2021年3月8日月曜日

意志の問題ではないのに、意志の問題だとされてしまう(他人は、意志の問題だと想定してものを言ってくる)

 ヘビメタが四六時中、鳴っていると、どれだけ足を引っ張られるか? ほかの人はまったくわかってないんだよ。それは、きちがいヘビメタが鳴り始めた小学六年生のときから、かわってない。俺が小学六年生のころから、他人は、このことがわかってない。

これでは、ぼくが、ヘビメタのことを他人に説明しても、しなくても、おなじだ。そして、他人は、「ヘビメタのことを他人に説明しても、しなくても、「おなじだ」ということも、まったくわからない。わからないんだよね。

自分の人生なのかで発生したことじゃないから。

自分の生活のなかで発生したことじゃないから。

そして、きちがい家族がいる状態で、生活したことがないから、どれだけ、足を引っ張られるかわからない。そして、他人が理解しないうちに……たとえば、勉強ができないということがつみかさなる。これは、勉強する時間がないから、勉強する時間がある場合よりも、学業成績が下がるということなのだけど、こういうことの「意味」がわからない。きちがいヘビメタのなかで、どうしても、勉強ができないということが、体験をとおしてわかってない。

そして、きちがい兄貴に「静かにしろ」と言ったときの、きちがい兄貴側の態度やきちがい兄貴側の認識が……他人にはわからない。きちがい兄貴は、きちがいおやじとおなじで、無意識的に自分がやりたいことがあれば、感覚器をだまして、やってしまうところがある。

しかも、「つもりがない」のだ。

発狂的な意地で、感覚器をだまして、やったことは、すべて、やってないことになってしまうのである。

きちがい的な意地でやったことと、実際にやってないことは、感覚的には、おなじなのである。もちろん、毎日、そういうふうにしているということが、本人には、わかってない。常にやっているのだけど、つねに、「つもりがない」わけだから、どれだけ、長くやってもわからない。

きちがい兄貴は、もう、自動的に、家に帰ってきたら、ヘビメタを……鳴らせる最大限の音で鳴らす……ということに「なっていた」。もう、自動的にそうなるのである。どんなこまかい時間も、惜しんで、きちがいヘビメタを鳴らしきるのである。

この生活!!

やられているほうのこの生活!!!

この生活の意味がわかってない。どれだけ、足を引っ張られるか、他人にはわからない。すべての時間鳴らしていたと言うと……たとえば、きちがい兄貴が風呂に入っている時間は鳴らしてないという意味で、『すべての時間ではない』ということが成り立つ。

なので、『すべて』という言い方はイ・ラショナルだということが言える。しかし、本人が風呂に入っている時間、本人が家にいない時間、本人が眠っている時間、本人が一階の部屋でご飯を食べている時間を、のぞいて、すべての時間、ヘビメタが鳴っているということ意味は、そういう言い方では、払拭できないのだ。

ようするに、「すべての時間ではない」にしろ本人が起きて活動している「ほとんどすべての時間」鳴っていたということは、「すべての時間ではない」にしろ、重要なことだ。

こっちが活動している時間……こっちが家で起きている時間のほとんどすべての時間がヘビメタ騒音におおわれてしまうのだから、こっちの悩みは、「すべての時間」ではなくて「ほとんどすべての時間」と言っても、かわりがない。

「すべての時間」ではないということを指摘すれば、ヘビメタ騒音の問題が小さくなるかというとそうではないのだ。「すべての時間」ではないということを指摘すれば、俺の側の現実がかわるかというとかわらない。

やはり、俺の生活全部がヘビメタ騒音でおおわれていることにかわりがない。家で起きているあいだの、ほとんどすべての時間鳴らされたことで、こっちがこまるということの実態は、なにもかわらないのだ。しかし、まあ、正確さを重んじて「すべての時間」ではなくて「きちがい兄貴がいにいて、起きている時間のなかの、ほとんどすべての時間」と言い換えるけど、、そういう言い換えをしたとしても、実態はかわらない。

そして、「きちがい兄貴が家にいて、起きている時間のなかの、ほとんどすべての時間」ヘビメタが、めちゃくちゃにでかい音で鳴っていたとすると、「きちがい兄貴がいにいて、起きている時間」以外の時間にも影響をあたえる。これも、他人が、無視してしまうところなのだけど、影響をあたえる。影響をあたえる。影響をあたえる。

この影響のでかさが、ほんとうに他人にはわからない。本来眠るはずの時間として考えられる午後一一時から次の日の午前七時までの時間に、発狂的な影響をあたえる。こういうことも、毎日つみかさなれば、脳みそが(固定的な状態として)影響を受けるということが……ほかの人には経験的にわかってない。

はっきりいえば、繰り返しの刺激によって、脳みそに障害がしょうじる。こまった状態が……うまく働かない状態が「固定化」されてしまう。

こういうことは、普通は、「意志の問題」だと想定される問題だ。

たとえば、「朝、起きることができない」というのは、「意志の問題」なのである。けど、ぼくは、一〇年以上ヘビメタを毎日鳴らされたわけで、一〇年以上毎日ヘビメタを鳴らされてない人間とは、状態がことなるのである。そもそも、状態がことなる。基本的には、ヘビメタ騒音問題というのは、「ダメ人間問題」で「意志の問題」だと、普通の人間には、認識される。これも、こちら側の感情を逆なですることなのである。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。