ヘビメタ騒音のことが頭の隅というか、ほぼ中央にあり、くるしかった。気違いヘビメタが続いている以上、はげましは毒にしかならない。終わってくれないとだめなんだよ。実際終わった……。一四年と四ヶ月後に、気違い兄貴が引っ越すことによって終わった。終わった。けど、一四年は長い。長すぎる。終わっても、毎日やられたので、続いている。これも、実際に七年以上毎日やられてない他人にはわからない。ぼくは他の人にはわからないことを言っている。それはわかる。わからないというのがわかる。これ、遺書として書いておくけど、認知療法的な言説アドラー心理学的な言説、精神世界に片足を突っ込んでいる人が使う説明は、俺をくるしめるだけで少しも楽しませてくれなかった。楽にしてくれなかった。


ともかく、ヘビメタ騒音の影響を過小評価するやつらの言い方がひどかったな。言い分がひどい。こいつらは、カルマしか生み出してない。認知療法的な言説に基づいた意見というのは、ヘビメタ騒音の影響を過小評価する意見だ。気違いヘビメタにたたられなかった人たちはまったくわかってない。そういう意見を言う人は、俺とおなじヘビメタ騒音にたたられなかったので、その人のなかでは、実際に影響がゼロなのである。実際に影響がゼロという立場から、『ヘビメタ騒音とやらの影響』を考えるので、実際の影響からすれば、とてつもなく微少な影響しか考えられないのである。これは、俺の『実際』を無視している『現実』認知なのである。

2019年11月20日水曜日

「眠らなきゃいけない」と思っているのに、眠れない状態になる


あー、まじでつかれた。もう動きたくない。つかれた。つかれた。

横になっているとき、こんなことばかり、考えている。
ほんとうに動きたくないのだ。いまは、起きて、ズボンなどの熱処理を行ったあと、洗濯をして、さらにそのあと、こうやってパソコンに向かい文章を書いているのだが。

ダニ対策として熱処理が必要なわけ。バルサンをやっても、ネズミが出現してしまったら、全部振り出しに戻る。もう、つかれた。ほんとうにつかれた。

ネズミ、ダニ、ナメクジ、全部、めちゃくちゃにつかれることをしいる。俺にしいる。あとは、睡眠時間がずれているときに、付き添いで病院に行かなければならなかったときは、ほんとうにつかれた。頭がおかしくなる寸前。「もうだめか」と思ったけど、朝の七時から九時まで眠れたときはほんとうにたすかった。

けど、ほんとうに限界なんだよな。これ、ヘビメタ騒音で睡眠回路が壊されてないひとは「なにを言ってるんだ」というような感じしかしないと思うけど、ほんとうに死にそうになる。ほんとうに、動けなかった。義理の姉が、電話をかけてくれたけど、二時間でも眠れなかったらほんとうにやばかった。

じゃあ、全部義理の姉にやってもらえばいいといいのではないかと思う人がいるのかもしれないけど、保険証からなにからなにまで、俺が持っている。「全部、渡すから行ってくれ」と言ったんだけど、それは無理だった。だいたい、義理の姉が住んでいるところが、遠い。

ともかく、俺がものすごく眠たいにしても、俺が動かなければ、手術やその他の処理が進まないのだ。全部、持っているわけだから。

ともかく、ネズミ対策と入院の世話で、くるしかった。どうしてそんなにもくるしくなるかというと、やはり、ヘビメタ騒音で睡眠回路がくずれているから、くるしくなる。

調節のための夜も、ヘビメタ騒音で眠れない夜の再現になってしまう。前日まで、午前九時から午後五時まで寝ていたひとが、当日は、午前七時から、動かなければならなくなったときの、つらさが、半端じゃない。

これ、ヘビメタ騒音で午前四時ぐらいまで、眠れないですごしたときの記憶がすべてよみがえるように、くるしい。毎日俺がどれだけくるしんでいたか。毎日俺が、人知れずどれだけくるしんでいたか。

これ、みんなわかってないけど、ヘビメタ騒音に、日中と夜、ずっと七時間ぐらい、さらされると、眠る時間になっても眠れなくなる。

「眠らなきゃいけない」と思っているのに、眠れない状態になる。

これは、ほんとうに、腕をナイフで切ったら、血が出るというような反応に等しい。けど、みんなわかってないんだよな。「午後一一時一一分には、鳴りやむのであれば、夜は眠れる」と思ってしまう。そんなんじゃないのに。自分がこの世で一番嫌いな音が、七時間、八六デシベル付近の音でずっと鳴っている状態を経験してみろ。

それも、なにを言っても話が通じない、気違い家族が鳴らしている音だ。腹が立つ。家族にやられているということは、重大な要素だ。これも、他のひとには、わからない。要素として、見逃す。他人にやられているのも、家族にやられているのもかわりがないと思ってしまう。

けど、「うち」でずっとやられつづけるということは、想像以上につらいものがある。だいたい、ヨソの人たちは「家族だから、言えばやめてくれる」と前提してしまうわけで、こういうのも、俺の首をしめる要素のひとつになる。

ともかく、他のひとは無視するけど、「眠れない夜」というのは半端じゃない破壊力を持っている。その人の人生を破壊する。「ちょっと気をつければ、いい」「過去のことは関係がない」なんて言ってられない。「ちょっとのことじゃないんだ」と言っても、実際に経験したことがないやつにはわからない。

一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日と毎日!!続いた場合の状態を経験したことがない人には、経験としてはわからない。「たるんでいるから、眠れないんだ」「健康管理は自己責任」なんてことをか考えている。俺は自分の意志で「よふかし」をしていたわけじゃない。あまえてもいないし、たるんでもいない。

けど、「夜眠れなくて」ということを言えば、まるで、俺が、好きで夜更かしをしているように考えるやつが、どれだけ多いか。一〇年、一五年、何時間も何時間も、毎日、こっちにとって重要なことがあっても、ずっと鳴っている騒音がどれだけひとの人生を傷つけるか、破壊するかわかってない。

気違い兄貴は、俺の都合というのをまったく考えてない。俺がどれだけ言っても、通じない。

それは、言わなかったのと等価だ。気違い兄貴のなかで、なにも残らないということになっていれば、なにも残らない。いつも通りに、ロボットみたいに、ずっと鳴らし続ける。鳴らすことに鳴っている」から鳴らすという態度で、遠慮なく、気遣いなく、ずっと鳴らす。

どれだけ言っても、まったく気にしないで鳴らす。これも、言われたときだけ、親父のように怒っておしまいなのだ。自分が言われたから、自分が傷ついたというような反応しかない。現実を否定して、おしまいだ。

ほんとうは、ヨソの家では三〇秒だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしているのに、「しずかにしろ」ということを言われたら、「腹を立てる」。それは、親父が、金を使いたくないのに「ハンダゴテを買ってくれ」と言われたときの怒りに相当する。自分の感情しかない。親父も兄貴も、自分の感情しかないから、壊れたロボットのようにおなじことをし続ける。

