2023年8月22日火曜日

きちがい的な親が「人間存在」の「元型」になる。

 きちがい的な親にやられるというのは、きちがい的ではない親にやられるのとは、ちょっとちがうのである。そして、きちがい的な親のほうが人数が少ないために、きちがい的ではない親に育てられた者たちから、悪く言われるようになるのである。

たとえば、きちがい的な親に、『きちがい的な理由で』怒り狂われた子供というのは、いつもおどおどしているような子供になるのである。どうしてかというと、四六時中、「気をはって」いなければならないからだ。そして、どれだけ「気をはって」いても、攻撃がやむことがないのである。三六〇度から、攻撃をうけるのである。その攻撃は、その子供が(想像のなかで)勝手につくっている攻撃じゃない。実際に、三六〇度、どの方向からも、きちがい的な親と一緒にいれば、攻撃をうけるということになる。きちがい的な親は、きちがい的な理由で怒る。別に、子供側の人間が、悪いことをしたわけではないのである。これを、理由もなく怒ると表現するとなると、まさしく、きちがい的な親は、理由もなく怒っているのである。三六〇度、どの方向からも、攻撃をうけるとなると、攻撃に対して身構えた状態になる。これが、気をはっている状態なのである。三六〇度、やりをもった敵に囲まれて、やりをぶさぶさと刺されている状態なのである。なので、そういうふうになるのには、理由がある。きちがい的な親と一緒にいると言うことは、きちがい的なやくざと一緒にいるというような状態なのである。わけのわからないことで、いきなり、攻撃をうけるという状態なのである。当然、気をはって、身構えた状態になる。こういう時間が長く続くと、他者といるときは、安心ができない状態になるのである。きちがい的な親は、きちがい的な親であって、他者の代表ではない。しかし、人間の場合は、脳みそが正常なら、「般化」という機能が働くのである。だから、特定の「人物」が「人間」の代表として、意識されるようになるのである。きちがい的な理由で怒る親にやられた人間は、他者というのは、そういう存在だと、かなり深いレベルで思うようになるのである。これは、強迫神経症を引き起こすような無意識ではないけど、かなり、無意識的なレベルで、「人間」というものが、「理由もなく、攻撃してくる存在だ」という学習が生じてしまうのである。たしかに、きちがい的親はきちがい的な親であって、やさしい人間もいるのである。そして、やさしい人間は、理由もなく攻撃をしてくると言うことがない。なので、あとで、やさしい人間といるときは、別に気をはらなくてもいいということを学習することもある。その場合、きちがい的な親とそのやさしい人間を区別するようになるのである。これが、弁別だ。弁別という機能もあるので、きちがい的な親と、だれか他者はちがう存在だということを学習することもできるのである。ただ、親のほうがちいさいときから、いっしょにいるという問題がある。核の部分というのは、きちがい的な他者なのだ。きちがい的な親にやられた人間の場合、ものすごく根本的なところで、きちがい的な親が「人間存在」の「元型」になる。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。