2021年1月15日金曜日

けど、そういうのを、無視して……説明の体系だけを問題にする

 ヘビメタ騒音がなかったら、俺は、どれだけのことができただろう?

ものすごく、たくさんのことができたと思う。きちがいヘビメタはほんとうに、毎日毎日たたった。この毎日毎日」というのが、ほかの人にはわからない。言ったって、わからない。「毎日だったんだろうな」と思うかもしれないけど、それは、ぼくがほんとうに毎日やられて感じたことの総量ではない。ぜんぜん、ちがう。そうなると、そいつは、「過去のことなんてどうでもいい」と言い出す。 こういうのも、こまるんだよな。まあ、そういうやつがあらわれても、あらわれなくても、こまっている。すでに、やる気や正常な感情をなくして、こまっている。

ほんとうに、あれだけ長い間、毎日毎日、自分がこの世で一番嫌いな音にさらされ続けたら「だれだって」そうなるのに、それがまるでわかってないんだよな。そうなるというのは、いまの俺のような状態になるということだ。ほんとう、ライフハックに書いてあることなんて、すべて、表面的なマヨイゴト。うそ。けど、それが、ほんとうである人たちもいるんだよ。その人たちにとっては、ウソじゃないわけ。じゃ、どこがちがうのかと言うと、「総量」だと思う。総量が、大切なんだよ。

中立的な状態か、ズタボロな状態かというのは、けっこう重要なんだよ。基本的な部分が「おかされているかどうか」というのは、非常に重要だ。けど、そういうのを、無視して……説明の体系だけを問題にする。ちがうのに、おなじものだと思っている。だから、原理的におなじようにあつかうということになる。おなじものを適応すればそれでいいと思ってしまう。 

たとえば、言霊主義者は、「元気だ元気だと言えば元気になる」「楽しい、楽しいと言えば楽しくなる」というようなことを言う。これは、中立的な人にとっては「真実」なのである。ウソではない。けど、もう、完全にやられちゃった人にとっては、真実じゃない。ウソなのである。けど、そういうことを言うと言霊主義者は「どんなにつらい状態でも、楽しい楽しいと言えば楽しくなる」「どれだけつかれた状態でも元気だ元気だと言えば元気になる」というようなことを言いだす。ようするに、中立的な人が考えている「つかれた状態」あるいは「元気がない状態」というのが、もう、完全にやられちゃった人の「つかれた状態」あるいは「元気がない状態」とはちがうのである。ちがうのだけど、中立的な人「自分だって、こういうつらいも思いをした」「自分だって、もすごくつかれたことがある」ということを言いだす。「ものすごくつかれはてたときに、元気だ元気だと言ったら元気になった」というようなことを言う。けど、そういうことを「言える」言霊主義者が経験した「つかれ」と完全にやられちゃった人が経験した「つかれ」はちがうのではないかと思う。けど、言霊主義者は、完全にやられちゃった人のつかれを経験することができない。「つかれた」とか「ものすごくつかれたとき」という言葉を使っているけど、その言葉が対応している内容が、ちがうということが考えられる。けっきょく、言葉はおなじなのだけど、内容がまったくちがったことについて語っているという問題が横たわっているような気がする。どうして、「気がする」というような書き方をしなければならなくなるかというと、ぼくという個体がそういうふうに判断しているだけだからだ。そもそも、比較することができないと予想されることについて話しているのだから、もちろん、ぼくにしても、その範囲外に逃れることはできない。だから、まあ、「可能性」の話にならざるを得ない部分があるのだけど、たぶん、まったく異なることについて話していると思う。「つかれ」という言葉を使ってまったくちがったことについて話しているではないかということだ。

けど、完全にやられちゃった人からすると、これは、やはり、うんざりするようなことなのである。「いいかげんにしてくれ」と思うようなことなのである。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。