こっちの都合なんて、考えない。
どれだけ言われたって、考えない。
考えないと決まっているように考えない。

最初から受け付けない。言われたら、発狂して、おしまいだ。現実否定したことを言っておしまい。それで、もう、なにもなかったことになってしまう。こういう態度が、ヨソの人にはわからない。そして、ロボットのように頑固にそうしている人間にもわからない。ようするに、親父と兄貴にはわからない。


(注)義理の姉には相当に助けられている。二人で付き添うことが多かった。そのときもそうだったんだけど、じゃあ、義理の姉だけでいいかというと、そうではない。ようするに、「俺」か「俺と義理の姉」のふたつの選択肢があるわけで、「義理の姉だけ」は、ない。
基本的に、気違い兄貴がうるさくして俺の人生を破壊したのは、義理の姉と結婚する前のことなので、義理の姉にはうらみがない。兄貴の嫁さんだから、うらんでいるということはない。「だから」ね。原因について常にまちがうやつがいるんだよな。兄貴は俺に悪いことをさんざんしているけど、義理の姉は俺に悪いことをひとつもしてない。だから、俺が義理の姉をうらむということはない。こういうことも、いろいろと誤解するやつがいる。

2019年11月18日月曜日

「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」


気違い親父がやりたくなったことは、こっちがどれだけとめても、やってしまう。


勝手にエンジンがかかってしまったことは、こっちがどれだけ「やめてくれ」「やめろ」と叫んでもやめてくれない。



これは俺が大人になってからだけど、「やらなくていい」ということは、血相を変えて、顔を真っ赤にしてやってしまうというところがある。俺が、あるとき、手をすべらせて皿を割ってしまったんだよ。



で、その皿の破片は、ぼくが片付けるから、いじらなくていいといったんだよ。その途端に、スイッチが入って「やってやるやってやる」と言って、皿の破片を片付け出すんだよ。で、ぼくが「やらなくていいよ!!!」「やらなくていいよ!!!」「やらなくていいよ!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!!!!!」「やらなくていいよ!!!」「やらなくていいよ!!!!!!」と、動いている親父を見て、絶叫したんだよ。



「やらなくていいと言っただろ!!!!!」「やらなくていいと言っただろ!!!」「やらなくていいと言っただろ!!!」「やらなくていいと言っただろ!!!」とさらに続けて絶叫したんだよ。

これ叫んでいるあいだ、ずっと、ちょこまかちょこまか、動いて、まるで聞いてないような状態で、やってしまう。

「やらなくていい」「やってくれるな」ということは、へんな状態でスイッチが入ってやっちゃう。

相手が必死しなって、言っているのに、からだをマッカッカにして、やってしまう。

これが病気で、頭がおかしい。

それから、ぼくはもうその時、大人になっていたわけだけど、本当に、かたづけて欲しくなかったんだよ。

親父がやると、ろくなことにならないから、いやなんだよ。

そういうことを親父がやると、破片が足に刺さったりしていやなんだよ。どれだけ、注意を払って、破片などがないことを確認しても、あらぬところに破片が落ちていて、それを(親父がいないときに)(ぼくが)踏んでしまうというようなことがあるわけ。

これ、もう、本当に呪われているんだよな。

いやなんだよ。これ、本当に、おかあさんもこまってたけど、「やらないでください」「いじらないでください」「さわらないでください」というようなことを言われると、相手が本当に!!!!やって欲しくないときは!!! 自動的に動いてしまう。親父は、相手がやめてくれとずっと横で、言っているのに、顔を真っ赤にしてやってしまう。

これ、言いたくないんだけど、「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」と一〇回、二〇回、絶叫しても、かまわずにやってしまう。エンジンがかかって、あぶらあせをかいて、一生懸命に、急いでやってしまう。相手が、言い終わる前にやってしまおうというような考えにとりつかれているとしか言いようがない態度で、切羽詰まった状態でやってしまう。これを、とめるとしたら、本当に、ぶっ殺してとめるしかない状態になってしまうんだよ。本当に、親父にいじって欲しくないとき、親父にかかわって欲しくないときは、それを、「よみとって」勝手にエンジンがかかって、むりやりやってしまう。皿の破片を拾ってくれたならいいじゃないかと思うかもしれない。そうじゃないんだよ。「やってほしくないこと」「親父に手出しして欲しくないこと」「自分であとでやると決めたことは」……くだらないことでも、自分でやる必要があるわけ。自分でやりたいわけ。この場合、俺が皿を落として割ったわけだから、自分でかたづける必要があったわけ。俺の中で、そういう必要性感じたわけ。だから、「皿の破片は、ぼくがかたづけるからそのままにしておいて」と言ったんだよ。そのままにしておいた欲しかったわけ。俺はその時、別の皿を持っていて、手がふさがっていたから、その皿を部屋のテーブルに一度置いて、ガムテープや新聞紙をとってきてガラスの破片の処理をしようと思ったわけ。
普通なら、「それは、ぼくがあとでやるからやめてください」というようなことを言われたら、やめるものだ。けど、「やめてください」と言われると、スイッチが入ってしまう。で、相手が言っていることを、全部無視して、顔を真っ赤にしてやってしまう。首のしたも真っ赤だから、たぶん、からだじゅうが真っ赤になっていると思う。で、本人は、意地悪でやっているつもりはないわけ。けど、これは、意地悪なんだよ。兄貴のヘビメタもまったくおなじで、「やめてくれ」と言われたら、スイッチが入ってしまうところがある。そのときだけ、相手の状態や言い分を無視してやってしまう。で、やってしまったら、もう関係がないわけ。こういうのも、親父と兄貴でそっくりおなじなんだよ。「そのときだけ」なんだよ。相手がいやがることを、血相を変えて夢中になってやったつもりがないんだよ。けど、現実はそうだ。相手が、横で「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」と絶叫し続けていることを、やり続けてしまう。顔を真っ赤にしてやってしまう。頭がおかしいから、相手が必死になって言っていることがまったくわからない。自分の気持ちしかない。『やってやりたくなったら』どれだけ相手がいやがっても、やってやりたいのだからやってしまうのである。これが、気違いのやりかたなんだよ。精神的な暴力なんだよ。力でやめさせようとしたら、殴り合いになる。殺し合いになる。すべてがすべてそういうテンションだ。親父は、子供が小さいときは(家のなかで)テッペンだから、気違い親父がやりたくなったら、気違い的な意地でやってしまうのである。そのときはそのときで、「俺のほうがうまいからやらせろ」という気持ちしかない。工作の宿題だって、プラモデルだって、気違い親父が「やってやる」と言ったら、ものすごいしつこさでやってしまう。これ、ほんとうにやらせてあげないと、いつまでも食らいついて、怒り狂ってやろうとする。で、理由を言っても、それは、聞かないんだよ。「これは、自分の宿題だからやらなくて良い」と理由を言っても、「どうしてだ」と聞いてくるところがある。コントじゃないけど、このやりとりを何十回も繰り返すようなところがある。理由を言っているのに、「どうしてだ」と怒り狂って聞いてくる。顔を真っ赤にして、「やらせろ」「やらせろ」とうるさい。プラモデルだって、とりあげて、やってしまうところがある。この場合のやってしまうというのは、部品を母体になる部品につけるということなのだけど、ともかく、やらしてあげるまで、横にぴったりくっついて、逆上する。理由なんて言ったって、ガン無視だ。頭がおかしいから、「自分がやってやる」「自分がうまいところを見せたい」という気持ちしかない。相手の気持ちなんて、どれだけ、相手が正確に言ったって、まるで通じない。頭がおかしいから、ほんとうに「自分がやってやりたい」という気持ちしかない。あとのことは、どれだけデカイ声で言われたって、無視なのである。無視しているということも無視してやってしまう。

