2021年3月3日水曜日

世間の人は、ヘビメタ騒音の影響というものについて、おおきく、誤解をしている

 どれだけ、俺がヘビメタ騒音のしんどさを説明しても、わからないと思う。

世間の人はわからないと思う。それとおなじように、ヘビメタ騒音が鳴り終わった後の体の調子や、ヘビメタ騒音が前日数時間から十数時間ずっと鳴っていて、眠れない状態ですごしているとき、どういう状態なのか、世間の人はわからないと思う。「次の日の朝」……すでに、次の日になっているのに、起きたとき「前日」のヘビメタ騒音で、動けなくなっている状態なんてわからないだろう。どれだけ憂鬱かわからないだろう。それを、押し切って、動いているときのしんどさがわからないだろう。どれだけ説明しても、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を俺と経験してない「普通の人」にはわからないだろう。普通の人は、自分の経験をもとにして、「しんどさ」を推し量るのだろう。「憂鬱」の程度を推し量るのだろう。けど、その推量は、まちがっている。ちがうものを思い浮かべて「こうだ」と言っている。「こういうものだ」と考えている。俺とおなじようにきちがい兄貴の……きちがい家族の……ヘビメタ騒音を経験した人しか、わからない。自分がやる気になって、夜通しゲームをしてつかれたとか、自分が聞く気になって深夜ラジオを聞いてつかれたとか、そういうことじゃないから。酔っぱらって、次の日、起きたら、つらかったとか、そういうことじゃないから。きちがいが鳴らす音をずっと聞かされるということの意味がわかってない。それは、無理やり聞かされるということだ。ぼくには、選択できないことなのである。きちがい兄貴を殺してやめさせるしかないのである。殺すことをさけると、やられたままになってしまうのである。きちがい兄貴はきちがいだから「やっているつもりが」ない。やっているさいちゅうも、「きちがいなので」やっているつもりがない。やり終わったあとも、「きちがいなので」やったつもりがないのだ。きちがい的なこだわりでやったことは、きちがい的なこだわりで「否定する」のである。その場合、「否定し終わったら」関係がない人になってしまうのである。あるいは、どれだけでかい音で鳴らしても、「でかい音をでかい音だと認めなければ」でかい音で鳴らしたということにならない。殺されないとわからないし、殺されてもわからないのだ。例会があるなら、殺されればわかるだろう。自分がやっていたことがどういうことなのかわかるだろう。例会がない場合は、殺されたってわからない。そういうことだ。

ともかく、この世で「どうしても自分が思ったとおりにやりたい」と思っている以上、そうするのである。その場合、相手が言っていることを認めてしまったら、思い通りにやり続けることができないと「無意識的に」思うことは、どれだけ明らかなことでも認めないのである。そうすれば、やり切ることができる。自分は何もしてないつもりでやり切ることができる。これが、きちがい兄貴のしくみだ。 そういう自分勝手なしくみが成り立っているのだけど、本人は無自覚だ。だから、そんなに重たいこととして考えないのである。俺が、どれだけ、ヘビメタで困っているということを言っても、きちがいおやじのように、怒り狂って、否定したら、それでおしまいなのである。どれだけやったって、やってないのとおなじ……そういうきちがいの境地に立って、やり続ける。だから、本人はほんとうに「まったくやってないのとおなじ」気分でいる。まったくやってない場合とおなじ気分でいる。「やりつづけてしまってすまん」とかそういう気持ちが一切合切なのである。「やめてくれ」と言われたけど、「やめたくないから、やり続けた」という認知が、すっぽり、抜け落ちしてしまっているのである。最初から「まったくやってないのとおなじ気分」で、鳴らし続ける。だから、やっている。しつこくやっている。やっているのだけど、本人は、「つもりがない状態」なのである。こういう、きちがい。きちがいとしか言いようがないだろ。そういうきちがい的なしくみが成り立っていることで、どれだけ、俺が「世間のやつ」から誤解を受けてきたか。きちがいおやじにやられたときは、兄貴だって、「世間のやつ」から誤解を受けて、的外れなことを言われて、怒っていたのに、自分がヘビメタを押し付ける番になったら、おやじとおなじやり方で押しつけて、押しつけたと思ってない状態が成り立ってしまう。それそこが、きちがいおやじが発狂してやり切ったことだ。で、こういう人は、そういう状態のまま生きてしまうのである。説得して変わるようなものじゃないのである。本人のなかでやる気がなくなったときは、やる気がなくなったのでやらなくなるけど、「絶対やりたい」と思っているときに、人に言われて、やめるということはない。人になぐられてやめるということはない。なぐられたら、もっともっともっと、意地になって、意地になって、やりきる。自分がやっていいことをやっているのに、なぐられたら、意地になるだろ。やっていいと思っているんだよ。だから、殺さなければならなくなる。やめさせるには殺さなければならないのである。そういう状態を「相手におつける」。けど、もちろん、自動的にそうなっているだけで、そういうことを押し付けているとは思わない。なんてたって、「やったってやってない」ことなのだから。

 

世間の人は、ヘビメタ騒音の影響というものについて、おおきく、誤解をしている。「そんなもんじゃない」のである。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。