2021年1月1日金曜日

健常者ではない家族にやられた人は、やられた人の自己責任だとは言わない

 缶コーヒー、買いに行った。もう、半分ぐらい飲んでしまった。

まあ、期待していたほどはうまくないけど、しかたがない。

さて、どうするかな?

むかしは、正月ってだけで、うきうきしてたけどな……。ヘビメタ騒音がはじまってからそういうことはない。むかしは、ほんとうに、テレビに振袖の女の人たちがうつっているだけで、正月っていいなと思えた。むかしのテレビは楽しかったな。

ぼくの場合、ヘビメタ騒音が大きいのだけど……理由として大きいのだけど……ほかの人には、ヘビメタ騒音がないので、ぼくの感覚はわからないだろう。依然として、正月が楽しいのかもしれない。「むかしはよかった」じゃなくて「今の正月がいい」と思っている人もいるだろう。そりゃね。自分がつくった家族がいて、その人たちと楽しく暮らしているのであれば、そうだろう。

あーー。

『長期騒音の影響』のでかさが、ほかの人にはわからないから、「そんなのは、気にしなければいい」「過去のことは、どうでもいい」と……ほかの人は……言うことになるのだけど、 それは、『長期騒音の影響』のでかさが、わからないだけから。これも、むなしいね。

この「認知の亀裂」がでかすぎる。これもでかい。ヘビメタ騒音の影響もでかいけど、認知の差がでかすぎる。ほかの人にとっては、きちがいヘビメタのことなんて「そんなのは、気にしなければいい」と言えるようなことなのだ。

けど、ぼくはちがう。五分間だって、くるしいそうなきちがい騒音がずっと鳴っていたということが与えた影響がでかすぎる。そういう影響の上に、いまのぼくがある。それは、否定できない。

これ、ほんとうに、「どんだけ、汚染魚を食べたって、そんなのは気にしなければいい」言っているようなものなのだけど、ほかの人には、わからない。ほかの人にとっては「ヘビメタ騒音」なんてものは、「現在に影響を与えるはずがないもの」なのだ。

俺は実際に、きちがいヘビメタ騒音にさらされた。俺にとって、ヘビメタは、この世で一番嫌いな音だから、その音が鳴っている状態で、きちがいヘビメタを無視するということができなかった。また、一日に数時間ずっと鳴っているということは、ほかの十数時間に影響を与えた。あるいは、一日に十数時間鳴っているということは、ほかの数時間や十数時間に影響を与えた。

たとえば、ヘビメタ騒音に八時間されされた場合、残りの十六時間が地獄なのである。これが、ほかの人には体験的にわかってない。八時間だけではなくて、十六時間の影響は、不可避的なんだよ。

けど、「不可避的だ」ということが、ほかの人には、まったくわかってない。これ、ほんとうに、ヘビメタ騒音で遅刻したって、「そんなのは関係がない」と「ヘビメタ騒音を鳴らされてないやつ」に言われることになる。特に、ヘビメタが好きな人はそういうふうに言いたがる。

ヘビメタが好きなやつだって、その人がきらいな音をあの音のでかさで、八時間聞かされ続けたら、残りの十六時間もめちゃくちゃになるんだよ。どうしたって、うつになる。体がだるくなる。疲れやすくなる。集中力がない状態になる。おこりやすくなる。……おこりやすくなるというのは、きちがい兄貴の態度に由来する。

そりゃ、あんなきちがい丸出しの態度でやられたら、頭にくるだろ。きちがい的な意地で、きちがい的にこだわって、鳴らしているのに、きちがい的な認知で、鳴らしてないのだと認知しているのだから、そういう態度「全体」は頭にくることになる。相手にとって頭にくることになる。「なんだろうが、静かにさせることができなかったのだから、自己責任」というやつもいるだろう。

俺は、即座にそいつの〇〇をまるまるしてやりたいが、そいつは、おれにまるまるされたということは、自己責任だと思ってくれるのだろう。だいたい、そういうことを言うやつは、絶対の意地でやるけど、絶対の意地でやったことを認めないというようなタイプのきちがい家族と一緒に暮らしているわけではない。

認知がおかしい「家族」……おのれの行動に関する認知にずれがある「家族」が、迷惑行為をこだわり続けてやった場合、どういうことになるかわかってない。

そういう「他者」……家族だけど「他者」がいるということがわかってない。言っていることが重複してしまうけど、家族だってことが問題なんだよ。……手短に言って、認知にずれがあるような「悪い家族」にたたられている人は少ない。どうしてかというと、健常者のほうが多いからだ。そして、健常者しか知らない人に、認知にずれがあるような「悪い家族」にたたられている人がけなされる。

悪い家族にたたられたことがない人が、悪い家族にたたられたことがない人に、無茶なことを押しつける……これが現実だ。

悪い家族にたたられたことがない人も、言うんだよ。「俺だって、あれをやられた」「俺だって、これをやられた」と。けど、ちがう。ちがうということは、一発でわかる。ほんとうに認知がずれた家族にやられた人は、俺の言っていることがわかる。

だから、俺に対して自己責任だなどとは言わない。言えるわけがない。ところが、健常者との軋轢しか経験してない人は、俺に対して「自己責任だ」と言える。これは、健常者との軋轢しか経験してないから、そういうことが言えるんだぞ。いちおう、しつこくなるので、健常者だけ書いたけど、「健常者である家族の一員」ということだ。

健常者ではない家族にやられた人は、やられた人の自己責任だとは言わない。「やられた人の自己責任だ」というような感想を持ってしまうということ自体が……じつは「その人」がやられたことがない人だということを証明してしまっている。この場合、なににやられるかというと「健常者ではない家族」にやられるということだ。

自分勝手なタイプの……認知がずれている……健常者ではない家族にやられた人は、そういうことがわかっているから、口が裂けたって、「やられた人の自己責任だ」とは言わない。言えるわけがない。

ただ単に、想像上のもの……健常者ではない家族が想像上のものだから……普通の人……健常者である家族のもとに生まれてきて育ってきた人……は「やられた人」の責任を追及できる……だけの話だ。

これも、ほんとうは、やられてないだけで、「すぐれている」わけじゃないのに、やられてない人は、どうしても、自分のほうがやられた人よりも「すぐれている」と感じてしまう。「すべては自己責任なので、認知がずれた家族にやられた人も自己責任」と言ってしまうような人は、その人自体が、自分勝手な人である可能性が高い。けど、この自分勝手さは健常者の範囲にとどまる。ようするに、病的に自分勝手なわけではない。自分のやった事柄に関する認知がずれているわけではないのである。

自己責任論、について言っておくと、自己責任論を振り回したほうが、かっこうがいいというところがある。自己責任だと言ったほうが、いさぎよい、感じがするのである。

けど、これは、自分のやったことに関して、あるいは、自分がやられたことに関して自己責任だと言っている場合に限られる。対象が「自分」である自己責任論と対象が「他人」である自己責任論は、まったく違った理論なのである。

けど、この違いを無視して、自己責任論を振り回すやつがいるのである。

けど、そういう人ですら、健常者の範囲におさまる。うちのおやじやうちの兄貴は、(自分がやったことに関する)認知がずれてしまっているので、健常者とは言いがたい。じゃあ、なんで、社会人としてやっていけるかというと、うちのなかでだけ、ずれていたからだ。別の言い方をすると、うちのなかでだけ、狂っていたからだ。そういうことが、可能なのかどうかというと、可能だとしか言いようがない。




 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。