よく考えてみたら、ヘビメタを鳴らしているときの兄貴の態度がおなじなんだよ。ヘビメタを鳴らしているときに「やめてくれ」と言われ取る、親父みたいな態度で、顔を真っ赤にして無視してやり続ける。

で、兄貴も親父もそうなんだけど、そういうことがあっても、そういうことがあったということが、わ・か・ら・な・い。記憶にない状態になってしまう。

兄貴は、あいてにやってやるやってやる」という部分はなかったけど、自分が勝手にやりたくなってやったことをとめられるという場合は、親父とおなじなんだよ。親父は、「やってやるやってやる」と言うときがある。そのときは、「自分がどんだけすごいか」「じぶんがどれだけうまいか」ということを見せつけたいからやる。で、ほんとうに、自分の側のそういう気持ちしかない状態になってしまう。頭の中に、自分の気持ちしかない状態になってしまう。自分の頭に一〇〇個のものをつめられるとすると、「やってやる」という気持ちだけで、一〇〇個つまっている状態になって、相手が言っていることが入ってくるスキマがなくなってしまう。普通のひとは、どれだけやりたく立って、一〇〇個入るうち、七〇個ぐらいしか埋まらない。三〇個ぐらいは、相手が必死になって言ってくれば、相手が言っていることが三〇個ぐらい、頭のなかにはいる。けど、一〇〇個中一〇〇「自分がやりたい気持ち」でうまっているから、相手がどれだけ言ったって、〇個しか入らない。で、これがおそろしいことなんだけど、自分がそうしたという記憶があたかもないような状態になる。
だから、気違い親父が「やってやるやってやる」と言うと、かならず、その手のトラブルがしょうじる。やった本人は、やってしまえば、関係がないひとになってしまう。
あとで、「親父がやってやるといってやってしまったので、こまった」ということを言ったって、親父は「そんなんじゃない」「やってないやってない」と言い出す。で、「やってないやってない」と言うときの頑固さが、「やってやるやってやる」と言うときの頑固さとおなじなんだよ。
「やってやる」と言っているときは、「やめてくれ」と言っている相手の現実を無視するのである。「やってないやってない」と言っているときは、「やった」という相手の記憶を無視するのである。実際には、やっているので、やったという現実も無視する。けど、現実稼働かなんて言うのは、関係がないんだよ。そのとき、気違い親父が否定したくなったら、現実とは関係なく否定したいわけで、否定する。で、その時間がすぎてしまえば、そういうことがあったということを忘れてしまう。自分にとって不都合なことは、どれだけ言われたって認めない。そういうことの繰り返しになる。そりゃ、時間がたっているわけだからそうなる。
兄貴もおなじで、ゆずってくれなかったのに、「ゆずってやったゆずってやった」と言うことになる。ものすごくデカイ音で鳴らしていたのに「そんなにデカイ音で鳴らしてない」と言うことになる。全部おなじなんだよ。やっているさいちゅうから、現実を無視している。自分にとって都合がいい現実しか見てない。それは、実際には現実じゃない。兄貴の頭のなかでの現実だ。はっきり言えば、妄想だ。よその家じゃ絶対に一分だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしているのに、自分が鳴らしたい時は、「そんなにデカイ音じゃない」「普通の音だ」と言うことになっているのである。気違い兄貴が、ほんとうに、自分の騒音を「三味線ぐらいの音」「フォークギターぐらいの音」だと思っていたから、いろいろなところに矛盾が生じる。けど、そんなのは無視だ。気違い親父とおなじで、「そのとき」自分にとって都合が悪いことは、どれだけわかっていても、わかることでも、わからないことになってしまうのである。正反対のことになってしまうのである。

これ、他のひとにはわからないんだろうな。

どれだけこまるか、ぜんぜんわからないんだろうな。

俺は、まるまるたい。俺は、まるまるたい。俺は、まるまるたい。

2019年11月4日月曜日

中高年引きこもり本人(悪)家族(被害者)という構造があるかのように思わせる記事ばかり



なんか、中高年の引きこもりが働かないので、まわりの人(おもに家族)が迷惑を被っているというような話しが多い。けど、これは、ほんとうにそうなのかな? 

家族が原因で、働けなくなった人(中高年引きこもり)が多数いると思う。けど、記事を書く場合は、どうしても、家族を『悪者』にできない。そりゃ、そうだろう。『心配して』『助言をしている』家族なのだから、悪者にはできない。しかし、ぼくの感じでと言うとだいたい四割ぐらいが、家族のほうにむしろ原因があると思う。

どうして、本人が『甘えて』働かない……というようなストーリーばかり出てくるのか? 家族が心配して『働け』と言うけど、ちょっとした障害?で働こうとしない。

ちょっとした障害?というのは、たとえば、強迫性障害や社交不安性障害だ。場面緘黙症なども、ちょっとした障害のうちに含めていいと思う。これらの障害?は、ちょっと本人ががんばればどうにかなりそうな障害?だと、一般の人は思っているのである。

だから、親が甘やかしているというような判断をすることになる。もちろん、甘えているのは、中高年の引きこもりだ。

こういうイメージができあがるようにできている……記事全体が。こういう話ししか出てこない。けど、家族がむしろ原因になっている場合があると思う。

本人は、ようするにサイコパス家族の『被害者』だ。数十年にわたって、サイコパス家族にやられて、働けなくなっている中高年の引きこもりだっているはずだ。『心配している』となると援助しているような感じになるけど、むしろ、サイコパス家族(本人たち)の問題が、その人(引きこもりの中高年者)にあらわれている場合があると思う。

ようするに、サイコパス家族が足を引っぱりきって、働けなくしている場合があると思う。サイコパス家族が長い年月をかけて、(子供を)働けないようにしたのである。だいたい、三割だと思うなぁ。

