たとえば、「この店で、自分はただで食べることができる」と言ったとしよう。
言霊理論が正しいなら、ただで食べることができるようになるのである。言ったことが、言霊の力によって現実化されるので、言った通りになるのである。
Aさんは、「この店で、自分はただで食べることができる」と言ったあと、とある店に入って、ロースカツ定食を注文して、ロースカツ定食を食べたとする。食べ終わったあと、おカネを払わずに、店を出ようとしたら、店の人が、「ちょっとお客さん、おカネを払ってください」と言ったとする。
しかし、Aさんは「この店で、自分はただで食べることができる」と言ったので、「ただで食べることができるはずだ」と言ってゆずらないとする。そして、無銭飲食で捕まったとする。
しかし、取調室でも「この店で、自分はただで食べることができると言って、店に入ったので、まったく問題はない」とAさんが言い張ったとする。
Aさんのなかでは、「言霊は絶対」なので、「店のほうがおかしい」ということになる。
Aさんが……「店の対応が間違っている。自分はたしかに、この店で、自分はただで食べることができると言った。言えば言ったことが現実化するので、ただで、食べることができるはずだ。おかしいのは店の店主だ」と言い張ったとする。
現実世界でAさんの主張が通ることはない。
言霊の力は、Aさんが言ったことを現実化せず、Aさんの行いが……現実の行いが、現実の行いだということになる。
Aさんの……「妄想のなか」では、「言ったのだから、言った通りになる」ということになっている。
だから、「Aさんのなか」では、Aさんの行動は、異常ではないのである。
しかし、外部から、Aさんの行動を見ると、異常だということになる。
言霊主義者が、飲食店に入って、なにかを注文してカネを払って出てくるのは、それが常識だと言霊主義者が思っているからだ。そして、「言っても、その常識は、かきかわらない」と思っているからだ。
「言うことで、その常識を書き換えれる」と(言霊主義者が)思っていないということをいしている。
しかし、言霊理論に忠実なら、じつは、書き換えられるはずなのである。
言っただけで、いかようにでも、書き換えられるはずなのである。
言っただけで、他人の行動や、他人の考え方をかえることができるはずなのである。
(その人が)言った通りになるはずなのである。
自分が「これこれこういうことになる」と言ったら、言霊の力によって「これこれこういうことになる」のが、あたりまえなのである。
だから、言霊主義者にとって、現実的な問題に関しては、特殊な場合を除いて、言霊のことなんてまったく気にしないで、言霊主義者は行動をしているのである。
言霊主義者が、いろいろなとこで、トラブルを起こさないのは、この現実感覚のおかげだ。
もし、ほんとうに、言霊主義者が、言霊理論を信じぬいて行動すると、妄想的な行動をして、ほかの人に迷惑をかけるということになってしまうのである。