きちがい兄貴の構造が特殊なので、きちがい兄貴のような家族と一緒に住んだことがない人たちは、経験的に、きちがい兄貴が「意地になってやること」がわからないのである。
きちがい兄貴が、夢中になってやることがわからないのである。
普通だったら、絶対に、あんな音で鳴らさないんだよ。
そして、鳴らしている場合は、でかい音で鳴らしているという認識が、「かならず」しょうじる。
けど、きちがい兄貴は、例外者なので、でかい音で鳴らしているという認識がまったくしょうじない。俺がこまっているということも、きちがい兄貴は、わからない。
「俺がこまっているということが、きちがい兄貴にはわからない」のだけど、こういう脳みその問題は、きちがい兄貴だけではなくて、きちがい親父にもある。
そうなると、常識的な人から見て、俺がへんな人に見えてしまうのである。
* * *
「そんなのちゃんと言えば、わかってくれる」と思っている人は、ちゃんと言わないエイリが悪いと思ってしまうわけだ。「ちゃんと言えばわかってくれる(はずだ)」という思い込みが激しい。
この思い込みは、ぼくが言っても、かわらない。一度、「ちゃんと言わないやつが悪い」と思った時点で、ある程度は、ぼくのことを見下しているので、見下したやつの言うことを聞くことが、めったにないのである。
「そんなのは、嘘だ」と思うやつもいて、こういうやつは、ぼくがまるまる人格障害で、嘘を言っていると思うんだよ。そうすると、次から次へと妄想的な解釈をするようになる。
俺の行動や発言を、次々に、妄想的に判断して、その判断に基づいた……「へんなこと」を言ってくるようになる。
こっちから見れば……「おまえが、間違った判断をして、間違った判断に基づいた解釈をしているだけだろ」と言いたくなるのだけど、そんなことを言ったって、相手は認めないのだ。
こいつらは、悪質だよ。
特に、四〇代、五〇代の女性グループができあがっている場合は問題がさらにふくらむ。まあ、メリーリングリストで出会った人たちなのだけど、かかわるんじゃなかったと思っている。
これも、けっきょく、きちがい兄貴の騒音で、普通の大学に進学できなかったことが、影響しているんだよな。
かりに、きちがい兄貴が、きちがい的な意地で騒音を鳴らさなかった場合、普通に、通学制の大学に進学したはずなんだよ。あるいは、きちがい兄貴が、よそではありえないような、でかい音でヘビメタを鳴らしても……こっちが「やめてくれ」と言ったら、やめてくれた場合は、普通に、通学制生の大学に進学したはずなんだよ
通信制の大学で、こういう人たちと、出会うこともなかった。
この人たちの、解釈が問題なんだよな。
「ヘビメタ騒音の話が、嘘だ」ということになっているのだ。……この人たちの頭のなかではそうなんだよ。俺のことを嘘つきだと思って、次々に、へんな解釈をする。
これだって、相手に悪意があるわけではない。
本気でそう思っている。
こっちから見れば……「おまえらが、勝手に妄想に妄想を重ねているだけなんだよ」ということになるのだけど、どれだけ言っても、俺が嘘をつく人間だと思っているので、自分たちの解釈をかえることがない。
こういう、付属的なトラブルも発生してしまうのだ。
これ、ほんとうに、きちがい兄貴が、あんなに長い期間、きちがい的な意地で、自分が鳴らしたい音を、自分が鳴らしたい音のでかさで鳴らすということをしなかったら、発生しなかった問題なんだよ。
* * *
きちがい兄貴ときちがい親父が、同じタイプの精神的な問題を抱えているのだ。
もちろん、きちがい親父が抱えている問題で、きちがい親父が苦しむということはないのである。きちがい兄貴が抱えている問題で、きちがい兄貴が苦しむということはないのである。「自分」が相手の気持ちを無視して、自分がやりたいことを、きちがい的な意地でやって、きちがい的な意地でやったということを認識しないという精神的な病だ。
感覚器が正常なのに、『自分の都合に従って』感覚器を書き換えてしまう病だ。感覚器を書き換えてしまうというのは、感覚器が正常だから、正常な信号が(脳みそに)届いているのだけど、きちがい兄貴ときちがい親父は……『自分の気持ち』を優先して、不都合な信号を遮断してしまうというようなことを、無意識的にしている。
