その幸福論は、ふだん、忖度されている人が書いたものか、忖度している人が書いたものか、気にするべきだ。ふだん、忖度されている人が書いたことは、ふだん、忖度されない人にはまったく役に立たない。役に立たないどころか、有害だ。どうして、「立場」を無視して、「だれでも」などと言ってしまうのか。気を遣われる人……まわりのひとがその人に気を遣う人……が言っていることは、不幸な人や下級国民にはまったく役に立たないことだ。どうして、これがわからないのか?
上級国民、下級国民ということをいうのであれば、上級国民が書いた幸福論は、下級国民には、毒だ。毒にしかならない。どれだけよさそうなことが書いてあっても、毒にしかならない。上級国民が書いた幸福論は、上級国民が、読んで、「その通り」と思えばいい。上級国民が書いた幸福論を下級国民が読んで、実践したら、トラブル続きになって、死にたくなる。これは、決まっているんだよ。上級国民も下級国民も、プロセスがわかってないだけ。どうして、上級国民が書いたことを下級国民がうのみにして、実践すると、不幸なことになってしまうのか……そのプロセスがわかってないだけ。