すべてがめんどうくさい。さっき、お湯をこぼした。盛大にこぼした。ふいているとき、みじめだった。からだが重い。
なんか、からだの調子が悪いから、横になっている時間が長い。
またまた、横になるかな。
横になっているとき、いろいろなことを思い出すんだよ。ヘビメタ騒音で、ほんとうに、人間関係がくずれた。けど、「ヘビメタ騒音で人間関係が崩れた」と言っても、だれも、わからないんだよな。ほんとうのところがわからない。俺がどういうことを言っているのかわからない。みんな、ようするに、ヘビメタ騒音のことを理解しなかった側の人間なんだよ。これは、しかたがないことだと思う。どうしても、人間というのはバリアーがある。自分を防衛したい気持ちがある。それから、実際に、きちがい兄貴のような人間が、いて、そいつが、ほんとうにずっと、きちがいモードで鳴らしているということがないと、わからない。一日の長さで考えてみてもわからない。なおさら、1000日、2000日、3000日、4000日、5000日という長さについて考えられるわけがない。どうしたって、その人がもってる常識が、その人の判断の基準になる。たとえば、「人間は働くべきだ」という価値観があるだろ。その価値観から見て、けしからん人間は、けしからん人間なんだよ。自分が意見を言って、修正しなければならないような存在なんだよ。この人たちに、ヘビメタ騒音で働けないということをどれだけ言っても、むだだ。この人たちは、「ヘビメタ騒音」という特殊なハンディについて、わからない。特殊すぎて、ハンディのなかにない。五体満足なら、ヘビメタ騒音にどれだけさらされたって、働けるはずだと考えてしまう。考えてもみる、まわりの人間が、友達を含めてそういう人間だったらどうなる? たちばがないだろ。……そういうことだ。これ、べつに、ぼくのコミュニケーション能力の問題じゃないのである。逆に、ヘビメタというハンディについて考えられない、能力の問題なのだ。で、考えられない人が普通なんだよ。そんなの、俺だって、実際に経験しなければ、どれだけ話を聞いたって、考えられない。経験した場合とおなじようには、考えられない。どれだけ、考えようとしたって考えられない。友達との関係は、たいていのばあい、相手が働こうとしたときに、終わる。日本だと本当にそういうところがある。相手にしてみれば、「気になる」んだよ。「いつまでも、無職でどうするんだ」「どうやって、生活をするんだ」「生活保護なんていやだろ」という気持ちがある。ぼくは、生活保護でもいいと思っているけど、相手には、生活保護を受ける道というのは、ないわけ。考えのなかにない。これがまた、ヘビメタ騒音という特殊な問題で……。「精神科に行けばいいだろ」「精神科の薬を飲めば治るんじゃないか」というような問題があるんだ。これも、ひとごとだと思って……。ヘビメタ騒音は精神科の薬じゃ治らないよ。そういう問題じゃないから……。これも、かげで、人間関係を破壊することに「寄与」しているんだよね。表には、あんまりあらわれないし、あらわれたときには、もう、人間関係が破綻している。俺のほうで、「こいつとはつきあいたくない」という気持ちになっている。すでに……。あんな薬を飲んだら、廃人まっしぐらーだよ。ヘビメタ騒音にやられたとはいえ、正常な思考は維持したいんだよ。だいたい、ヘビメタ騒音にやられれば……ほんとうに俺とおなじように、やられれば……これ、ほんとうに、生活できないような状態になる。睡眠回路が破壊される。その睡眠回路の破壊に関しても、「睡眠導入剤で調節すればいいだろ」というような考え方があるのだけど、ずっと飲むとあれもいやばい。だいたい、ベンゾジアゼピン系の薬というのは、たちが悪いんだよ。じゃあ、非ベンゾジアゼピン系の薬ならいいかというと、そうでもない。ともくか、ヘビメタ騒音が……あの!!ヘビメタ騒音が……きちがい兄貴による、あのヘビメタ騒音が、1年間毎日続いた時点で、脳みその色々なところが不可避的にこわれる。それは、SSRIやSNRIやベンゾジアゼピン系の薬や非ベンゾジアゼピン系の薬では治らない。ぎゃくに、ひどくなってしまう。ちがうんだよ。だれにもわからないかもしれないけど、ちがう。1年間毎日やられてしまった時点で終わっている。まあ、10年間毎日、やられてしまった時点で終わっているとも、言える。どっちだっていいよ。どのみち、1年間で終わっている。これ、努力とか、ポジティブ思考の問題じゃないのである。「うけとめかた」の問題じゃないのである。けど、これも、俺がどれだけ言っても、ほかの人にはわからないと思う。経験してないほかの人にはまったくわからないことだ。そして、わからないのが、普通だ。普通の人はわからない。
あんなきちがい兄貴なんて、ほかの家にはいないんだよ。あんなきちがい親父なんて、ほかの家にはいないんだよ。これが、ほかの人にはわかってないのである。わかってない。
俺が、生きているだけでも奇跡なんだぞ。ヘビメタ騒音は、そういうことだ。ほかの人は、やられたことがないからわからない。俺と同じ部屋で生活していたわけじゃないからわからない。どれだけ、何時から何時まで鳴っていた……というようなことを言ったって、わかるわけがない。あれがどういうことなのかわかるわけがない。どれだけ無視しようとしても、影響を受ける。からだがどうしても、どうしても、影響を受けてしまう。意志の問題じゃない。「受けとめ方」の問題でもない。だいたい、俺の話を聞いて「受けとめ方の問題だ」と思うやつは、そもそも、俺と同じ経験をしてない。だから、わかってない。最初から、きちがい思考で、「受けとめ方の問題だ」ということになっているのである。これは、精神世界系の人でも、非・精神世界系の人でもおなじだ。精神世界系の人も、非・精神世界系の人も、むりなことをおしつけてくる。「むりなことだ」ということも、本人が、この世で、ほんとうに同じ時間、経験してないから、わからない。理解できない。非・精神世界系の人って、この場合は、認知療法などの影響を受けた人という意味だ。別に認知療法家じゃなくても、認知療法家が一般向けに書いた本などを読んで影響を受けた人も、含む。精神世界系の人の「受け止め方の問題だ」という理論と、非・精神世界系の人の「受け止め方の問題だ」という理論があるんだよ。俺は、これら両方について、詳しく説明したことがあるけど、いまは、非公開にしている。
まあ、なにを言うにしろ、「やられていないやつ」が言うことだから、意味がない。同じ体験をもった人が言うことじゃないと意味がない。
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まあ、無批判に専門家の言うことを信じてしまう人は、この世をさるだろう。3年以内にさる人が5割りぐらいかな。そして、その人たちがもっていた「労働観」は、その人たちの人数ぶんだけ、へる。その人たちがもっている「労働観」はかわらないけど、へる。(そういう労働観を持っている人たちがへるという意味)。別に、多くの人たちがもってる労働観がかわるわけじゃないんだよな。そういう労働観を強固に持っている人たち(信仰している人たち)が、へる。