本人が意識的にやっていることではないということが問題なんだよな。こいつらにとっては、「こいつらの認知が正常だ」ということになっているからだ。
この「遮断するとき」の意地がすごいんだよ。
けっきょく、意地でもやりたいことは、便利な遮断機能を使ってやってしまうのである。
で、やってしまったら、「そんなのやってない」と自分が思えるほど、関心がないことになっている。自分がやったのか、やらなかったのかについて、真剣に悩むことがない。
いつも、この方法で、自分がやりたいことは、まわりの家族がどれだけ「やめてくれ」と言っても、やってしまうのである。まわりの家族が「やめてくれ」と言ったことは「ない」ことになっているのである。
……たとえ、その日、周りの家族が何十回も強く、直接(本人に)「やめてくれ」と言ったとしても、まわりの家族が「やめてくれ」と言ったことは「ない」ことになってしまうのである。
きちがい兄貴の頭のなかでは、そうなってしまうんだよ。きちがい親父の頭のなかでは、そうなってしまうんだよ。
「自分は、なにも文句を言われないままやっただけだ」ということになっている。あるいは、「自分は、なにも文句を言われないままやっただけだ」ということを思うまでもなく、関心がないことになっている。
でっ、その方法で、ずっと毎日やるんだよ。
注意をしたから、兄貴が、かわってくれるということはなかった。
* * *
「相手をかえることは、できないから、自分の受け止め方をかえればいい」というようなライフハックを口にする人がいるけど、そのライフハックを口にする人は、現実的な場面では、『自分の受け止め方をかえない』場合が多い。
そのライフハックを口にする人は、実際には、『自分の受け止め方をかえよう』と思わない場合が多い。
相手がかわらないということを(こっちが)言うと、「人はかえられないから自分をかえればいい」とか「人はかわらないから、自分の受け止め方をかえればいい」ということを言う人たちがいる。
きちがい兄貴が、きちがい行為をしているのだから、かわってもらわないと、こまるのである。
かわらない相手がいるということは、「こっちが、受け止め方をかえればいい」ということを……自動的に……意味しているわけではないのだ。
こいつらは、実際の、きちがいヘビメタ騒音が及ぼす影響のでかさがわかっていない。こいつらも、俺がどれだけこまっているか、ぜんぜんわかっていないやつらなのである。
たしかに、「どれだけ、こっちが言っても、かわらない人」はいる。いる……。いる「から」こっちがかわらなければならないということにはならない。
こういうことですら、わかってないのである。
しかも、こいつらは、普段、自分が、「相手にあわせて、自分の受け止め方をかえているわけではない」ということが、自分でわかっていない。
「ぬけぬけ」なんだよな。
こいつらも、この点に限っては、うち兄貴やうちの親父と似ているところがある。無自覚。まあ、こいつらは、きちがい的にでかい音で自分が鳴らしたい音を鳴らし続けるということは、していないのだろう。だから、うちの兄貴とは、やったことがちがう。
それは理解している。
こいつらが、うちの兄貴のように、きちがい的にでかい音で、一日に何時間も、あるいは、十何時間もずっと、でかい音で音楽を鳴らしたと言っているわけではないのである。そういうところで似ているということを言っているわけではないのである。
ただ、普段、自分が言っていることと、普段の自分の行動が食い違っているということに気がつかないというところは似ているのだ。
* * *
これ、きちがい的な家族にやられて、ものすごくこまっている人に「(相手をかえることはできないから)自分がかわればいい」とか「(相手をかえることはできないから)自分の受け止め方をかえればいい」とかということを、言ってしまう人は、自分がなにをしているのか、ほんとうにわかっていない……と思う。相当にひどいことをしている。
「善悪」はどうなる?
「善悪」なんて関係なしに、「相手にあわせればいい」「相手にあわせて、自分の受け止め方をかえればいい」なんて、相当にひどいことを言っている。善悪を超越してますね……。
そのくせ、道徳は投げているわけではないのだろ。これ、自分がなにをしているのか、ほんとうにわかっていないな……。