2023年8月9日水曜日

自分は、引き寄せという方法でしあわせになった……善意と悪意

 自分は、引き寄せという方法でしあわせになったので、ほかの人に引き寄せという方法を教えてあげよう」と善意で引き寄せという方法について語りだすのである。善意。善意。しかし、その人は、引き寄せという方法でしあわせになったと思っているのかもしれないけど、じつは、引き寄せという方法でしあわせになったのではない。いい親のところに生まれたから、しあわせになったのだ。たとえば、スネ夫が、「自分がしあわせなのは、引き寄せという方法を知っていたからなんだ」と思っているとする。たとえば、スネ夫が「自分が、いろいろなものをもらえるのは、引き寄せの雨量があるからなんだ」と思ったとする。スネ夫は、自分が「いい親のところに生まれた」という要素……ほんとうの原因を……無視しているのである。その、ほんとうの原因を無視して、「引き寄せ能力がある」から「いろいろなものを引き寄せることができる」と勘違いしているのだ。だから、自分がやっている「引き寄せ能力を高める方法」が、ほかの人に有効であるはずがない。それは、げんに、いい親のもとに生まれて、ものをいっぱい買いあたらえれる人が、「引き寄せる方法を知っているから」自分は、ものをいっぱい引き寄せることができると思っている状態で『有効』な方法なので、貧乏な家に生まれたこどもが「その引き寄せる方法」を実行しても、ものを引き寄せることができないのである。これは、最初から決まっている。引き寄せ方法を知っているから、引き寄せることができるのではなくて、いい家に生まれたから、引き寄せることができるだけなのだ。方法の問題じゃない。だから、貧乏な家の子どもは、最初から、その方法だと失敗することが決まっているのである。しかし、そういう問題が「引き寄せる方法を知っているかどうか」という問題にすりかえらてれいる。

自分は、引き寄せという方法でしあわせになったと思っている人が、自分は引き寄せることがうまいから、引き寄せることがへたくそな人に、うまく引き寄せる方法を教えてあげようと思ったとする。それは、本人にとっては、「いいこと」なのである。カルマうんぬんで言えば、善行をしていることになる。ところが、実際には、悪い家に生まれたこどもを、追い込むことになる。悪い家に生まれたこども側の人間は、「引き寄せ能力がないからダメなんだ」と言われ始めるのである。「引き寄せトレーニングをしないからダメなんだ」ということを言われ始める。悪い家に生まれたから、不可避的に悪いことが起こっているにもかかわらず、「悪いことを引き寄せるからダメなんだ」と言われることになる。きちがい的な親がきちがい的な理由で怒っているとする。怒られているほうはなにもわるいことをしてないし、能力がないから怒られているわけではない。ところが、「引き寄せ能力がないからダメなんだ」「悪いことを引き寄せるからダメなんだ」と言われるのである。

そして、役に立たないばかりか、有害な方法をおしつけられるのである。善意で、極めて有害な方法をおしつけられることになる。そして、その方法ができないからダメなんだと言われることになる。これが、現世で起こっていることなのである。 

それから、付け加えておくと、きちがい的な親にやられれば、不愉快そうな顔になる。それは、出来事に対応しているのである。ところが、幼稚な人は「不愉快な顔をしているから、不愉快な出来事を引き寄せる」と言って、きちがい的な親にやられた人を、せめはじめるのである。きちがい的な親ではなくて、きちがい的な親にやられている子供側の人を、せめはじめる。「どんだけ、幼稚なんだよ」とぼくは言いたくなる。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。