これは、『甘やかし』ではなくて、虐待なのである。
何十年も毎日続く虐待だ。

もっとも、「子供」が強迫性障害や社交不安性障害や場面緘黙症なら、家族が原因だとは言わない。けど、そういう場合もある。そういう場合もあるということを事前に排除してはいけないということを言いたい。
たとえば、強迫性障害だけど、これは、どちらかというと脳のソフトウエアの問題なのである。

脳のハードウエアには問題はないが(注)、出来事によって症状が形成されてしまう場合がある。はっきり言いたいのは、子供が強迫性障害者なら、親に問題があるとは言わないけど、子供が神経症者である場合、親に問題がある場合があるとは言えるということだ。

『親が原因』ということを言うと、一〇〇%、親が原因だと思ってしまう人がいるのだけど、それは、まちがっている。場合分けをしなければならない。なんでこれがわからないのか? すべての場合において親が原因だとは言ってないのだ。

そういう場合がありえるというとを言いたい。部分なんだよ。全体じゃなくて。逆に、子供が強迫性障害者である場合、親が原因でないと言えるかどうかなんだよ。子供が強迫性障害者であった場合、親が原因ではないとは言えない。これがわかるかな? これ、ほんとうに、まちがった推論をすると人たちが多い。

ようするに、親が原因で(親の行為が原因で)子供が強迫性障害になることある。なので、中高年の引きこもりが強迫性障害で引きこもっている場合、親の行為が原因で引きこもりなっている場合がある。親の行為とただ単に書いたけど、親の『過去の行為』だ。『出来事』と書いたでしょ。

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(注)ちょっとした障害だと考えているのは私ではなくて一般人だ。その人にとってちょとした障害だとは、私は考えていないし、考えられない。

中高年引きこもりのことを取り上げた記事では、中高年引きこもりのことは、直接!!悪くは言ってないけど、ちょっとした障害で働こうとしない(だらしがない人だ)(悪い人)というような印象を与えてしまうのである。

ようするに、本人(悪)家族(被害者)という構造があるかのように思えるのだ。悪というのは言いすぎだと思うかもしれないが、ちょっとした理由で働かないことが悪なのであれば、悪だということになる。

本人が迷惑をかける人で、家族が迷惑を被っている人だという構図が頭の中にできあがる。(記事を読んでいる人の頭の中にできあがる)。

けど、ほんとうは、家族が迷惑をかけた人で、本人が迷惑をこうむっている人であるケースがあるのではないかということだ。私がこの投稿で言いたいことはそういうこと……だ。

たぶん、世の中の九割は、本人(悪)・家族(被害者)というケースが一〇〇%だと思って、そういう記事を読んでいるのだろうなと思う。本人(被害者)家族(悪)というケースがあるということに注意を払って(そういった記事を読む人は)少ないのではないかと思う。そういった記事というのは、仕事をしない中高年の引きこもりに関する記事のことだ。
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2019年10月26日土曜日

フォークギターぐらいの音なら、問題はなかった


ほんとう、やばいな。なんとしかないとなぁ。ほんとうに長期騒音にやられて、人間関係と体調がぐたぐた、だからなぁ。寝不足で動くのは、もう、なにがなんだろうがいやなんだよ。というか、できない。


けど、今年は何回も、四〇時間起きているような状態で動いてしまったので、やっぱり、つかれているんだろな。ぼくの場合、累積された披露があるから、他の人のからだの感じとは違うんだよ。

たとえば、『寝不足で動く』と言った場合の、『寝不足で動く』がちがう。これ、経験がない人には、絶対にわからないことだから、ぼくがどれだけ言葉で説明してもわからないと思う。その人の『寝不足で動く』ときの感じしかないから。長期騒音だとちがうんだよね。あとは、気違い兄貴の態度がやはり、腹が立つ。

これ、ほんとうに、気違いなんだよな。ほんとうにまったく気にしてないからな。どれだけ言われても、気にしない。本気で『デカイ音で鳴らしてない』と思っているんだよな。おまえ、気違い兄貴ですら、別の音が鳴っていたら、三〇秒で絶叫するようなデカイ音だよ。

たとえば、ベルがずっと、あの音のデカさで鳴ってたら、気違い兄貴だって「うるさい」と思うんだよ。鳴っているあいだ「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」と思うんだよ。鳴っているあいだ「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」「うるさい」という気持ちをおさえられなくなるようなデカイ音なんだよ。

ほんとうに、兄貴の友達のカオ君が、三〇秒でわかることが、ずっとわからない。本人は、フォークギターぐらいの音だと思っている。気違いだから、自分がデカイ音で鳴らしたいときは、デカイ音じゃないと思えるのだ。俺は、気違い兄貴が、フォークギターを鳴らしていたときは、文句を言ってないんだぞ。

フォークギターだって、兄貴の部屋で鳴らしていれば俺の部屋で聞こえるんだよ。けど、フォークギターぐらいの音なら、問題はなかった。だから、気違い兄貴が「ほんとうに」フォークギターぐらいの音でヘビメタを聴くなら問題はなかったんだよ。

それが、気違い親父とおなじ態度で、ものすごくデカイ音で鳴らしやがって。

これ、ほんとうにほかの家じゃあり得ないことだから、俺が誤解される。まるで、フォークギターぐらいの騒音で、俺ががたがた言っているように思われる。親父がつくった基地が池田から、気違い兄貴が、気違い的な意識に則って、気違い的な意地を通そうとすると、通せた。

これが問題なんだよ。

これ、気違い的な意地を通してきたのが親父だから、親父は文句を言えない。これも、本当にわかってないんだよな。気違い的な意地で毎日頑固にやり切るほうは、『ほんとうにまったくわかってない』というあり得ない日常がある。

そういうことを、他の人が信じないから、俺がうたがわれる。

これ、ほんとうに殺人沙汰なんだからな。毎日、毎分毎秒、殺人沙汰なんだからな。そりゃ、やられている方が、ひっくり返そうとしたら、殺すしかないような状態を、毎日、毎分毎秒、押しつけている。

そりゃ、『やめてくれ』と言われたら、やっている方が、気違い的な顔で怒って怒って怒って、気違い的な意地で、しがみついてやりきろうとする。殺さなければ、やめさせることができない。『やめてくれ』と言われたら、瞬間的に怒り狂う状態になってしまうのだけど、本人がやり続けることができるなら……殺されなければ……〇・一秒で『言われた』ということが、頭の中から消えてしまう。

『言われなかった』ということになってしまう。

だから、何十万回言われたって、いつも、『まったく言われない状態』で鳴らしているんだよ。『やめてくれ』と一回言われなかったと思って、ガンガン鳴らしている状態で、ずっと鳴らし切る。実

際に(デカイ音で鳴らしているにもかかわらず)相手がなにも言ってこなかったというのであれば、相手は、自分のデカイ音に関して文句がないんだなと思うことができる。こういう場合は『言われなかったから鳴らした』と言うことができるだろう。

