2021年10月7日木曜日

けど、それが普通に成り立ってしまう、「うち」だったんだよ。「うち」では、まったくおかしくないんだよ。

 ヘビメタ騒音で人生がない。どうしても、くらべてしまう。ヘビメタ騒音がなかった場合の俺の人生と、俺の人生をくらべてしまう。ほかの人にはまったくわからないことがある。それは、俺がどれだけ「ヘビメタ騒音がくるしかった」「ヘビメタ騒音でこういうことができなかった」「ヘビメタ騒音でこういうことができなくなった」「ヘビメタ騒音でこういうトラブルが生じた」ということを説明しても、わからない。経験してなければ、わからない。あのひどさが、わからない。俺以外の人間は、あのひどさを経験してない。どういう、朝になるかわかってない。どういう夕方になるか、わかってない。どういう、深夜になるかわかってない。きちがい兄貴が、きちがい兄貴でなく、普通の兄貴だった、あんなことにはなってない。どれだけ、ヘビメタ騒音に凝っていたとしても、あんなことにはなってない。どんだけ、ヘビメタを思いっきり鳴らそうと思っても、あんなに思いっきり鳴らせない。

中古マンションのことを考えているとき、「うちが、マンションだったらあんな音じゃ鳴らせないのに」と思ったりする。いかりがわく。いかりと破綻を繰り返している。どうしたって、気分がよくない。どうしたって、すっきりした気持ちになれない。

毎日の繰り返しというのがある。毎日の繰り返し……それも、成長期に数千日、毎日、繰り返されたこと。……こんなことが、影響を与えないわけがない。ところが、それをやらなかったやつは……自分の体で経験してないやつは……「騒音なんて、だれだってある」「騒音なんて、鳴り終わったら関係がない」「騒音なんて、関係がない」と言いやがる。でこパッチンBをしたくなる。

ほかの人がわからないということは、他の人は、ヘビメタ騒音の影響を認めずに、俺に圧力をかけてくるということだ。そういうことになる。こいつらは、でこパッチンB。みんな、でこパッチンC。

こういう人たちは、きちがい兄貴の態度もわからない。きちがい親父の態度もわからない。きちがい親父がヘビメタ騒音についてなんて言ったと思うよ? もう、書いてきたからここじゃかかないけど、きちがいすぎて、わからない。ほかの人の常識の範囲外。きちがい兄貴やきちがい親父は、俺がどれだけ何回言っても、俺がきちがいヘビメタ騒音でこまっているということを認めない。あんなでかい音で、普通の人は鳴らさないということを、認めない。きちがいだから「なっちゃったなっちゃったでしかたがない」だ。きちがい親父は、カラがだでかくなった兄貴に、注意ができないだけ。きちがい兄貴が小さいときは、虐待してたのに、きちがい兄貴の体が自分の体より大きなったらも、もう、完全に無視して、きちがい兄貴がやっていることに関して関心を払わない。ガン無視。絶対に注意しない。絶対に注意しないとなったら、なにがなんだろうが注意しないんだよ。「そんな音で鳴っているのに親が注しないのはおかしい」とか、なにも知らない、普通の人が普通の感覚で言う。こういうことが発生してしまう。どれだけ挟まれてきたか。きちがい親父のきちがい感覚と、世間の感覚の違いがでかすぎる。きちがい兄貴のきちがい感覚と、世間の感覚がちがいすぎる。おかあさんの言うことは、兄貴はかない。おかあさんはこまってただけだ。親父とはちがって、注意はしてくれたけど、注意したって、兄貴が聞かない。兄貴がずっと、実力行使で鳴らし続けたら、こまったまま、うなだれてしまう。自分の寝床で、横になっていた。きちがい兄貴がまったく気にしないで、がんがん鳴らす気ちがい空間。そういうものを、押し付けられた。この、騒音の影響なんだけど、ほかの人が考えるように、鳴り終わったら、すぐに、関係がなくなるようなものじゃない。それは、一日のなかでもおなじだし、一生のなかでもおなじだ。ほかの人の考えが、まちがっている。ぜんぜん、ちがう。実際は、ぜんぜんちがう。ほかの人は経験したことがないから、完全に影響を無視できるけど、実際にやられ続けた俺は、無視できない。「無視しようと思えば無視できる」……そういうことを言うやつは、でこパッチンB。だいたい、そういうことを言う人は、実際のヘビメタ騒音を聞いてない。俺の部屋で、きちがい兄貴が鳴らしていた、なまの音を聞いてない。聞かされてない。何時間も何時間も聞かされたら、夜、どうなるかわかってない。本来なら眠るべき、夜の時間、どうなるかわかってない。眠れなくなるんだよ。どれだけつかれていても、朝まで眠れなくなる。これが、一日に与える影響がでかい。帰ったら、鳴っている状態だ。鳴っていたら、どれだけ言っても、一分間もやめてくれない。きちがいがきちがいの意地てやりまくる。そのきちがいの意地というのは、きちがい親父の意地とおなじだ。きちがい兄貴の頑固な態度は、きちがい親父の頑固な態度とおなじ。きちがい親父が発狂して、頑固に「怒り狂っていた」ときと同じ態度だ。「やめろ」と言われたら、発狂して、きちがい的な意地でやり続ける。けど、きちがいだから、そういうことをした「つもり」がない。つねに、きちがい的な意地でやるけど、つねに「つもり」だけはないのだ。「つもり」がなければ、「やったってやったことにならない」のである。主観的にはそうなんだよ。だから、まったく関係がない人として、鳴らし続けるのである。主語? きちがい兄貴だよ。きちがい親父は、別にヘビメタを鳴らさなかった。あいつは、きちがい的な理由で、きちがい的な頑固さを発揮して怒り狂うということをしていた。その、意地や、態度や、自分のやっていることに関する認知が、きちがい親父ときちがい兄貴でまったく、おなじなのである。

きちがい兄貴がヘビメタでやったことというのは、世間的に見れば、どれだけ、常識はずれなことでも、うちのなかでは、「形式的に」成り立っていたことだ。ただ、やっている人間と、やっている内容がちがうだけ。しくみはおなじ。だから、普通の家では成り立たないけど、「うち」では、普通に成り立ってしまうのだ。きちがいが、きちがい的な意地でやって、今度は、きちがい的な意地で「やった」ということを認めないということが、普通に成り立ってしまう。きちがい的な意地でやって、きちがい的な意地で「やった」ということを押し流してしまう。認めない。けど、やっているときは「やったって、あたりまえ」という気持ちがあるんだよ。やっているつもりがないのと、きちがい的な意地でやり続けるのは矛盾がある。普通はそんなことはない。けど、それが普通に成り立ってしまう、「うち」だったんだよ。「うち」では、まったくおかしくないんだよ。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。