きちがい的な親が、きちがい的な理由で、怒り狂って攻撃をしてくるとする。そういう親に育てられた人間は、いちおう、びくびくするようになる。それは、攻撃に対して、気をはった状態になっているということなのだ。そりゃ、三六〇度、どこからでも、きちがいやくざが、いちゃもんをつけて攻撃をしてくるとなったら、心休まる感じがしないだろう。学校で、びくびくしているこどもというのは、うちで、常に攻撃をうけているこどもなのである。この現実認識は正しいのである。この現実認識というのは、こどもの側の現実認識のことだ。ほんとうは、やさしい性格親なのに、こどもの側の人間が、妄想で、攻撃されたと思っているということではない。親が、きちがい的な攻撃を、してないにもかかわらず、こどもの側の人間が勝手にそういうふうに思っているという場合もあるかもしれないけど、今回話したケースの場合は、ちゃんと、親のほうが攻撃をしているということにしておく。きちがい的な親が、一日に何十回も何百回も、きちがい的な理由で怒り狂って、攻撃をしているとする。この場合、どうしたって、防衛的な性格になる。しかも、防衛が失敗しているのである。どれだけ防衛しても、きちがいが攻撃の手を休めないからだ。どれだけがんばって、防衛しても、きちがいがきちがい的な理由で攻撃をしてくる。その攻撃をしてくる相手が、自分の親だという地獄。普通の人は、そういう親にやられてないので、「そんなひとはいない」と思っている。そして、びくびくしているやつは、びくびくするような性格だから、だめなんだと思っている。びくびくしているこどもが、学校の教室にいたとしよう。悪戯が好きなこどもは、「わっ」とうしろから声を出し、びくびくしているこどもがおどろく様子を見て楽しんだりする。でっ、みんなでわらいものにするわけだ。まあ、そういう経験もつみかさなるとは思う。どうしてかというと、びくびくしているからだ。凡人は、そのこどもにびくびくしなければならないような状況がある……ということに関しては、考えもしない。「びくびくしているから、からかわれる」とえらそうに言うだけだ。引き寄せにこっている人は、「びくびくしているこどもが、攻撃を引き寄せている」と言い出す。こういうことが、まかり通っている。この世は、そういう世の中だ。