けど、気違い兄貴は、一日に何十回言われても、トータルで何十万回言われても『相手がなにも言ってこなかった』という気持ちで鳴らしているのである。

もちろん、気違いだからデカイ音で鳴らしているのにもかかわらず、デカイ音で鳴らしているとは思わない。そりゃ、自分が特別にデカイ音で鳴らしたいなら、どれだけデカイ音だって、『デカイ音じゃない』といこうとになる。そんなことを認めたら、さげなければならなくなるけど、さげなければならなくなるようこなとは、命がけで(現実を無視して)認めないのである。

これも、認めないようにしようと思って認めないわけではないのである。ここらへんが、意識一辺倒の『認知療法』だと説明がつかなくなる。フロイト心理学でなければ『現象』を説明することができない。特殊な言い方だと『現象をすくえない』。

現象は、すくう必要があるんだよ。まったくわかってないのだろうけど。

ともかく、デカイ音で鳴らしているということをほんとうは知っているけど、意地でも認めないようにしようと思っている状態ではない。気違い兄貴はそういうふうに思っているわけではない。気違い兄貴は、少なくても意識的なレベルでは、デカイ音で鳴らしているつもりがほんとうにないのである。

で、『気違い兄貴は、少なくても意識的なレベルでは、デカイ音で鳴らしているつもりがほんとうにないのである』と考えた場合は、気違い兄貴の態度や発言に矛盾がなくなる。ヨソの人は、こういう気違い的な認知をもっている家族がいないので……あるいは、そういう家族に生活の根本を脅かされたことがないので……ヘビメタ騒音の問題が簡単な問題と思っている。

簡単に片付く問題だと思っているのだ。

それはそう思っているヨソの人のほうがまちがっている。けど、ヨソの人の思考の範囲では、俺がへんなことを言っているように思えるのである。こういうところでも、多勢に無勢なんだよな。俺がヨソの人から『へんなことを言っている』と思われる要素がそろっている。

ほんとうに、どれだけつらいか。障害者の人権にはめちゃくちゃに敏感な佐藤氏みたいな人ですら、こういう『感覚を言い換えることができる家族』『気違い的な家族』にやられている方の人権にはまったく無頓着だということが発生する。常識のある人たちは、気違い的な家族にやられている人間の『人権』を無視する。

どうしてなら、「やられている」とは思わないからだ。『そんなことはない』『そんな人はいない』と思っているので、『そんなことはない』『そんな人はいない』ということを前提にしてものを考える。

「ない」と思っているのだから、(感覚がおかしい家族がやったことについて)言及しているほう(やられている家族)がおかしいと思うことになる。

そりゃ、「ない」と思っているのだから、「ある」ということを前提にした発言は矛盾を含んでいることになる。あるいは「ある」ということを前提とした発言は、嘘だと思う。だから、なんとなく信じがたいのである。

で、「ともかく」「そうだとしても」というような思考が出てくる。これは、便利思考で、「ある」ことを前提にした発言を、封殺するのだけど、封殺しなかったような印象を与えるような言葉なのだ。

この場合は、「ない」ということを前提にした結論をいうことになる。それが、助言という形をとるにしろ、「ある」ことが「ない」ことになっている言葉なので、実際には「ある」ということを前提にして話している人間(やられたほう)を侮辱していることになる。

「ない」ということを想定した発言内容が、もし、ほんとうに助言だとして役に立つだろうか? あったことなのに、ないことになっている……そういう前提の助言が役に立つと思うか? おまえ、これ、どれだけ……。どれだけ、言いがたい気持ちになるか?わかるか? わからないんだろうな。

けど、「ない」ということを前提とした助言をするほうにしても、自分にとって信じがたい前提(となる話し)を聞かされたということが、不愉快な経験になるのである。それは、『なにか不愉快な感覚』を呼び起こすものなのである。

これに関しては、もうすでに述べたので、ここでは書かないけど、気違い的な家族にやられると、やられた人とヨソの人のあいだでこういう、(どちらにとっても)不愉快な交流がしょうじてしまうのだ。そういう交流を生じさせたもとになる気違い的な人は、もちろん、そんなことは知らないわけだ。

言ったって、おなじ態度で否定するわけだから、ないことになっている。

これは、たとえば、気違い兄貴が、気違い親父に『親父が持って行けと言ったハンダゴテで人にバカにされてはずかしい思いをした』ということを言ったとしても、気違い親父がまったく受け付けない場合とおなじ構造なのである。最初の段階で基本的なことがわかってないのだから(どれだけ言ってもつたわらないのだから)もっと複雑なことがわかるわけがないだろ。

最初に、たとえば、『ハンダゴテが使えない』ということを言っているのにそれを認めない人が、『ハンダゴテが使えないということで恥をかいた』という話がわかるわけがないのだ。

だから、仮に、気違い的な家族にやられた家族が、気違い的な家族がやったことで、恥をかいた(他の人から悪く言われた)ということを言ったとしても、やっている方は認めないのである。そりゃ、そんな高度なことが認められたら……認めることができるのであれば……最初から、現実を無視した気違い的なことを言ってないのである。

『恥をかいた』ということを相手に言う場合、それは、二回目の話になる。二回目の話しの時も、気違い的な家族は、「であること」を認めない。ハンダゴテの話しであれば、『ハンダゴテが使えない』といこうとを認めない。認めないのだから、『ハンダゴテが使えないということで恥をかいた』ということも認めないのである。気違い兄貴の場合だと、『デカイ音で鳴らしている』という基本的な事実を認めてないのだから、『(兄貴が)デカイ音で鳴らしていると他の人に言ったけど、他の人は信じなかった』ということを言われても、なにを言われているのかわからない状態になるだけなのである。

けど、これは、たとえば、兄貴が『自分が父親に、このハンダゴテは使えないということを言ったにもかかわらず、父親が使えないハンダゴテだということを認めなかった』ということを、他人に言ったとき、その他人が『だいのおとながそんなことがわからないはずがない』と言って、自分(兄貴)の言っていることを信じてくれなかったということを、親父に言っている場合とおなじなのである。

親父にそんな高度なことがわかるわけがないだろ。そんなことがわかるのであれば、最初からそんなことになってない。それとおなじで、気違い兄貴には、気違い兄貴のデカイ音で俺がヨソの人から悪く言われているという話しは、まったくつたわらないのである。気違い兄貴のデカイ音で遅刻をしてしまうからこまっているということをどれだけ言っても、自分(兄貴)に関係があることだとは、どうしても思えないのである。デカイ音でガンガン鳴らしているときに、『宿題ができないからこまる。静かにしてくれ』と言われても、自分が関係していることについて言われているとは思えないのである。けど、『静かにしてくれ』と言われたわけだから、そのときだけ怒り狂う。怒り狂って「はねのけたら」言われなかったことになってしまうんだよ。だから、『知らないまま』鳴らし続ける。これが、気違い兄貴が、ずっとずっと、家のなかでやってきたことだ。十何年も毎日やってきたことだ。

2019年10月18日金曜日

おれがどれだけ、気違いヘビメタの中でがんばって生きてきたと思っているんだよ?


