2026年5月8日金曜日

●集合的一括思考(1)■社会※2026/05/08 15:04

集合的一括思考と呼ぶことにしたのだけど、集合的一括思考をしていると、間違うのである。

たとえば、「貧しい人でも努力をすれば成功する」と言ったとしよう。

どういう人を「貧しい人」と呼ぶのかははっきりしないのだけど、ともかく、「貧しい人」というイメージに従って考えるとしよう。

これ自体が、もう、法則性をあらわす文としては、不適切なのだ。

まあ、話をすすめよう。

「貧しい人」という集合のなかにも、いろいろな貧しさの人が含まれているのである。はっきり言えば、「貧しい人」と一括してくくったけど、その中身は、千差万別だ。

ところが、貧しい人という集合のなかには、おなじように貧しい人がいると……集合的一括思考をする人は……考えてしまうのである。貧しい人という集合のなかには、均一な貧しい人がいるという前提で物事を考えてしまうのである。

ところが、実際には、貧しい人のなかにも、いろいろな人がいるのである。貧しい人々が、共通のコミュニティーに属しているわけではない。ほかの貧しい人との接触頻度や関係というものが、ちがうのである。そして、文化的な資産の差もある。

家によって、文化的な資産がちがうし、地域によっても文化的な資産がちがう。貧しさを、本人の年収や、親の年収で考えた場合、年収(金額)以外の差は無視されてしまうのである。

そして、たとえば、貧しさを、本人の貯蓄額や、親の貯蓄額で考えた場合、貯蓄額以外の差は無視されてしまうのである。貧しさを、本人の年収と貯蓄額や親の年収と貯蓄額で考えた場合、年収と貯蓄額以外の差は、無視されてしまうのである。

そして、「貧しい人」のなかに入る人たちの年収がちがうし、貯蓄額もちがう。

年収や貯蓄額という「貧しさの基準」を考えた場合でも、貧しい人とひとくくりにされた人たちは、それぞれ、ちがう年収額や、ちがう貯蓄額で生活をしているのである。

ようするに、貧しい人という集合の中に入っている人たちは、同様に貧しいわけではないのだ。

ところが、一括思考をするので……「貧しい人といったら、貧しい人なのだ」と考えてしまう。

これが、じつは「ひどいあやまり」なのだ。「あやまり」なのだ。ところが、そんなことは、「貧しくても、努力をすれば成功する」と考えている人は、考えない。

たとえば、Aさんという人がいるとする。Aさんは貧しい人だとする。そのAさんが、社会的に?成功した。そのような例があるとする。その場合、集合的一括思考をする人は「貧しいAさんが成功したのだから、貧しい人も成功する」と考えてしまう。

そこで、貧しさの程度や、貧しさ以外の条件は、捨象されてしまう。

無視されてしまう。

努力をするかどうかという条件のほかに、貧しい(貧しさにおいて下である)という条件をつけたして考えたわけだけど、この場合も、「貧しさ」という条件は、あとでつけくわえられることになる。

そして、「成功した例」が語られることになる。

しかし、貧しい人の集合を考えた場合、みんながみんな、Aさんとおなじように貧しいわけではない。条件がちがう。

ところが、貧しい人は、Aさんとおなじ条件だと……自覚がないまま……考えてしまうのである。

かりに、Bさんが貧しい人だとする。そのBさんが社会的に成功しなかったとする。

「努力をすれば成功する」と考える努力論者は、貧しいBさんが成功しなかったのだから「貧しい場合は、努力をしても成功しない」と考えるかというと、そのようには考えないのだ。

例としてあがるのは、成功した人の例だけなのだ。集合一括思考をしているのに、ひとりでも貧しいのに、成功した人がいれば、「貧しくしても、努力をすれば成功する」ということになってしまう。Bさんが成功しなかった例というのも、自動的に無視される。

