たとえば、引き寄せができる人と、引き寄せができない人をくらべた場合、引き寄せができる人が優位になる。引き寄せができない人は、劣位になる。
じつは、引き寄せができるとか、できないということは、ない。ようするに、「引き寄せる能力」なるものが、ニセの能力なのだ。
架空の能力。
だから、本当は、「引き寄せができる人」もいないし「引き寄せができない人」もいない。
しかし、自分がしあわせになれたのは、しあわせを引き寄せる能力があったからだと思っている人は、そういう世界観でものを見るようになるのである。
なので、とりあえず、「引き寄せ世界観」と言ってしまうけど、「引き寄せ世界観」をもっている人の「なか」では、やはり、引き寄せができない人は、能力がない人だということになる。
「実際、自分のほうが引き寄せ能力がある」「実際、相手は、不幸で、引き寄せ能力がない」という見方を、もってしまう。実際に「不幸な相手」に対して、そういう見方をもってしまう。
自分が比較優位。相手は比較劣位。
こういう認識のセットができあがってまう。
で、これには悪意がないのだけど、へんな考え方に基づいて、相手を見下していることにはかわりがない。そして、本人は、「見下している」とは思ってないのだ。本人には、「相手を見下している」という認識がない。けど、ほんとうは、「能力がないから不幸なのだ」「事実、不幸なのは、能力がない証拠だ」と思って、見下しているのである。