2021年1月9日土曜日

「特殊な家族にやられた」家族の一員というのは、ものすごいハンディを背負ってしまっている


 俺はじつは、だいぶまえに、エクセルの使い方系の動画をつくろうとしたことがあるんだよ。で、ヘビメタ騒音で、しゃべり方が暗いのでやめた。どうしても、「ヘビメタでくるしい」というバイブが流れる。

人間の声というのは、ほんとうに思っていることが、波長になってあらわれる。これは、精神世界の人が言うような「波動」ではない。そういう、意味が深い?波動ではなくて、ほんとうに、音の波動として、あらわれる。

ようするに、人間は、人間の声を読み取る力が強い。「本気で言っているのか」「ウソで言っているか」わかるようになっている。これは、読み取り能力が強いということだ。なので、鬱である人が、元気である人のように見せかけて、なにかを言っても、「この人の声はどこか、元気がない」「いつわりの元気だ」ということが、わかってしまうのだ。

だから、やめた。

いま、午後四時二十五分で、きちがいヘビメタが鳴っていた時間なのだけど、きちがいヘビメタ騒音は一秒でくるしい。〇・一秒で、発狂するほど苦しい。それが、ずっとずっと、持続しているのだから、ぼくはたまらない。

これ、ヘビメタ騒音のただなかにいるということは、全力疾走しているようなものなのである。

毒ガスのなかで全力疾走しているようなものなのである。おかしくなってしまう。そういう数千日がない人が、どれだけ、きれいごとを言っても、ぼくの胸にはひびかない。「元気ではない」ということ自体が、弱点になってしまうような時代なのだ。元気がなければ、説教をされ、バカにされてしまうような時代なのだ。

きちがい兄貴は、ヘッドホンをしようと思えば、いつだってヘッドホンをすることができた。「する」というのは、「装着する」という意味だ。きちがい兄貴はヘッドホンを三つもっていた。こだわらなければ、ヘビメタを鳴らすときは、ヘッドホンをして鳴らすということができた。

けど、俺がどれだけ言っても、一日に一秒もヘッドホンをしてくれなかった。これが、事実だ。きちがい兄貴が、その気になれば、普通にヘッドホンをすることができた。けど、しなかった。これが、事実だ。ほかの事実はない!!

きちがい兄貴はやるつもりでやっていたわけで、そこにかんして、申し開きをすることはできない。まあ、そういう責任を一切合切感じなかったから、きちがいおやじのような顔をして、きちがい的に「自分の音」にこだわって、鳴らし続けたわけだけどな……。

自分の音のは、自分が思ったとおりの音という意味だ。ようするに、「でかい音で聞かなければ気がすまない」という状態になっていた。そして、「でかい音で鳴らしている」という現実を無視して「でかい音で鳴らし続けた」。

ほかの人であれば、感覚器を(本人が気がつかないまま)言い換えることはできないけど、きちがい兄貴は、きちがいおやじとおなじで、感覚器を言い換えることができた。「どれだけでかい音で鳴らしたって、でかい音で鳴らてない」という感覚が成り立つ。

一度そういう感覚が成り立ったら、こっちがどれだけ言っても、かえない。「でかい音で鳴らしている」ということに気がつかない。つねに、「でかい音で鳴らしてないつもり」で「でかい音で鳴らす」ということになってしまう。

これは、きちがいおやじの「はんだごて事件」のとき同じ状態だ。この状態になってしまったら、こっちがどれだけ、真実を言っても、聞かないのである。感覚器をだまして、否定して、やりきる。あるいは、目を三角にして、顔を真っ赤にして、無言のままやりきる。

無言のままやりきったとき、「無視してやりきった」という認知がしょうじるかというと、しょうじない。「やってない」のとおなじなのである。「やってない」と思っているときとおなじ認知が成り立っいてる。