外に出ないとへこみそうだから、外に出るかな。

けど、遠くは無理だ。

やっぱり、近くの販売機まで行って、帰ってくるしかない。しかし、しかし、しかし……。言いたいことはいっぱいあるけど、ここには書けないな。



それにしても、秋が短い。いきなり寒くなるのは、やめてほしい。このあいだまで気温三二度だったのに……。





じゃあ、まあ、行ってくるよ!!!



いまは、食べたくないから、外食はなし。買うべきものも……。あるにはあるけど、買いすぎになる。しかし、カップ麺か。



この人生はやはりくるしい。

それに、やらなきゃいけないことというのが、しょぼい。あんまりやりたくないことなんだよな。


   *   *   *


炭酸水を見つけたので、買いに行かなかった。

しかし、途方にくれる。わかっんないだろうな。

むなしい。だれにもわからないことで、悩んでいる。だれにもわからない。


   *   *   *

やばい。こころがこごえる。

なんとかしないとダメだな。

なんとかしないと……。

いま、しずかなのはいいんだけどな……。

いまはね……。

   *   *   *


理解は得られない。ほんとうにぼくは誤解されている。ずっと誤解されてきた。もういやだ。



あまりにもさみしいので、たいして腹がへってないけど、あったかいものを食べに行くことにした。
なにをたべるかな?
こんな俺でもやらなければならないことがある。それが、めんどうくさい。
『帰ってきたらやらなきゃならないな』と思うと、しんどい。もう、むりでしょ。

もう、ぼくはだいぶ前に壊れて、無理なからだになっている。無理な精神になっている。ほんとうに、この時間、気違いヘビメタがガンガン鳴っていた。気違い兄貴の気違いヘビメタがデカイ音で鳴っているというのはたしかだ。

ところが、ヨソの人は、それを認めない場合がある。ヨソの人がぼくのことを誤解するとき、いくつかのポイントがあるのだけど、そのうちのひとつは『そうは言っても、そんなにデカイ音で鳴っているわけがない』というような誤解ポイントだ。

ちがうって言っているでしょ。

気違い兄貴がスピーカーから四メートル離れているところで、聞いて、ヘビメタ難聴になっている。これは、四メートル離れたところで、八五デシベル以上の音で鳴っていたということを暗示か、明示している。普通、音源がはっきりしているものの場合、音源から一メートル離れたところで音の大きさを測るんだよ。だから、もっとデカイ音で鳴っていたということだ。

もうひとつは、どれだけ言ってもやめてくれなかったということだ。これも、信じない人がいて『言えばやめてくれたはずだ』というようなまちがった信仰を持っている。 気違いの状態というのがまるでわかってない人なんだよな。その人は、健常者に囲まれて育ってきた人なのだろう。

だから、その人の常識で考えると、『家族がそんなことをするはずがない』『言えばわかるはずだ』ということになってしまうのだろう。

けど、それは、その人の家族が健常者だけだったからだ。こういう人が、音のデカさと、音の持続時間と音の持続期間を否定したまま「そうだとしても(仮定)……ちゃんとやらなきゃだめだろ」というようなことを言う。

『そうだとしても?? そうだとしても?? おまえ、何千日もやられてみろ。どれだけ根性がある人でも「できなくなる」。この人たちは、やられてないから、そういうことが言える。自分の身で体験してないからそういうことが言える。

こういう人たちだって、自分の意見には相当に自信があるから、容易には、(自分意見を)引き下げない。引き下がらない。「あったとしても、できるはずだ」という意見にこだわる。いろいろな誤謬ポイントがあるんだよな。ひとごとだと思って簡単に言いやがって。

おれがどれだけ、気違いヘビメタの中でがんばって生きてきたと思っているんだよ?? ほんとうにゆるしがたい。すべてがゆるしがたい。

気違い兄貴の態度(全体)がわからないだけだろ。気違い兄貴の態度全体が、そのひとにとっては非常識なものだから、「そんなのはありえない」というまちがった理論にこだわってしまう。こういうやつの、まぬけな意見で俺がどれだけ不愉快な思いをしてきたか。

こういうやつに、兄貴の姿、兄貴の態度、兄貴が実際に頑固にやってきたことを説明しても、容易には信じない。繰り返しになるけど、「だとしても」と仮定の話をしやがる。そいつにとっては、『仮定』なんだよ。こんなことがゆるされていいわけがない。しかも、そいつは、そういうまちがった仮定でものを言っても、自分の意見を言っただけだというスタンスを維持できるのである。

自分の意見を言っただけ?

そんなことはないよ。俺を侮辱しているよ。ゆるせないよ。

どうして、他人が理解できないような異常な家族にやられると、こういうことになってしまうんだ!! どうして!! どうして!!

   *   *   *

ヘビメタでくるしい。どうしてもくるしい。くるしいだけの人生だった。ヘビメタ騒音で猛烈にくるしい。

だれもわかってくれない。適当なことを言う。いや、不適切なことを言う。彼奴の常識では計り知れない「うち」なんだよ。だから、あいつらの思いこみが、全部間違った方向で、爆走する。気違い兄貴が、ルールを破って悪いことをした。毎日毎日、熱心に、頑固に、悪いことをした。これが重要なことなのに、それは、スルーだ。

完全にスルー。エイリさんの話はほんとうではないかもしれないという、常識的だかまちがっている判断をして、スルーしてしまう。いつもついも「かりに」だからな。

いま、午後一〇時で、しずかだ。この時間だって鳴っていたし、鳴っていたら、どれだけ言っても、しずかにしてくれなかった。それなのに、気違い兄貴は「うるさくした」ということがわかってないし、ヨソの人は『ちゃんと言えばしずかにしてくれたはずだ』という前提立って、俺のことを悪く言う。

『エイリさんがちゃんと言わなかったから悪い』『エイリさんは、コミュ障なのでちゃんと言うことができなかったのではないか』なんて、思ってしまう。

そして、「かりに」鳴っていたとしても、そんなことが、そんなに影響を与えるはずがない……と気違い的な判断をしてしまう。自分だって、一〇〇〇日もやられれば、どれだけくるしいことかわかるはずなのに、やられてないからわからない。

三味線ぐらいの音が二時間ぐらい鳴っていたのだろう……ちょっとうるさいテレビの音が三時間ぐらい鳴っていたのとおなじぐらいだろうと思ってしまうのだ。「そんなんじゃない」とぼくが、どれだけ言っても、こいつらはこいつらで、信じない。

