2021年10月17日日曜日

はっきり言ってしまえば、幸福論者は、人に親切にしなくても、しあわせなのである

 たとえば、線分ということについて考え見よう。この線分は、関係性の線分だ。「親切にすれば(A)しあわせになる(B)」という場合は始点(A)と終点(B)をむすぶ、線分だと仮定しよう。

その場合、実際の世界には、ほかのこともいっぱいある。一日のなかですら、実際には、無数の線分が、あらわれている。

しかし、「親切にすれば(A)しあわせになる(B)」と言ってしまった場合は、無数にある線分のうち、ひとつの線分に焦点をあてて、あたかも、現実生活において、線分ABしかないような印象を与える。これが、言語化の問題だ。

あるいは、ずっと野へできたように抽象化の問題でもある。そうなると、「親切にすれば(A)しあわせになる(B)」ということを読んだ人は、「親切にすれば(A)しあわせになる(B)」という線分を考えて、生活のなかのさまざまな線分を無視して、「親切にすれば(A)しあわせになる(B)」という線分だけを考えるということになってしまう。

もし、自分が人に親切にした場合は、自分はしあわせになる「はず」なのである。ほかの、線分は見えなくなってしまうのである。けど、ほかの線分こそが、しあわせ感にとって重要なことかもしれないのである。

あるいは、ほかの線分が、ふしあわせ感をつくっていて、そのふしあわせ感をつくっている、線分をなくすということが、実際には、その人のしあわせ感を増大することになるのかもしれない。

しかし、「親切にすれば(A)しあわせになる(B)」と言ってしまったがために、意識が「親切にすれば(A)しあわせになる(B)」に集中してしまう。

無数にあるほかの線分が、しあわせ感に影響与えているのに、「親切にすれば(A)しあわせになる(B)」だけを考えてしまう。人に親切にしたかどうかで、自分のしあわせが決まると思ってしまう。

しかし、人に親切にしかたかどうかで、自分の幸せが決まるわけではないのだ。

うまれてから、ずっと、いろいろなことを経験してきたのだから、そういう経験によってつちかわれてきたものが影響を与える。


「親切にすれば(A)しあわせになる(B)」は現実の『うつし絵』にはならないのだけど、今度は、「親切にすれば(A)しあわせになる(B)」というところから、現実を考えてしまうのである。しかし、現実はそんなに単純なものじゃない。


では、どうして、幸福論者は「親切にすれば(A)しあわせになる(B)」などということを言ってしまうのか? 幸福論者にとってみれば、「親切にすれば(A)しあわせになる(B)」ということは、ひとつのことでしかない。

はっきり言ってしまえば、幸福論者は、人に親切にしなくても、しあわせなのである。

恵まれたところに生まれて、いろいろな恵まれた経験をしてきた。

なので、しあわせなのだ。

しあわせに暮らしているとき、たまたま、人に親切にしたとき、しあわせを感じただけだ。「理由」ではないのだ。

その日、すでにしあわせしあわせである理由ではないのだ。

これは、しあわせに暮らしている人が、たまたま、タマムシを食べたら、これはうまいと、満足感を得たということに似ている。

これ、満足感と幸福感はちがうのだけど、ある程度、似ている。満足感に、「幸福だ」という思考がくわわるとし幸福感になるのだ。

話をもとにもどす。

ある人が、恵まれた家に生まれて、成長して、今度は自分の家族をつくって、しあわせに暮らしているとする。生まれた家も、自分がつくった家でもしあわせに暮らしているとする。

しあわせに暮らしている人が、タマムシを食べたとき、しあわせを感じたとする。タマムシを食べたとき、しあわせになった。……こういう経験があるとする。

その場合、しあわせな生活をしている人は、『タマムシを食べれば、しあわせになる』と思ってしまう。それは、もともと、しあわせな生活をしているのだけど、タマムシを食べたとき、幸福感を得たのだから、そういうふうに言っても、おかしくはない。

けど、不幸な生活をしている人が、タマムシを食べれば、しあわせになれるのかというとそうではない。あるいは、『案外、うまかった』と一時的には、しあわせ感を感じるかもしれない。

しかし、そのしあわせ感がいつまで続くのか?

すでに、しあわせな生活をしている人は、タマムシを食べたあとだけではなくて、次の日も、家族といっしょにすごして、しあわせを感じているわけだ。別に、タマムシを食べなくても、「家族団らんで楽しかった」「子供をカヌーに連れて行ったら、俺も楽しかった」と幸福を感じることができる。

なので、タマムシを食べたあとも、しあわせ感があり、しあわせな生活が続くと思うことができる。それは、タマムシを食べて幸福感を得たという経験のあとに、もっとしあわせだとと感じる出来事が、持続的に発生しているからそう思えるのである。そう思えるだけなのである。幸福な人にとって、タマムシを食べて幸福感を得たという経験は、さまざまな幸福感を与える経験の一部でしかない。タマムシを食べたあとも、しあわせ感がある生活が続くのである。タマムシを食べたとき、特に幸福を感じたけど、そのあとも、さまざまな幸福を感じる出来事がたくさんある。そういう生活が、成り立っている。だから、「つづく」ような感じがしているのである。

けど、もともと不幸な生活をしている人は、かりに、一時的に、タマムシを食べて幸福を感じたとしても、店から帰ったころには、その幸福感はかなり減衰している。だれもいない安いアパートの一室に帰り、明日の通勤のことを考えて、不安になったりする。しあわせじゃないのである。もともと、不幸な生活をしている人は、一時的に、幸福感を得たとしても、その幸福感は長くは続かない。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。