2021年10月18日月曜日

『不幸なうまれ』の人がより不幸になって、『幸福なうまれ』の人がより幸福になる。人に親切にしたぐらいでは、ひっくりかえせない、事情があったのだ

 じつは、氏ムシメという人について書かれた、ブログを読んだ。いろいろなことを感じたよ。特に、幸福論と生まれの格差について、いろいろと考えた。ほんとうに、生まれの格差についてまった考えてないタイプの幸福論はだめだと思う。現実を輪切りにしたって、だめだ。「親切にした」という場面だけ考えてもだめだ。どうして、こういうすっとぼけた話が、正しいこととして、まかり通ってしまうのだろう。

小さいときから、経験していることに差がある。生まれてからずっと、差がある。どうして、そういう差を無視してしまうのか?

まあ、恵まれたところに生まれてきたから、これが普通だと思って無視してしまうのだろう。けど、恵まれた人は無視できるけど、恵まれない人は、無視できないことがある。経験として積みあがっている。出来事としてつみあがっている。

幸福論者の子供時代と氏ムシメさんの子供時代……ぜんぜん、ちがう。

このちがいを無視して、「こうすればしあわせになれる」ということについて語るなんて……。正直に言ってしまえば、ひどいことだと思う。

これ、抑圧装置を維持する言論なんだよ。『不幸なうまれ』の人がより不幸になって、『幸福なうまれ』の人がより幸福になる。そういう不公正なシステムを維持するのに役立つ。

不幸なうまれ』の人が小さいときからずっと、不幸な思いをしてきて、それでも頑張って生きているのに、小さなときから幸福な人が「人に親切にすれば幸せになる」とか言ってしまう。

前に書いたけど、「人に親切にすれば、しあわせになる」ということは、すでにふしあわせな人は、人に親切にしてこなかったから、ふしあわせなんだということを、暗示している。

人に親切にすれば、しあわせになる」というのは、未来に向かった言葉だ。

「……すれば」これから「しあわせになる」というのは、その発言がなされたときから考えれば、未来の話なのである。

「人に親切にしたから、しあわせだ」というのは、過去において、人に親切にしたから、(自分は)いましあわせなのだという話になる。なら、ふしあわせな人はどうなのだろうか? ふしあわせな人は、人に親切にしてこなかったのではないかということになる。

氏ムシメさんは、人に親切にしたことがないのかというと、そんなことはなくて、母親の代わりに家事をして、父親や妹二人をささえてきたのだ。さらに、妹にプレゼントをしている。くるしい思いをしてバイトをして、バイト代で、プレゼントを買っている。親切じゃないか。親切にしたことがある。

しかし、けっきょく、親切にしても、それではしあわせになれず、けっきょく、自殺してしまう。自殺するまでのあいだ、どれだけ、氏ムシメさんががんばったか。

彼はがんばったと思う。

人に親切にしたぐらいでは、ひっくりかえせない、事情があったのだ。人に親切にしたぐらいでは、こえられない、壁があったのだ。幸福論の人には、この壁がない。最初からない。別にこえようと思わなくても、すっと、通り抜けて、さきにすすむことができる。

そもそも、幸福論の人には氏ムシメさんが経験したような困難それ自体がない。幸福論の人が言っている「自分が経験した困難」と氏ムシメさんが経験した困難は、おなじ困難と言う言葉で表現されているけど、困難の困難がちがうのだ。

まったくちがったものだ。

同じ言葉で表現するべきものではない。けど、人間の認知の限界と、人間の抽象化の限界で、同じ言葉を使うことになる。幸福論の人にとって困難と言えば、幸福論の人が経験したような困難なのである。

手短に言うと、氏ムシメさんの前には、800メートルぐらいの壁がそびえたっているのである。そして、その200メートルうえには、裕福な人用の道路がある。この道路は地上1000メートルのところにある道路だ。そして、その道路のうえにも、1メートルの壁がある。1メートルぐらいなら、なんとか、乗り越えることができるよね。あとは、ハードル競走用のハードルがいつくか置いてある。普通に、走って通れるよね。こえられるよね。あるいは、走ることは強制されてないので、歩いてまたぐこともできる。裕福な人の壁が1メートル。氏ムシメさんの壁は800メートル。800メートルのすべすべの壁なんて、だれだって、こえられない。どれだけ努力してもこえられない。けど、壁は壁だ。裕福な人が「壁なんてこえられる」と言う。そりゃ、1メートルの壁だからな。壁を困難という言葉に言い換えれば、ぼくが言いたいことがわかると思う。さいしょから、ぜんぜんちがう。困難の困難がちがう。けど、同じように「困難」と言う言葉で言い表されてしまう。だから、混乱がしょうじる。この混乱は認知の混乱だ。誤解が普通にしょうじる。どっちも、困難という言葉を使っているのだから、あたりまえだ。

はっきり言えば、氏ムシメさんのような人が人に親切にすることで、しあわせになることはない。こういう一見、よさそうな言葉が、氏ムシメさんのような人を、追い込むのである。自殺に追い込む。

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それにしても、うけがわるいね。みんな、これがどれだけすっとぼけた発言がわかってないんだろうな。これって「人に親切にすれば幸せになる」……という発言さ。どれだけのことを無視している発言かわってない。ずっと前から、おかしいおかしいと思っていたけど、どういうふうにおかしいのか説明ができなかった。ぼくが今言っていることは、だいたい、20歳のときに考えていたことだ。ずいぶん、時間がたったなぁ。一見よさそうに見えて、文句の付け所がないのだけど、こういうのは、おかしい。はっきり言えば、「生まれの格差を固定化することに寄与する。生まれの格差を固定化して、生まれの格差を再生産する仕組みのうちのひとつだ。たとえば、生まれの格差・上の人が、生まれの格差・下の人に親切にしてあげれば、それで、お互いがしあわせになるわけだから、いいと思うでしょ。ところが、そういうことにはならない。そして、生まれの格差・下の人が、生まれの格差・下の人がいっぱい集まっているところで、生まれの格差・下の人に親切にすると、かなりの高確率で、トラブルがしょうじるのである。こういうことを、生まれの格差・上の人はまったく考えてない。

これ、そういうことだったのかと、やっとわかるようになった。これは、説明しずらい。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。