2023年8月24日木曜日

きちがい的な親と般化

 般化についてちょっとだけ説明をしておこう。たとえば、ピッというブザーの音を聞かせたあと、ネズミに餌をやると、ピッというブザーの音に反応するようになる。そのあと、プッというブザーの音を聞かせても同様の反応が起こるようになる。ピッというブザーの音とプッというブザーの音は、ちがう音なのだけど、両方とも、短いブザーの音だという点では、おなじなのである。ピッという音と、プッという音はちがう刺激なのだけど、似たような刺激なので、プッという音にも、ピッという音で形成された反応が起こるようになる。これが般化だ。また、プッという音のあとには、エサがでてこないということを何回か繰り返すと、プッというあとの音には、ピッという音で形成された反応が起こらなくなる。これが、弁別だ。ピッという音とプッという音は、ちがう音なのだけど、どちらも、短い音であるという点では同じだ。とりあえず、短い音であるという属性をもっているという表現することにする。当然、どちらも音であるという属性をもっている。ブザーの音だという属性もある。この、属性うんぬんという話は、ぼくが、これ以降の話をするために、つけたした話だ。般化と弁別については、ここでは、ここまでの話とする。

で、ぼくがなにを言いたいのかというと、うちのきちがい親父は、うちのきちがい親父なのだけど、男性であるという属性をもってるし、大人であるという属性ももっている。当時、中年だったので、大人という属性のなかにある、中年という属性をもっている。きちがい親父は、個別のきちがい親父なんだよ。けど、きちがい親父が、こっちのいろいろなことに腹をたてて、ぶつかってくるということが繰り返されると、大人というのは、そういうものなのではないかという気持がしょうじる。きちがい親父は、個別のきちがい親父なのだけど、中年の男性は、そういう性格があるのではないかという「うたがい」がしょうじるのである。かりに、あとで、個別の人は個別の性格をもっているということを学習したとしても、それは、このうたがいを完全に打ち消すようなものにはならないのである。つまり、しんの部分にきちがい親父のイメージが、中年男性のイメージとして残ってしまうのである。人というところまで抽象化すると、芯の部分にきちがい親父のイメージが、人間のイメージとして残ってしまうのである。

 

たとえば、きちがい親父が帰ってきそうな時間になると、ぼくは、全身に蕁麻疹ができた。これ、雰囲気としてあるのである。帰ってくる時間というのは、特に決まっているわけではなくて、帰ってきそうな時間がだいたい、決まっているだけなのである。で、蕁麻疹のことで病院に行ったとする。その病院の医師が、中年の男性だったのだけど、やさしい性格で、きちがい的な理由で怒り狂う人ではないということがわかった。なので、きちがい親父とこの医師は性格がちがうということがわかったわけだ。しかし、見ず知らずの中年男性の性格を推し量るイメージ(基準)として、きちがい親父のイメージが残っているのである。やさしい医者との出会いによって、そのイメージが完全に消えるかというとそうではないのである。

 

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。