2026年5月9日土曜日

●集合的一括思考(2)■社会※2026/05/08 15:20

たとえば、Aさんのような人が一万人一人いるとする。

そして、Bさんのような人が一万人に九九九九人いるとする。そういう場合でも、九九九九人は、「貧しいから、努力をしても成功できない」と言うことが、できなくなってしまうのである。

こういう封殺する力がある。

しかし、それは、間違いによってつくりだされた幻想だ。

これ、集合的一括思考は、間違っている。理論的じゃない。理論的に間違っている。

しかし、たとえば、Cさんという人が、集合的一括思考をしがちな人だと、Cさんに、集合的一括思考が間違っているということを説明しても、Cさんは、納得しないだろう。

Cさんの理解力のほうが、問題なのだ。

たとえば、集合的一括思考は間違っているということを、説明する人がDさんだとする。Dさんの説明が正しくても、Cさんが理解しないのであれば、Dさんは、うまく説明することができなかったということになってしまうのである。

そして、Cさんが、自分が正しいと思っていることを否定されると腹が立つ人だと、Cさんは、腹を立ててしまう。Cさんが正しいと思ってやっている集合的一括思考が間違っているという話をされるわけだから、Cさんとしては、不愉快な気持ちになるのである。

たとえば、Cさんが、人には「すべては受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」と言っている人でも、Cさんは、そのとき、Dさんの意見に合わせて、受け止め方をかえる確率が、非常に小さい。

もう、こういうことのほうが、法則性があるのではないかと思えるほどなのだけど、例外はいるので、いちおう、法則性があるようなことは言わないでおこう。人には「受け止め方をかえればいい」という人が、自分の受け止め方をかえればいいと思うかどうかというと、かなりあやしいのだ。

自分が正しいと思っていることを、否定されると、腹が立つという反応が自然に起こる。……そうなる確率が非常に高い。

そして、たとえば、Cさんが、すべては自己責任だと思って生きているとしよう。その場合、もちろん、Dさんの説明を聴いて、Cさんが腹を立てた場合、Cさんが腹を立てたのだから、Cさんの責任なのである。

もともと、自己責任論というのは、アンガーコントロール論なのだ。ところが、自分が立腹したときは、相手が悪いと思っている場合が多い。相手が(自分が正しいと思っている理論を)否定してきたので、相手のせいで、腹が立ったと思う場合が多いのである。

まあ、Cさんは、腹を立てたとする。Cさんは、普段、人には、「すべては受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」と言っている人だとする。

さらに、Cさんは、普段、人には「すべては、自己責任だ」と言っている人だとする。

そのCさんですら、実際の場面においては、腹を立てるのである。

そして、腹が立ったのは、Dさんのせいだと思うのである。

Dさんは、Cさんが正しいと思っていることを否定したので、Cさんは不愉快な気持ちになり、Dさんはネガティブな人だと思ったとしよう。

Dさんが「自分(Cさん)の意見を否定した」のだから、CさんがDさんのことを、ネガティブな人だと思っても、不思議ではない。

しかし、Dさんは、ネガティブな人とは限らないのである。

Dさんは、集合的一括思考は間違っているということを言ったにすぎない。そして、それは、正しいことだ。あっている。

Cさんが、集合的一括思考をして、「貧しくしても、努力をすれば成功する」と言った場合、やはり、Cさんは、間違ったことを言っているということになる。貧しいから、努力をしても成功しない人がたくさんいるからだ。

「貧しくても」という条件がついているけど、「貧しくしても、努力をすれば成功する」という文は一〇〇%構文の文なのだ。「貧しい人」という集合のなかの人は、みんな、同等に貧しい人であり、ほかの条件もおなじだと、Cさんは、勝手におもんこんでいるのである。

ちなみに「貧しい人は、努力をしても成功しない」という文も、間違っている。貧しくても、努力をして成功する人がいるからだ。

条件付きの一〇〇%構文の文がある。

これは、そのまま、一〇〇%構文の問題点を継承している。 

まあ、ともかく、運用の問題があるということを言いたいわけ。

Cさんが、普段、どれだけ「受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」ということを人に言っていたとしても……なおかつ……自分(Cさん)はそれを実践しいると思っていたとしても、実際の場面では、反対のことをしている場合が多い。

本人が、気がつかないだけなのである。

この本人が気がつかないというのは、非常に大きな問題だ。運用に問題があるということを重視しない人は、本人が気がつかないということも、無視してしまう傾向が強い。

本人が気がつかない……というのは、でっかい問題だ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。