ヘビメタ騒音でたましいをぬかれた。生きていてもくるしいだけなのである。必死だった。これ、みんなわかってないけど、全力で頑張っているけど、普通の生活ができなくなっていくのである。汚染されていく。ヘビメタ騒音に汚染されいく。
* * *
努力という言葉を使うと、「努力する必要はない」とか「努力の方法がまちがっている」とか「努力の方向がまちがっている」とかというようなことを言う人がいるのだけど……ちがうのである。ぜーーんぜんちがう。ちがうのである。
いままで普通に、できていたことができなくなるのである。いままで、夜になれば普通に眠れた。ところが、どれだけがんばっても、夜、眠れなくなってしまうのである。
原因は、きちがいヘビメタだ。
あびていたら、そうなるのである。
そうしたら、努力しないわけにはいかなくなるのである。朝、ずっと眠れる状態なら、まあ、いいけど、学校があるとする。その場合、明るくなってから眠ったのに、すぐに起きなければならなくなる。
ほかの人には、きちがいヘビメタがないから、ずっと、きちがいヘビメタにさらされた「あと」の状態というのがわからないのである。さらされているときの状態もひどいけど、さらされた「あと」の状態もおなじぐらいにひどいのだ。
ひとことで言うと、眠れない。眠れないのだけど、それが、ただの、眠れない状態ではないのだ。ものすごく眠たいのに、眠れないという状態なのだ。
時間がたてば、そりゃ、あせる。
不安になる。
猛烈に眠たいのに、眠れないという状態がずっと続く。
これは、危機的な状態なのである。一日だけじゃなくて、きちがいヘビメタが毎日続く。
そうなると、毎日そういう状態になるのである。
一日目に、きちがい兄貴が、やめてくれたらこんなことになってないのである。
けど、これも、普通の人が「お兄さんのせいにしている」と言うようなことなのだ。
どんだけの、屈辱か。
選べる問題じゃないのである。強制的にダメな状態になるのである。そして、それに関して、きちがい兄貴も、他人も、まったく理解しない状態なのである。どうしてかというと、「うち」で鳴っているからだ。
学校の先生とか、学校の友達が、学校で聞かされているわけじゃない。
うちに帰って、聞かされているわけだから、ほかの人には、まったく関係がないということになる。そして、ほかの人には、きちがい的な感覚をもっている家族がいないので、そういうこと自体がしょうじないのである。
きちがい兄貴がきちがい兄貴でなければ、ほんとうに、やめてくれたのである。
そもそも、そういう音で鳴らそうとしてない。きちがい兄貴だって、「よそ」では、ちゃんと、音のルールを守って暮らしているのである。いま住んでいるマンションで、きちがい兄貴は、一分間、きちがいヘビメタを『うちで鳴らしていたように』鳴らしてない。
鳴らせないのだ。
マンションでは、ルール違反になるから鳴らせない。
けど、きちがい兄貴の感覚では、『うちでは鳴らしていい』音だったのである。この特殊な感覚は、きちがい親父の感覚とおなじなのである。きちがい兄貴も、きちがい親父も、「うち」と「そと」で、感覚を使いわけている。
態度を使いわけている。
やることを使いわけている。
けど、本人たちは、そういうつもりがないのである。
うちだと、ごく普通にそうなるし、そうなってるということを認めないのである。よそ」では一分間だってできないことを、うちでは、一三(じゅうさん)時間やったって、なんとも思わないのである。
これが異常なのである。
そして、「よそのうち」にはそういう「兄」がいないのである。だから、そういう「兄」が鳴らす騒音に、さらさなくてよいのである。
これは、ぼくと、よその人の「能力のちがい」ではない。ところが、「朝、起きられる能力」「一定の時間に起きる能力」「毎晩、眠れる能力」ということを考えると、ぼくが、よその人より、ずっとおとっているということになる。
よその人にはないことで、ぼくが悩んでいるということになる。
そして、きちがい兄貴の騒音のことは、軽く見られたり、無視されたりするのである。人々は、ヘビメタ騒音の経験がないから、ヘビメタ騒音の影響を、無視する。「
そんなの関係がない」と言う。
けど、関係があるから、そういうことを言う他者との関係が、(こちらにとって)不愉快なものになる。これだって、「そんなの関係がない」と言っている他者は、別に俺に対して、俺が不愉快に感じることを言っているつもりがない。
まあ、この「つもりがない」と兄貴の「つもりがない」はちがうけど、こっちの気持ちを無視していることには、ちがいがない。それから、言っていることが、まちがっているのである。言っていることが、まちがっていることには、ちがいがない。
そいつだって、おなじ状態で、自分がきらいな音を鳴らされ続けたら、「関係がある」ということを認めることになる。関係がないわけないだろ。影響がないわけないだろ。やられてないから、軽く考えて、あるいは、完全に無視して、「関係がない」と言えるだけだ。まちがっているのである。これも、経験がないので、「まちがっている」ということは、認めないと思うけどな……。