一日に十三時間、こだわりつくして、鳴らしたって、一分もやってないのとおなじなのである。

きちがい兄貴の認知としては、そういう認知が成り立っている。これは、きたない。ずるだ。

ずるを「志向」して、「感覚器をだました」のである。けど、これが、きちがい兄貴の無意識部分がやったことなので、たぶん、きちがい兄貴の意識部分はそういうことをしたというつもりがない。認識がない。自分がそうしたということを、まったく認めてない。「そんなことはないつもり」だ。「つもりはつもり」なのだけど、発狂して、真逆のことをしている。

し続けている……。それも、意地を張って、きちがい的な意地でやっている。だから、「つもり」というのが、矛盾した意味になる。きちがい兄貴は、意地を張ってやっている状態なのだけど、本人は、特につもりがない状態なのである。あるいは、「やれてあたりまえだからやっている」という状態なのである。「やれてあたりまえだからやっている」というのも意識的にそう思っている状態ではなくて、無意識的にそう思っている状態だ。

こういう状態について、俺が説明したとしても、信じないやつが出てくる。あるいは、「無意識的にやった」ということを言うのは、本人が否定できないのだから、だめなのではないか」ということを言う人が出てくる。けど、きちがい兄貴が、ほかの人には理解できないような態度で、ずっと鳴らし続けたのは確かだ。

それも、「自分の音」にこだわりつくして鳴らしたから、「譲歩する」と言っても、「譲歩しない」のである。だから、こういうことが、積み重なって、「よその人がきて注意しても、よその人が帰ってしまったら、譲ったつもりで、でかい音で鳴らすだろう」というような認識が僕のほうにできてしまった。

これ、兄貴が、普通のアパートで鳴らしている場合と、ちがうのである。

「家族だ」ということが、足をひっぱっている。

普通のアパートの場合は、大家さんが普通の人だ。けど、「うち」は大家さんに相当する、きちがいおやじがきちがいだ。こういうことが、影響を与えている。

けど、こういうことが影響を与えているということに気がついたのは、きちがい兄貴が鳴らし終わったあとだ。当時は「頑固にやっている」「無視して鳴らしている」「どれだけ言っても、聴いてくれない」というようなことしか言えなかった。普通の人にこういうことを言っても、「それは家族で相談してください」と言われるだけだった。普通の人って、まあ、教師だ。

教師は、きちがいおやじがいるような家庭で育った人ではないのだ。だから、きちがいおやじみたいな人がいるということが、「はだで」わからない。そして、きちがい兄貴は、きちがいおやじのコピーなのだから、きちがい兄貴のしくみもわからない。

教師はわからない。

ともかく、きちがいおやじが大家さんに相当する人であったことと、きちがい兄貴が家族であったということが、ものすごい影響を与えている。これ、当時はわからなかったんだよ。当時は、「よその人は、うちのことがわからない」ということはわかっていたけど、うまく説明ができなかった。まあ、説明したとしても、よその人の半分ぐらいは……八割ぐらいは、「うちのことかわからない」と思う。

ほんとうに「特殊な家族にやられた」家族の一員というのは、ものすごいハンディを背負ってしまっている。普通の他人は、絶対にわからない。そうなると、やられた人がおかしいことを言っている」と判断してしまうのだ。あるいは、やられた人がうまく説明できなかったから相手がわからなかっただけなのではないか」と思ってしまうのだ。……この、屈辱。こういうことが、屈辱になってしまうということが、「特殊な家族にやられた」人の特殊な状態だ。これは、やられた人がおかしいわけではなくて、やった人がおかしいのだけど、やった人のおかしさが、よその人にわからない場合、よその人は、「かならず」間違った判断をしてしまうのである。その場合、そういう相手の意見(よその人の意見は)やられた人間にとってみれば、屈辱以外のなんでもない。けど、「屈辱以外のなにものでもない」なんてことが、よその人にはわからない。そりゃ、わからないだろ。自分の判断が正しいと思っているわけだから……。
 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。