じつは、氏ムシメという人について書かれた、ブログを読んだ。いろいろなことを感じたよ。特に、幸福論と生まれの格差について、いろいろと考えた。ほんとうに、生まれの格差についてまった考えてないタイプの幸福論はだめだと思う。現実を輪切りにしたって、だめだ。「親切にした」という場面だけ考えてもだめだ。どうして、こういうすっとぼけた話が、正しいこととして、まかり通ってしまうのだろう。
小さいときから、経験していることに差がある。生まれてからずっと、差がある。どうして、そういう差を無視してしまうのか?
まあ、恵まれたところに生まれてきたから、これが普通だと思って無視してしまうのだろう。けど、恵まれた人は無視できるけど、恵まれない人は、無視できないことがある。経験として積みあがっている。出来事としてつみあがっている。
幸福論者の子供時代と氏ムシメさんの子供時代……ぜんぜん、ちがう。
このちがいを無視して、「こうすればしあわせになれる」ということについて語るなんて……。正直に言ってしまえば、ひどいことだと思う。
これ、抑圧装置を維持する言論なんだよ。『不幸なうまれ』の人がより不幸になって、『幸福なうまれ』の人がより幸福になる。そういう不公正なシステムを維持するのに役立つ。
不幸なうまれ』の人が小さいときからずっと、不幸な思いをしてきて、それでも頑張って生きているのに、小さなときから幸福な人が「人に親切にすれば幸せになる」とか言ってしまう。
前に書いたけど、「人に親切にすれば、しあわせになる」ということは、すでにふしあわせな人は、人に親切にしてこなかったから、ふしあわせなんだということを、暗示している。
人に親切にすれば、しあわせになる」というのは、未来に向かった言葉だ。
「……すれば」これから「しあわせになる」というのは、その発言がなされたときから考えれば、未来の話なのである。
「人に親切にしたから、しあわせだ」というのは、過去において、人に親切にしたから、(自分は)いましあわせなのだという話になる。なら、ふしあわせな人はどうなのだろうか? ふしあわせな人は、人に親切にしてこなかったのではないかということになる。
氏ムシメさんは、人に親切にしたことがないのかというと、そんなことはなくて、母親の代わりに家事をして、父親や妹二人をささえてきたのだ。さらに、妹にプレゼントをしている。くるしい思いをしてバイトをして、バイト代で、プレゼントを買っている。親切じゃないか。親切にしたことがある。
しかし、けっきょく、親切にしても、それではしあわせになれず、けっきょく、自殺してしまう。自殺するまでのあいだ、どれだけ、氏ムシメさんががんばったか。
彼はがんばったと思う。
人に親切にしたぐらいでは、ひっくりかえせない、事情があったのだ。人に親切にしたぐらいでは、こえられない、壁があったのだ。幸福論の人には、この壁がない。最初からない。別にこえようと思わなくても、すっと、通り抜けて、さきにすすむことができる。
そもそも、幸福論の人には氏ムシメさんが経験したような困難それ自体がない。幸福論の人が言っている「自分が経験した困難」と氏ムシメさんが経験した困難は、おなじ困難と言う言葉で表現されているけど、困難の困難がちがうのだ。
まったくちがったものだ。
同じ言葉で表現するべきものではない。けど、人間の認知の限界と、人間の抽象化の限界で、同じ言葉を使うことになる。幸福論の人にとって困難と言えば、幸福論の人が経験したような困難なのである。
手短に言うと、氏ムシメさんの前には、800メートルぐらいの壁がそびえたっているのである。そして、その200メートルうえには、裕福な人用の道路がある。この道路は地上1000メートルのところにある道路だ。そして、その道路のうえにも、1メートルの壁がある。1メートルぐらいなら、なんとか、乗り越えることができるよね。あとは、ハードル競走用のハードルがいつくか置いてある。普通に、走って通れるよね。こえられるよね。あるいは、走ることは強制されてないので、歩いてまたぐこともできる。裕福な人の壁が1メートル。氏ムシメさんの壁は800メートル。800メートルのすべすべの壁なんて、だれだって、こえられない。どれだけ努力してもこえられない。けど、壁は壁だ。裕福な人が「壁なんてこえられる」と言う。そりゃ、1メートルの壁だからな。壁を困難という言葉に言い換えれば、ぼくが言いたいことがわかると思う。さいしょから、ぜんぜんちがう。困難の困難がちがう。けど、同じように「困難」と言う言葉で言い表されてしまう。だから、混乱がしょうじる。この混乱は認知の混乱だ。誤解が普通にしょうじる。どっちも、困難という言葉を使っているのだから、あたりまえだ。
はっきり言えば、氏ムシメさんのような人が人に親切にすることで、しあわせになることはない。こういう一見、よさそうな言葉が、氏ムシメさんのような人を、追い込むのである。自殺に追い込む。
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それにしても、うけがわるいね。みんな、これがどれだけすっとぼけた発言がわかってないんだろうな。これって「人に親切にすれば幸せになる」……という発言さ。どれだけのことを無視している発言かわってない。ずっと前から、おかしいおかしいと思っていたけど、どういうふうにおかしいのか説明ができなかった。ぼくが今言っていることは、だいたい、20歳のときに考えていたことだ。ずいぶん、時間がたったなぁ。一見よさそうに見えて、文句の付け所がないのだけど、こういうのは、おかしい。はっきり言えば、「生まれの格差を固定化することに寄与する。生まれの格差を固定化して、生まれの格差を再生産する仕組みのうちのひとつだ。たとえば、生まれの格差・上の人が、生まれの格差・下の人に親切にしてあげれば、それで、お互いがしあわせになるわけだから、いいと思うでしょ。ところが、そういうことにはならない。そして、生まれの格差・下の人が、生まれの格差・下の人がいっぱい集まっているところで、生まれの格差・下の人に親切にすると、かなりの高確率で、トラブルがしょうじるのである。こういうことを、生まれの格差・上の人はまったく考えてない。
これ、そういうことだったのかと、やっとわかるようになった。これは、説明しずらい。