きちがいヘビメタにやられると、だれもが、だれもが、働けなくなり、だれもが体力がない状態になり、だれもが決まった時間に行動ができなくなるのだけど、それがやられてない人にわからない。だから、やられてしまった人間の認知とやられてない人間の認知に差ができる。この場合、やられてないほうが圧倒的多数なのだけど、圧倒的多数派のなかにいる誰かにとって、信用に値する意見、あるいは、単に信じることができる意見は、他の圧倒的多数者の意見だということになる。圧倒的多数者は、やられた人間(圧倒的少数者)の意見を信じることができない。
体験的にわかってない。実際、圧倒的多数者……そういう人たちの家族は、うちのきちがい兄貴や、うちのきちがいおやじのような人ではないのである。そういう人たち……にとってみれば、俺の話は「どこかおかしい」と思えることなのである。おかしいのはエイリさんで、エイリさんが「うそを言っている」と思ってしまうのである。かりに、「うそを言ってる」と「決めつけることができない」にしろ、「うそを言っているのではないか」というような疑念が残る。そうなると、その人のなかでは、エイリさんが、お父さんやお兄さんの悪口を言っているということになってしまうのである。あるいは、その人のなかでは、へんなのはエイリさんで、お兄さんやお父さんはへんではないということになってしまうのである。こういう、誤解が成り立つ。
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