信じてくれる人は、俺が最初に説明したときに信じてくれる。「ひどい目に遭いましたね」と言ってくれる。「そんなんじゃ、働けなくなって当然だ」と言ってくれる。

けど、こういう人たちは、案外少ない。こういう人たちは兄貴が!悪いことをしたということを、一発で理解しいてる。

俺のことを悪く言うやつらは、兄貴が悪いことをした……それも一四年と数ヶ月にわたって、毎日悪いことをしたということを、無視してしまう。『そんなことで働けないなんていうのは甘えだ』と思ってしまう。『騒音で通勤ができないなんておかしい』と思ってしまう。

けど、やられればわかるよ。だいたい、一日のなかでも、七時間は長い。平日、訳し七時間、土曜は約一〇時間、日曜は約一二時間、夏休み、冬休み、春休みは、約一三時間三〇分と、最初に言ってるだろ。

ほんとうに、七時間、機関銃の弾を浴びるように、気違いヘビメタの高音と低音を浴び続けると、眠れなくなる。終わったあとに眠れなくなる。ヘビメタが終わったあとに眠れなくなるんだよ。それだって、常識野郎にしてみれば『自己責任』だ。こいつら……こいつら……。

こいつらが、俺の悪口を言っているのに、こいつらのなかでは、俺が兄貴や親父の悪口を言っているということになっている、らしい。勝手に、コミュ障だと決めつけて、コミュ障だからだめなんだと言うのは、悪口じゃないのか?

どうして、コミュ障だと思うかというと、その時点で、俺が引きこもり無職だからだ。引きこもり無職なら、コミュ障にちがいがないというまちがった信念がある。あー、どうしてこいつらは、常識的な人間なのにこうも倒錯しているのか。

俺がその時点で引きこもり無職なのは、ヘビメタ騒音が足かけ一五年間も毎日続いて、働けなくなったからなんだよ。こうやって、原因と結果をはきちがえる。むしろ、そういう人間のほうが、コミュ障なのではないかと思う。

俺の説明を聞いても、相手が(俺が)ヘビメタ騒音で働けなくなったということを理解してないからだ。ほんとうに、原因と結果がわかってない。

そういうふうにまちがった判断をする人だってほんとうに、あの音のデカさで、あの気違い兄貴の態度で、あの時間の長さ、ヘビメタ騒音を鳴らされたら、毎日眠れなくなって、まるで地獄の中で生活しているようなくるしい状態になる。そのひとつの症状として、『眠れなくなる』というのがある。もっと正確に言うと、『適切な時間に眠れなくなる』ということだ。適切な時間というのは、世間の人が『眠るべき時間だ』と考えている時間ということだ。

俺だって、ヘビメタ騒音がなければ眠れたのである。気違いヘビメタを浴びてない人が……一日にのなかで長時間……毎日毎日浴びてない人が、適切な時間に眠れるのは当然のことだ。

そりゃ、徹夜をすることもあるかもしれないけど、『毎日ヘビメタが鳴っているわけではない』から、回収できる。睡眠時間と睡眠リズムを回収できる。その人たちが『俺だって、つらい朝がある。それでも、がんばって働いている(通勤している)』というのは、一見、正しそうな発言だけど、正しくない。

そういうレベルのつらさは、俺だってヘビメタ騒音が鳴る前に経験しているから、知っている。そういうレベルのつらさと、毎日つもっていくヘビメタ騒音のつらさはちがう。ぜんぜんちがう。

けど、実際には気違い兄貴のヘビメタ騒音を一日も経験してないので、そいつらはわかってない。なおさら、毎日積み重なったときのつらさなどはわかるわけがない。そういうやつらが、わかったようなことを言う。勝手に俺を混みしゅょうだと決めつけて、俺のことを悪く言う。

もちろん、本人は……本人たちは、俺のことを悪く言っているつもりはないのだ。『あたりまえのことを言っている』『正しいことを言っている』と思っている。『そんなことを言われたって、実際に働いてないのだからしかたがない』と思っている。『エイリさんは、働いてないのだから、自分たちからそういうことを言われたってしかたがない』と思っているわけだ。こういう思いこみだって、失礼な話しなんだぞ。ほんとうは!! まったくわからないのだろうけど。

普通の人がこういうことを思う。特に悪い人じゃなくても、こういうふうに思うわけだ。気違い兄貴の態度があまりにも異常なので、他の人がこうやって、まちがった判断をして俺の悪口を言い出す。兄貴とは違った意味で、悪いとは思ってない……そういう人たちは。兄貴のへんな性格はヨソの人をそうやって誤解させる「ちから」がある。

これは、親父の場合もおなじだ。あまりにもへんだから、他の人が誤解してしまうのである。で、じゃあ、他の人にわかるように上(縦書きにする場合は右)に述べたことを説明すれば相手は納得してくれるかというとそうではない。

それから、短い自己紹介時間で、上(縦書きにする場合は右)に述べたようなことを討論形式で?説明できる機会があるかというと、ない場合もある。だから、そいつらは、最初の印象通りに誤解する。僕はむかし、第一印象の研究をしたかったんだ。

影響を受けたことがないやつが、好き勝手なことをいいやがる

おかしいんだよな。けっきょく、ヘビメタをやられてないやつらが好き勝手なことを言っている。


おなじぶんだけやられれば働けないからだになるのに……そいつらだって。おなじぶんだけやられれば、どうやっても楽しめない『頭』になるのに……そついらだって。勝手に、ヘビメタ騒音の影響を過小評価して、好き勝手なことを言いやがる。これ、小学六年生の時からそうなんだよな。あとは、親父の頭の構造や兄貴の頭の構造は、普通の人にはわからない。だから、親父や兄貴がうちでやることを説明しても、他の人は、根本的なところで誤解する。誤解したところで『言えばいい』『相談すればいい』と言いやがる。こうやって、なめられる。勉強にしたって、楽しむ力にしたって、眠る力にしたって、どれだけ影響を受けるか? 影響を受けたことがないやつが、好き勝手なことをいいやがる。

そいつらは、鳴らされたってたいしたことはない(自分だったらちゃんとできる)と言うわけさ。やられてないのに……。どれだけのことかわかってないだけの話だろ。からだの反応として、やはり、疲れが残る。頭も含めてからだだから、鳴らされたあと、影響がどうしても残る。それは、何度も言うけど、走ったあと息がつらくなるのとおなじだ。走ったあとの影響よりも、騒音の影響のほうが長いのである。どうして、これがわからない。普通のからだの反応なんだよ。それに、これは、悪い意味で筋トレ』みたいなところがある。繰り返しで、からだ事態に変化が生じる。それも、生きているからだのしくみなのに、やられていることが他の人にはしょうじない異常なことなので、他の人にはわからない。

短い期間の鬱を経験した人が、勝手なことを言う。認知療法にかぶれて、キレイゴトを言う。『自分だってつらい思いをした。けど、認知療法的な考え方でなおった』と言う。それは、そうなのだろうけど、俺はおまえじゃないし、量がちがう。そういうことが成り立たない世界なんだよ。そんなんじゃないんだよ。

