「俺はこのまま終わるのかな」という気持ちがある。俺はこのまま終わるのだろうか。その確率は、高い。相当に高い。
ほんとうにほかの人とはちがうんだよな。
「家の状態」がちがいすぎた。「一緒に住んでいる家族の状態」がちがいすぎた。
これ、ほんとうに、ほかの人にはわからないことなんだよな。
どうしても、ほかの人は、ほかの人の常識に従って、ものを考えてしまう。その場合、「家族」に対する常識も、普通の人の常識は、普通の家族と一緒住んだ場合の常識なのである。うちの親父と、うちの兄貴は、普通の人じゃないのである。普通の人の感覚を持ち合わせていない。
そうすると、どうしても、ほかの人から見ると、ぼくが「へんなことを言っている」ように見えるのだ。「そんなは、ちゃんと説明すればいい」とほかの人は言う。
「エイリがほかの家族にちゃんと説明すれば、そのほかの家族はちゃんとわかってくれる」という前提の発言だ。
ところが、うちは、ぜんぜんちがうのである。ぜーーんぜん、ちがうのである。そして、たとえば、きちがい兄貴自身が、きちがい兄貴の構造に気がついていないというところがある。
だから、ほんとうに、きちがい兄貴は、「ぬけぬけ」のチャンピオンみたいな存在なのだ。
きちがい兄貴にしたって、ほかの人が、きちがい兄貴の音量で、音を鳴らしていれば「うるっっっっっさい」と思のである。三〇秒で「なんだぁ!!」と思い……四〇秒で、腹が立って腹が立ってしかたがない状態になるのである。
けど、自分が……思いっきり……鳴らしたい音だと、「相手の立場に立ってものを考える」ということがまったくできないきちがい兄貴は、感覚器をだまして、「普通の音だ」と思って、鳴らしてしまうのである。
「普通の音で鳴らしているのだから、どれだけ鳴らしたって問題がない」という意識が成り立っているのである。
自分の耳が悪くなるような……ものすごくでかい音で鳴らしているのに「普通の音で鳴らしているのだから、どれだけ鳴らしたって問題がない」と思っているのである。
耳が正常なら、ものすごくでかい音で鳴らしているということは、どれだけ、嘘を言っていても、わかる。
ところが、きちがい兄貴はわからない。
そして、実際に、自分の出した音で、聴力がさがっていくのである。