ヘビメタ騒音が鳴っているということが、ぼくにとってどれだけつらいことか、まるでわかってないなぁ。
そして、きちがい兄貴のことがわかってない。
きちがいだからやった。
きちがいだから、やり続けた。
きちがいだから、ゆずってやらなかった。
きちがいだから、一日だけ、ゆずらなかったのではなくて、五〇〇〇日以上、ゆずらなかった。
影響をうけないわけないだろ。
ところで、言霊主義者に言っておきたいことがある。たとえばのはなしだけど、言霊主義者が、ぼくに対して、「くるしいと言うから、くるしいのだ」「くるしくないと言えばくるしくない」と言ったとする。
そして、ぼくが、怒って、その言霊主義者や、なぐってなぐって、なぐってなぐって、なぐってなぐって、なぐってなぐったとしよう。何十発もなぐったとしよう。
言霊主義者が、思わず「いたい」と言ったとする。
ぼくは、「いたいと言うから、いたくなる」「いたくないと言えば、いたくない」と言ったとする。言霊主義者は、「その通りだ」と納得するだろうか?
たぶん納得しないと思う。
自分のことなら、納得しないのである。
さらにぼくが「言ったことが現実化する」と言ったとしよう。ぼくは、言霊主義者をなぐるまえに、「なぐる」「何十発も殴る」と言ってない。言ってないことが、現実化したのである。
その言霊主義者も「なぐられる」「何十発もなぐられる」と言ってない。言ってないことが、現実化したのである。
しかし、ぼくが「何十発もなぐられると言霊主義者が言ったから、言霊主義者がなぐられたのだ」と言ったら、言霊主義者はどう思うのか?
ぼくが言霊主義者をなぐるという……出来事が発生するまえ、ぼくは、「なぐる」とは言ってない。そして、言霊主義者も「なぐられる」とは言ってない。
けど、ぼくが、現実を見ないで「言霊主義者が何十発もなぐられる」と言った「から」なぐられたんだと言ったら、言霊主義者はどう思うのか?
実際には、自分……その言霊主義者……は「何十発もなぐられる」と言ってないのに、「何十発もなぐられる」と言ったということにされてしまう。
こんなのは、ひどい。
ひどいと思わないのか?
悪質な言霊主義者は、こういうことがあったあとも「言わなかったことが現実化した」ということを認めない。
あきらかに、言わなかったことが現実化したにもかかわらず、言わないかったことが現実化したということを認識しないのである。現実を無視するな。
言わなかったことが現実化したあとも、「言ったことが現実化する」と言い続けるのである。言わなかったことが起こったという現実は、無視してしまうのである。
無視するな。
現実を無視するな。
言ったことが現実化することもあるし、言わなかったことが現実化するともある。 言ったことが現実化することもあるということは、ぼくは、否定しない。
「本人の意思で動かせる場合」以外のことや、「本人の命令を相手が聞く場合」以外のことに関しては、本人が言った「あと」現実化しているだけだけどな。
ともかく、言霊主義者は「言わなかったことが現実化することもある」ということを認めたほうがいい。「言わなかったことが現実化することもある」ということを認めたあと「言ったことが現実化する」と言い続けることができるのかどうか?
あんまり言いたくないけど、自分にとって不都合な現実を無視してしまう傾向というのも、きちがい兄貴やきちがい親父と似ているぞ。言霊主義者はきちがい兄貴やきちがい親父と似ている。
けど、ぼくは、言霊主義者が、ヘビメタを鳴らしたわけではないということを理解している。さらに、ぼくは、言霊主義者が、子供時代のぼくを虐待したわけではないということを理解している。
なので、なぐらない。
けど、「現実を無視するな」と、言いたくなる。
* * *
おまえ、ぶんなぐってきた相手が「過去なんて関係がない」「いたいと言うからいたくなる」「いたいと言わなければいたくない」と言ったら、どう思うんだよ?