2019年10月16日水曜日

そいつは、自分の考えを放棄しない。そいつは、かわらない。


気違い兄貴が、「やりたい」から、昂然と無視したことがでかすぎる。それが、常識外れで、あり得ないことなんだよ。普通は、あり得ないことだ。どれだけやろうと思っても、できないことだ。けど、「やりたい」から、できる。事実を否定して、「ない」ことにしてしまう。夢中になって否定しているときは、夢中になって否定しているだけなのである。否定すること意外なにも考えてない。まさに「いまここ」しかない状態で否定する。普通なら絶対にわかることがわからなくなる。普通なら言わなくてもわかることがわからなくなる。普通なら、言われたら絶対にわかることが、わからなくなる。わかってしまったら「できなくなってしまう」から、命がけで否定する。「いまここ」しかないから、「いまここ」で否定すれば、それでいいのである。だから、そのあと、当人が否定したことを頑固に、気違い的な意地でやり通しても、『まったくやったと思ってない』状態が続く。こういうしくみ。こういうマジック。こういうことで、どれだけ俺が傷ついたか。勉強の邪魔をされて、めちゃくちゃな人生になったか。これ、否定する人もいるかもしれないけど、勉強はやりたいときもあるのだ。いつも、気違いヘビメタが鳴っていると、勉強をしたいときもできない。そして、普通の人は、気違い兄貴のヘビメタ騒音が『普通の騒音』だと思っている。ちょっとデカイテレビぐらいの音だと思っている。カラオケぐらいの音だと思っている。「そんなんじゃない」って言っているのに。もちろん、俺の部屋で聞いたときの話しだ。よその家にどのくらいとどいているのかは知らない。あの気違いヘビメタ騒音のなかで勉強するのは無理なんだよ。これも、『無理じゃない』『集中すればできる』と言うやつがいるけど、そいつは、俺とおなじ条件で、気違い兄貴のヘビメタ騒音を一秒も経験してない。経験してないやつが言う、単なる憶測にもとづいた意見なのである。俺とおなじ条件でくらしてから言え。

あれ、ほんとう、気違い兄貴は『ヨソじゃ一分だって鳴らすことができないような』デカイ音で鳴らしているということを知っていると思ってたけど、ほんとうに、知らなかったんだな。親父とおなじで、ほんとうに「そのとき」しかない。文句を言われているとき、『否定して』のりきれば、『そうじゃない』ことになっているのである。これ、ほんとうに頭がおかしいから「いじわる」でなく、できる。もちろん、やっていることは最低最悪の意地悪なんだけど、本人は、別に意地悪でやっているわけではないのだ。別に意地悪で(知っているのに)しらばっくれているわけではないのだ。で、知っているのにしらばっくれている人は、正常で!……やってることが異常でも正常だ。……ほんとうに異常なのは、どれだけ言われても、知らないまま、やり続けることができるやつだ。これは、ほんとうに「やったってやってない」の境地に立って、「いまここ」しかないから、文句を言われたときだけ……やめろと言われたときだけ……発狂して否定して、はむかって、おしまいなのである。そのあとやったって、やっているつもりがないのである。「いまここ」の意地しかない、気違い野郎だからこそできる、最低最悪の意地悪だ。こういうのを、正常な人の意地悪といっしょにするな!! どんだけ、足を引っぱられるか。もし、正常な人が意地悪をするつもりで、知っているのに認めない(知らないふりをする)という態度で鳴らしたなら、いっくらなんでも、一ヶ月で終了する。「うちでも」鳴らせない状態になる。けど、うちは、そもそもが、気違い親父が作った家なので、成り立ち続ける。そういうことが他の人にわからない。どれだけ、倒錯した感覚で鳴らしているか……他の人は……わからない。ほんとうに気違い的な意味で、自分勝手なのである。気違い的な意味で、「いまここ」しかないのである。「いまここ」の自分の感情しかない。認めたくないという自分の感情があると、現実を無視して、絶対の意地で認めないのである。「いまここ」を認めずに押し切れば、それでいいのである。「いまここ」の感情しかないのである。だから、どれだけ言われても、相手がこまっているということがわからない。自分がやりたい……自分が思ったとおりにやりたい……自分が思ったとおりに思いっきりやりたい……という感情しかない。いつもそうだから、いついかなる時に言ってもおなじ反応が返ってくる。これ、親父がやり始めたことで、普通の人間ならできないことなのである。そりゃ、普通の人間は、どれだけ意地を張っていても、自分がやっていることがわかっているからなぁ。気違い親父と気違い兄貴は、「いまここで」自分がやっていることがわかってない。頑固にやっているのに、頑固に否定している状態だ。現実否認がひどすぎる。自分がやりたいと思ってやっていること、あるいは、自分にとって都合が悪いことは、気違い的な意地で否定する。その気違い的な意地で否定するときは『現実』なんて一切合切関係がないのである。頭の中の『自分にとって都合がいい現実』しかない。自分の感覚器を書きかえて自分にとって都合がいい『現実認知』をつくる。夢中になってつくる。「いまここ」しかないのだ。相手の言っていることや現実を否定して、「やることができれば」よいのである。相手がこまっているということは、これっぽっちもない。相手が(自分がやっていることで)こまっているということは……そいつの現実のなかには……一切合切ない。自分の感情だけだからな。感覚器まで書きかえて……感覚器に依存した認知まで書きかえて、自分がやりたいことを押し通す。曲げられるのは、感覚に依存した認知そのものなのである。こうやって、自分がやりたいことを、押し通す。もちろん、押し通したつもりなんてないのである。こういうマジック。こういう気違いマジック。これで俺がどれだけひどい目に遭ってきたか。

こういうひどい目に遭ってきた人間に対して、生かじり精神世界の人は「相手をかえるのではなくて自分をかえるしかない」などということを言う。こういう現実もある。こういう現実が、この世をもっと地獄にするんだよ。こいつらは、こいつらで、なにをしているのか本当にわかっているのかな? と思う。たとえば、事実ではないことでうらみをもって、ガソリンをまいて、人を焼き殺すやつがいたとする。たしかに、他の人が「やめろ」と言っても、そいつの考えをかえることかできない。なら、殺されてもいいのか? これは、そういう問題なんだぞ。たとえば、知的障害者を殺そうとしているやつがいるとする。そいつに対して、『そういうことはやめろ』と言っても、そいつは、自分の考えを放棄しない。そいつは、かわらない。『そういうことはやめろ』といっくら言っても、そいつの考えがかわらなかったとする。なら、殺されたほうは、それでいいのか? 『相手をかえるのではなくて自分かえるしかない』から、殺されてもいいかの? これは、そういう問題なんだぞ。そういうことを、かるがるしく口(くち)にする。自分が妄想的な人に殺されるということを考えたことがないから、そういうことが言える。自分の人生が、妄想的な考えをもった人に破壊されるということがなかったから、そういうことが言える。家族が、妄想的な考えをもっていて、自分の人生を破壊したらどうなるんだよ?


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。