2021年12月19日日曜日

ワクチンパスポートを要求してくるような店に行くのはやめよう

 ワクチンを打たない自由もあるけど、ワクチンを打つ自由もあると思う……この考え方は、普通の状態であれば、肯定しうるのだけど、いまの状態だと肯定できない。どうしてかというと、ワクチンを打つ自由を認めてしまうと、ワクチンを打たない自由がなくなるからだ。

いまは、憲法によって守られている。人間……国民の自由が守られている。しかし、憲法が改悪されれば、たちまちにして、ワクチンを打たない自由はなくなる。さらに、有効期限も自由に、為政者が決められるようになる。なので、ワクチンを一回しか打たない自由もなくなってしまう。いま、ここでやられたら、おしまいなのだ。人権がなくなると思っていい。

二回ワクチンを打った人は、自分が、店に入れなくなることはないと思っている……と思う。しかし、有効期限が6か月なら、6か月後にはまた、ワクチンを打たなければならなくなる。有効期限がすぎたら、「未接種者」と同じ扱いになってしまうのだ。なので、未接種者の問題は、ワクチンを二回打った人にも、成り立つ。

あのワクチンは、ロクでもないワクチンだけど、とくに悪意がないワクチンでも、おなじワクチンを何回も打っていると、死ぬ。もともとは、新型コロナウィルスに対応するためのワクチンだったはずだ。そして、一回目を打ったときは、一回打てば、ずっと新型コロナウィルスから、自分たちを防御してくれるという話だった。

けど、それはすぐにくずれる。

防御力がなくなったけど、重症化はおさえられるという理屈で、二回、打たなければならなくなった。そして、ワクチンパスポートが導入されれば、三回目を打たなければならなくなる。

過去において二回打った人も、ワクチンパスポートが導入されれば、三回目を打たなければならなくなるのだ。そういうことになっている。定期的に打たなければならなくなった段階で、ワクチンパスポートがない状態にもどれるかというともどれない。一方通行だ。

ファイザーのCEOもCDCのトップも、ワクチンを打ってない。政治家も、ワクチンを打ってない。厚労省の役人もワクチンを打ってない。自分たちだけは、打たないですむ法律まで作って、打たないようにしている。

彼らは、支配者側の人たちなのだ。支配者側の人たちは、どんなことがあっても、本物のワクチンは打たない。国民が、接種会場で打たれてしまうような「本物のワクチン」を打つことはない。なんでなら、本物のワクチンのおそろしさを知っているからだ。なかになにがはいっているか知っている人たちだからだ。

ワクチンのなかには、生物的な毒と化学的な毒がはいっている。そして、〇〇〇とよばれているへんな生命体も入っている。支配者側の人は、ワクチンになにがはいっているか知っているので、絶対に国民向けに作ったワクチンは、打たない。

非支配者側の人に打っているようなワクチンを、自分に打ってしまうことは、絶対にないのだ。この態度だけでも、ほんとうは、「おかしい」と思わなければならないところだ。けど、よく調べない人は、新型コロナに対するバリアーかなんかのつもりで、ワクチンを打ってしまう。

俺も最初は「打つのは自由だ」と思っていた。けど、「打つのは自由じゃない」。

だれかが打ってしまうと、ほかのだれかも打たなければならない状態になってしまうのだ。ぼくも含めて、非支配者側の人は、打ってはいけない。ひとりでも、打ってはいけない。けど、8割の人が打ってしまった状態だ。これは、かなり、やばい。

ワクチンパスポートもおなじで、だれかが、ワクチンパスポートを使うと、「みんなが」ワクチンパスポートを使わなければならない状態になる。だれかがワクチンパスポートを使うと、みんながワクチンパスポートの呪縛から、のがれることができなくなる。こういうしくみが成り立っている。だから、「ワクチンを打つのも自由だし、ワクチンを打たないのも自由だ」とは言えない。

結論としては、ワクチンパスポートを要求してくるような店に行くのはやめようということになる。みんなが行かなければ、店はなりたたない。客に、ワクチンパスポートを要求するのは、やめようということになる。まだ、全部の店がワクチンパスポートを要求してくるわけではない。なので、ワクチンパスポートを要求しない店を、ひいきして、使うようにすれば、ワクチンパスポート戦争に、非・支配者層が勝てるのだ。

なので、強く強く、ぼくは、ほかの人たちにおねがいをする。これは、おねがいだ。

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ワクチンになにがはいっているか、公式のデマではなくて、真実が伝えられれば、ぼく言っていることに同意してくれると思う。公式のデマを信じている人たちから見ると、真実の情報がデマに見えるのだ。これは、テレビによる洗脳の結果だ。そして、テレビだけではなくて、ネットでも同じことが成り立っている。

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毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。