青春18キップ関係の本を買いたいような感じになった。もっとも、本は減らしていくつもりなので、増えてしまってはこまる。別に本を買ったわけじゃないけど、本の紹介ページを読んでいた。まあ、実際には、鉄道の旅はしないと思う。俺は、過去にいろいろとあって、体が重い。気分が重い。ぼくの旅行に対する態度は普通の人の旅行に対する態度じゃない。いろいろと、トラウマがあるのだ。そのぼくが、たしょうは、読んでみようかなと思ったことが、重要だ。
これ、ほんとうに、俺は普通に育った人とちがう……のである。悪い意味でちがう。だから、封の人の感覚ではないんだよな。それは、幼児のときからそうだ。きちがいおやじと一緒の電車に乗ることが俺にとって、どれだけ、負担だったか。もう、全身に蕁麻疹ができてしまうほどいやだったんだよ。それにはちゃんと、理由がある。 理由があるのだけど、きちがいの親に育てられてない人には、実感として理由がわからないと思う。だから、そんなの、考えすぎだとか、そんなの気にしすぎだということになってしまうのである。その人たちから見れば、俺が勝手に不愉快な気持になっているとしか思えないのである。けど、ちがう。
俺は、うちにいるときでも、おやじが帰ってくる時間になると、全身に蕁麻疹ができてた。幼児のころだけど。これ、食べ物による蕁麻疹じゃないんだよ。『きちがいおやじによる』蕁麻疹。一緒に行動することがどれだけ、憂鬱で腹立たしいことか! きちがいなんだよ。おまえ、きちがいやくざよりも、ひどい状態のやつと一緒に行動するなんて、どれだけ、こころがふさぐことか、わかったもんじゃない。実際、きちがいおやじと旅行をしなければならないときは、蕁麻疹がでた。全身、蕁麻疹だよ。
ほんとう、きちがいおやじ。きちがいおやじ。
きちがいが怒り狂っている状態というのがほかの人にはわからない。そして、そのきちがいが自分の父親だという人間の、気持ちは、そうじゃない人間にはわからない。幼児期を含んだ子供のころのことなんてどうでもいいなんて言えるわけがないだろ。これ「きちがいおやじ」にやられなかったやつらの考えなんだよ。これ「きちがいおやじ」にやられなかったやつらの理屈なんだよ。そして、これ「きちがいおやじ」にやられなかったやつらのほうが圧倒的に数が多い。圧倒的な多数派だ。圧倒的な多数者は、圧倒的な多数者の「感覚」を支持する。圧倒的な多数者は、圧倒的な多数者が言っていることが正しいと思ってしまう。
「きちがいおやじ」と「普通のおやじ」はちがう生き物なんだよ。普通の親でも、もちろん、機嫌が悪いことはある。じゃあ、きちがいおやじが怒っているのと、普通の親が怒っているのはおなじかというとそうじゃないんだよ。交流があれば、それは、学習される。事実だからな。誰にとっての事実かということだよ。きちがいおやじとの交流がない人にとってみれば、そういう交流は自分の歴史において事実じゃないんだよ。これが重要。これがわかってない。きちがいおやじにやられてない人にとってみれば、きちがいおやじにやられた人が、気にすることというのは、無意味なことなんだよ。そして、現実的ではないことなんだよ。けど、きちがいおやじにやられた人間にしてみれば、現実的なんだよ。
これが、どこまでも、平行線なんだよな。
「こだわる必要はない」という言い方をするやつは、まったくなにもわかってない。わかってないということも、わかってないだろう。認知療法家のレベルはそういうレベルだ。認知療法の理論はそういうレベルだ。