そうなると、「貧しいから、(努力をしても)成功しなかった」という思考は、間違った思考だと思われるのである。

ようするに、最初に……条件なしで「努力をすれば成功する」と考えて、そのあと……「貧しい場合は、努力をしても成功しない」という反論に対応して、Aさんが成功したという例を後出しで付け加えるのだ。

こうすると……あたかも、努力以外の条件についても、考えているようなポーズをとることができる。

しかし、これは、見せかけのポーズだ。

貧しくても成功したAさんのような例だけを取り上げるのである。そうすると、Aさん以外の貧しい人を、努力不足だとせめることができるようになる。

これ、最初から、他人をせめるための道具なのである。

「貧しくてもAさんが成功したのだから、Aさん以外の貧しい人も成功するはずだ」と……無自覚に……考えてしまうのである。

しかし、Aさんの条件と、Aさん以外の条件は、貧しさにおいてもちがうし、ほか条件においてもちがうのだ。Aさんには、Aさんに協力的な家族がいたかもしれない。

エイリには、勉強の邪魔をするきちがい家族がいた。そのきちがい家族の邪魔のしかたが、ほかの人が考えるような邪魔のしかたではないのである。常軌を逸したしつこさで、邪魔をするのである。どの時間も、可能な限り邪魔をするのである。

そういう家族と一緒に住んでいるという条件は「貧しさ」という条件を導入した場合でも、無視されているのである。事前に無視された条件なのである。

なので、事前に無視された条件は、結果に影響を与えないという(間違った)考え方がしょうじる。無視しているから、ないのとおなじで、ないのとおなじだから、どんなことが起きても、結果に影響を与えないということになってしまうのである。

ヘビメタ騒音という条件は、無視されているので、ヘビメタ騒音という条件がもたらすことに関しては、無視をしてもいいという考え方が横たわっているのである。

ようするに、「貧しさ」という条件を導入した場合でも、貧しさのなかの条件のちがいは無視され、ほかの条件も無視されるということになる。しかし、「無視している」という気持ちがまったくないのである。「ちゃんと考えている」と思っているのである。

集合的一括思考をしている時点で、じつは、人の条件について、誤った考え方をもっているのである。

ところが、それがわからない。

集合的一括思考をしている人は……『自分』は正しいことを言っているつもりなのだ。「Aさんが、成功したのだから、貧しくても、努力をすれば成功する」と思っているのだ。

その場合、「貧しいから成功しない」と言っている人たちは、みんな……「言い訳をしているだけだ」ということになるのである。こういう思考の流れがある。

最初に、いいこととして「努力をすれば成功する」という考え方を受け入れたために、他人に対して、その他人は「言い訳をしているだけだ」と決めつけるところまで、誘導されてしまう。

これが、一見正しそうに見える……一〇〇%構文をもつライフハックが、もたらす、効果だ。

まず、普通の人は、「努力をすれば成功する」という文が一〇〇%詐欺構文の文だということ気がつかない。

だから、条件を無視して、考えてしまう。

そして、普通の人は、自分が一倍速で経験したことは重視するけど、他人が一倍速で経験したことは、無視する傾向が非常に強い。例外的な「普通の人」はいるだろうけど、たいていの「普通の人」は、一〇〇%%詐欺構文を与えられると、条件を無視して(他人のことについて)考えるという傾向が、非常に強い。

*     *     *

ちなみに「貧しいなら、努力をしても成功しない」という命題も『偽』だ。

ここで言いたかったのは、「成功しなかった例」というのは、無視されるということだ。成功しなかった例をあげて、これまた、間違った文を言う確率は、低いのだ。

ちなみに、「貧しいBさんが成功しなかったのだから、貧しい人は成功しない」という文も間違っている。理論的におかしなことを言っているということになる。「貧しいBさんが成功しなかったのだから、貧しい人は、みんな、成功しない」と言えば、文のおかしさに気がつくだろう。単に「貧しい人」と言った場合も「貧しい人は、みんな」と言った場合も、おなじ意味になるのだ。「貧しい人」という言葉が示す集合と、「貧しい人は、みんな」という言葉が示す集合は、おなじだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。